シーラカンスの憂鬱

照る日もあれば、曇る日もあるんだし…

◆2005年5月のエントリー◆

2005年05月31日 | 過去のエントリー【月間】

   
   5/2  『SEASON IN THE SUN -夏草の誘い-』
   5/3  『明言:トラックバック -人間性の双方向性-』
   5/5  『敢て「原作」を意識しないという真意』
   5/7  『深海に沈みゆくものに光を… -その1-』
   5/11 『深海に沈みゆくものに光を… -その2-』
   5/18 『NEVER CHANGE』
   5/20 『何故、僕はブログを運営するのだろう?』
   5/27 『また明日...』
   5/29 『DEEP BLUE』
   5/30 『深海で輝けるものよ…』


◆2005年5月の深海広場◆

2005年05月31日 | 深海広場
5月にふさわしい映画で真っ先に思い浮かぶのは、
宮崎駿監督のアニメーション『となりのトトロ』です。
入院しているお母さんに一人で会いに行く4歳のメイちゃん。
「メイのお姉ちゃんだもん。しっかりしなくちゃ!」と、
自分も不安でいっぱいな事を隠す小学校6年生のサツキちゃん。
二人の姉妹の温かい健気さに、何度観ても心を打たれる作品です。

となりのトトロ
となりのトトロ日高のり子,  坂本千夏,  糸井重里,  島本須美

おすすめ平均
stars優しい気持ちになれる映画・・・
stars妹をおもうこころ
stars子供と見て、感じるもの。
starsトットロ、トットロー♪
stars最高傑作

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『深海広場』

コメントやメッセージのフリースペースです。
日常の他愛のない事柄や情報の交換。
エントリーに関連する事・しない事。
コメントする場所が無い時などにもご利用ください。  
『シーラカンスの憂鬱』へのご意見・ご感想など、何でも書き込んで下さいね

《6月1日追記》
  『6月の深海広場』にも遊びに来て下さいね~

『深海で輝けるものよ…』

2005年05月30日 | ブログ暗中模索
『シーラカンスの憂鬱』のトップページにあるPICK UPは、
『深海に沈みゆくものに光を… -その2-』でも記述している様に、

   「埋もれて行く過去の記事に光を当て続けたい!」

という思いから始めたものです。

日々のアクセス解析を眺めてみると、
「読まれている」という実感こそ無いものの、
PICK UPした内の一部の記事のアクセス数は一定以上ある様で、
多少なりとも、「光を当てる」効果はありそうな気がします。

毎回は難しいと思いますが、
日々ブログを更新し続けていると、

   「素晴らしい記事が書けた!」

と、自我自賛してしまう事が時々ありませんか?
そして、その記事を

   「出来るだけ多くの人に読んでもらいたい!」

という思いを抱かれるブロガーの方々も、
たくさんいらっしゃるのではないかと想像しています。

ブログ主本人が『お気に入り』とする記事には、
その方にとっての特別な想いが込められている事でしょう。
また、そのブログ主様の人となりを理解する上でも
僕は、そういう記事を読んでみたいと常日頃から感じています。

もしよろしければ、
このエントリー『深海で輝けるものよ…』に
あなたの『快心の記事』をトラックバックして下さい。
記事のジャンルは問いませんし、
もちろん、過去の記事でも最新の記事でも構いません。
このエントリーに関しましては、こちらへのリンクなども不要です。

◆この記事のTrackback Ping-URL◆
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  ※gooブログ利用規約に違反しない範囲でお願いします。

ただし、
僕自身の知識不足や経験不足、
また、その他のさまざまな要因などから
必ずしも、頂いたトラックバックに反応出来るとは限りません事と
こちらが不適切な記事だと判断した場合に削除する可能性もありますので、
どうぞ深いご理解とご了承の上、よろしくお願いします。

ここに集まるトラックバックから
多くのブロガー同士の出会い…いえ、
人間と人間の出会いと素敵な交流が生まれると素晴らしいですね。


◆関連リンク◆
   シーラカンスの憂鬱:『明言:トラックバック -人間性の双方向性-』
   シーラカンスの憂鬱:『深海に沈みゆくものに光を… -その2-』

『DEEP BLUE』

2005年05月29日 | ドキュメンタリー
約38億年前に点った生命の灯。
途方も無い時間と空間の中で、
生命は、絶滅と進化を繰り返しながら
果てしなく延びる複雑な進化への鎖を次の世代に繋げて行く。

地球の表面積の70%を占める紺碧の海。
生命を賭けた戦いが繰り返される生と死を見守る母なる海。
野生に生きる者たち全てに課せられた弱肉強食の掟。

   生きる為。
   種を残す為。

本能に突き動かされるままの彼らの捕食活動は、
たった今も、深く碧い海の中で行われているのです。

ディープ・ブルー スペシャル・エディション

『DEEP BLUE』
製作年 / 2003年
製作国 / イギリス、ドイツ

以前ご紹介しましたドキュメンタリー作品『WATARIDORI』
彷彿とさせるオープニング・シーンから舞台は海へと移ります。

制作期間7年
ロケ地200ヵ所
撮影時間7000時間という膨大な時間を費やして集められ、
ここに収録された選りすぐりの映像集に圧倒されてしまいました。

現在、
映画やドラマ・アニメーションなどを製作する際に用いられる
CG技術は無くてはならない存在と言っても過言ではないでしょう。
その素晴らしく安定した技術にあまりにも慣れすぎてしまい、
それによって作られた映像に驚く気持ちは、日増しに薄れています。

そうした意味に於いて、
CGを一切使用していない『DEEP BLUE』の映像は、

   「どうやって撮影したんだろう?」

…という
実に新鮮でシンプルな驚きをもたらしてくれます。
同時に、
野生の掟の中の真実の物語を目の当たりにする事で、
改めて「生命」の尊さという刃が、心に痛烈に突き刺さります。

   巨大な体と極小の体。
   捕食する者と捕食される者。
   親と子の切り離す事の出来ない絆。

壮大にして貴重な映像集『DEEP BLUE』の最後に、
このブログのエントリーにもある『史上最大の動物』が登場します。
個体数の減少した現在、泳ぐその勇姿に涙を誘われました。

生命を育み続ける母なる海の真実の物語。
過酷なる自然環境の下に生きる者たちから
凄まじい衝撃と素晴らしい発見を与えられる貴重な作品です。


◆関連リンク◆
   『DEEP BLUE』公式サイト
   東北新社
   『DEEP BLUE』 -goo映画-
   『DEEP BLUE』 -Yahoo!ムービー-
   シーラカンスの憂鬱:『輸入版と国内版の狭間で…』
   シーラカンスの憂鬱:『まだ観ぬ映像集への想い -THE BLUE PLANET-』

『また明日...』

2005年05月27日 | 音楽
見慣れた景色。
通い慣れた道のり。

照る日も 曇る日も
雨の日も 風の日も

同じ下り電車のホームの階段を賭け上がった日々。

そこには、
共に悩んだり
共に笑ったりした
心を許せる仲間と過ごした充実した日常がありました。

親しくしてくれた大切な仲間たち。

   「ありがとう!」

5月が終わると同時に、
僕は、上り電車のホームの階段を上る事になります。

でも気持ちは、

   「また明日! 
    またいつでも熱く飲もうぜ!」



また明日  Sweet16

『また明日...』
作詞・作曲/佐野元春
1992年1月22日発売。
C/W 2.『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日<Studio Live Mix>』
   3.『ジュジュ<Studio Live Mix>』
アルバム『sweet16』(1992年7月22日発売)のラスト・ナンバー。

◆『佐野元春』関連のエントリー◆

『何故、僕はブログを運営するのだろう?』

2005年05月20日 | ブログ暗中模索
さまざまな感性が溢れる多くの方々のブログに感銘を受け、
日々の小さな喜怒哀楽や極めて個人的な想いを綴りながら、

   「何故、僕はブログを運営するのだろう?」

…と、ブログの存在意義みたいなものを暗中模索しています。

全く見ず知らずの方々との交流の中で、
自分自身を試しながら、成長させるのが最大の理由とも言えますが、
それ以外にも、人間と人間とが繋がる事自体に重要な意味が存在し、
自分自身をその場所に置きたいと要求する僕がいるからだと思います。

   全ては他人じゃないんだ!!
   No all others!! 
   みすず様No all othersより引用。

   何か一つでも
   自分に価値を見出したいと願っていることも、そう私の真実。 
   藹(あい)様読んで!が本心 続きより引用。

人間同士の繋がりに於いて、
「全ては他人じゃない」と考えさせられる、こんなお話があります。

   何処にでもいそうな普通の中学生の少年がいました。
   学校からの帰り道。
   その日、教師に叱られた事などで心が荒れており、
   道端に転がっていた小石を何気なく蹴飛ばしてしまう少年。

   そこにたまたま通りかかった中年男性の頭に
   その小石は「ゴチン」という音を立て当たりました。

   謝る少年の言葉を全く聞き入れようとせず、
   杖を振りかざしながら執拗に少年を追い掛け回す男性。
   塀を越え、草むらに逃げ込む少年の後姿を追いながら、
   なおも迫り続け、容赦なく浴びせられる男性の罵声。

   木陰に身を隠し息を潜めて
   男性が立ち去るのを待っている少年。

   ようやく追跡をあきらめた男性は、
   帰り掛けに草むらの茂みの陰に古井戸の跡があるのを発見しました。
   古井戸の中を覗き込むと、底に幼い子供が落ちていました。
   その子供は、実は昨夜から行方不明になっていて、
   もう少し発見が遅れると、子供の命は間違いなくありませんでした。

   この一連の出来事がその子供にとって、
   九死に一生を得る事になりました。

一個の小石が救った命。
このお話には、まだ続きがあります。

   その救出された子供は、将来医学の道に進み、
   癌の完全な治療法を発見するという偉業を成し遂げます。

   そのおかげで、世界中の癌患者の命が救われる事になり、
   ある一人の政治家も他の多くの患者と同様に癌の病を克服します。

   後々、その政治家は、第三次世界大戦の危機を解消させる人物で、
   人類を滅亡の淵から救う事になるのです。
   
故藤子・F・不二雄先生原作のマンガ『T・Pぼん』に描かれた、
たった一個の小石が人類の歴史に影響するというエピソードです。
もちろん、このお話はフィクションですが、
僕は小学校5年生の頃にこのエピソードを読んで、
ここに描かれたあまりにもスケールの大きな精神に、深く感銘を受けました。   

引用させて頂いたみすず様藹(あい)様の記事に共鳴した僕は、
改めて、人間と人間との繋がりという事を考えさせられました。
これからも、
自分の存在が何らかの意味を持つものと信じて、
素敵な交流があるこのブログ『シーラカンスの憂鬱』を営む事でしょう。

◆関連リンク◆
   シーラカンスの憂鬱:『明言:トラックバック -人間性の双方向性-』
   
◆『藤子不二雄』関連のエントリー◆

『NEVER CHANGE』

2005年05月18日 | 音楽
   "生まれた日"

誰もが持っている
大切で特別で素晴らしい日。

その素敵な日には、
改めて感謝しなければならない人がいます。

あの日、
職場から急いで駆けつけた僕に向けられた
病院のベッドに横たわっていた妻の笑顔。

溢れ出しそうになる涙。
僕が知っている妻には、あまりにも不釣合いな点滴のビン。
蒼白い妻の精一杯の笑顔に、
痛々しいまでに締め付けられた僕の心。

   "帝王切開"

男の僕には、
生涯
立ち向う事も
乗り越える事も不可能な試練。

泣き叫び
のた打ち回る程の痛みの先に訪れる"幸福"を掴み取ろうと
何度も何度も
もがき泣き叫び続けた妻。

そして、
苦しみに開放される様に訪れる至福の瞬間。

   "新しい生命が産声を上げた日"

ベッドに横たわる妻に捧げた、この世で最大の口づけ。

   「ありがとう。」

変わり続ける事の大切さと
変わらない事の大切さが存在するのなら、
この気持ちは、生涯消える事の無い大切な気持ちです。

決して変わらない…。

  昭和

『NEVER CHANGE』
作詞・作曲/長渕剛
1988年5月25日発売。C/W 『STAY DREAM』
アルバム『昭和』(1989年3月25日発売)に収録。

2002年5月18日。
僕と妻に新しい家族が加わった日です。

   「息子よ。
    3歳のお誕生日 おめでとう



◆関連リンク◆
   シーラカンスの憂鬱:『ぼくの生まれた日』
   今日は何の日~毎日が記念日~:5月18日
      
◆『長渕剛』関連のエントリー◆

『深海に沈みゆくものに光を… -その2-』

2005年05月11日 | ブログ暗中模索
音もなく、
光も届かない沈黙と暗黒の世界。

   『深海』

まるで、
《深海に降る雪》と呼ばれるマリンスノーの様に、
静かに静かに、意思という光に切り離されて沈み続けて行く。

   『深海に沈みゆくもの』 

誰にもその存在を知られる事なく
やがては、凍える深海底で静かに横たわる運命なのか。

   『深海に沈みゆくものにを…』

このエントリーが示す
『深海に沈みゆくもの』とは、
ブログに於ける、
『埋もれゆく過去に書いた記事』を指しています。

僕がgooブログで記事を書き始めて3ヵ月程度過ぎた頃、
過去に書いたエントリーを読み返すのが、楽しみの一つでした。
単なる推測ですが、
恐らく僕だけではなく、多くのブロガーの方も
時々は、
自分の『過去に書いた記事』を読み返したりするのではないでしょうか。

大抵の方は、自分自身が書いた文章を「おもしろい」と思うはずです。
自分の文章というものが、「おもしろい」と思える理由は、
しんざき様ひとり語りは面白いのかどうか、について。で、
詳しく分析されていますので、興味のある方は是非読んでみて下さい。

そんなこんなで、
過去に書いたエントリーを読み返す事に
楽しみを感じている僕ですが、それが別の苦痛を呼ぶ事にもなりました。

   「簡単に目当ての記事にアプローチ出来な~い!」

gooブログのサイドメニューにある
【Entry Archive】「○年○月」をクリックしても、
その月の最後のエントリーから順番に表示されてしまうので、
なかなか目当てのエントリーに辿り着く事が出来ません。

それを解消する為に、カテゴリー分けがあるのですが、
エントリーの数が多いカテゴリーでは、やはり不便を感じます。

ブログ内検索は、エントリータイトルでは検索不可ですし、
また、
カレンダーの日付をクリックすれば、
その日付に書いたエントリーに直接飛ぶ事は出来ますが、
その時に読みたい目当てのエントリーが、
「何月何日に書いたものなのか」なんて覚えているはずもなく、
何度もクリックを繰り返す度に、辟易しながら考えていました。

   「過去に書いた目当てのエントリーに、
    もっと簡単にアプローチする方法はないものか?」

そして何よりも、
閲覧される方に、自分の人となりを理解してもらう上でも、
出来るだけ多くのエントリーを読んでもらう事は自分にとって重要であり、
《簡単に過去の記事にアプローチ出来る事》は必要不可欠だと感じました。

また、
    
   「過去に書いた記事も読んで欲しい。」

   「過去に書いた記事が、あまり読まれないまま
    新しい記事の影にどんどん埋もれてしまうのは、
    あまりにも、もったいない!」

という思いは、
多かれ少なかれブログを運営されている方は、
この様な気持ちがあるのではないかと思います。

そんな思いの基に、
試行錯誤を繰り返して、試験的に現在も導入しているのがこちらです。

他人のブログの過去の記事を、
掘り下げて読もうとする方には多少は便利だと思いますし、
そうではない方に、少しでもアプローチしやすい場を作りながら、
新しい記事の影に埋もれて行く過去の記事に光を当て続けたいと思います。

『シーラカンスの憂鬱』のトップページにあるPICK UPは、
『むだづかいにっき♂』様と
『じゃっくり』様のブログを参考にさせて頂いたもので、
僕自身がお気に入りのエントリーをいくつか《PICK UP》したものです。

 ←これや

   

これらも、《健気な努力》の表れだとご理解頂けると嬉しいです。

   

まるで、
《深海に降る雪》と呼ばれるマリンスノーの様に、
静かに静かに、意思という光に切り離されて沈み続けて行く。

   『深海に沈みゆくもの』 

誰にもその存在を知られる事なく
やがては、忘却の彼方で静かに横たわる運命なのか。

   『深海に沈みゆくものにを…』


◆関連リンク◆
 むだづかいにっき♂:再考・過去記事は読まれない
 π氏の雑記:ブログの過去ログをもっと活性化させるための工夫って
 シーラカンスの憂鬱:『深海に沈みゆくものに光を… -その1-』
 シーラカンスの憂鬱:『深海に沈みゆくものに光を… -その3-』
 シーラカンスの憂鬱:『深海で輝けるものよ…』

『深海に沈みゆくものに光を… -その1-』

2005年05月07日 | ブログ暗中模索
僕のブログ『シーラカンスの憂鬱』風に表現した、
少しだけ神秘的なニュアンスを含ませた今回のタイトル。

   『深海に沈みゆくものに光を…』

この『深海』という単語の解釈の仕方によっては、
人それぞれ、さまざまな意味に受け取れると思います。

   『しんかい(深海)』

例えば、
『深海』を『人の心』という意味で解釈した場合、
『沈みゆくもの』は、

   『過去の思い出』
   『ネガティブな気持ち』
   『鈍ってゆく感性・精神』etc.

などと置き換える事が出来ると思います。
そして、
その場合の『光』は、

   『思い出す事・語る事・綴る事』
   『何かに与えられるやさしさ・厳しさ・希望』
   『何か新しいものに巡り会う事・巡り会おうとする感情』etc.

などと置き換える事が出来るでしょうし、
きっと、ここでは書き切れない程の表現の仕方がある事でしょう。

また、
『深海に沈みゆく』という表現を
ポジティブな意味として捉えるか
ネガティブな意味として捉えるかによって。
『光』という単語の解釈も変化して、
文全体が違う意味を持つ事になるのでしょう。

   『深海に沈みゆくものに光を…』

このエントリーを読まれる方が、
どのように解釈されるのか興味を惹かれてしまいます。

さて、前置きが長くなりましたので、
『深海に沈みゆくものに光を…』は、次回に続ける事にします。

   

◆参考リンク◆
   深海魚館:深海豆知識
   出川鉄道の秘密基地:神秘…深海の世界
   こだわりアカデミー:深海底の奇妙な生き物

『敢て「原作」を意識しないという真意』

2005年05月05日 | アニメーション
明日が第4回目の放映となるアニメ『ドラえもん』
これまでに多くのブロガーの方々が記事にされた
『新生ドラえもんの感想記事』を拝読させて頂きました。

「原作」をこよなく愛している方々の
非常に細かく、丁寧に分析されたそれらの考察記事に共感し、
その研ぎ澄まされた分析能力や文章力に感銘を受ける事が多々あり、
ブログを運営する者の一人として、とても勉強になります。

その一方で、
たまたま僕の目にするブログが
「原作」との「比較した考察」を
主体にされているだけなのかも知れませんが、
『ドラえもん』のエピソードにまつわる
他人と違った切り口別の観点からアプローチした記事が、
非常に少なく思えてしまうのも否めない事実です。

   せっかくいろんな人が
   いろんな想いを書いたり読んだり出来るブログなのに、
   「原作」を重視する方々が書く記事は、何処も彼処も殆ど同じ!
   シーラカンスの憂鬱:『まっさらな気持ちで…』のコメント欄より引用。

ブログは、
各ブログサービスの利用規約
著作権などの法律を違反しない範囲であれば、
個人的に何を書いても良いものだと思っています。
そう言う意味では、
決して前述した記事を否定するものではありません。
ただ、
独自性という観点から見た時に
そればかりでは、「つまらない」と思うのです。

   文章の価値基準のひとつとして
   「誰にでも書ける」「誰かにしか書けない」
   という尺度での希少性が絡む、ということ自体は事実だろう。
   しんざき様
   ブログの価置とか独自性とかについての若干の違和感。より引用。

その記事の内容が、
「おもしろい」とか「おもしろくない」だとかの問題は別にしても、

   その人にしか書く事が出来ない記事を
             読んでみたいと思うのです。


僕のこのエントリーで書いた
「原作」を意識しないという真意がそこにあります。

   極端に言ってしまえば、
   原作漫画を読まなくても、アニメを見るだけで、
   原作の持つ面白さが味わえればいい。
   もちろん、一人でも多くの子供が原作漫画に手を触れてくれて、
   そこから、他の藤子作品にも手を出していくのがいいのだが。
   TOJHO様わさドラへの期待より引用。

少し乱暴な表現になるかも知れませんが、
「原作」の本質をしっかりと捉えたアニメーションは、

   『藤子F先生の「原作」の生まれ変わった形』

と言えなくはないかと思います。
敢て、「原作」を意識しないという考え方に矛盾するこの表現を用いたのは、
純粋にアニメーションを楽しむ為に必要な認識だと判断したからです。
アニメーション『ドラえもん』を
「まっさらな気持ちで」観る為の心の整理と言えるものです。

◆『藤子不二雄』関連のエントリー◆
◆4/15 新ドラえもん 反応リンク集◆