26 持統天皇から文武天皇への遺言
巻九の冒頭歌で、鹿の死が暗示されました。
巻九は、白玉と愛する者の別れを暗示しました。
そうして、大宝元年の十三首がはじまりました。
一首目は、白玉の歌。巻一の中皇命の歌(12)も思い出させます。
白崎では、必ず帰って来る、帰って来たいと歌を詠んで、有間皇子の無念の思いを鎮め慰めました。
すぐに帰って来る、釣する海人を見て来るようなものだから、何も心配しないで待っているようにと、皇子は言ったのに。
無情にも、皇子は二度と還らぬ人となってしまいました。あの時、泣きはらして浜を彷徨った美しい人、あの人は誰だったのだ…
太上天皇の詔に応えて、長忌寸意吉麻呂は四十年経っても忘れられない悲しさを詠んだのでした。
持統天皇一行は帰路につきました。帰りに通り過ぎた出立の松原。別れの悲しさがよみがえるけれど、通り過ぎて行くだけでした。
皇子の最後の地、藤白坂で涙をふいたのは持統天皇にちがいありません。
紀伊国から倭に入る時も、皇子を偲んで竹葉の廬に宿ったのでした。
紀伊国行幸の鎮魂の儀式が、この歌に集約されています。有間皇子は政敵の罠に落ちた。皇子の死によって政変は成功したと、皇子の無実を詠んだのでした。
持統天皇は妻の杜の神に「止まず往来」を誓いました。
晩年の太上天皇の誓いは実行されませんでした。翌年の崩御だったからです。代わりに「やまず往来」を守ったのは文武天皇でした。
紀伊国はあの方の形見の地である。貴方は紀伊国を忘れてはなりません。
文武天皇と姉の元正天皇が紀伊国に手厚くはからったことは言うまでもありません。
また明日
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