弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

アフシンさんのこと

2009年08月18日 | アクション
 在日イラン人のアフシンさん(通称)という人が、6月の下旬以来、不法滞在を理由に品川の入国管理局に強制収容されている。不法も何も、彼の難民認定、あるいは在留特別許可が認められないことが彼の立場を宙ぶらりんにしている主たる原因であって、望んで不法行為を働いているわけではない。それどころか、彼は20年近く日本にいる間、日本の言語・習慣にすっかり馴染み、何の犯罪も犯さず、働いた分からきっちり税金を納めている。そんな彼が望まざる収容の憂き目に会い、その経費は彼や僕ら一般の日本人が払った、正に税金によって賄われている。
 アフシンさんのことは、知人に教えられたブロガーのノッポさんの記事によって知った。その人となり、今回収容の経緯については下記の記事を参照してもらいたい。前回収容の顛末──2006年、強制送還一歩手前まで行ったが、自傷行為によって奇跡的にうやむやになった──については、特にリンク先の保坂展人氏のブログの記事も。

 http://nopposan.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-7866.html

 彼は本国イランで、ムジャヒディン・ハルクというマルクス・レーニン主義をベースにした左派の政治組織に関わっていた。1979年、パーレビ王政を倒したイスラム革命の際には、ホメイニらのイスラム団体と共闘し、重要な役割を演じた組織である。進歩的な考えを持つイランの民衆に支持者の多い団体だったそうだが、革命後間もなくイスラム神権体制と対立し、大規模な弾圧を受け、軍事部門は隣国イラクに逃げ落ちた。
 アフシンさんもそうした経緯から、先進国の中では当時入国基準の比較的緩い日本に逃げてきた難民であって、いわゆる出稼ぎ目的の人たちとは違う。真面目な出稼ぎの人たちが送還されても、それはそれで問題だし気の毒でもあるけれど、アフシンさんの場合はそれどころではない、文字通り命に関わる問題なのである。
 ・・・といって、僕はこの辺の事情を詳しく解説できるほどの知識は持ち合わせていない。詳しい人に逆に教えてもらいたいくらいだ。
 また、わが国の入管法の問題にも精通しているわけではないから、アフシンさんを救出する具体的な手立ても思いつかない。それこそ、そんな手立てがあるなら教えてもらいたい。とりあえずは、署名活動など、入管当局を刺激することは今は控え、弁護士を通じての働きかけや、この問題に積極的な議員への陳情のような形でノッポさんたち支援者は活動している。
 僕の場合、その支援の支援をしている、といった程度のことだ。それで、役に立てているのかどうか、さっぱりわからないのだけれど──入管や、法務省の考えは(考えのなさは?)、理不尽過ぎて僕らには読めない。

 先月末日と今日の二度に渡り、収容先の入管でアフシンさんに面会した。僕自身は会って何を話せばいいいのか、不安なままに。だけどいずれの日も、アフシンさん自らが思いの丈を述べるのに耳を傾けるだけで、10分の制限時間はあっという間に過ぎてしまうのだった。
 今日、彼は死について語った。死の影に怯えるなんて、どうして自分はこんなに弱くなってしまったのか。自分が恥ずかしい、と。
 自分は革命家のつもりだ。だから国民のために闘って死ぬことを怖れはしない。だが、これは違う。こんな風に自由を奪われ、やつらの元に送られて、誰にも知られることなくこの世から消される。その無意味さを思うと、恐怖を抑えることができない。
 僕の尊敬するチェ・ゲバラは、最後まで闘って死んだ。僕もそれなら本望だ。だけどこれは違う。無力なままに、みじめなままに、闘わずして殺されて。自分の人生は無駄だったのか?
 ──そんなような話を、ガラス越しに僕らの目を覗き込みながら、ゆっくりと、正確な日本語で話す。「決して無駄ではない──あなたの言葉をできる限り多くの人に伝えます」と、僕らの気持ちを代弁するように、同行者の一人が力強い声で語りかけた。そうだそうだとうなづきながら、僕はといえば、ただただアフシンさんの憔悴しきった目を見つめ返すことしかできない。
 「時間です」と職員が話を打ち切った。10分より短い気がする。アフシンさんは入ってきた時と同じく、深々と僕らにお辞儀をして、職員とともに部屋を出て行った。

 8畳の部屋に8人で寝るような、劣悪な大部屋に彼は帰っていく。日本人の誰にも、何の迷惑もかけていない人が、なんでそんな目に会わなければならないのか、さっぱりわからない。
 とにかく、できる限り多くの人が面会に訪れることが、入管に対して「この人を粗末に扱ってはいけないんだ」という無言の圧力になってくれるのを期待するしかない。また、アフシンさん自身が、誰かに話すことで少しでも心の安定を保てるようになれば。
 ちなみに、「アフシン」というのはペルシャ猫のことだそうだ。幼年時代の彼を可愛がっていた祖母が、彼をそう呼んでいたのだという。

 面会室の壁には、「落書き禁止」の紙が貼ってあるにも関わらず、世界各国語の落書きが所狭しと書かれている。部屋に入ってから収容者が連れて来られるまでの時間が長いので、その間にみんな書くのだろう。東南アジア系の言葉が多いようだが、何が書いてあるのか全然わからない。英語の「I love you」や恋人の似顔絵らしきものもある。その中に混じって、日本語で「入管うそつき」というのもあった。

 アフシンさんが今回収容される直前まで身を寄せていた、Mさんという在日イラン人のお宅を伺った時の話も、次回以降書くつもり。何の役に立つかはわからないが、書いておかなければならないことだという気がする。


※日本がいまだ正面から取り組もうとしない難民問題については、在日難民との共生ネットワークほかのwebサイトを参照。僕もまだまだ勉強が足りない。

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