新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

「非難」、「擁護」、「ほめ殺し」と多様性満載の森喜朗

2021年02月07日 11時22分29秒 | 東京五輪疑惑

週が変わっても「サメの脳みそ」男の「本音の発言」に対する批判は国内どころか世界中に拡がってしまった。
 
世界中が『森辞めろ!』 会長居座りは国際社会が許さない」 
 
「海外メディアは森会長を『sexist(性差別主義者)』と厳しく糾弾しています。女性が性被害を訴えた『#MeToo運動』以降、sexistは犯罪者も同然と批判されてきました。五輪組織委のトップが犯罪者同然の性差別主義者であることに世界はおののき、日本がいまだにジェンダー感覚にうといヤバイ国であることがバレてしまったのです。森会長が今の職に居座り続ける限り、日本の後進性をアピールしているようなものです」
「政権は森会長の発言が国の恥であることをよく理解した方がいい。一刻も早く辞めさせることが、日本にとって最善です」
高千穂大教授・五野井郁夫氏=国際政治学

 
晩節を汚すような老醜をさらけ出してしまったのだが、まあ、昭和10年代生まれの男たちはほとんどがこんな連が多かっただろうが、少なくとも83歳まで生き延びて、さらに国家的な事業の組織のトップに君臨している(しがみついている)男は皆無なので森喜朗が脚光を浴びてしまったということであろう
 
したがってその言動に批判や非難が集まるものなのだが、自分の祖父の年齢に近いと森喜朗を持っている連中の中には、「かわいそう」とばかりに庇う発言する輩もいる。
 
それでも森喜朗を擁護する人たち…産経新聞『厚化粧した集団いじめ』橋下徹『森さんの気持ちわかる』山口真由『欧米的ポリコレに違和感』」 
 
詳細は省くが、上記の記事中の小見出しを見れば内容は容易に想像がつくものである。
 
■産経抄は「森氏の大きな功績」「「女性差別の国」のレッテルを貼りたがってきた欧米メディアの絶好のネタ」 
■橋下徹「会長の職務は大変」「やれるのは森さんしかいない」 山口真由「83歳をつまみだしちゃいけない」 
■八代英輝弁護士はこの期に及んでも「記者の質問の仕方ってのもどうなのかな」とメディア批判 
 
「教育基本法の改悪」とか「道徳の教科化」によって安倍晋三が日本の教育を歪めてしまったと批判する人が多いが、その種をまいた張本人が当時から文教族のドンと呼ばれていた森喜朗であった、と元文科省事務次官であった前川喜平は、今朝の東京新聞の「本音のコラム」でこう書いていた。
 
【偉大なる過去の遺物】
 病と闘いつつ、東京オリ・パラに向け尽力する、森喜朗氏。その情熱には頭が下がる。首相も務めた大政治家。自民党の大派閥、清和政策研究会の領袖だった森氏は、文教・スポーツ分野のドンとしても君臨してきた。安倍・菅政権の文科大臣6人中5人が清和研。スポーツ庁長官も2代続いて森氏に近い人物だ。
 日本の教育は森政権を境に右傾化した。森政権の教育改革国民会議が2000年に提言した教育基本法の改正と道徳の教科化は、それぞれ第一次安倍政権、第二次安倍政権で実現した。安倍政権は森政権の戦前回帰的な教育政策を忠実に継承したと言ってよい。
 「女性のいる会議は時間がかかる」などの発言で女性蔑視を露呈した森氏には、もともと失言が多い。「日本は天皇を中心とする神の国」「教育勅語には時代を超えて普遍的な価値がある」「子供をつくらない女性を税金で面倒みるのはおかしい」「国家も歌えない選手は日本代表ではない」など。そこに露呈した森氏の心情は、神話的国体観念、滅私奉公、忠孝の道徳、家父長制度、男尊女卑など、恐ろしく復古的である。個人の尊厳に根ざす日本国憲法とは全く相容れない。
 森氏は謝罪会見で自らを「粗大ごみ」に例えたが、僕は「偉大なる過去の遺物」と呼びたい。現代に存在しうる余地はないからである。

 
過去のたびたびの復古的発言などの数々は、「聖火リレー」ではなくまさに「舌禍リレー」であった。
 
 
五輪は反対という人の中には、「森喜朗は降ろすな、下すと安倍晋三が出てくる、その方が厄介だ」との理由をこう説明していた。
 
「オリンピックを中止するためには、この不甲斐ない老害を自任する森喜朗が最適である。もし仮にこの男を下ろしてしまうと、安倍晋三が出てくる可能性がある。その場合は状況の如何に係わらず、開催を強行するに決まっている。安倍晋三の周辺には、忖度だらけの人物ばかりが蠢いている。安倍晋三が代わって会長などすることになると、国内外に顔向けできない。さらに悲惨なことになる。
ここは、老害、失言癖の森喜朗がいて醜態を晒し続けてくれた方が、大会中止には効果的である。」と森喜朗が辞めないことを願っている人もいた。
 
さて、散々批判された後には、一見励ましのような檄文があった。。
 
森喜朗よ、男だろう。ラガー根性を見せろ。会長の地位にしがみつけ。あなたこそ、東京オリンピックの顔にふさわしい。
森喜朗よ、あなたは早稲田のラグビー部推薦入学者だというではないか。ラグビーこそは男のスポーツだ。あなたこそ、男の中の男。あなたの男としての精神は、ラグビーで培い、ラグビーで磨き上げたもの。あなたの女性蔑視発言は、スポーツで鍛えたあなたの精神を多くの人々が誤解しているだけだ。自信をもって、今の地位にしがみつけ。
森喜朗よ、今をまさにラグビーの試合中と思え。つかんだボールをしっかりと持って走るのだ。多くのタックルをものともせずにトライを目指す。このことに、一筋の迷いもあってはならない。
森喜朗よ、あなたは男だ。東京五輪組織委員会会長職をいったん引き受けた上は、弱音を吐いて逃げ出したりはしない。途中で職を投げ出して、敵に後ろを見せるのは男の恥だ。毛ほども女々しさを見せてはならない。
森喜朗よ、ものには釣り合いというものがある。富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブの葉。靖国には軍服姿の進軍ラッパ。そして東京五輪には、誰よりもあなたがよく似合うのだ。かつては、ウソとゴマカシと政治の私物化を象徴していた安倍晋三が東京五輪に最も似合う男だった。その安倍が跡を濁しながら退陣した今、森喜朗よ、あなたこそが東京五輪とピッタリのイメージだ。とうてい余人をもって換えがたい。
本日の毎日新聞朝刊社会面のトップには、無責任な「都内100人調査」という次の記事が掲載されている。
 「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言を人々はどう見ているのか――。毎日新聞が5日、東京都内4カ所で100人に聞いたところ、「森会長は辞任すべきだ」と答えた人は全体の約8割に上った。国際オリンピック委員会(IOC)と政府は森会長の謝罪と発言の撤回をもって「幕引き」としたい考えだが、国民感情との「ズレ」が浮かび上がった。」
正確には、「辞任すべきだ」と「辞任の必要はない」の比率は、78人対18人だ。森喜朗よ、100人中の18人もあなたの味方がいる。心強い限りではないか。2割に満たない少数派であるが、少数者の意見を尊重することこそ、民主主義の本領ではないか。もっとも、「森会長の言っていることに異論はない」と発言を擁護する人は、100人中のたった一人だけだったそうだが。
 「街頭取材からは、辞任を求める人の多くが、森会長が国際的な祭典における「顔」にふさわしくない、と考えている様子が浮かんだ。」
毎日の記事は、そう締めくくられているが、これは明らかに誤解に基づくものだ。そうではないか、森喜朗よ。「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるということを国民のみなさんにしっかりと承知していただく。」というのが、あなたが首相の時代に宣言した真理ではないか。
誰もが知っているとおり、日本の国とは男系男子の天皇の国。女子は男子を立てるところに婦徳を示す。このことをしっかりと承知していただかねばならない。日本で行われるオリンピックでは、日本の歴史や風俗や日本の国柄を尊重していただき、日本の国情にしたがって行われるべきが当然ではないか。天皇の国では、男が中心、日本民族が中心、天皇を戴く神の国であることをしっかりと承知している人が中心で、そのためには森喜朗よ、あなた以外に東京五輪にふさわしい顔はない。
また、オリンピックを、神聖なもの、世界の良識を結集した立派なものと考えていることがおかしい。カネと権力の誇示の舞台でしかないと現実を認識すれば、森喜朗よ、あなたとオリンピックはお似合いなのだ。
森喜朗よ、あなたのこれまでの数々の「失言癖」を指摘し、会長職辞任を求める声が巷に渦巻いている。しかし、あなたは決して「失言」をしているのではない。このことに自信をもたねばならない。あれは全て、あなたの信念の発露なのだ。
森喜朗よ、あなたが辞任を否定したことで、批判の矛先は政府やIOCに向かっている。これは、素晴らしいことではないか。日本の政府も、IOCも、そしてあなたも、どっこいどっこい、カネと国威発揚に汚れた者どおしとして、お似合いなことがみんなの目にはっきりと見えるようになってくる。
森喜朗よ、そのあなたが、「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めた」という報道に落胆した。が、間もなく辞任を翻意したとの報道に安心した。
辞任翻意の理由は、「みんなから慰留されました」「武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」「いま会長が辞めれば、IOCが心配するし、日本の信用もなくなる。ここは耐えてください、と」
そのとおりだ。森喜朗よ。あなたは、男だ。もとはラグビーの選手じゃないか。国内外からの、女性蔑視発言バッシングに堪えるだけでなく、反撃せよ。記者会見では、とことん、やり合え。「もう、発言は撤回したから文句はないだろう」「もう、謝ったじゃないか」「いったい何度謝ったらいいんだ。」「不可逆的に解決済みのはずだ」「面白おかしく報道するための質問には答えない」とがんばれ。
また、ときには、こうも言うべきではないか。
 「私の発言に、反省すべきところはない」「キミたちは、人の口を封じて言論を弾圧しようとするのか」「この天皇の国では、男性と女性の在り方に区別あって当然なのだ」「世界の人に、日本の国情を理解してもらわねばならない」
森喜朗よ、あなたが語ったとおり、「報道はされていませんが、たくさんの(保守系の)国会議員からも激励され」ているのだ。あきらめるな。今の地位にとどまれ。そして、東京五輪と日本精神の何たるかの両者を、あなたの発言と行動を通じて世に知らしめよ。
 

まさに皮肉というスパイスたっぷりの究極の「ほめ殺し」であろう。
 
森喜朗のような「昭和の絶滅危惧種」とか偉大なる過去の遺物」といわれるほどの多様性を持った人物は今後は絶対にお目にかかれないだろう、とオジサンは思う。  
     

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