
冷たい北風が吹いていました。NiiSのジムへ向かうときには風速7m/秒を超える北風が吹き抜けていました。中央大橋から利根川の上流を見ると、いつもは榛名山の右側に見えている長野との県境の山並みが雪雲に包まれていました。山の向こうは雪のようでした。
国道17号の竪町通の欅並木も、前橋るなぱあくの木立も、強い北風に揺れて大きな音を立てていました。
見れば見るほど風が吹く 風は泣き泣き吹き渡る
唄っている余裕なんざなかったです。ペダル踏むのが忙しくて。
「今朝、肩から腰にかけて背中が張っていて…」と訴えると、鈴木トレーナーはチェックしてメニューを大きく変えてくれました。最近どうも肩や背中が張ります。滝川のコガモの群れは、昨日は水面を泳いでいました。寝てるやつはほとんどいません、どうしたのかな…。
コガモを見ていたら、すごく気になっていたコラムのことを思い出していました。中川恵一氏という東大大学病院(医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授)の医師が、『日刊ゲンダイヘルスケア』に掲載している「経済評論家・山崎元さん永眠…食道がんは手術するなら化学放射線療法の後がいい【Dr.中川 がんサバイバーの知恵】」というコラムです。
堰の近くの家の庭に花芽を膨らませたコブシがありました。
中川恵一氏のコラムの要旨は、「経済評論家の山崎元さんが食道がんで亡くなりました。2022年にステージ3の食道がんが判明、抗がん剤治療を受けてから手術で切除したそうですが、診断から1年半ほどひどく痩せて亡くなられました。手術の後遺症で食事量が減り、山崎さんも術後3カ月ほどのコラムで、食事量が3分の1になったと記していました。日本では、抗がん剤→手術の流れが普及していますが、欧米では放射線と抗がん剤を同時に行う化学放射線療法が一般的で、手術をするとしても、まず化学放射線療法を受けてからです。 化学放射線療法は、食道も胃も温存できて、治療成績も優れています。ステージ1は手術と同等、ステージ2、3でも手術に近い成績です。山崎さんと同じくらいの時期にステージ3の食道がんが判明した女優の秋野暢子さんは、化学放射線療法で治療され、仕事に復帰されています。胃も食道も残っているので、今は痩せた印象もありません」。そして、「食道がんは手術するなら科学放射線治療の後がいい」と結論し、推奨されています。
ヒゲじいさんは2019年2月から2回の抗がん剤治療を受け、そののちの4月に食道の切除手術を受けました。中川恵一氏が推奨されていない、むしろ否定的な治療を受けています。放射線を使った治療は一切受けていません。それは、中川氏は触れていませんが放射線治療には合併症のリスクがあるからで、それを回避するためでもありました。そして、手術後、手術の副反応もあったため2ヶ月半以上腸瘻で栄養管理され、リハビリをし、退院時の体重は59㎏でした。退院後も体重減少を起こすことなく4年9か月生きてきました。中川氏が推奨されない治療を受けたものでも、痩せ衰えることなく生きているものもちゃんといます。
それと、中川氏は「 化学放射線療法は、食道も胃も温存できて、治療成績も優れています。ステージ1は手術と同等、ステージ2、3でも手術に近い成績です」と化学放射線療法の「自慢」をされていますが、中川さんが所属されている東京大学の付属病院放射線科の「手術との成績比較」というレポートを読むと少し話が違います。レポートでは「2007年度はII期・III期の食道癌の患者さんの約6割が放射線化学療法、4割が手術を選択されています。その成績は、手術を受けた人で4年無病生存率が56%なのに対し、放射線化学療法群では34%です」と手術を受けた患者の生存率が高いことを認めています。認めながらもその後に言い訳がましい説明が付けられています。東大病院で治療を受けた限られた症例の結果ですし、病期の異なる事例のデータですから、この生存率の差から治療方法の優劣を判断できないことは私も認めます。でもね…
中川氏は「化学放射線療法は、食道も胃も温存できて、治療成績も優れています」と断言しています。これは間違っています。ご自身が所属されている東大病院放射線科は治療法の優劣の判断を回避しています。食道がんの治療方法は、ひとりひとりの患者の病期(ステージ)とがんの状態によって選択されるもので、山崎元さんの場合も、専門医の診断と山崎さんの判断によって理療方法が選ばれたはずです。私もそうでしたが、山崎元さんも真剣に専門医と意見交換されたと思います。その結果選んだ治療方法です。その過程に関与していない中川氏が「手術前に化学放射線治療を受けていれば…」というのは無責任極まりないです。専門家の中には、「自分がやっていることが一番正しい」という過信をしている人がいます。中川氏もそういう困った専門家の一人かも知れません。
食道がんは死亡するケースが多いがんです。私は専門医の意見を聞き、抗がん剤治療から外科手術へという治療を受け入れました。腸瘻から普通の食事による経口栄養に変ったとき、私の食事量は手術前の半分ぐらいに減っていました。でもね、栄養価の高い食事、三食の間の間食、自分の手作りと自分で選んだ食べ物で乗り切ってきています。そして鈴木トレーナーの指導による適正な運動、体重維持は最大目標の一つでした。帰り道、群馬大橋の袂から赤城山を眺めました。烈風の中でした。
もし、食道がんの治療について詳しく知りたい方は、とりあえず国立がん研究センターの「食道がんの治療について」を読んでみてください。そして、一人でなく、複数の専門家の意見を聞いてみてくださいな。何とか生き続けている食道がん治療患者からの提案です。風の中を群馬大橋を渡って帰ってきました。
家に戻って昼食を作って食べていたら、COCOが二階から降りてきてしきりと玄関を見つめています。「どうしたい?」、<ユキ子さんがさ、「Kさんが柚子持ってくるから、来たらもらっておいて、そして、そこに置いてある鶏卵を渡してね」って言って出かけて行ったんで、Kさんが来るのを待ってるんだい>、「そりゃ大変だ、何時に来るか分からないよ、オレがいるから、COCOは気にしなくていいよ…」
解放されたCOCOは、お気に入りのペット用暖房マットの上で丸くなっていました。そして、Kさんが来てもマットの上から離れませんでした。寒い日でしたから。
夕食のおかずは、サワラ、ホタテ貝柱、豚肉の味噌漬けを焼きました。サワラと貝柱は自家製、豚肉はいただき物です。それと、カボチャの旨煮、エリンギとアレッタと豚肉のポン酢炒めです。サワラと貝柱はうわじま麦味噌に漬け込んだものです、おいしいですね。
それと具沢山の豚汁は、大根、人参、椎茸、菜花が入っています。温まる野菜料理です。
ユキ子さんの両親へも同じものを器に詰めて、野菜たっぷりの豚汁を添えて届けました。
今朝目を覚ますと外は雪でした。うっすらと雪が積もった夜明けになりました。
ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、宜しくお願い申し上げます。
《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい。
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい
がんの治療法の選択は患者にとってとても難しいことです。全く知らなかった病気に突然遭遇して、誰を信頼して、何を基準にして選べばよいのか、間違いのない選択をすることは至難の業です。私は、最初に相談したのは消化器系の外科医を長くやってきていた某病院の院長さんでした。彼の勧めで外科的治療を受ける決心をして、彼が推薦してくれた医師に治療をお願いしました。もう、「運を天に任せるしかないんだよ」って気分でした。
患者にできることは限られています。限られた情報と出会いの中で重大な決心をしているんですね。後になって「こうすれば良かったのに…」と言われたらどうすればよいのでしょうかね。腹が立ちます。
日々の暮らしの中でできることも限られています。患者が抱えて悩む「大きな制約」を専門家は大事にしてほしいなと、私は思っています。自分が今やっている努力も、「これでいいのだ これでいいのだ」とバカボンのパパのように確信してしているわけではありません。迷いながら生きる努力をしています。