新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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「気が小さい」、「カネに汚い」、「税金の無駄遣い」の安倍晋三はもう御用済み

2022年01月29日 11時58分01秒 | 安倍晋三

最初にいつものこの御仁の怒りを聞いてもらいたい。
 
 
220128 佐渡金山で盛り上がるマスコミ 国会報道なし 国はコロナ対応に知らん顔  
 
「佐渡金山」と聞けば、年配の日本人ならば江戸時代の「佐渡送り」と言われた罪人を使役した鉱山というイメージがある。
 
しかし、「佐渡の魅力/(4)時代劇の大嘘を、佐渡金山で知る!」という記事によればイメージと実態は大きく異なるという。

実際の徳川幕府の金山経営は、はるかに合理的で、多いときには5万人が暮らしたというほどの、大規模な計画的な都市設計、港湾設計を行なっているのです。
安永7年(1778年)以降、幕府は都市の治安を攪乱する「無宿者」を狩り集めて佐渡へ送っています。
しかし、この「無宿者」を使った場所が水替人足(みずかえにんそく)。
水替人足は、坑道内の水を配する作業に従事する人足で、労働としては非常に過酷。
当初は全国に募集されて、農家の次男、三男などが高い給料につられてやってきました。
それに足して、勘定奉行の石谷清昌(元佐渡奉行)が生み出したのが無宿人の利用で、安永7年(1778年)から幕末までに送られた無宿人の総数は1874人で、意外に少ない感じがします。
しかも、徳川幕府は、「無宿は罪人にあらず」という考えで、給料も与えていたのです。・・・中略・・・
罪を犯して島に流された罪人を「島流し」、判決を受けずに島に送られた無宿人を「島送り」(佐渡では江戸水替)と呼んでいました。
貴重な金銀の採掘に、犯罪者は使うことは不可で、しかも一般の金窄大工(採鉱夫)は、かなりの高給だったのです(粉塵が肺に入り、短命のため危険手当的な発想だったとも推測できます)。
結論をいえば、「佐渡金山では犯罪者を使っていない」のです。

 
しかし、江戸時代以降、新潟国際情報大学情報文化学部紀要「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945)」という研究資料によれば、様子は全く変わってくる。 
 
1945年8月15日現在、新潟県内約40ヶ所の事業所に、5000名近い朝鮮人が就労中であったことが明らかになっている。
 
そして新潟県内に戦時動員された朝鮮人の内、最も多くが佐渡鉱山に投入されていた。
 
若干長くなるが、その一部を引用する。
  
(1)佐渡鉱山と朝鮮人
 佐渡鉱山は江戸初期から徳川幕府によって本格的に採掘された日本を代表する金山である。
明治維新の後、1869年に工部省の管轄となり、その後農商務省に、さらに大蔵省へと移管され、1889年に宮内省御料局の所管となった。明治政府は欧米の技師を佐渡鉱山に迎え、各種の技術革新を行ない、積極的な採掘を進めた。
 宮内省御料局は1889年1月に佐渡鉱山学校(学校長兼教授渡辺渡)を設置した。佐渡鉱山学校は鉱山従業員の子弟を養成し、有能な技術者に育成することが目的だった。学校は正課と予課に別れ、修業年限は正課1年半、予課3年である。開学年の生徒数は、正課87名(採鉱学科27名、冶金学科32名、機械学科19名、建築学科9名)、予課41名だった。1892年4月に第1回目の卒業式を挙行した。第1期生の生徒の中に、東京の工科大学の学生とともに、朝鮮政府から派遣された朴昌圭、具然寿、朴致雲の三名が入っている。彼らは日本語の通訳付きで授業を受けながら、近代鉱山学を学んだ。この3名が佐渡鉱山に入った最初の朝鮮人と思われる。
三人とも後に、日本と密接な関係を持つことになる。朴昌杢は1905年3月、日露戦争の「日本戦勝祝賀特派大使」の随員として日本を訪問する。朴致雲は1894年日本軍の東学弾圧に、通訳として協力する。具然寿は1894年9月現在砿務局主事となり、1895年10月日本が閾妃を殺害した際、その遺体を焼く作業に関わり、この後日本に亡命する。
 1896年9月宮内省御料局所管の佐渡鉱山は、生野鉱山、大阪精煉所ととも三菱合資会社に払い下げられた。これ以降、佐渡鉱山は三菱の資本によって経営され、1918年に三菱鉱業の経営となる。三菱合資会社の裸掘鉱種は金・銀・銅であり、1897年10月現在の従業員数は2224名である。佐渡鉱業所は、技術面において鳩鉱製煉工場等の拡張、青化製煉法の採用、アセチレン携帯燈の導入などの改革を進めた。また、経営面でも、飯米給与制の改正、鉱夫受負人制度の改正などを行った。
 佐渡鉱山の労働者の一部は出身によって区別され、島内出身者を「地者」、島外出身者を「他国人」と呼んだ。「他国人」の雇い入れや管理は「人夫請負人」である部屋頭があたり、彼らによる「部屋制度」(納屋制度)によって運営されていた。’1890年1月現在、鉱場課に所属する従業員数は1946名である。この内訳は、取締23名、支柱88名、運転14名、火焚8名く鍛冶20名、坑夫550名、人足892名、馬丁4名、選鉱夫126名、選鉱婦222名である。このうち坑夫と人足は「地」と「他国」に分けられている。「他国坑夫」は252人、「他国人足」は698人であり、「地坑夫」は298人、「地人足」は194人である。「他国」坑夫・人足の計950名が部屋抱えであり、「地」坑夫・人足の計492名が佐渡鉱山直轄の労働者と思われる。
 1890年頃の佐渡鉱山には、大塚平吉、鈴木菊次、安田安平、佐藤金六、太田範七など5人の部屋頭’(請負人)がいた。中でも最大の有力者が、大塚平吉だった。部屋頭は他国人の募集、管理、鉱山での探掘、その他の管理を請け負い、配下の鉱夫、人夫を仕事に従事させた。また、彼らは配下の他国人を収容する宿舎を経営した。彼らは事業請負において、鉱山事業主と労働者の中問にあって請負賃金を受け取り、また部屋頭として食料費、物品販売からかなりの利得を得ていた。さらに、以前からの慣習として配下人夫への飯米一括払い下げを受け、その余剰米を取得する立場にあった。
1910年代に作成され、1920年代に一部追加されたと推定される『鈴木部屋古籍調書』、『大塚部屋台帳』によれば、1902年から1929年までに大塚部屋、鈴木部屋に入った「坑夫」、「人足」は計704名である。この内、出身がわかるのは685名である。ここに朝鮮人労働者がすでに現れている。朝鮮人は鈴木部屋に14名、大塚組に7名、計21名(3.1%)となる。鉱山労働者の出身地は44地域と多様である。これを出身別に見ると、長野(172名)、新潟(154名)、佐渡(62名)、石川(34名)、群馬(30名)、富山(31名)に続き、朝鮮は第7位に位置している。

 
このような歴史的な背景がある中で、岸田文雄は「佐渡島の金山」(新潟)の世界文化遺産登録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することを一時保留したのだが、それは2015年、当時の安倍政権の要求でユネスコは昨年から世界記憶遺産登録当時、反対する国がある場合は審査を中断して期限を決めず対話するよう制度を改めたからであった。
 
そもそも日本政府のユネスコへの制度改定は2015年、中国が「南京大虐殺の文書」などの登録に安倍政権が強く反発したことから始まった。
 
日中間の認識に相当の違いがある事柄を中国側だけの主張に基づいての登録は不公正と訴え、当時菅義偉官房長官はユネスコへの分担金・拠出金の支払い停止にまで言及した。
 
それでも登録が決まったことに日本政府が猛然とかみついた末にできた新制度ということになる。
 
当時の安倍政権はまっとうな主張をしたつもりだったろうが、国際社会は自国に都合いい歴史だけを評価しようとするわがままとカネを止めるという恫喝に厳しく反応していた。
 
この新制度では中国や韓国に関わりのある世界記憶遺産は関係国との決着がつくまで登録できないことになるだろうし、それは日本政府の考えだということになる。 
 
そんな制度改革をさせておきながら、今度は安倍晋三の圧力に屈した岸田文雄は、「佐渡金山、世界遺産に推薦 見送り一転、首相表明」という前言を覆すこととなった。
 
当然ながら、当時の佐渡金山に21名の朝鮮人(現在の韓国)が劣悪な環境で働かされていたという過去の事実から、韓国は、「佐渡金山推薦中止を要求 登録阻止に全力―韓国外務省」という動きを見せたわけである。
 
そのような背景も知らずに、相変わらず無知なネトウヨ連中は喧しい。
 
「敵国がなんかまたギャーギャー言ってるわ。」
 
「妄想癖国家の言うことなど聞いていたら太陽が西から昇り東へ沈みます。」
 
「日本国内の事、何を決めようと関係ない、内政干渉も甚だしい!」
 
「日本政府は、強制労働があったことを裏づける証拠を示すよう相手に迫ればいい。
果たしてどんな証拠を出してくるか。」
 
もっとも中にはまともな声も多数あったのが救いである。
 
右翼の安倍と高市のごり押し。みっともないし、恥ずかしい。
 
「何でもない問題を、大きくするために喧伝する日本のメディアの責任も重い。
責任とる必要の無い報道権力は、やりたい放題だ。」
 
「もっとほかに注力すべきこと、たくさんあるだろうに。まあ、他国ヘイトを生業にしている方がたくさんおられるんでしょうが…」
 
「また粘着ストーカー集団が記事と関係ないヘイトを喚いてます。こんなうよ部族民に私たちはどう対処すればいいのでしょう。」
 
やはり諸悪の根源は安倍晋三だったのだが、安倍派会長としての振舞には批判が多い。
 
 
 
さらには、こんな記事には驚かされる。
 
アベノマスクに引き取り希望「2億8000万枚」安倍元首相はご満悦もSNSでは『国民が尻拭い』と怒りの声
 
その怒りの声を拾ってみる。
 
「国民が尻拭いしてるだけですよってこと理解してほしいね」
 
「よくもまあ、自信の手柄のように楽しく話せるな。無駄金を使わせないように国民が必要ない物をリサイクルしてるのに、さも人気で足りないと言いたいのか」
 
「安倍さんご満悦だけど、マスクとしては使えないし税金が無駄に使われた事を忘れてはいけない。それに今回また人件費や送料かかるんだから」
 
「「安倍氏はご満悦のようですが、今回希望者が殺到したのは、マスクに人気があったというより、日本人の “もったいない精神” によるところが大きい」
 
「アベノマスク」は「小さい」、「汚い」、「無駄遣い」であったのだが、それはそっくり、「気が小さい」、「カネに汚い」、「税金の無駄遣い」の安倍晋三そのままであったことだけは間違いない。       
  
最後にこんな手紙を紹介しておく。
 
安倍晋三殿
あなたは病気だと言って辞任した直後、いい薬ができて元気になったと言って表舞台に戻ってきた。あなたはどこの製薬会社の何という薬を飲んだのですか。このことを誰も彼に問うていない。彼が自分で作った架空薬であることがわかっていても問い詰めるべきだったと思う。しかるに周りは笑って済ませた。本来なら彼はとっくに死んでるはずだ。「病気」という言葉を使って国家国民を弄んでいる。いずれ「病気」からの逆襲で地獄の苦しみを味わいながらあの世に行くことになるかもしれない。子供のずる休みの気分ではいられない。

 
はりこの国のためには「地獄の苦しみを味わいながらあの世に行く」ことが求められているのでは、とオジサンは思う。 

 

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