過去記事は読まれない、ということについて再考します。
きっかけは自己診断:いいブログの条件に寄せられたKenさんのコメント。
過去記事は読まれないことについて、以前書いた記事はこちら。
このときの記事の要約としては、質の高くない記事を乱発することによって、「本来読んでもらいたい良質の記事」を埋もれさせるのはもったいない、ということでした。たまに誰かが検索などでヒットして読んでくれることはあっても、全体量からすると、読まれることはないだろう、と。僕は一時期、巡回先で気に入ったブログの中から過去ログ読破をしていたことがありますが、100も200もある記事をすべて読むのは非常に面倒だし、手間の割に得られる物は少ない物です。
過去ログを全て読む価値のあるブログなんてものは、そうそうあるものじゃないです。過去ログを全部読んで面白いのは、自分のブログだけでしょう。
自分のブログが何故面白いのか、という点については、しんざきさんのブログ不倒城: ひとり語りは面白いのかどうか、について。をお読みいただけると分かりやすいかと。
要約すると、こんな感じ。(誤読していなければ)
自分のブログが面白いのは、決して自惚れではなく、書いた本人が、文章では書ききれない行間を、全て脳内補完出来るからなのです。
他人の文章の誤字脱字には気付いても、自分の書いた文章の誤字脱字は気付きにくいのも、自分の書いた記事については、自分のノーミソが勝手に文章を都合よく解釈してしまうからですね。
(ちなみに誤変換ではない明らかな間違いの場合は、この限りではないです。ハイ、ワタクシ、先程、「このブログがすごい!BLOG」に突っ込みいれてきました、ゴメンナサイ)
分かりやすく面白い文章を書ける人なんて、そんなにいるものではありません。えてして他人の書いた文章というものは、非常にわかりにくい物だったりします。文章の書く能力が低い人の文章を、読解力が低い人が読むことが多いのだから、誤読も生じやすい物だし、そもそも何が言いたいのか分かりにくい場合も、決して珍しいことではないのです。(気をつけろ、自分)
ブログには、自分の書いた記事をカテゴライズする機能があります。
検索などで辿り付いた人が、ヒットした記事を読んで「面白い」と感じてくれれば、とりあえずそのカテゴリの記事を読んでくれることはあるかもしれませんが、常連(ロムラーを含む)以外の読者は、実のところ単なる通りすがりです。常連の中でも、コメントを残していく人は、恐らく半分程度もいないのではないでしょうか。過去記事は、たまたま辿り付いた人が、その記事に限って読むものだと思うのです。
ここでようやくKenさんのコメントに関わってくるのですが、Kenさんがコメントの冒頭で書いているように「極端な例」だと、僕は思います。
大部分のブログがそうなんですが、個人の「面白いけれど役に立つわけではない」ブログの場合はわざわざ過去ログを掘り出しに行く価値が低いと思います。Kenさんのブログの場合は、センスの良い写真やイラスト、音楽などがふんだんに取り入れられ、「前にも読んだけど、また見てみよう」という気にさせることが多いのではないでしょうか。写真の綺麗な他のブログ、例えば沖縄からヨッシャー(=^^)9とか、あやっちのビストロにも、こうした傾向があるんじゃないかな、と推測します。この二つのブログの過去記事が、実際に読まれているのかどうかは別ですけど。
一方、僕のような内容が雑多なブログの場合は、そういうわけにはいきません。ブログ中毒のオジサンの世迷いごとを、わざわざ掘り込んで読む人はあまりいないと思います。
実際僕は最近、他人の書いた過去ログについては、あまり読むことがありません。
個人の弱小ブログでは、記事のアタリハズレの「ハズレ」が圧倒的に多いからです(そのかわり滅多にない「アタリ」の時は大アタリの場合が多いです)。
ハズレはつかみたくないわけですから、自然とアタリの多そうな「自分にあった記事」を探しやすいカテゴリの物しか読まないわけです。
雑多なブログと自嘲しつつ、中にはそれなりに気合を入れて書いた記事もあったりするわけで、普段はくだらない事ばかり書いているけれど、おまーらこの記事もちゃんと読めよー! てな意味を込めてサイドバーの上方に「PICK UP」という欄を設けて、自薦記事をアピールしているわけです。これは松永英明さんの「絵文禄ことのは」や、小林さんの「小林Scrapbook」にあるものを真似たものなのですけど、アクセス解析の結果を見ると、それなりに功を奏しているようです。
しかしですね、実は僕が言う「過去記事は読まれない」の「読まれない」という意味は、文字通りの「読まれない」というわけではないんです。アクセス数の多い少ないは、僕にとってそんなに重要ではありません。検索で古い記事にたどり着く人は結構いるでしょう。検索ワードを見ると、この1ヶ月の間に「ガンバの冒険」「夫婦 性生活」「三好 デコ」「トラックバック」でこのブログを訪れる人がたくさんいるようです。でも、その単語でこのブログを知った人が実際に読んでいるかどうかは別問題だし、仮にどこかからのリンクでちゃんと読んでくれた物だとしても、何らかのリアクションがない限り、僕は「読んだ」ことになるとは思わないのですね。
例えば、先月書いた「このギャグマンガが面白い」は、何故かあの超人気サイト「カトゆー家断絶」にリンクされていました。カトゆー家の力というものは恐ろしい物で、そのときのアクセス数は普段の10倍以上です。僕はこのブログの設定を「非公開」にしているので、アクセスランキングに登場することはありませんが、もし公開設定にしていれば、昨年の五月以来の王冠付ランキングでした。
そんなアクセス数が記録された記事(自分としては全然気合入れていないものなんですけど)でも、カトゆー効果でいくつかの孫ニュースサイトでリンクがあったものの、特に何か言及されたわけでもないのです(言及すべき点がないから当たり前なのですが)。こうした過去記事へのアクセスは、僕は「読まれた」とは思わないのですよ。コメントやトラックバック、あるいはそれらがなくても、何らかの形で言及されることで「読まれた」と解釈するのです。
過去記事が読まれない、という僕の真意はそんなところです。
アクセス数だけの話で言えば、普段の10倍近いアクセスのあった「ギャグマンガ~」に対して、批判系サイトで気をつけたいこと」は、アクセス数は2倍くらい(コレでも凄いことですが)だったものの、結構いろいろな所で、その中身について触れられていました(賛否ともに)。トラックバックこそなかったけれど、そうした言及をされてこそ、僕は「読まれた」と判断しているのです。
古い記事へのコメントやトラックバックを嫌う人もいるみたいですけど、僕としては過去ログの活性化になることだから、プラスの要素が高いと思うのですけどね。
きっかけは自己診断:いいブログの条件に寄せられたKenさんのコメント。
こんにちは。 (Ken)
2005-02-23 13:32:05
> 多くのブログについて「過去記事は読まれない」ものです。
この点について。
僕のブログは極端な例外なのかもしれませんが、特定の過去記事へのアクセスが、
トップページに10個並んでいる新しい記事へのアクセスの合計よりも多いです。
アドバンスのアクセス解析を毎日、見ていますが、
ページ別アクセス数は、いくつかの過去記事に集中し、
最新記事は上位5位の中に一つ入ればいいほうなんです。
ブログの役割としては微妙なところですが、
人気のある過去記事には、ほとんど僕が撮影した写真が使われているので、
たとい読者の大半がブロガーではなかったとしても、
ある程度の成果が出せているのかなあと思っているところです。
自己診断:いいブログの条件のコメント欄より
過去記事は読まれないことについて、以前書いた記事はこちら。
このときの記事の要約としては、質の高くない記事を乱発することによって、「本来読んでもらいたい良質の記事」を埋もれさせるのはもったいない、ということでした。たまに誰かが検索などでヒットして読んでくれることはあっても、全体量からすると、読まれることはないだろう、と。僕は一時期、巡回先で気に入ったブログの中から過去ログ読破をしていたことがありますが、100も200もある記事をすべて読むのは非常に面倒だし、手間の割に得られる物は少ない物です。
過去ログを全て読む価値のあるブログなんてものは、そうそうあるものじゃないです。過去ログを全部読んで面白いのは、自分のブログだけでしょう。
自分のブログが何故面白いのか、という点については、しんざきさんのブログ不倒城: ひとり語りは面白いのかどうか、について。をお読みいただけると分かりやすいかと。
要約すると、こんな感じ。(誤読していなければ)
自分のブログが面白いのは、決して自惚れではなく、書いた本人が、文章では書ききれない行間を、全て脳内補完出来るからなのです。
他人の文章の誤字脱字には気付いても、自分の書いた文章の誤字脱字は気付きにくいのも、自分の書いた記事については、自分のノーミソが勝手に文章を都合よく解釈してしまうからですね。
(ちなみに誤変換ではない明らかな間違いの場合は、この限りではないです。ハイ、ワタクシ、先程、「このブログがすごい!BLOG」に突っ込みいれてきました、ゴメンナサイ)
分かりやすく面白い文章を書ける人なんて、そんなにいるものではありません。えてして他人の書いた文章というものは、非常にわかりにくい物だったりします。文章の書く能力が低い人の文章を、読解力が低い人が読むことが多いのだから、誤読も生じやすい物だし、そもそも何が言いたいのか分かりにくい場合も、決して珍しいことではないのです。(気をつけろ、自分)
ブログには、自分の書いた記事をカテゴライズする機能があります。
検索などで辿り付いた人が、ヒットした記事を読んで「面白い」と感じてくれれば、とりあえずそのカテゴリの記事を読んでくれることはあるかもしれませんが、常連(ロムラーを含む)以外の読者は、実のところ単なる通りすがりです。常連の中でも、コメントを残していく人は、恐らく半分程度もいないのではないでしょうか。過去記事は、たまたま辿り付いた人が、その記事に限って読むものだと思うのです。
ここでようやくKenさんのコメントに関わってくるのですが、Kenさんがコメントの冒頭で書いているように「極端な例」だと、僕は思います。
大部分のブログがそうなんですが、個人の「面白いけれど役に立つわけではない」ブログの場合はわざわざ過去ログを掘り出しに行く価値が低いと思います。Kenさんのブログの場合は、センスの良い写真やイラスト、音楽などがふんだんに取り入れられ、「前にも読んだけど、また見てみよう」という気にさせることが多いのではないでしょうか。写真の綺麗な他のブログ、例えば沖縄からヨッシャー(=^^)9とか、あやっちのビストロにも、こうした傾向があるんじゃないかな、と推測します。この二つのブログの過去記事が、実際に読まれているのかどうかは別ですけど。
一方、僕のような内容が雑多なブログの場合は、そういうわけにはいきません。ブログ中毒のオジサンの世迷いごとを、わざわざ掘り込んで読む人はあまりいないと思います。
実際僕は最近、他人の書いた過去ログについては、あまり読むことがありません。
個人の弱小ブログでは、記事のアタリハズレの「ハズレ」が圧倒的に多いからです(そのかわり滅多にない「アタリ」の時は大アタリの場合が多いです)。
ハズレはつかみたくないわけですから、自然とアタリの多そうな「自分にあった記事」を探しやすいカテゴリの物しか読まないわけです。
雑多なブログと自嘲しつつ、中にはそれなりに気合を入れて書いた記事もあったりするわけで、普段はくだらない事ばかり書いているけれど、おまーらこの記事もちゃんと読めよー! てな意味を込めてサイドバーの上方に「PICK UP」という欄を設けて、自薦記事をアピールしているわけです。これは松永英明さんの「絵文禄ことのは」や、小林さんの「小林Scrapbook」にあるものを真似たものなのですけど、アクセス解析の結果を見ると、それなりに功を奏しているようです。
しかしですね、実は僕が言う「過去記事は読まれない」の「読まれない」という意味は、文字通りの「読まれない」というわけではないんです。アクセス数の多い少ないは、僕にとってそんなに重要ではありません。検索で古い記事にたどり着く人は結構いるでしょう。検索ワードを見ると、この1ヶ月の間に「ガンバの冒険」「夫婦 性生活」「三好 デコ」「トラックバック」でこのブログを訪れる人がたくさんいるようです。でも、その単語でこのブログを知った人が実際に読んでいるかどうかは別問題だし、仮にどこかからのリンクでちゃんと読んでくれた物だとしても、何らかのリアクションがない限り、僕は「読んだ」ことになるとは思わないのですね。
例えば、先月書いた「このギャグマンガが面白い」は、何故かあの超人気サイト「カトゆー家断絶」にリンクされていました。カトゆー家の力というものは恐ろしい物で、そのときのアクセス数は普段の10倍以上です。僕はこのブログの設定を「非公開」にしているので、アクセスランキングに登場することはありませんが、もし公開設定にしていれば、昨年の五月以来の王冠付ランキングでした。
そんなアクセス数が記録された記事(自分としては全然気合入れていないものなんですけど)でも、カトゆー効果でいくつかの孫ニュースサイトでリンクがあったものの、特に何か言及されたわけでもないのです(言及すべき点がないから当たり前なのですが)。こうした過去記事へのアクセスは、僕は「読まれた」とは思わないのですよ。コメントやトラックバック、あるいはそれらがなくても、何らかの形で言及されることで「読まれた」と解釈するのです。
過去記事が読まれない、という僕の真意はそんなところです。
アクセス数だけの話で言えば、普段の10倍近いアクセスのあった「ギャグマンガ~」に対して、批判系サイトで気をつけたいこと」は、アクセス数は2倍くらい(コレでも凄いことですが)だったものの、結構いろいろな所で、その中身について触れられていました(賛否ともに)。トラックバックこそなかったけれど、そうした言及をされてこそ、僕は「読まれた」と判断しているのです。
古い記事へのコメントやトラックバックを嫌う人もいるみたいですけど、僕としては過去ログの活性化になることだから、プラスの要素が高いと思うのですけどね。
自分の意見・主張を書くことを中心にしたブログならではの考え方ですね。
写真、イラスト、動画、音楽、小説などをたくさんアップしていると、
それに言及した記事を書かれる機会が少なくなります。
(それでも言及した記事を書くひとがいるので、すごいと思いますが。)
画像や音楽は、見て・聴いていただいてナンボのもんですので、
その記事へのアクセスが多いだけで、うれしいんですよ。
もちろん、文章もですけどね。
長文書いているとよくあることです。
ちなみにKenさんからいただくコメント、僕に対する批判的なものも含めて、新たな記事を書くエネルギーになることが多いのです。
もらえて嬉しいコメント、というのは、そうした何か考えさせてくれるものですね。
で、2.3回やり取りしたんですが、その方ブログをはじめる気になったみたいです。
過去記事からこのように進展するってのも
けっこう、嬉しいもんですね。
最近は
解析見て、実はアクセスの多い過去記事は、誤字などを訂正しています。
ちなみにこの記事です。
http://blog.goo.ne.jp/suzuka_web/e/34b3b7d0df0c3b470fb7121198d4b5f8
僕は誤字脱字は、面倒に思わなければ、頻繁に直しています。
今日書いたヤツも、脱字が多すぎて、直し・・・きれていません。
うちの人気記事のうちの二つは半年以上前に書いたものですが、
毎日、検索エンジン経由でのアクセスが100件を超えます。
明らかに、「たまに」ではないんですよ。
すいません、バレているだろうとは思うのですが、Pick Up、パクらせて頂いてしまっております。海より深く反省。
>記事のアタリハズレの「ハズレ」が圧倒的に多いからです
全くですねえ。だからこそ、話題が限定された専門ブログの方が圧倒的に有利なんだろうなあと。分かってはいるんですが私も何の統一性もない雑多ブログを書いております。
何か一つブログにも「強み」があればいいかとは思っているんですけどね。えっけんさんのブログで言えば、トラックバックの話題でしょうか。
最近では、コーラの記事を書いたときに、検索を掛けて、今まで書いたコーラ関連記事の一覧(リンク付き)を作りましたが、あんなもん、いちいち全部リンク先に行ってくれる閲覧者さんて、いるのかなぁ…と思われてきました。量が多いと面倒臭いもんね。
ブログは「動的」であるがゆえに繁栄している部分があって、動的であることを重視すると、過去記事の意味はどんどん薄れてゆきます。
とか言いながら、私は「過去記事傑作選」という押し売り行為をサイドバーで展開しています。
が、3ヶ月ぐらいならさらっと読めるけど、長いと途中でわからなくなったりして。
だから、自分のブログで記事トピックを作ったのですが、閲覧者がいないことを知り、工事を再開する気になれません。
ブログの方向性の違いが現れるものなのかなぁ?
時々ニュースサイトにリンクされることで過去記事が読まれることはあるみたいですが。