Crystal Heart ・・☆

私はどこから来てどこへ行くのか・・・光の世界を追いかけて

だまし絵の夢

2012年10月26日 | 心模様


朝方、夢を見た。

神社の中を、振り袖を着た女性が3人で歩いている。
その中の一人の結ってある髪が、ほつれて見苦しくなっているのが気になった。

その時、フッと面白いことを考えた。(夢の中で)

もし、私があの人の髪を気にとめなかったら、髪のほつれた女性は、この世に存在したのだろうか?
というもの。。。
あはははっ、笑える夢だわぁ~!

ちょうど森の中で動物を探す時、隣の人見つけて「ホラッ、あこよ、あこ!」って指さすのに、見つけられない・・・みたいな?

それは、見つからない人にとっては、そんなものいないのと同じという感覚に似ているなぁ。
という当たりで、ハタッと目覚めた。

当たり前の話だけど、今、意識を向けていないものは、ないんだよ!
そういうことを、だまし絵の中に引っ張り込まれて念押しされたような?

目覚めた時に、一瞬一瞬、私の目に写るこの世に中の諸々、出会う人、出会う感覚、善きものも悪しきものも、鮮明に意識の中で浮き立った宝物なんじゃないか?と、不思議で胸の熱くなる思いがした。

起きてカーテンを開ける時に、カーテンに「ここにいてくれて、ありがとう」と言ってしまった。(笑)

変な夢だったけど、ま、悪い気になる夢じゃないから、良しとしますか?(*^_^*)♪


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

問い

2012年10月23日 | 心模様


相変わらずの覚え書きです。

以前、瞑想中に「人間は、人という現象である」という言葉をもらったのを、ふっと思い出して、そうだなぁ~と、あらためて可笑しくなった。

「私は問う」。
「私」は「問う」。
この2つを切り離すことはできない。
私は「私」だから問いが発生する。

大なる一つなるもの、ワンネス、スピリット、魂、そう呼ばれるものには問いがない。
その中には一切の問いが存在しない。
「え?」と思うことすらない。
問いも答えも、すでに内包されているともいえる。

それが、あるがまま、そのまま、すべてOKといわれる由縁。

「私」は、問いがなくなることが怖いことに気づいた。
捉まりどころがなくなってしまう感じがするから。

「私」とは?
他人様はどうか知らないが、私の場合「私」は頭の中にいる。
身体と一緒に頭の中にいるもの。

たぶん「思考」とか「マインド」と呼ばれるものなんじゃないか?

だから私は「え?」と『思う』。

え?と立ち止まった瞬間から、過去と未来、時間というものが発生する。
そして「私」が発生する。

あぁ、そうなんだと何となく思った。(笑)

ただ過ぎ去るに任せたならば、何にもしっかと捉まることがないならば、還るべき場所に還り着いているのかも知れないね。


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

へそ曲がりの閃き

2012年10月18日 | 心模様

今朝、アドバァイタ(一元論者)という意味が分からなくて、ネットで調べて行き着いたのが、 「私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集」 という本。(amazon.co.jp)

クリシュナムルティが何者かは知っている。
彼の本は読んだことがない。

が、この本のタイトルを見た瞬間に「あぁ!この手があったか!!」と閃いた!
茶筒がパーンと立った。(笑)
この本の内容は知らないので、その辺は念のため言っとく。

私はもう、自分が存在しているとは思えなくなっている。
この話は、書きたくてもなかなか書き出せずにいた話なのだが…ってか、どう書いていいか分かんなくて。(T^T)

存在しないというか、自分の考えや概念が、自分の考えとか自分のものだとは思えないという意味。
なんだか大きな集合意識から、常にダウンロードし続けているような、常にラジオがつきっぱなしの感覚。

そういう意味では、あなた(他人)の考えも存在しないのだが…
あ、だからと言って自分や他人が信じられないわけじゃないから、そういう話じゃないので、これも念のため。

それを受け入れられないのね。
今まで自分が半世紀もかけて「これが私、私の考え、譲れない私のもの」と培ってきたものが、根底から崩れるというか、覆っている状況が続いてるねの。

「普通に現実を生きていくんだ」という気持ちと、「現実を越えていける、その先にある(あるべきものが)」というのの葛藤というか?

私は越えたいのね、早い話。
それを越えていくために、「受け入れる」という手法を使おうと試みていたの。
自分の考え方を「それもありだよ」と、えらい中途半端に・・・(というか、上手く表現できない)

それをやっていると、現実とスリ合わない。
考えだけが、現実の中で蓄積して浮くのよね。(流せばいいだけだから。不器用なのよ、きっと)
結局、崩壊を食い止めたいのよね・・・
この辺の状況が、上手く説明できない。(ゴメン)

とにかく何だかスリ合わなかったものが、この言葉をみたら、なんだ単純に信じなきゃいいんだ…みたいに、フッと肩の力が抜けた。

どうやら私にとって、思考を、おぉよしよしと抱え込んでいじるより、鼻で笑った方が効率がいいらしい。
へそ曲がりらしいなぁ~。

なんだか実際に身体まで軽くなったわ。♪

ありがとう!!クリシュナムルティ、翻訳者の方!(*^_^*)♪

意味不明の覚え書きで、すいません。(汗)


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

喜こぶ美徳

2012年10月11日 | 心模様

今日、クライアントさんと話をしていて思ったこと。

最近、心から喜んでいますか?

出来事、人の態度、褒め言葉・・・
自分の回りにあるいろいろなこと、本心から喜んでますか?

人は以外と、ネガティブなことには諸手を挙げて反応する、納得するのよね。
というか必要以上かも知れない。

が、喜び事や褒め言葉には、話半分で斜に構えて反応してないでしょうか?

まるで嬉しいことや言葉を、真に受けてはいけないような・・・
喜ぶと消えて無くなるというか、「それ、本気で言ってるの?」的な探りの心が入り込んでいるような?

まぁ奥ゆかしいというか、日本人の美徳なのかも知れませんけどね。

どんなことでも手放しで喜べるって、「うわぁ~!嬉しい~っ!(*^▽^*)」て、自分の内側からあるがまま、溢れるままに喜べることは、大切な人間の美徳だと思う。

ネガティブなことを思いっきりネガティブったら(?)、ポジティブなことも思いっきりポジティブる!
そうすれば放っておいても、人生ネガ・ポジの釣り合いが取れるんじゃなかろうか?

真面目な人ほど、日本人らしい日本人ほど、ネガティブるのばかり得意じゃ損な気がする。

私も今日から真剣に、諸手を挙げて喜ぼう!
恥ずかしいくらい喜ぼう!
話半分じゃなく、褒め言葉にはドップリ浸ろう!
喜ぶことに関しては、バカになるぐらいがちょうどいいかも!

よし!切り替えていこう~っ!(*^▽^*)/♪


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

大津祭 本祭

2012年10月10日 | 
大津祭 宵宮 の続き・・・

天孫神社に9時集合、9時半に巡行出発!


ということで、各町内から次々と曳山(ひきやま)が集合!
交差点では、三輪ある車輪の先頭を持ち上げて方向転換。
上手くいくと観客から拍手が湧きます。

なんだろう・・・身体の奥、魂の奥から揺すぶられるような感動で、涙がブワァ~ッと・・・(T^T)


月宮殿山 の見送り幕は、トロイ落城の情景を現した16世紀にベルギーのブリュッセルで織られたタペストリーで、国の重要文化財。
龍門滝山 の見送り幕も、国の重文。


全13基の曳山が、次々と並んでいきます。
もう、圧巻!!

曳山ごとにお囃子が違うのも聞き所。
祇園祭の能楽の笛と違い、雅楽の龍笛を使っているので音が華やか!


集まると一基ずつお祓いをして、神社に「からくり」を奉納してから出発!
要所要所の「所望」という場所で、からくりを披露しながら、夕方5時半くらいまで、お囃子が止むことはありません。


わ~っ!ぶつかるぶつかる!!
大津の路地は、マジで狭い。。。(汗)

午後から、紋付きを着ていた囃子方は着流しに着替え、いっそう山は華やかに。
4時半に解散後、各町内まで「戻り山」というアップテンポのお囃子を奏しながら帰ります。


次の日の朝、曳山は分解され、次の年まで町内ごとに保管。

天孫神社さん、来させてくれてありがとう!
来年も来られるといいなぁ~と思いつつ、感動の旅でした。


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

大津祭 宵宮

2012年10月09日 | 

まさか 大津祭 だなんて知らなかったの!
知らなくて来たら、祭に巻き込まれた!!(笑)

滋賀県には息子がいるので、近くに来ると手を合わせる、県庁近くの 天孫神社 さん。
今回、「まぁ、たまにはじっくり寄っていかんか…」と呼ばれ、望外の体験をさせていただきました。

着いた日は宵宮。
神社に夜店が出る程度だろうと思い、参拝してから旧東海道沿いに、ちょっと歩いてみた・・・


京町の割烹「大津魚忠」さんは、昔の商家の建築物として国の登録有形文化財になっています。

夜空に鉦や太鼓、笛のお囃子の音が響き・・・
えっ?!何これ!!?


京都祇園祭の山鉾を彷彿とさせる、曳山(ひきやま)があちこちに!


豪華な刺繍・織物の幕に包まれ、造りも豪華な調度に天井絵!
それが提灯の光に浮き上がる美しさと言ったら・・・


祇園の山鉾との最大の違いは、糸からくりの人形が本祭で乗ること。
宵宮では、展示・お披露目してあります。

これは 「源氏山」
町内のボランティアの方が、懇切丁寧に祭のことを説明してくれ、へ~っ!と納得の嵐!!(笑)


着流し姿の囃子方の皆さん。
はじめ暴走族の人かと・・・ゴメン!(^_^;


綺麗~!!
明日の本祭が楽しみ!


皇心のセッションルーム Angel's smail です。

空の揺らぎ 内なる揺らぎ

2012年10月01日 | ちょっとお茶にしましょ♪


夕べは十五夜だったんですが、残念ながら台風でお月様は雲の中。

この写真は、9月28日の夜に月を撮ったもの。
月齢12くらいで、左上が少し欠けているはずなんですが、きちんと写らず変な光が入ります。(汗)

この日は、台風18号が関東の沖にあり、17号が沖縄あたりにあったでしょうか?

私が風を感じることはありませんでしたが、空の上、上空の大気は大きく揺らいでいたようです。

星々がいつもよりキラキラと瞬き、大きな月の光さえ、ゆったりと揺らいで大地に届く。
そんな刹那をレンズが取り込み、いつもとは違う月の色や光となって現れているよう。

大気が揺れるのは、それを持つ地球の理。
その影響を受けないよう、人はハッブル宇宙望遠鏡のように、大気圏外に宇宙を観る『目』置きます。
より鮮明に、そのまま、ありのままの天体や宇宙を観るために。

人は・・・
人は、己の心の揺らぎに左右されることなく、物事・出来事を見ているでしょうか?
私が見ているものは、この月のように、何かによって揺らいでいないのでしょうか?
本当に、そのもの、そのままなんでしょうか?

この写真を見ていたら、ふっと、そんな気持ちが湧き上がってきました。

私の『目』はどこ?

いつか私もハップルのように、思考や心の揺らぎを通さずに、身の回りにある物事・出来事の、本当の美しい景色の様を、遠くまで見てみたいと思っています。

☆美しい ハップルの撮った写真集 。(ハップル宇宙望遠鏡のサイト・英語)


皇心のセッションルーム Angel's smail です。