弱い文明

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『ロンドン・コーリング~ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』

2007年09月23日 | 映画
 ここ数年、映画というとドキュメンタリー映画ばかりを観ている。もともとドキュメンタリーが好きとか、特に関心を持っているというわけでは全然なくて、単純に「あ、これは観てみたい」と思った映画が、たまたまドキュメンタリーであることが多いだけなのだが。

 ただ、今回観た『ロンドン・コーリング~ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』(原題は“The Future Is Unwritten”)の場合、「優れたドキュメンタリー作品」であることすら期待していなかった。
 ジョー・ストラマーという人物について、あるいは人気バンド「ザ・クラッシュ」の誕生から隆盛、崩壊に至る道筋についての情報は、昔から音楽雑誌などのメディアに(ガセネタも多かったとはいえ)さんざん流されていて、映像素材も多い。僕はロックを聴き始めた頃が、ちょうど『ロンドン・コーリング』が世に出た頃で、雑誌の記事は欠かさず読んでいたし、学校のバンドでクラッシュのコピーをやって盛り上がった世代である。
 また、この映画にはバンド・デビュー前夜の秘蔵映像なども顔を出すが、初期のライヴ映像なら、『ルード・ボーイ』という映画の方にもっとふんだんに登場する。ましてや近頃はYouTubeのように、自宅にいながら秘蔵映像を漁れるようなメディアもある。そういうわけで、一般に言われる「パンク・ロックのスター」ジョー・ストラマーを回顧するという意味では、「間に合っている」。

 では僕は何を期待して行ったかというと、むしろクラッシュが終わって以降の彼が、どこで何をしていたのか、である。一応、ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスというバンドを結成して、地味に活動していたのが最後の姿だった・・・・ことまでは知っていたのだが、そこに至る紆余曲折については、まったくフォローしていなかった。
 それらを知る上では、十分にこの映画は役に立つ。もっと細かい話も掘ればあるのだろうが、とりあえず要点はわかった、という感じだ。

 しかしそれ以上にわかってしまうのは、予想通りというか予想以上にというか、彼の人生が単なるパンク・ロッカーの一軌跡という枠を超えていることである。
 外交官の息子として、上流の階級に生まれたこと。出生地のトルコ・アンカラをはじめ、アフリカはマラウィ共和国など、幼い頃に第三世界のにおいを嗅ぎ・音に触れて育っていること。
 これらの部分からは、僕が昔からストラマーについて不思議に感じていた「雑食性」の謎(『サンディニスタ!』の大混乱を見よ)について、その資質の根に触れたような気がした。あるいはこちらの年齢の蓄積のおかげで、同じ情報でも推測がしやすくなったせいもあるのだろうが──とにかく、彼という男の一つの核心は、「インプットなくしてアウトプットなし」という言葉(口癖)に表れているように、一本気なパンク・ロックのそれとはだいぶかけ離れたものだった。
 後に始めた「ジョー・ストラマーズ・ロンドン・コーリング」なるラジオ番組の、そこでかける選曲の多様さにも、それは露骨に表れていた。彼は本質的に、外から入ってくる様々な刺激をマルチ・チャンネルに束ねて、そこに自分のメッセージ書き添えて送り返すようなことが性に合っていたのかも知れない。

 片や社会変革の必要性に向けるまなざし、そしてその表現の通俗性を維持するという面では、彼は徹底的に一本気であり続けた。それも意識してそうしていたわけでなく、自然にそうなってしまう、それも彼の核心なのである。
 やろうと思えばできそうだったのに、彼くらい「高尚」なものと無縁なアーティストは、ちょっといなかった。いさぎよかったというのでも、それしか知らなかった、というのでもない。いつも一番安いオモチャで、人の何倍も楽しめてしまう「天然」だった、みたいに見えるのだ。
 ところがそれは逆に背景として、気弱で繊細な優等生そのものであった兄の自殺、という事件からの「反転」作用だったのではないか、という疑いが、この映画によっていよいよ濃厚になった。僕は昔、この兄という人は左翼運動に挫折して自殺した、という話を読んだおぼえがあるのだが、映画で明らかにされていたのは、逆に極右にのめり込んだ(あるいはそうなりかかっていた)人で、「部屋の内部を真っ黒に塗りつぶし、『わが闘争』を愛読していた」などという証言が紹介されている。
 死体の第一発見者である弟、つまりストラマーにとって、これは生涯のダーク・スポットで、どうしてもそこからの「反転」が必要だったのではないか。彼の音楽人生を貫いて流れる「俗なる生」へのたぎるようなパッションというのは、「高尚なる死」を乗り越えんがためではなかったのかと、そう思えるのだ。

 さらに興味深かったのは、クラッシュ終焉後の「失意」の年月に、彼が若き日に影響を受けたグラストンベリー(英国版「ウッドストック」のようなイベントが例年行われる)の田園キャンプ生活を再体験し、また自ら主催していることだ。
 かつてはパンクのフロントマンの一人として、「ヒッピー」を全否定していた彼が、ここでパンクとヒッピーが本来同根であること、両者が共闘する必要を訴えるに至っている。彼はこの時期、北米インディアンの思想にも傾倒していたらしい。
 昔は大声で叫ぶだけだったが、今は火を囲んで静かに仲間と語り合うのが好きだ、と語る彼の口調からは、しかし単に歳をとって人間が丸くなったというだけにとどまらない、何かがある。現にこの期間を経て、新バンドの方向性を模索しながら、あるいは売れない映画の売れない映画音楽を作りながら、彼はクラッシュの幻影を確実に振りほどいていった。これは、僕のまったく知らなかったストラマーだ。

 いろいろ書いたが(個人的に見どころはまだまだあるのだが)、この作品が「ドキュメンタリー映画」として、それほど力のある作品になっているとは僕は思わない。基本的にはクラッシュのファンか、せいぜい広義の「ロック」のファンでなければお勧めしにくい映画だ。それは先に書いたとおり、僕には予想通りだったのだが。
 ただこの映画は、友人達や各界のクラッシュ・フォロワー達の賛辞で縁取られていながら、彼をカリスマ化し、ヒーロー視するような安直な作りにはなっていない。むしろその虚像を一つ一つ剥いでいって、最後にただの人間が残る、すなわち脱神話化するような映画だ。

 湾岸戦争の時、イラクに落とす爆弾に、米兵が「Rock The Casbah」(「アラブの城市をぶちのめせ」─クラッシュのアメリカでの最大のヒット曲)という文字を書き入れていたというニュースを見て、ショックと怒りで泣いたというストラマー。クラッシュの全期間を通じて、「アメリカの野蛮」に喧嘩を売り続けてきた彼にとって、これ以上に皮肉で、深刻な侮辱はありえなかっただろう。新バンドでの再起は、一個の人間として、こうしたことに落とし前をつけなければならないという、責任感も抱きつつ、だったはずだ。
 “メスカレロス”でのライヴ当日、閑散とした通りに立ってライヴのビラを配るストラマー。それが「あの」ストラマーだということを知らない若者達はシカトし、受け取らない。ある女の子二人連れに渡すことに成功し、「今夜だぜ、来てくれよな」と念を押し、「やったぜ」とつぶやくストラマー。
 正当この上ないことに、彼は最後まで、音楽で世界を変えられると信じていた。「ひとつ言っておくが、人は何でも変えられる。世界中の何でもだ」──そういう彼にこそ会いたい、という人にはお勧めしたい映画だ。

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