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Crystal Heart ・・☆

私はどこから来てどこへ行くのか・・・光の世界を追いかけて

信長の安土城跡

2009年09月24日 | 天地人

旅の3日目、自転車「三成観光ツアー」を気にかけながら、安土町の 安土城跡 (安土町HP)に行ってきました。
安土と彦根は、そんなに離れていないんです。。。

ここも全く予備知識なしで、「安土町」という地名を頼りに行った場所。
当然、城は現存していないのに、凄い観光客の数・・・
そこでやっと 火天の城 という映画のことを思い出す始末!(笑)


城山の宿命とはいえ、どこまでも続く石段(大手道)と石垣、老若男女がひたすら登ります!(安土山は標高198.9m)
段差がバラバラで、登りにくいったらありません。

途中、秀吉の屋敷跡(凄く広大)と前田利家の屋敷跡があり、「昔、家がお向かいだった」という、天地人の中の台詞に納得。

二の丸跡には、信長の遺品を納めた「信長廟」があったり、森蘭丸の屋敷跡、寺院跡など、一つ一つ解説を読みながら、せっせと登ります。

いつになったら、この階段終わるん!?さすがにバテ気味・・


着きました!天守台跡です。
この石の上に、巨大な柱が立っていたのでしょうか?
護摩堂山の城跡とそっくり!あの規模を大きくした感じです。


琵琶湖、竹生島まで眺められます!

ここで芸能人のウド鈴木さんに遭遇・・・
どうやら旅番組の収録中のようでした。

その後、 安土城考古博物館 で、「戦国の城-安土城への道-」 などの展示を見て、隣接している「文芸の里」の 「信長の館」 で、再現された安土城天守の一部(→写真)と、当時の食事の再現などを見てきました!

信長に限らず、武将はこれくらい「個」がしっかりしていないと、務まらないんだと、一つのスケールを見た気になりました。


皇己のセッションルーム Angel's smail です

石田三成・生誕449年

2009年09月23日 | 天地人

今回の「天地人」の放送で落城した 石田三成 の居城、 佐和山城 に、奇しくも放送前日に行ってきました。

全く城に関して予備知識なし!「彦根にあるらしいから、行けばわかるでしょ?」という軽いノリ。

しかも!
秀吉 聚楽第・大阪城 平城 佐和山城は平城に違いない!
という、とんでもない思い違い!(秀吉の側近だし、何となくという思考)
佐和城は、文字通り山城です。。。(T^T)

彦根ICで降りると、彦根城より近い、R8の「佐和山トンネル」が城山。
が、城跡の案内、登り口の案内表示が見つけられません。
彦根といえば彦根城ですからね。


R8の「佐和山トンネル」近くに、 佐和山遊園 (↑写真・という石田三成テーマパーク<廃墟>)があり、そこから地元の方に道を聞きながら、徒歩で城跡への旅の開始。

龍潭寺(りゅうたんじ) さんからの登り口を教えてもらい、行ってみました。(遊園から片道15分・徒歩)

龍潭寺には、佐和山観音と呼ばれている『石田三成群霊供養』と、三成の座像があります。

230m程度の山ですが、この時期は草が茂り、蚊が凄い上「本丸付近は野猿に注意」の看板も・・・
何の準備もしていないので、登り口で撤退決定。
下調べと準備は必須だと自戒。

こういう時に「シンクロ」が起こるんですね!
宿泊先で読んだ京都新聞に、三成の記事が!

来年、三成生誕450年に当たるので、町おこしとしていろんなイベントを企画中とのこと。

私が城跡に行った2日後に、 ひこね街の駅 (ひこね街の駅「戦国丸」)が、石田三成公生誕450年祭実行委員会を設立。
チャリンコで「 三成観光ツアー 」を開催。

また地元の主婦グループが、 「三成汁」 を作ったり、GPSを使った地図を作ったりしてるとか。

そういえば、 いしだみつにゃん って、初めて知りました・・・(笑)

今度はしっかり調べて、三成を楽しみ尽くしたいと思います!


皇己のセッションルーム Angel's smail です

八海山

2009年09月06日 | 天地人

八海山に行ってきました。
最高峰は標高1,778m、ノコギリの刃のような八ツ峰を持つ、越後三山のひとつ。
天地人のオープニングで、直江兼続役の妻夫木君が 地蔵岳 (新潟日報HP・天地人ニュース)に立つ姿、風景はすばらしい!

こんな険しい山を登ったことないし、今回、八海山尊神社に用があって行ったので、超軽装。


ということで、八海山ロープーウェーで4合目(1,147m)へ!
おぉ!なんかTVのオープニングの風景!

が、ロープーウェーの山頂駅から地蔵岳まで、少なく見積もっても2時間半!
私が歩いたら、もしかして半日?
八海山ロープーウェーHP トレッキング案内図



とりあえず、山頂駅からすぐの八海山遙拝所でお参りをし、4.5合目まで登って帰ってきました。(涙)
ガスがかかってきて、八ツ峰もなんも見えなくなっちゃて・・・


ロープーウェー山頂駅横の展望台からの眺め。
ちょっと低めの天地人?
あ、会津に行く前に眺めた景色!


このロープーウェー山頂駅のすぐ横が、ロケ地。
景勝と兼続が、会津に行く時に越後を眺めに行った場所。

チャチャッと草を刈って、朝7時から撮影に入ったという写真が、貼ってありました。
今年は天気が悪い日が続き、撮影大変だったろうと思います。

天地人もいよいよ終盤ですが、まだまだ楽しもうと思っています!


皇己のセッションルーム Angel's smail です

わしはこんなとこ・・・

2009年08月26日 | 天地人

知人が天地人グッズを作っていて、直接いただきました。
ラッキー!!

こんなに身近で、天地人グッズを作っているとは、ビックリです。
もしかして雲洞庵で売っているのかしら?(私が行った頃、グッズはなかった)

ボランティアで、地域の史跡ガイドをしているのですが、今回は、戊辰戦争を熱く語ってきました。
新潟は、長岡藩の河井継之助が東軍についたので、いろいろなところに 戊辰戦争 の史跡があります。

戊辰戦争の時、私は某藩の江戸上屋敷で生きていました。(新政府軍・西軍側)
そして新しい時代を見ることなく、死んだ記憶を持っています。

何の因果か、今回は奥羽越列藩同盟(東軍側)の地域に、生まれてしまいました。
不思議ですね・・・

戊辰の史跡巡りだったのですが、上杉謙信と甘粕氏の城跡の話をゲット。

長岡市と見附市の境あたりに、椿沢という場所があり、山の上に城跡があるらしいのです。

その麓を通り、謙信が栃尾から春日山に行くために、物見台として甘粕氏に城を造らせたんだそうです。

甘粕・・・そうです!パパイヤ鈴木が養子に行った先・・・
義父に当たる方が、健在だったときに造ったのでは?

今度登って、謙信の歩いた道を見てみようと思います。

それにしても与六は、元気よくためらいなく「わたしはこんなとこ、来とうはなかった!」と言ってのけてました。

私は、こんなとこ(三次元のこの時代)、来たかったんだよ・・・ね?
ビミョ~~~っ!?
今回こそ、新しい時代の幕開けを、見てから死にたいものです!


皇己のセッションルーム Angel's smail です。

天地人 直江兼続とその時代展

2009年08月10日 | 天地人

スピ系のこのblogと、天地人は関係ないと思うかもしれません。
私は、少しでも多くの人に、新潟に来てほしい。
私の好きな故郷に、とても大変な地震や水害が続き、凹みそうだったから。
このドラマが、ずっと前から決まっていたのも、なんだか天の采配のような気がするから。
発信していけることを、発信したいと思ったから。
そしてなにより、私が楽しみたいから!

この休みには、長岡市にある 新潟県立歴史博物館
NHK大河ドラマ特別展「天地人 直江兼続とその時代」展 (NHKプロモーションHP)に行ってきました。

樋口時代の兼続をすっ飛ばし、一気に直江兼続としての活躍、その時代の文化などの紹介です。

始めに、兼続所用の鎧兜から始まり、本人や景勝、秀吉の書状や肖像画などを見ることができます。
兼続は、浅葱系の色合いが好きだったのか、ここで見た鎧は宮坂考古館、上杉神社の物とも違ったのですが、糸は青系でした。

兼続の兜というと、「愛」の兜だけだと思っている人が多いようです。
あの兜は、小田原征伐で着用したと、聞いたこともあります。
きっと具足は、何領も持っていたんでしょうね!

政治的な書簡や地図などの他に、秀吉の聚楽第、伏見城の地図なども、ちょうどこの週の天地人でも紹介され、タイムリーでした。

他に、桃山時代の屏風、蒔絵の道具類、能の面や装束。
茶道具や兼続が所用していた本、特に兼続が日本で初の銅活字で作った、中国の古典「文選」を見れてよかったです。
読みやすい、楷書でした!

記録に残る兼続のお茶席は、畳も敷かない、漢書だけが掛けてある、質素で地味な物だったようです。
その時だけだったのかもしれませんが、秀吉の豪華で雅やかな文化の中で、どこまでも質素で堅実な人柄が、浮き立つような気がしました。

兼続の学んだ諸々に触れることのできる、素敵な展示会だとかもいました。


いや~っ・・・こういう展覧会をしっかり見るのって、ホントに体力いります!
人混みの中で立ち続けることと、集中力を、この1年で鍛えられそう。

皆様も、どうぞ・・・(笑)


皇己のセッションルーム Angel's smail です。

上杉神社の神社巡り

2009年08月08日 | 天地人
上杉神社には、景勝、兼続、鷹山公などを祀る松岬神社。
越後の時代から上杉家が守り神とした春日神社。
また福徳稲荷神社があります。

春日神社は春日大社の分霊で、お社は小さいのですが、鳥居から先が結界で守られているような、空間が違うような気がしました。
といもいい感じの場所す。

福徳稲荷神社は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が祭神?
お稲荷さんはいいか?と、パスしようとしたら、突然、頭頂がズキッ!

アイタタタッと頭を押さえたら、「素通りか?」と言われたような気が・・・

思わず「あはははっ・・・すいません。。」と、福徳稲荷神社にお参り。

フッと横を見るともう一つ鳥居があり、「市杵嶋姫命」の幟が!(漢字にイマイチ自信なし)
小さなお社に「弁財天」の文字。。。

思わず「何でアンタが、こんなとこにいるの?!」

稽照殿前の池の中島あたりに、祀られているなら分かるけど、お堀の近くとはいえ、何でここに弁財天がいるのか???です。

呼んだのは貴女ですか?
去年の竜ケ窪の池も、呼んだのは貴女でしたよね?
気持ち的に「弁天さまの夏が来た!」でしょうすか。(汗)

これは帰ってきてから知ったのですが、上杉神社・・・というより米沢城跡には、「巳なる金弁財天」が、上杉記念館のずっと裏にあるらしいのです。
当然、その先にある「餐霞館(さんかかん)遺跡(上杉鷹山の隠居所跡)」にも行ってないわけですから、また行く口実が出来てしまいました。

今、 うこぎのふりかけ (うこぎの町米沢かき根の会HP)にハマっているので、無くなる頃にいってみたいと思います。


皇己のセッションルーム Angel's smaile です。

米沢再び

2009年08月06日 | 天地人

8月1日、日帰りで、再び米沢にいってきました。
目的は、 直江堤公園 の散歩道の石碑を全部読むことと、 龍師火帝の碑 にたどり着くこと。(直江兼続・米沢.comのHP)

3月に、時間がなくて立ち寄れなかった「龍師火帝の碑」は、エライ細い道の行き止まりにあります!
本当に行けるのか?と、冷や汗ものでしたが、石碑前の駐車場は大きいです。

松川(最上川)の水音と、蜩の大合唱が迎えてくれました。→(右写真)

兼続が、松川の氾濫を防ぐために置いた石碑は、風化して、ほとんど字が見えない状態です。

すぐ横に 猿尾堰 という、取水口があるんですが、「切腹づつみ」と書いてあります。(直江兼続・米沢.comのHP)
何度も壊れて、責任を感じた家来が切腹したとか・・・
インパクトは、ありますね。

直江堤公園の直江石堤は、3月に訪ねた時に比べ、草に覆われている分、公園は緑の芝生になってとてもキレイでした。

公園に点在する石碑を追って行くと、兼続の生涯と偉業を知ることが出来ます。
川のせせらぎを聞きながら、のんびり散策するには、とてもお薦めの場所です!

もう一つ行きたかった場所が 宮坂考古館 。(魚沼市観光協会HP)
道に面しているのが塀なので、前回、見つけられなかった施設です。

甲冑、火縄銃は、すごいです!
今でも米沢藩古式砲術保存会の方達が、イベントなどで実演していらっしゃいますよね。
また前田慶次がお好きな方は、立ち寄ってみられては?と思います。

私は刀の地透鐔(じすかしつば)が好きなんですが、いろいろ飾られていて満足でした!



上杉謙信公祀堂(御堂)跡に行ってなかったので、上杉神社にも寄ってきました。
何でここに瓶に入った謙信の亡骸を安置したかというと、「米沢城下で一番高い場所」だったからだと、前回通過した時、おしょうしなガイドさんから聞きました。

今回は、じっくり上杉神社内の神社巡り。
面白い出会いもありましたが、それはまた後で・・・


皇己のセッションルーム Angel's smail です。

護摩堂城跡

2009年06月20日 | 天地人

土日は、私の家庭サービスの日。(笑)
今日は田上町の あじさい祭り に行ってきました。

田上町の湯田上温泉地にある 護摩堂山 (田上町商工会HP)は、標高274mと低いのに眺望がよく、山頂近くから紫陽花園が広がっています。

もちろん!天地人ゆかりの地。

パパイヤ鈴木 が演じる 甘糟 景継 が、謙信の亡くなる1年ほど前から、この護摩堂城の城主となっています。

武勇に優れるだけでなく、無類の愛妻家という逸話も残る、とっても人間味溢れる武将。

この城は、御館の乱でも、その後の新発田重家との戦いでも、はっきり言って最前線です!

駐車場から頂上まで、30分はかかるでしょうか?
階段の少ない、なだらかな道なので、老若男女がたくさん歩いています。

途中、空堀跡や谷砦跡を確認しながら登れます。

頂上からの眺めは絶景・・・なはずなんですが、今日は曇っていて、遠くまで見渡せませんでした。


見晴らす平野の向こうに、山の裏が日本海という、海沿いの山がうっすらと見えるんですが、そこに天神山があります(魚津の天神山とは違います!)。
兼続の弟・大(小)国実頼の居城「天神山城」があるところです。

平野の真ん中を流れる信濃川を挟んで、甘糟氏と小国氏がそろって、北の新発田氏に睨みをきかせていた場所なんでしょうか?
間違ってもドラマのように、みんな暇そうにはしていなかったと思います。

甘糟 景継は、越後の護摩堂城、五泉城、会津移封により庄内酒田城、白石城(宮城県)の城主と順になり、享年62才で死去。
お墓は、米沢の林泉寺にあります。
直江兼続夫妻のお墓のすぐ側に。

兼続とは、同じ寺で修行し、同じ主君に仕え、苦楽を共にしたもの同士。
どんな人生だったのか・・・

そんなことを考えながら、ゆったりと山道を歩いてきました。


皇己のセッションルーム Angel's smail です。

黒滝城跡

2009年05月31日 | 天地人

先回、国上山(くがみやま)に登ったおり、「隣の峰が 黒滝城跡 で、天地人縁の史跡だよ」と教えてくださる方があり、行ってきました!

この城は、長尾為景(上杉謙信の父)~謙信へ家督が動く最中に、城主の黒田秀忠が敵対して謙信に滅ぼされ、後に入った山岸氏は、謙信~景勝へ家督が動く御館の乱で、景勝側で大活躍。
その後、三条、新発田などの制圧の要衝地として、その役割を担ってゆきます。

そして上杉が会津に移封されて廃城になるまでの最後の城主が、上田衆の 深沢弥七郎
彼が養子としてはいり、 山岸 尚家 を名乗りました。

国上や黒滝城跡、弥彦山との関連を、分かりやすく紹介してくれているのが、弥彦観光協会の この写真 !拡大もできます。

車でも行けるんですが、いったん国上に登ってから、徒歩で行ってきました。
国上側の分かれ道には、しっかり看板があり、迷うことはありません。
国上を片道、ちご道を使ったので、3時間半の歩き。。。
さすがに、へばりました!

途中、夏戸城主の 志駄 義秀 (ドラマでは魚津城に行く時、お船の命で兼続の元に参じてます)の祖父が使ったという(謙信がまだ栃尾にいた頃、黒滝城主・黒田秀忠との戦かな?)、寺泊や与板方面からの陣道(軍事的な道・右写真)が残っています。

この辺の道は、どこへ行っても人一人がやっと通れる、整備されていない道です!
雨の直後には、お薦めしません。

20分ほど歩くと舗装された林道に出るので、そこから林道を5分ほど降りると、黒滝城の大手門跡にでます。

そこから黒滝城跡への登り口は、すぐ。

はっきり言って、このまま使えます!
すぐ戦ができます!

それくらい 曲輪や空堀などの保存状態 がよく、全部みて歩くだけでも一仕事です!

トップの写真は、一番高い場所「天神曲輪」です。
疲れたので、ここだけ。(笑)

日を改めて、車で行って回りたいと思います!


皇己のセッションルーム Angel's smail です。

魚津城跡と天神山

2009年05月06日 | 天地人

GW中、京都に行っていたのですが、旬な話なので帰りに寄った富山県魚津市の魚津城跡と天神山の話をまず。

今週末、NHKの天地人は、この魚津城落城へと話が進んでいきます。
後世の人間から見たら、「後1日持ちこたえてくれたら!!」と歯がみしたくなる話ですが、それも歴史であり、人の選択なんですね。

織田 VS 上杉の激戦 魚津城の戦い が行われた魚津城本丸は、現在、魚津市立大町小学校になっており、石碑が残っているだけです。

訪ねる先が学校なので、駐車場や校内へ入れるのか?など、不安を抱えて行ったのですが、びっくりするような歓待を受けました!

魚津インターから学校までの道順は、立て看板で細かく指示!
駐車場は、学校の駐車場を開放。
しかも、「天地人」のぼりが立っていて、ご近所の方がボランティアでガイドをしてくれました!

さらにびっくりしたのが、学校の一部を解放し、児童が調べた資料や作品が展示!
学校の先生や地域の方が作った、魚津城や戦いの資料をお持ち帰り自由!

もっとびっくりしたのが、先生が屋上に案内してくれ、地理や戦況を説明してくれること!

上記「魚津城の戦い」のリンクから見れる、「魚津城古城絵図」を、今の建物を指差しながら当てはめていくと、ものすごく臨場感・実感が出て来ます。

二ノ丸(堀と堀の間にロの字型にあった)が落ちて、本丸だけで持ちこたえるなんて、平城の魚津城では想像を絶する状況です!


学校の屋上から見える天神山(白矢印)です。

学校の近くに総合庁舎とNTTがあるので、その建物の形と建物の上の鉄塔を頭に入れて、いざ!天神山へ!


天神山城の本丸跡、天神社。

天神山にある 郷土民俗資料館 を目指すんですが、資料館まで行っちゃうと、駐車場はほとんどありません。


木が生い茂り、葉が出てくるシーズンなので、頂上から城下を見渡せません。
資料館から登る途中で、たぶんあれが大町小学校だろう?という風景が・・・

大河ドラマで、天神山から魚津城を見下ろすシーンがあったのですが、あの距離感は嘘では無さそうです。

この距離にいて助けられない無念、心が痛みます。

さて、週末の続きを見たいと思います。


皇己のセッションルーム Angel's smail です。