All you need is love

日々感じたことを自由に綴っていけたらいいなぁと思います。 皆さんと繋がっていけることに喜びを感じています❤︎

「君の名は」

2016-10-31 21:32:06 | 出会い“映画”
若者に絶大な人気だという「君の名は」を観てきました。

文句なし。
とても良かった。

美しく、優しく、奥深い。

ストーリーととても面白い。
音楽がとても良い。

退屈することなく最後まで集中。

SFチックで現実離れしてる…けどね、
もしかしたら、もしかしたら、
現実の世界でもアルかもしれない、とか思ったりして。
そんな想像した人いないかなぁ。


恥ずかしながら今調べて知ったけど、
この映画はほぼCGで製作されていて、
新海監督が1人で作られてる…って!
ふぅーん、すごいなぁ。

製作方法は監督やプロデューサーの手法?だから、そんなこだわらないけどね。


これは若者映画ではないぞ!
老若男女どなたでも観て楽しめる映画。
興味を持って観てきてください^_^

星は5 にしたいところだけど、
ギリギリの4つ
★★★★


cocchiy




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体外受精そして妊娠

2016-10-31 16:16:52 | 私のこと
あかちゃんがお腹に宿ってからのことは
2013年の3月頃からこのブログにアップしてあります。


私が妊娠してからしばらくは、初期流産の可能性が高いと聞き、
大きく喜ばず、小さく喜ぶことにしていました。

日に日に成長する小さな小さな卵の赤ちゃんのエコー写真を見ながら
「かわいい、かわいい」とみんなで言って
成長を喜びました。

40日間欠かさず通院し、注射を受けました。



12年間の不妊期間を経て、授かった命。
宿る赤ちゃんの存在を感じて思っていたのは、
ごめんなさい。という気持ち。
この気持ちは誰にも話したことはないかな。

私に不妊治療のことをいろいろ教えてくれた友だちがいて、
その友だちは不妊治療の大変さや、上手くいくことばかりではないことをちゃんと教えてくれた。
たまたま私は幸運で、その逆の結果だった。
でも、その結果を彼女には伝えられなかった。

彼女とはそんなに親しかったわけではなくて、
たまたま久しぶりに会ったらお互い不妊中だった。それ以降、連絡を取り合うようになった。
すでに5年もの月日の不妊治療と向き合ってきた彼女。自身の過酷な5年の話をしてくれて、一刻も早く治療を再開せよと背中を押してくれた一人だった。
その頃、彼女とランチに行ったとき、
薬の副作用で食欲がないと話していた。

それから1年以上が過ぎて、
私が初めての胚移植を前にランチに行ったとき、
普通に食事ができている彼女が、
ふと私の耳元で言ったの。
「私ね、治療やめたの」
5年以上も頑張ってきたのに、辛い思いをしたのに、諦めることを選択したのよ。

彼女の真意は分からないけど、
私は治療をしていない時期でも誰かのおめでた報告を聞くと、
赤ちゃんができない自分、子どもが欲しいのにいない夫婦であることを悲しく思っていた。
不妊であるときはそんな気持ちを共有して楽になれる存在。
でも、赤ちゃんが私のところにきた。


その報告ができなかった。



ずいぶん後になって、別の友だちを通じて彼女に伝わった。





cocchiy





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体外受精について その3

2016-10-28 21:40:25 | 私のこと
2月中旬に胚移植が無事に終わり、それから2週間。

その間ずっと飲み薬、貼り薬、膣座薬と薬の服用を続けていました。

あまり赤ちゃんのことを意識せずに過ごすようにしていました。
もう少しで判定、というところで出血があり、やっぱり駄目かもと、覚悟するようになっていました。

そして判定の日。
それまでに妊娠検査薬で検査することもできたと思うけど、検査せずに病院に行きました。
検尿。待つこと2時間。
この日はいつもに増して病院が混んでいる日でした。

やっと私の番。
もう夜の9時になっていました。
大きく深呼吸。覚悟はできてるし。
そんな上手くいくはずないし、
出血もあったし、
生理きそうな気がしてるし、
大丈夫。覚悟はできてる。




病室に入ると先生が
「よかったね」そう声をかけてくれて

私はキョトン顔で

「え⁈」

と、それだけしか返すことができませんでした。

「ほら見てごらん、くっきり線が出ているでしょう。妊娠してますよ」


まだ半信半疑の私。
妊娠検査薬の線がくっきりでているものを妊娠の証拠としてもらって帰りました。

自宅で待ちわびていた夫も、
実家の母も、主人の実家の両親も、
私の報告に

「え⁈」


誰も思ってなかったの。
だって12年、この報告を待っていたわけだから。
この一度の体外受精で授かるとは思っていませんでした。



2013年2月の終わり

cocchiy
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体外受精について その2

2016-10-17 15:59:29 | 私のこと
3つの受精卵を凍結してから約4ヶ月が過ぎていました。
その4ヶ月でホルモン投与や薬の服用などで子宮内の環境を整える必要がありました。
とにかく急がず最善の状態で胚移植に臨む。
私の通っていたクリニックでの進め方でした。

前の記事でも書いているように、ハッピーな気持ちで胚移植の日を迎えることができた。

同じ日の胚移植を受ける方は私の前に3人。

患者さんが着る服に着替えて、
横になって自分の番を待つ。
ドキドキしてきた。


…え?
笑い声が聞こえてきたよ。

胚移植が済んで手術室みたいなところから出てきたところて話す声が聞こえてきたの。

済んで、ホッとしてる感じ。

そうだよね、楽しくいかなくちゃ(^^)
そんな気持ちになっていた。
これまでにもらった子宝のお守りを胸の上で握りしめて、私の番を待っていた。

さぁ、私の番!

採卵の時と同じ手術台みたいな台に上がって、
卵を私の中に戻すの。

あっ、先生が目を閉じて精神統一をしてる。

私の手は看護師さんがちゃんと握りしめてくれている。

「よっしゃ」

先生の声。

良いところに戻せた、手応えの「よっしゃ」かなぁ、何か期待できそう!



この日からまずは2週間。
貼り薬、飲み薬、膣座薬…欠かさず服用。

そして、診察。

そこで、明暗。

こんな感じで初めての体外受精を経験した。


とにかくここからの2週間は楽しく明るく!
美味しいものも食べに行こう!

私の場合は薬の副作用も無かったしね。


2013年2月のこと。


cocchiy

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体外受精 「看護師の存在」

2016-10-17 00:24:31 | 私のこと
初めての採卵。

前向きに明るく治療、通院してたけど、
採卵…痛いって聞いてるし、やっぱり怖いものです。

台に上がると少し体が硬くなる。
緊張してる。

ふわっ…ぎゅー。
「私が側にいるから、一緒にいるから、
落ち着いて、大丈夫よ」

これまでも近い存在でいてくれた看護師さんが
私の手を握りしめててくれるの。

「わぁ、落ち着いてるよ、すごーい、
強いね、強いね、すごいよ」

わたしの心拍数を確認しながらずっと声をかけ続けてくれてる。

ホント?私、落ち着いてるの?
褒められて、何だか笑顔になれる。

そして、痛みにも耐えられるのよ。


私みたいに前向きで頑丈な女でも怖い。
震えた、泣いた、怖かった、痛かった。
そんな声も多く聞く中、
側にいてくれた看護師さんのおかげで頑張れた、耐えれたなんて声も聞くの。

すごい存在だよね、看護師さん。

あの手の温かさも、
私だけを見てくれる眼差しも、
私に安定を与えてくれるものだった。

ありがとう。
心からありがとうございました。


2012年 10月のこと。

cocchiy

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体外受精について その1

2016-10-02 08:14:11 | 私のこと
体外受精をすると決めて 前に進みだした。

治療はとても慎重だった。
私の状態をしっかり見極め、子宮の中で育った卵子を取り出す時期を決めた。
治療開始から4ヶ月後、初めての採卵。

ネットで調べるととても痛いらしい。
でも怖くなんかない!
我が子に会うためのステップ1 だと思えばね。

採取した卵子は11個。
その卵子と夫の精子を受精させた。
そして、
うまく受精し、成長し始めた卵は3つ。
全てが上手くいかない場合もある中、まずまずと言う感じだった。
3つの受精卵は凍結された。

先に体外受精にチャレンジしていた友だちがこんな風に話してた。
「治療は辛くなんかない!だって、すごく前向きな話でしょ〜〜。会えるかもしれないんだよ、赤ちゃんに。だから、治療へは鼻歌交じりでドライブしてるよ」
彼女の地域にはクリニックがない。
クリニックまでの道のりは片道2時間弱。
私よりはるかに過酷な状況の中で頑張った彼女の言葉が私を支えた。
なので、私はとにかくハッピーに通院し、
治療を受けることができた。

そして、まずは3つの受精卵までたどり着いた。


2012年10月の話



cocchiy

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする