弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

2枚の特別なレコード

2008年12月10日 | 音楽
 世間の一般的な音楽ファンと比べたら、枚数はむしろ少ない方だと思うけど、今年もいろいろなレコードに出会った。その中で、以前から好きなシステム・オブ・ア・ダウンというバンド(現在活動休止中)のメンバーによるソロ・プロジェクト作品2つについて紹介したい。「素晴らしいレコード」は他に何枚もあったのだけど、この2枚はそれらとは一味違う、特別な感慨を僕に抱かせるものだった。
 一つは、ヴォーカリストのサージ・タンキアンが発表した『Elect The Dead』(写真左)。といっても、実はこのレコードが発売されたのは昨年の秋で、僕が買ったのが今年だったというに過ぎない。それで「今年の総括」に入れてしまうのは強引かも知れないが、もう1枚の方の話と絡めると、実はそれなりに意味がある。そのもう1枚とは、ギタリストのダロン・マラキアンがドラムのジョン・ドルマイヤンと立ち上げたニュー・バンド、スカーズ・オン・ブロードウェイのデビュー作『Scars On Broadway』(同右)である。

 まずサージ・タンキアンの『Elect The Dead』、これは「さすが!」と言いたくなるような出来だった。何が「さすが」なのか、システム・オブ・ア・ダウン(以下SOAD)のリスナー以外の人に説明するのは骨が折れるのだが、SOADにおける「歌」のコンセプトを長きに渡って牽引してきたのはやっぱりこの人なんだよなあ、と納得させてくれる出来なのである──といってもやっぱりわかんないでしょうけど。
 端的には、独特の文体の詞/ヴォーカリゼーションはもちろん、哀切を帯びた、どことなくアルメニア風(なんだろうか?)のメロディ、たたみかけるような曲の展開、黙示録的な壮大さなど。SOADの後期には、ギタリストのダロンの作詞・作曲両面でのリードが強くなり、サージはそれに伴走するような形に見えていて(ほとんどヘヴィ・ロック界のサイモン&ガーファンクル、みたいなw)、サージの持ち味がどんどん後退している印象だったのだけど、実はあの中ですら彼の意向は充分反映していたんだな、ということに気がついたのである。

 それにしても、ドラム以外の楽器をほとんど一人でこなしたというこのアルバムを聴くと、彼の才能の大きさに改めて感嘆する。と同時に、歌のコンセプトは、常々物質中心の文明を呪い、「生命」や「魂」という目に見えないものの復権を口にしてきた、まさに彼ならではのものだった。
 オフィシャルサイトの写真にも出てくるように、そのコンセプトはズバリ「Civilization is over」である。私達の文明は問題を抱えている──どころじゃなく、「文明なんておしまいだ」と言い切ってしまうすごさ。そしてさらに直接的な「We are the cause of a world that’s gone wrong」(我々は世界をおかしくしてしまった元凶だ)は、収録曲「Honking Antelope」(巨大なアンテロープ──「もののけ姫」に通じるような)のサビに出てくるフレーズである。

 We are the cause of a world that’s gone wrong
 Nature will survive us human dogs after all


 この二行目はどう訳したらいいのだろう?僕は半年以上もぼんやりと考えていて、数日前、何かの拍子に「それでも自然は我々を生かすだろう──とどのつまりは畜生でしかない我々を」という訳が思い浮かんだ<注:最下部参照>。彼の詞はそんな具合に、パッと見ただけでは混乱してしまう、でも心に留めておくと、ある日ふと「あっ」と意味に行き当たる、そういうものが多い。もちろん耳で聴く限りは英語としてダイレクトに(ネイティヴの人間以外にも)伝わってくる何か、というのも常にあるのだけど。
 さらにこの曲の締めのフレーズは、普通なら現実感を伴わないクサイ物言いでしかない、「ただ歌のみによって世界は治癒される」なのだが、ここでこの人が歌うと説得力が違う。そうしたこともあいまって、僕にとってはアルバム中とりわけ琴線に触れる曲だ。

 『Elect The Dead』は上記オフィシャルサイトにて、「MEDIA」のところをクリックすれば全曲PV付きで視聴できる(歌詞も併記)。PVは今いち曲と釣り合ってない、もしくは単純につまらないものもあるけど、「Sky Is Over」や「Saving Us」(リンクはYouTube)は秀逸なので、あらゆる人におすすめ。

 さて、そんな素晴らしい『Elect The Dead』を、どういう切り口で紹介したらいいのか迷っていた──あげくほったらかしていたのだけど、それについてやっぱり書いておきたいと思ったのは、SOADの同僚、ダロン・マラキアン主導の『Scars On Broadway』を聴いたことによってだった。
 こちらも作詞・作曲はもちろん、ドラム以外はすべてダロンによるもので、ほとんど彼のソロ・アルバムと言ってしまっても差し支えない作品だ。音のスタイルはサージ・タンキアンとは対照的に、簡素かつ疾走感あふれるギザギザ・ロック(笑)で、ということはSOADの最近作のほぼ延長、とも言える。まあまあ予想できたことだ。
 歌詞の内容はこれまたサージとは対照的に、ストレートに毒気・俗気丸出しで、それがこの人の持ち味であることを知る者としては、やはり予想通り。知的な大人ウケもするサージに対して、「キッズも歌えるわかりやすさ」を重視するのがダロンの流儀なのだろう。ただし、その場合の「わかりやすい」というのが、「愛してるぜベイベ」とか「政治家なんてカンケーネー」というレベルのそれならば、僕はいちいちブログに書いたりしない。だが、SOADのexメンバーに限って、そんなことにはならないのである。
 たとえば、「World Long Gone」という歌がある。

 時々──そう時々
 俺はおかしくなる──狂ったようになる
 こらえている──ひたすらこらえている
 やがて俺はキレる──我慢できずにブチ切れる

 空が暗くなっていくのを見つめる
 満天の星たちを 俺は見つめる
 たぶん俺は わかっていない
 どれほどたくさんの人たちが飢えているのだろう
 この星空の下に続く世界で

 歌詞はこれだけ。こういうコンパクトな曲がたくさん入っているレコードなのだ。
 この歌を聴いて、人は何を感じるだろうか。義憤に駆られる、正義感の強い人物のこと?第三世界の貧しい人々を思いやるやさしさ?
 それも間違いではないだろう。でも、それだけだとも思えない。事は彼のパーソナリティの問題でないのだ。
 なぜ彼は「たぶん俺はわかっていない」と言うのか。わかっているから歌にしているのだろうに。それとも、あまり詳しくは知らない、という謙遜の意味か?あるいは知る気も起きないし、という?
 そうではないだろう。彼は怒っているのだ。飢えている人々のいる世界を嘆く、悲しむというより、怒っている。
 なぜ「怒り」なのか。それはこの世界の、共感・共苦を阻むシステムの存在を、自分がそれに加担させられている、自分がそのシステムの一部であることを自覚しているからなのだ。だから彼は時に狂ったようになり、ブチ切れずにはいられないのだ。
 「Enemy」という曲はもっと露骨である。

 わかってる
 なかなか気づけるものじゃないだろう
 俺達が地球の敵なんだってことは

 俺達はドラッグ漬け
 俺達はみんな中毒
 ベイビー 俺達はみんな中毒だ
 あんた ドラッグが好きかい?

 この「ドラッグ」を、いわゆる麻薬の類のことだけと受け取る理由が、僕には見つからない。逆にその「ドラッグ」は僕が浸かりきっている文明そのもの、ダロン・マラキアンも所属するところの「アメリカ式文明」そのもののことだと、どうして気づかないでいられるものか。そしてそれは、サージ・タンキアンの「We are the cause of a world that’s gone wrong」という宣言とも、完全に響き合う。
 各々の道に進んだ二人が、表現の仕方は違っても、結局同じ思想の根を分かち合っている。それを知って、僕はいたく感動してしまったのだ。元々同じバンドにいた「同志」なんだから当たり前、と言われたらそれまでだけど。

 僕はかつてホームページで、彼らを「良心的反米」と評したことがある。それは単なる政治的文脈からではない。アンチ・アメリカ、ならイギリスはOK?あるいはもっとわかりやすく、キューバなら全然OK?──そういう文脈での「反米」を想定したつもりはない。むしろ、日本も含めた先進国、先進国の仲間入りを志向するすべての国々、その文明の総体を仮に「帝国」と呼ぶ時、その「帝国」の最深部で「帝国」もろとも自己否定する意識の担い手としての「反米」、ということまで視野に入れていたつもりだった。
 あるいは、では彼らはいわゆるディープ・エコロジストだろうか?あまりそうとは見えない。というか、そんな話はどうだっていい。
 「我々は元凶なんだ」「我々は地球の敵なんだ」──じゃあ、そんな人類は死んだ方がいいと?そう問われたら、サージはいつものおどけた笑顔を作って答えるだろう、「そうですそうです。あなたも私も死んじゃった方がいい。死者たちにも言ってもらいましょう(Elect the dead)」。
 ダロンならこう答えそうだ、「そうだな。でも、もう死んでるも同然じゃないか。・・・悪いけどあんた!なかなかのゾンビっぷりだぜ!」。
 どういうわけか、僕にはこういうやつらが、不真面目どころか、優れて人間的に見える。昔っから一貫して。
 俺達は間違ってるかも知れない。でも今、これを言わなきゃと体の内側から思うんだ、くそったれ。俺達なんて死んだ方がいいのかも知れない。でも、それを胸に刻みつつ、生きて責任を果たしたいんだ、くそったれ。
 ロックとは、そうした「くそったれ」に声を与えることを主要な任務とすることのできる、おそらく唯一のメディウムではないかと僕は思う(「くそったれ」と無縁に生きることができる人は、別にロックなんか聴かなくていいのだ)。

 今、SOADは休止中で、「再結成はない」とダロンは明言しているそうだけど、彼らの作ったこの2枚のアルバムを聴けば、SOADが2倍になったようなものだ。喜ぶべき事態ではないかと、僕は前向きに思うことができる。


<注>
 この訳について、ある方から指摘を受けた。survive+目的語で「~を生き延びる」と訳すのが普通で、「Nature will survive us human dogs after all」の大意は「人間がどれだけ暴虐を尽くそうと、自然は生き延びるだろう」。まったくおっしゃるとおりで、僕が「survive」の他動詞用法を勘違いしていたに過ぎない。恥ずかしながら訂正させてもらいます。「暴虐」に直接該当する単語はこの中にはないけれど、usと同格のhuman dogsという造語に、そのニュアンスが含まれていると考えれば、この大意でまったく妥当だと思う。
 いやー、恥ずかしい。「鳥の瞼が下から上に閉じるのを知らなかった」事件(石神井公園のエントリー参照)より恥ずかしい(笑)。と同時に、意味がクリアになってスッキリした。
 お知らせくださった方、本当にありがとうございます。自他共に認める天然ボケで、年に10回くらいは思い込みでヘンなことを言い出すやつですので、遠慮なくツッコんでやってください(って、人をアテにするのもなんだけど)。

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (tpt)
2008-12-22 06:07:06
 はじめまして。城台 宏典と申します(このネット社会で本名を明かすのは問題があると思いますが)。このサイトはちょくちょく見ています。きっかけはTMVとSOADです。とまぁ自分の事はどうでもいいとして。

 レイランダーさんの考察は非常に優れていると同時に、自分の考察との共通点が存在したり、つまり共感したのですが、自分がこの2枚で考えていた事、不明確な点が一気に消化された気分です。サージ派の私ですが、やってることはダロン的なのを感じました。


 しかも記事の投稿が自分の誕生日と重なっているとは。偶然って怖いですね。

それでは。
返信する
>はじめまして (レイランダー)
2008-12-22 10:59:12
>tptさん(城台さん)

はじめまして。様々な経路から当ブログ、あるいはホームページを知ることはできるのでしょうが、TMV-SOADの線から見つけてもらえるのは、自分の中で「よっしゃあ!」と思うところがなぜか一番大きかったりします。

>サージ派の私ですが、やってることはダロン的なのを感じました

ダロンはサージよりずっと年下で、サージからいろんな影響を受けてるはずだと思います。と同時に彼は彼でやっぱり天才で、あふれるほどのソング・ライティング本能を制御し切れない。二人が各々のスタイルを追及するために分かれていったのは、ごく自然でポジティヴなことだと感じますね。

>記事の投稿が自分の誕生日と重なっているとは。

僕の記事が誕生日プレゼントになってくれていたのなら、幸いです(笑)。今後もよろしくお付き合いください。
返信する
訳に違和感が (オピノキ)
2008-12-23 21:15:07
どうも。
恐縮ながらつっこみなのですけども、
"Honking Antelope"の最後の締めのフレーズを
「ただ歌のみによって世界は治癒される」と
訳してしまうのはどうかと思うのです。

Wouldn't it be great to heal the world with only a song
ですから、
「歌のみによって世界を癒すとしたらなんと素晴らしいことだろうか」
のようなほうがいいのではないかと。
歌のみによって世界は治癒される、とすると
まるでサージが歌以外の絵とかの芸術を認めない、
排外主義者っぽい雰囲気が出てしまうのではないかと。

もちろん数々の訳詞を手がけてはるレイランダーさんなので、
意図があってそう訳したのかもしれませんが、
それならその意図を聞いてみたく思います。
返信する
>訳に違和感が (レイランダー)
2008-12-23 22:47:11
オピノキさん、どうも。

そうですね、この最後のフレーズに関しては、僕はあえて「治癒される」「ただ歌のみによって」と断定的に自分の胸に「響かせたい」、という欲求があるので、そのように書いちゃいました。
本当は指摘の通り、疑問形らしく「治癒できたら素晴らしいじゃないか」と訳すのが普通だと思います。また、「witn only a song」という言い回しは、「ただ歌のみによって」というより、「たったひとつの歌によって」と訳すのが素直ですよね。
でも、僕がこの曲にシビれた際の感触というのは、そういう穏やかな訳し方では収まりがつかないような、強い「確信」が伝わってくるものだったんです。
「song(歌)」というのはこの場合、音楽の一形式であるところの「歌」というより、もっと広く、自然と対峙した人の心に生まれる何か、あるいは「魂(spirit)」と同義ではないか。だから、「ただ歌のみによって」と言ったからといって、他の芸術形式を軽視しているとか、そういう話ではないと思うんです。サージのあの美声があの時響かせている何かによって、治癒される、と彼が確信しているように聴こえるし、そう聴いて盛り上がりたい(笑)という僕の欲求が、あの簡略化した言い方になっていると、思っていただければ。

もちろんそれが唯一の正しい解釈だと主張はしません。むしろオピノキさんの感じた違和感は、至極もっともだと思います。
返信する
詩は深い (オピノキ)
2008-12-24 23:02:31
ははあ、なるほど。
「歌」を単に表層的に音楽としての歌とだけとらえては
この曲のスケールには当てはまらない、と。

うーーん。
似たような気分としては、
"Lost in Hollywood"を聴いたときの感触があります。
あれも表層的に字面だけを追うとハリウッドの話ですが、
私はなんだか彼らが
「人間には帰るべき場所がある。
 道に迷ったらいつでも帰ってきなさい」
と言っているような感じがしました。
どこにも書いてないにも関わらず。
以来、そのメッセージを聴くときに思い浮かべて、
同じように盛り上がっております(笑)

音楽だけである意味を感じさせる、というのはこれ、
相当な音楽力がいるかと思われます。

私の場合、Honking Antelopeにそこまでのスゴさを
まだ感じたことが無いので心で理解はできませんが…
詩は深いですねえ。
返信する
>詩は深い (レイランダー)
2008-12-25 10:11:59
「Lost In Hollywood」
なるほど、僕も確かに、「君はハリウッドを信じるべきじゃなかった」というくり返しは、彼女の錯誤をなじっていると同時に、「帰ってきてもいいんだぜ/なぜ帰ってこない馬鹿野郎」って言ってるようにも聴こえてました。僕はオピノキさんの感じ方、好きですね。
要するに歌というのは、聴く人の心を映し出すもののはずですから。

飯島愛は帰るべき場所に帰れたのかな。間違ったこともいろいろ言う人だったけど、彼女が嫌いではなかったので、実はかなり切ない気分です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。