新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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総選挙後生き残る新閣僚は何人いるのか?

2021年10月05日 11時48分09秒 | 岸田文雄

岸田文雄新内閣が正式に発足され、ネット上では早速新内閣の品定めと「ネーミング合戦」が始まった。
 
【解説】安倍・麻生カラーがより強く…岸田首相の党内基盤の弱さの表れ 官邸主導から党主導へ
 
     
             【東京新聞より】
             

自民党役員人事と組閣を経て4日に船出した岸田新政権は、党幹部に重量級の人材を配置する一方で、初入閣が13人もいるなど、官邸主導から党主導への転換が見て取れる。先の総裁選での「論功行賞」も明白で、安倍政治の継承を掲げた菅政権以上に安倍晋三元首相、党副総裁となった麻生太郎前副総理の影響力が強まったようにも映る。
 岸田文雄首相は総裁選で、官邸のトップダウン型の政策決定を見直すと主張。「政高党低」とされた状況を変えるため、衆院選を指揮する幹事長に安倍、麻生両氏に近い甘利明氏、政策を取りまとめる政調会長に安倍氏が後押しするタカ派の高市早苗氏を登用した。閣僚には総裁選で支援を受けた派閥の「入閣待機組」や若手らを相次いで起用したことで、重鎮らが居並ぶ党の存在感が一層際立つ。
 党内基盤が盤石と言えない岸田氏にとって、後ろ盾となる安倍氏、麻生氏の意向は無視できない。新自由主義からの脱却や分配重視の政策への転換など、表向きは改革を訴えても実現性を疑われるのは、権力構造の裏側が透けて見えるからだ。衆院選公約の責任者の高市氏は、敵基地攻撃能力の保有を発展させた「敵基地無力化を可能にする法整備」を主張するなど「安倍カラー」が色濃い。

 
『初耳内閣』?『かいらい政権審判選挙』?ネーミングから考える岸田新内閣と衆院選
 
せやろがいが岸田内閣と今回の衆院選のネーミングを考えてみた
 
◆「脱安倍菅総選挙」(政治ジャーナリストの安積明子)
◆「おろしたてのシャツでコンパ選挙」(お笑い芸人榎森耕助)
◆「日本列島全面換気総選挙」「『生きさせろ!』選挙」(京都大の藤原ふじはら辰史准教授)
◆「かいらい政権審判選挙」(政治評論家の森田実)

 
さらに個別の新旧閣僚に対する疑惑も目白押し状態である。
 
岸田内閣の新閣僚は「カネ」まみれ! 鈴木俊一財務相、二之湯国家公安委員長、金子農水相、後藤厚労相らの醜聞が次々と」 

★“思い出入閣”で警察行政トップになった二之湯智 公設秘書が一億円強盗事件を起こしたことも
★金子農水相は海自パソコン購入で防衛省に圧力、末松文科相は政治資金でエルメス
★甘利幹事長の口利き賄賂問題だけじゃない! 茂木外相、萩生田光一経産相にも公選法違反疑惑
 
さらには、新入閣したこの女性閣僚の過去もひどいものである。
 
堀内のり子ワクチン担当相は『過労死ダンス姫』と異名を持つ有名人
  
 

 
こんな目に余るポンコツ閣僚だらけなので、行く先は短く「足が早い岸田文雄内閣」となるだろう。
 
幹事長の甘利明については昨日、5年前の「文春砲」を再掲したのだが、閣僚としては決して過去のこと」と済ますわけにはいかない破廉恥議員については、文春のライバル(?)のデイリー新潮の6年前の記事を再掲しておく。
 
高木新国対委員長に『女性下着ドロボー』の過去 被害者の妹らが明かした『合鍵を作って侵入』『手には白い手袋をはめて』
   
新総裁に選ばれた岸田文雄氏(64)は党役員や閣僚人事を進めており、野党との国会折衝の要・国会対策委員長に高木毅元復興相が就任した。高木氏には過去、女性宅に侵入し、女性モノの下着を盗んだ過去がある。地元・福井で知らない人はいないというその実態について振り返っておこう(※週刊新潮2015年10月22日号などに加筆し、修正を加えました)。
■姉の部屋で箪笥の中とかを物色し 
第3次安倍改造内閣で復興・原発事故再生総括担当大臣に就任した高木毅衆院議員が以前、下着泥棒に入った一軒家は、福井県敦賀市内の住宅街の一画にある。
 その家を訪ねると、高齢の女性が出てきて、
「何も知りません」
 そう繰り返すばかりだったが、近所に住む彼女の娘さんは、こちらが拍子抜けするほどあっさり事実関係を認めたのである。
――昔、あなたのお宅に下着泥棒が入ったという話を調べているのですが、その時の犯人は、高木氏ということで間違いない?
「はい。被害者は私の姉です。近所のおばさんが、〝家の斜め前に車を停めて中に入っていく人を見たけど、知り合いか?〟って。通報したのは私だったかな。警察の人が来て、指紋とか取って。でも、教えてくれた近所のおばさんが車のナンバーを控えとってくれたんで、すぐにやったのは高木さんやと分かった。家に上がり込み、姉の部屋で箪笥の中とかを物色し、帰って行ったようです」
■合鍵を勝手に作って侵入
 今から30年ほど前に起こった出来事だ。当時、下着を盗まれた女性は20代、高木氏は30歳前後だった。氏は20代半ばまでに高校の同級生と結婚している。つまり、彼が事件を起こしたのは結婚後ということになる。
 ちなみに高木氏の父親、故高木孝一氏は敦賀市議を2期、福井県議を4期務め、福井県議会議長を経て、1979年から95年まで敦賀市長を4期16年務めた、地元政界の〝ドン〟だった。事件があったのは、敦賀市長を務めていた時期だ。
 息子の毅氏は地元の敦賀高校を卒業した後、東京の青山学院大に進学。卒業後は敦賀に戻り、父親が設立した会社「高木商事」で働いていた。晴れて国会議員になるのは、事件を起こした十数年後のことである。
 被害者の妹が話を続ける。
「当時、姉は(金融関係の)窓口業務をしとった。そこに高木さんは客として来て、姉は一方的に気に入られとった。だから、やったのが高木さんと分かると、姉は〝いややわー。家まで来とったんやー〟と言っていました」
 さらに、高木氏の、家への侵入方法が実に悪質で、
「合鍵を勝手に作っとったんです。田舎やから、無防備に小屋にカギ置いといたりするでしょ。それをいつの間にか持っていって、自分のカギを作っとったみたい。それにしても、どうして勝手に家に上がり込んだりするのか。急に家の人が帰ってきたら、とか思わんかったんかな……」(同)
■父親の市長が頭を下げてきた…
 無論、高木氏の行為が犯罪であることは言うまでもないが、少なくともこの件は「立件」されていない。
「姉が〝騒がんといてくれ。勤め先にも迷惑かけたくない〟って。父は〝(高木氏の父親の)市長も頭下げてきた〟〝敦賀でお世話になっとるし〟と言ってて、それで、示談っていうか……。それにしてもあんな人が大臣にまでなって、不思議やなーと思います」(同)
 これら一連の経緯について高木氏に取材を申し込んだが、締め切りまでに回答は寄せられなかった――。
「高木さんについては、政治家になって以来、ずっと〝ある噂〟が囁かれ続けてきた。それは、〝高木さんは過去に女性の下着を盗んだことがある〟という噂で、彼の地元・敦賀や彼の周辺では知らぬ者がいないほど有名な話だったのです」
 と、永田町関係者。
「その高木さんが大臣になったものだから、まず、噂を知っている関係者が騒ぎ出した。〝高木といえばパンツだぞ。大丈夫か?〟とか、〝下着ドロボーを大臣にするとは、官邸の身体検査はどうなっているんだ〟と。で、内閣改造後、噂は爆発的に永田町じゅうに広まり、〝高木=パンツ〟という奇妙な図式が定着してしまったのです」
 もっとも、永田町じゅうで囁き声が聞かれたその時点では真偽不明の噂話に過ぎず、過去、誰もその噂話の〝ウラ取り〟をきっちり行った者はいない。あるいは、真偽を確かめようとして失敗してきた。
 そこで以下、噂話の出所を探り、真偽を突き止めるまでの経緯に沿って、「下着ドロボー情報」の詳細をご紹介していきたい。
■地元ですっかり定着した噂
〈「下着泥棒」常習犯の『高木毅』を福井県第三区の公認候補者に!!〉
 そんな大きな文字が横書きされた怪文書が手元にある。〈発行元〉は、〈良識ある政治家を育てる会〉となっている。
「高木さんは選挙のたびに下着泥棒について触れた怪文書を撒かれている」
 と、先の永田町関係者が耳打ちするので地元・敦賀で探してみたところ、さほどの苦労もなく入手できた怪文書は、1996年の衆院選の際に撒かれたもので、次のような記述が並ぶ。
〈〝女性下着泥棒常習犯〟『高木毅』がなぜ自民党公認候補者になれたか?〉
〈敦賀市長の息子が〝女性下着泥棒の現行犯〟をして、敦賀警察署へ連行され、事情聴取されたとの事実は、忽ち敦賀市民全体へ拡がってしまい、この度立候補した際にも、その事実が一部の敦賀市民の間で再び囁かれています〉
 96年の選挙ではこの怪文書の影響もあってか、あえなく落選。しかし、高木氏は2000年の選挙でめでたく初当選し、以来、2017年の選挙まで7回連続当選を果たしている。
〈敦賀の恥さらし〉
 2012年にはそんなタイトルが付いた怪文書が出回ったが、そこにもやはり次のような記述がある。
〈高木氏はかつて勉強が苦手で逃避しパンツ窃盗歴があり、(中略)話題に事欠かないことは皆様よくご存じのことと思います〉
 初めて選挙に挑んだ96年からこの時点ですでに16年が経過。高木氏の〈パンツ窃盗歴〉が、皆様よくご存じのこととして処理されているのは、地元でその噂がすっかり定着した証左なのかもしれない。
・・・中略・・・
■“息子のことを悪く書かないでくれ”
最後に、一体なぜ、下着泥棒の前歴がある高木氏が過去7回も当選を重ね、大臣にまで上り詰めることができたのかについて触れておこう。それは先に触れた高木氏の父、高木孝一氏の存在が大きい。
 そもそも高木氏が下着泥棒を働くも事件化を免れたのは、敦賀市長で地元政界の“ドン”だった父・孝一氏が被害者家族に頭を下げて謝罪したからだが、「高木氏が国会議員になれたのも、もちろん父親のおかげです。嶺南地区と呼ばれる高木氏の地元は原発と建設会社の街で、その両方を押さえれば選挙では安泰。孝一氏はこの地区の選挙で勝つ術を知り尽くした男でした」
 と、先の地元政界関係者は語る。
「高木氏は大学卒業後、孝一氏が設立した『高木商事』の社長をやっていた、ただのドラ息子で、地方議員を経験することもなく、1996年、いきなり国政選挙に挑戦した。この選挙では善戦の末落選しましたが、4年後の選挙で見事に当選を果たしたのです」
 96年と2000年、いずれの選挙でも「下着泥棒」について触れた怪文書がばら撒かれたが、その裏で孝一氏は“火消し”のため、涙ぐましい努力をしていた。
「福井県では、小さなミニコミ新聞や雑誌が何十種類も発行されている。孝一氏はそういうところを回り、“息子のことを悪く書かないでくれ”と頼んでいた。お金も相当使ったのではないでしょうか」(同)
 ある地元雑誌の発行人もこう話す。
「08年の選挙の前、孝一さんが私を訪ねてきた。で、“息子がパンツ泥棒をやったという噂を流しているヤツがいるが、そういう噂が記事にならないように頼むよ”と言われました」
 来る総選挙は10月31日に投開票される。国対委員長となった高木氏のパンツ泥棒の過去が蒸し返されるのだろうか。

 
新内閣も衆議院が解散されれば、77歳になって初入閣した「高齢者」や「3回生議員」らは、再び赤絨毯を踏むことができるのだろうか。

 
少なくとも選挙の洗礼を受けて臨時国会が開かれ、問題あり閣僚たちが無事戻ってきてから、あらためて「足が早い」岸田文雄内閣の評価をしたほうが良いのかもしれない、とオジサンは思う。  

 
       

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