1月2日に出雲空港に到着し、空港から専用のバスに乗ったまではよかったのだが、で出雲大社近で交通渋滞のためキャリーバッグとともに下ろされてしまった。
天気も良く元旦には20万人ほどの参拝者が訪れたそうだが、2日もさらに参拝者が増加しそうな勢いであった。
そもそも「縁結び」なんかには全く関心がなく最初の宿を探すのが最優先なのだが、観光案内の雑駁な地図に振り回され数キロも歩く羽目になってしまった。
ようやくたどり着いた宿で2泊して4日には鉄道で米子まで移動。駅からはバスが出ており終点からは歩いて数分のところにある老舗の旅館であった。
その宿の2泊目に中国人の団体客が押し寄せ、大浴場での目に余る傍若無人ぶりに宿の女性スタッフに小言をいうと、「文化の違いですから仕方ないですね」とあっさりと言われてしまい、インバウンド客が大きな収入源なのであろうが、返す言葉もなかった。
6日にチェックアウトして、米子駅まで戻り鉄道で米子空港まで行った。
羽田飛行場での人災といえる大事故による影響を受け出発時刻が当初から30分遅れ、さらに羽田空港管制官による指示で40分も遅れての離陸であった。
ゆっくり温泉に浸かり地元の魚介料理を堪能するという当初の目論見がまったく崩れてしまった。
深夜近くに帰宅し翌日目覚めたときにその異変が現れた。
布団から自力で起きられない、手足に力が入らないという、一人ではトイレにも入れない状態になった。
最初は妻の介助によりなんとか頑張ってみたが、70kg以上の私の体を支えるには限界があった。
7日は日曜日なので8日の祝日に以前何度も入院したことがある地元の大学病院の緊急外来に連絡し、夜勤交代後の9時過ぎに行くことにした。
事前に体温くらいは計っておこうと試みたら、ナント39.4度もあるではないか!
どうやら高齢になると高温に対して鈍くなるようである。
内科の看護師に簡単に事情を説明し、診察室に入った。
女性の内科医のいくつかの問診の後、「それではPCR検査をしましょう」と言われ、生まれて初めて鼻腔の奥まで検査棒が突っ込まれた。
大学病院と町のクリニックとの違いは血液検査やPCR検査結果がすぐにわかることである。
しばらくして内科医はいとも簡単に「インフルエンザですね」と診断し、吸入型の薬品をもらい、その場吸引して終わった。
びっくりするような費用をカードで支払ったのだが、頭のなかでは「なぜ?何時?どこで?」感染したのかという疑問がいっぱいであった。
旅行中はかならずマスクを着用していたが、宿の部屋以外でマスクを外したのは食事の時くらいで、いつも妻と向き合っての食事で、一番近くの席もかなり離れた環境の会場であり、そのような場での感染は考えられない。
一般に、インフルエンザに感染してから症状が現れるまでの時間は約 2 日らしいのだが、せいぜい約 1 ~ 4 日の範囲らしい。
そうなれば米子空港からの帰りの飛行機が満席で密室度が高いので感染源の可能性が最も近い。
今となってはどうでもいいことなのだが、インフルエンザの特徴は「筋肉痛」であり、特に股関節周りが激しく、我が家の2階の書斎の行き来が最大の難所になっている。
現役の頃は毎年インフルエンザの予防接種費用の援助が企業から支給されていたが、オジサンは一度もインフルエンザのワクチン接種は受けていない。
さらに風邪で仕事を休んだことはなく、コロナのワクチンもいちども接種したことがなく、2023年度まではそれが心の大きな支えであった。
それが今回の4泊5日の「島根・鳥取」の旅行でもろくも崩れ去ってしまった。
どうやら出雲の神様祟りが「悪霊との縁結び」をしてしまったのではないだろうか、とオジサンは思う。