新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

五輪が醸す闇を突き破るジャーナリストが求められる日本

2021年04月04日 12時28分16秒 | 東京五輪疑惑

新型インフルエンザ等対策有識者会議 基本的対処方針等諮問委員会(第15回)議事録」が公式サイトに掲載されている。
 
要旨にしてはかなりの量なのだが、内容を詳細に精査したメディアは、簡単に「緊急事態『ほぼ意味がない』 専門家、限界を指摘 諮問委議事録」と報じていた。
 
ある意味、もはや専門家連中ですら日本全国に蔓延ってしまったCOVID-19の感染拡大防止の絶対的な有効策は無いと認めたようなものであった。
 
ましてや、手を変え品を変えての小池百合子都知事の「言葉遊び」や、威勢だけはよい「やってる感」満載の吉村洋文大阪府知事らがいくら喚いても「第4波」から逃げることは不可能な状態になっている。
 
さて、聖火リレーが多くの批判を浴びながら全国に広がっているのだが、こんな記事が実態を報告していた。
 
有名人の不自然な笑顔 聖火リレー“大本営報道"の気味悪さ」 (日刊ゲンダイ)

「あまり密にならないようにお願いします」――。有名人ランナーが申し訳なさそうにそう呼びかけるのが、もはや定番だ。東京五輪の聖火リレーは2日、長野県で2日目を迎え、スタート地点の飯田市の小学校で、下條村出身の峰竜太はこう訴えた。
「いろんな状況で五輪を考えると難しいことがあるかも分からないですけど、だから逆にみんなの力でそれを乗り越えて東京オリンピックにつながってほしいなという気持ちでいっぱいです」
 さすが、気配りで知られるベテランタレント。各方面への精いっぱいの配慮をにじませたが、たった70メートルをほぼ歩いただけで第2走者に聖火をつなぐと、苦笑い。
 笑顔が引きつったまま、だらだらと走るのは峰だけではない。口火を切った福島県の第1走者、旧なでしこジャパンのメンバーをはじめ、有名人ランナーはどこかバツが悪そうだ。
 ムリもない。このコロナ禍で五輪開催には世論の8割が「中止」か「延期」を望んでいる。ましてや緊急事態宣言の解除も束の間。もう新型コロナウイルス「第4波」を招き、仙台、大阪、神戸など6市に「まん延防止等重点措置」の初適用が決まったばかり。
 コロナ禍で日銭にすら苦労する人々は、この「パンなきサーカス」に憤怒を感じていることだろう。ともる聖火に鼻白む思いを抱く有名人も多いはず。その結果がランナーの辞退ラッシュだ。
 それでもトーチを持つ有名人だって複雑な気持ちを抱きながらに違いない。そんな良識をあざ笑うかのように連日、NHKを筆頭にメディアはリレーを盛り上げようと必死である。
■沿道に集まれない人々を忘れるな
 2日昼の首都圏ニュースでも、NHKは聖火を間近で見ていた、ちびっ子が「うれしいねー」と満面の笑みで喜ぶ姿を映した。幼い子の無邪気な反応に罪はないが、その部分をあえて切り取り伝えるNHKには薄ら寒さを感じる。法大名誉教授の須藤春夫氏(メディア論)はこう言った。 
広まる五輪懐疑論を払拭するための道具に『子供の笑顔』を用いているようにしか思えません。NHKにすれば、放送法の定める『公平性』を逆手に取り、大勢の人々が聖火見たさに集まっている“事実"を曲げずに報じただけと反論するかもしれません。ただ、沿道に集える人々は全国民のホンの一握り。聖火リレーとまさに同時刻には、コロナ禍と向き合う医療従事者もいれば、生活苦で五輪どころじゃない人々もいる。政権の最優先課題は『第4波』の封じ込めと伝える一方で、公衆衛生の犠牲リスクがある聖火リレーを無批判に報じること自体、大きな矛盾です。コロナ禍の五輪の『光の部分』だけを伝え、『影』に触れない姿勢は、福島原発事故の爪痕を隠し、聖火ランナーに奇麗になった道だけを走らせた大会組織委員会と変わらない。欺瞞に満ちた聖火報道は、開催機運を高めるためのプロパガンダに過ぎません
「復興五輪」の大義は名ばかり。「商業主義」に毒されているのは、聖火の行く先々で悪目立ちするスポンサー車両の「どんちゃん騒ぎ」を見れば大いに分かる。
 主役のランナーより目立つのは、大音量をカキ鳴らす「コンボイ」と呼ばれる改造車。台上のDJはマスクをつけず「踊って楽しみましょう」と絶叫を繰り返す――。そんな異様な演出を問題視する動画をツイッターの個人アカウントに公開したのは、東京新聞の原田遼記者だ。 
■傲岸な「魔法」にひれ伏す政権とメディア
 ちなみに東京新聞は、全国紙が軒並み名を連ねる中、大会スポンサーになっていない唯一の大手紙だ。
 原田記者はリレー初日の先月25日、福島・南相馬市の県道で動画を撮影。動画は約90万回再生と反響を呼んだが、3日後に削除していた。
 その理由について、2日、同紙web版に原田記者は署名記事を掲載。背景には公道で撮影した動画すら規制するIOC(国際オリンピック委員会)の独自ルールがあるという。記事によると、聖火リレーの放送、配信の権利は放映権を持つ事業者(NHKと日本民間放送連盟各社)にあり、放映権を持たない新聞メディアの動画公開は撮影から「72時間」に制約される。
 規制を知らされたのは、リレー開始の約1カ月前。制約を受けるのはメディアに限られ、沿道の一般人は無制限に公開しても許される。   
 腑に落ちないルールだが、あくまで民間組織のIOCは気に入らないメディアを自由に排除できる。「ルール違反」を理由に同紙の全記者が本大会の取材パスを却下されるリスクを考え、原田記者は渋々、動画を削除したようだ。
 つまり聖火リレーの放送、配信すら既得権益。NHKと民放連は2024年のパリ五輪までの冬季・夏季4大会の放送権獲得のため、IOCに1100億円も支払っている。NHKが日本相撲協会に払う1場所当たり5億円の放送権料の220倍だ。
 民放連の加盟はラジオ・テレビ兼営32社、テレビ95社、ラジオ66社、衛生放送11社。民放キー局から地方のラジオ局に至るまで、絶対に脱落が許されない「護送船団方式」で放送利権を手に入れたのだ。なるほど、無批判な聖火報道のたれ流しには、損得勘定も反映されているのだろう。
 それにしても、公道で撮影した動画にまで、なぜIOCが公開の権限を主張するのか。東京新聞の質問に対するIOCの回答には、放送権を付与したNHKと民放連への配慮がうかがえる。中でも、ふるっているのが次の一節である。
 〈放送報道は、IOCが世界中でオリンピズムを推進し、人々がオリンピックの魔法を体験するという使命を果たすための主要な手段の1つ〉
■ナチスが生み出した伝統を守るのか
 いくら高額の放送権料を収めても、日本のメディアは「オリンピックの魔法」を振りまくのに努めろと言わんばかりの傲岸不遜な態度だ。
それを言うなら『魔法の錬金術』です。居丈高なIOCにひれ伏し、全国紙がスポンサーとなり、NHK・民放連が巨額の放送権料を捻出するのは、錬金術のおこぼれ欲しさ。五輪報道が期待コメントに染まるのも当然で、メディアはずっとIOCや組織委の手先になっています。いやしくも報道機関を名乗るなら、より多角的に聖火リレーを伝えるべきです」(東京五輪関連の著書がある作家の本間龍氏)
 菅政権も「魔法」に魅せられている。先月21日の緊急事態宣言の全面解除も五輪ありき。感染再燃の予兆が見えていたのに、4日後に控えていた聖火リレーのスタートと秤にかけたのだろう。
 その聖火リレーは、重点措置適用の大阪市が中止濃厚。島根県も中止を検討し、鳥取県も規模縮小の方針だ。同県の平井知事の「多額のお金をかけて東京の価値観でやるよりは地域にあったやり方」「浮いた費用をコロナ対策に使う」は賢明な選択といえよう。
「菅政権の五輪強行は非常識。何としても五輪を政権浮揚につなげたいのでしょうが、その発想はベルリン五輪を国威発揚に利用したナチスに通じる危うさがあります。そもそも聖火リレーはナチスが生んだもの。政治的プロパガンダの側面もあるのです。メディアが歴史的視座を失い、その悪しき伝統を守るための“大本営"になってしまえば、この国を誤らせることにもなりかねません」(須藤春夫氏=前出)
 願わくば五輪強行政府とたいこ持ちメディアに、国民はドッチラケ。ますます人心が離れていってほしいものだ。

 

 
  
若干内容的には重複するが、上記の記事中で話題になった東京新聞の原田遼記者が事の顛末を記事にしていた。
 
聖火リレー 私が五輪スポンサーの「お祭り騒ぎ」動画をTwitterから削除した理由

東京五輪聖火リレーで目立つスポンサー車両を映し、ツイッターで約90万回再生された動画を3月28日、私は削除した。大音量の音楽やDJ(ディスクジョッキー)による異様な演出を問題視した動画で、削除という判断には「おかしい」という抗議の声もいただいた。なぜ削除したのか。背景にはメディアの動画公開を撮影から「72時間」とし、公道で撮影した動画すら規制する国際オリンピック委員会(IOC)の独自ルールがあった。(原田遼)
◆相次いだ抗議
 問題の動画は、私が聖火リレー初日となった25日午後4時53分に南相馬市の県道で撮影した。日本コカ・コーラなどスポンサー4社が走らせるトラック型宣伝車が大音量の音楽を掛け、観覧客で密になる沿道の間を通過する光景を映した。一部のDJはマスクをつけずに「楽しみましょう」と絶叫していた。
 その日夜、ツイッターの個人アカウントで動画を公開。翌日、東京新聞のウェブサイトでは、「大音量、マスクなしでDJ…福島の住民が憤ったスポンサーの『復興五輪』」のタイトルで記事を掲載し、動画を埋め込んだ。ツイッターのコメント欄では「どんちゃん騒ぎ」「復興五輪が聞いてあきれる」などスポンサーや大会組織委員会への批判が並んだ。私がツイッターに添付した動画は89万回再生され、リツイートは1・9万件に上った。
 しかし28日午後4時30分、私は自らのツイッター投稿を削除した。会社にもウェブ記事から動画のみを削除してもらった。この措置をツイッターで報告すると、「IOCに従うのはおかしい」「公共性の高い動画をなぜ消すのか」という抗議が相次いだ。
◆IOCの「72時間ルール」
 経緯は2月25日にさかのぼる。組織委がメディアに対して聖火リレーのオンライン説明会を実施。参加者にはメールで「ニュースアクセスルール」と書かれた資料が配られた。
 そこには聖火リレーの放送、配信の権利は放映権を持つ事業者(NHKと日本民間放送連盟各社)にあることと、放映権を持たないテレビ局や新聞メディアに対して「イベントから72時間経過するまでの間に限り、非独占的に、ディレイで(すなわちライブではなく)放送し、あらゆるプラットホーム(インターネットを含む)経由で配信することができる」と明記されていた。
 つまり新聞社はウェブサイトやSNSで聖火リレーの動画を配信する場合、撮影から「72時間」に制限されるという内容だ。
 そして違反者に対しては「著作権、商標、刑事、不正競争、不正利用に関連する適用法令に基づき、法的責任に問われる可能性がある」と明記された。
◆「おかしい」と感じたが…
 説明会で私は「明らかにおかしい」と感じた。放映権を持つテレビ局の利益保護が理由とはいえ、公道で行われる事象に対し、なぜIOCに規制する権利があるのか。
 私は質疑応答で「万が一、事件や事故が起きた場合など公共性の高い報道が必要になった場合はルールの順守は困難かと思われる。柔軟に対応してほしい」と要望した。組織委員会の高谷正哲スポークスパーソンは「IOCが決めているルール。われわれはルールのみを伝えることしかできない」と、回答を拒んだ。
 他の参加者からは一般の観覧者に対する動画公開について質問があり、高谷氏は「沿道の一般の方に対してのルールはない」と答えた。一般の人は無制限に動画を公開できて、メディアは駄目というのは理屈が合わないが、私以外にルールに異を唱える参加者はいなかった。
◆最終的には削除を決断
 痛恨なのは、その後の自らの行動だ。ルールに疑問を持ちながらも、「一人では何もできない」と諦め、IOCに直接抗議をするなどの働き掛けをしなかった。
 そして3月になり、メディアが聖火リレーのランナーや式典を取材するために必要な「メディアライブラリー」に登録した。登録には「ニュースアクセスルール」の順守が条件とされた。登録した時点で、IOCの不条理なルールに従わざるを得なくなったのだ。
 リレーの動画撮影から「72時間」が迫った3月28日夕方、私は依然として伸び続ける再生回数を見ながら迷った。公道で撮影した動画の公開がIOCに制限されるはずがなく、万が一、訴訟を起こされても負けるリスクは少ない。「動画の公開を続けるべきではないか」。そうも考えた。
 しかしIOCは民間組織で気に入らないメディアは自由に排除できる。「ルール違反」を理由に私だけでなく、東京新聞の全ての記者を聖火リレーから排除しかねない。最も心配したのは五輪本大会での取材パスだ。もし申請が却下されれば、競技会場には入れず、選手の活躍を報じることはもちろん、今回のように大会の「闇」を内部から伝えることはできない。新聞社としては致命的だ。3日間の動画公開で一定の問題提起ができた、とも感じており、私は最終的に動画の削除を決めた。
 改めて30日、IOCの担当部署に「公道で撮影された動画に対し、なぜIOCが公開の権限を持っているのか」と質問をメールで送ったが、回答は放映権者への配慮をにじませるものだった。
◆批判重く受け止め
 公共性の高い記録を消してしまったことに対して「メディアの責任を放棄した」という批判を重く受け止めたい。同時にやはり多くの人が東京五輪に対して疑問を持っていることを実感した。今後も五輪の問題を追究しつづけることが、私の責務だと感じている。
◆オリンピックは民間資金で運営
IOCから本紙にあった回答は次の通り。
 IOCの目的は、オリンピックとそれに関連するイベントをメディアが最大限に報道し、世界で可能な限り幅広い視聴者に届けることです。ただし、ご存知かもしれませんが、オリンピックムーブメントは民間資金で運営されており、放送報道は、IOCが世界中でオリンピズムを推進し、人々がオリンピックの魔法を体験するという使命を果たすための主要な手段の1つです。 IOCは、オリンピックおよび関連するすべてのイベントの所有者であり、その内容は知的財産権の対象であり、世界中のメディア企業に権利を割り当て、その販売からかなりの収益を生み出し、その90%はオリンピックムーブメント全体に配布されます。
  IOCが放送局を保有する権利に独占的権利を付与した結果、IOCは、放送局の独占権と、オリンピックの完全な報道を確保することの間のバランスを見つける必要があります。これはオリンピックとオリンピック聖火リレーのニュースアクセスルール(NAR)に反映されています。 NARは、IOCの規則と規制を尊重することを考慮し、オリンピックに認定されたすべてのメディア組織に適用されます。認定されたメディアは、オリンピックと参加アスリート、IOCに代わってオリンピック放送サービスによって作成された資料、権利を持った放送局からのコンテンツに対して、オリンピックとオリンピック聖火リレーを取材する目的で特権的にアクセスできます。

   
さまざまな声がネット上にあふれていた。

登録メディアはカネを払うそうだが、一般市民には制約がない。


それにしても、これが本当に「聖火リレー」なのか?

 
五輪のオフシャルスポンサーの隊列を見せつけられる不気味さ。
 
どうやれば五輪に向けて国民の高揚感が醸造されるのか、甚だ疑問である。
 
後ろめたいことが明らかになった瞬間。

 
原田遼記者の記事に関して、IOCのルールに疑問を抱いたジャーナリスト・神奈川大学特任教授の江川紹子が国内の識者に意見を聞いていた。 
聖火リレー報道規制IOC「ルール」に法的根拠はあるのか」 
 
日本の法律を無視した傲慢な「ルール」について知的財産法が専門の玉井克哉・東京大教授のこんな見解を引き出していた。
 
「法外な話。とてつもなくデタラメな主張です」
「(特定の組織が)公道を使って行われるイベントを撮影し、それを報じるのを妨げる『権利』などありませんよ」
「たとえば美術館の場合、勝手に写真を撮らないという注意事項があれば、入館の時に契約が生じますね。神社仏閣などでも同じように参観者は契約に縛られます。オリンピックの場合も、開会式や競技などは、スタジアムに入る、あるいはチケットを購入した時に、契約が生じます。でも、聖火リレーが行われているのは公道でしょ。そこでの報道規制を権利として認めるなら、京都の葵祭や大文字焼き(五山送り火)、大阪の岸和田だんじり祭なども、主催者が認めたメディア以外は報道できなくすることも可能になってしまうんじゃありませんか」
「そんなありえないことが、オリンピックなら『ある』というわけです。(この『ルール』は)表現の自由を尊重する日本の法を無視した、かなり傲慢なものだと思いますよ」
「フリーランスや一般市民が自由だというのは当然だとしても、この『ルール』を適用すると、記者がメディアに所属しているが故に一般市民よりも表現の自由を制約される、ということになります。報道機関に重要な地位を認めた『ペンタゴン・ペーパーズ』事件合衆国最高裁判決などとは逆方向の考え方であるように思われます」
「『報道(press)は被治者(the governed)に奉仕するのであって、統治者(the governors)に奉仕するのではない』*という言葉を、よもやお忘れではないですよね」
 
そして、東京新聞社についても、記者個人の問題に帰してしまった責任を批判していた。
 

萎縮と自粛の原因を探る 
 今回の動画を掲載し続けることで、原田記者個人が登録を外されるのみならず、東京新聞本体がオリンピック本番の取材を拒否される事態になれば、国際的なスキャンダルになるだろう。IOCや組織委が受けるダメージを考えれば、そういう強硬措置は考えにくいように思う。
 にもかかわらず、原田記者がここまで追い詰められ、萎縮したのはなぜだろうか。権力が一方的に圧力を加える場合以上に、報道する側が萎縮し、勝手に自粛するケースは、問題の所在が見えにくて、かえって深刻だ。このメディアの側の問題も考えておかなくてはならないだろう。
 同紙web版に掲載された「聖火リレー 私が五輪スポンサーの『お祭り騒ぎ』動画をTwitterから削除した理由」と題する原田記者の記事を読むと、オリンピック本番の取材パスをもらえなくなるのではないかと恐れ、それが萎縮につながったことが分かる。
 原田記者は、組織委から聖火リレーに関する様々な情報提供のサービスを受けられるメディア・ライブラリーに登録していた。記者クラブと一緒で、公式情報の入手には便利なのだろう。ただし、そのメンバーとしてサービスを提供するかの判断は、組織委に委ねられる。ここに登録していたことで、IOCの「ルール」遵守へのプレッシャーがあったのだろう。
 けれど、今回のような沿道からの取材をするなら、何もライブラリー登録をせずに取材すればよかったのではないか。実際、何の規制もなく、取材したフリーランスのジャーナリストもいる。スポーツ担当などの記者がライブラリー登録していれば、新聞社としてはIOCの資料を得るうえでは問題はないだろう。あえて記者個人はIOCのサービスを受けずに自由に動く選択もあったのではないか。
 動画の扱いにしても、新聞社のウェブサイトでは「ルール」に従い、記者のツイッターでは公開を続けるなど、事前に様々な選択肢を検討することはできなかったのか。動画のアップ前に、法律の専門家の助言を受けてもよかっただろう。知り合いが数少ない私などと違って、新聞社の場合は様々な専門家がリストアップされ、容易にコンタクトもできて、様々な助言が受けられたはずだ。
 「オリンピックの『闇』」を伝えようと意気込むなら、せめてそういう準備をしたり、理論武装したり、もう少し知恵を絞って、したたかな対応をする工夫が必要だったのではないか。テレビが報じない聖火リレーの一側面を伝えたのは素晴らしいセンスだったが、報じた後のことを考えずにアップしてして、あとからビビるというのは、ちょっとナイーブすぎないか。
 ただ、新聞社は組織ジャーナリズムであって、記者個人の問題として見るのはいささか気の毒だ。同社のバックアップ体制はどうだったのか。
 果たして、「抗議や圧力があって削除するものではありません」とか言っている場合か? 抗議や圧力もないうちに萎縮・自粛するのは、なお問題だろう。こういうときに、組織としての総合知を動員しないで、どうするのだ?という気がする。


さすがにフリージャーナリストらしい歯切れのよい主張であろう。
 
しかしこのようなフリージャーナリストは菅義偉政権からは疎んじられ、首相記者会見でも満足には出席したり発言することもままならないのが現状である。
 
COVID-19が爆発的に感染拡大しない限りは、菅義偉は何が何でも政権浮揚策として五輪開催に突き進むのだろうが、翼賛体制のオフィシャル企業は問題外だが、そうではない組織やジャーナリストたちは、カネもうけしか考えないIOCのえげつなさと、利用される五輪のいかがわしさから目を背けてはならない、とオジサンは思う。  
  

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