綺麗な夕日が沈む。
こんな夕日を毎日でも見たい!と、祈りたくなる。
だけどある時は雨降り、ある時は空に黒雲がたなびぎ、日々、目に映る様は異なる。
どんなに夕を褒めても、太陽は「私が頑張って、今日も綺麗な夕日にしよう!」とは言わない。
雲も風も「私が頑張って、綺麗な夕日にしよう!」とも言わないし、ましてや「私のせいで、今日は綺麗な夕日にならなかった!」とも言わない。
人間だけだね。
「私が雨男(女)だから・・・」って言うのは。
「私」が頑張れば、「私」のせいで・・・
これを「エゴ(我)」っていうんだろうね。
「私」がどうあろうと、どう思おうと、天も地も、太陽も雲も風も夕日の様も、ただあるがままにそこになる。
今日無いことも、明日になれば、なるようになってそこにある。
昔から人は、それを受け入れる器を持っている。
人もまた、宇宙に存在する一切のものの一部。
たまには「私がこうしたい」「私がこう思う」「私が、私が!」を、ちょっと横に置こうよ。
そして目に見える範囲の自然の中に、ただ溶けてみようよ。
「私は太陽」「私は雲」「私は風」、私は森羅万象の一部であり、すべてなるもの。
私を明け渡す「サレンダー」とはこういうものか?と、感じられるかもしれない。
そして自然を受け入れるように、自分を受け入れていける。
きっと体の中に、芯が一本通っていくよ。
皇心のセッションルーム Angel's smail です。