一部の人にとっては、ちょっと水を差すような見方かもしれないが。
大きなデモや集会があると、必ず主催者発表と警察発表の数字の落差が話題になるんだけど。正直なところ、僕自身今までに参加して見てきた実感では、たいていは警察発表の方が実数に近いと思う。
8月30日も「10万」の目標に対してどれくらい来ているか、実数を気にしながら現場をうろついたけれど、後で思い出しながら仮計算すると、やはりどちらかといえば警察発表の「33000」に近いという推計になった。
まず現場の面積を概算してみた。地図からの推測なんで、正確とは言えないけど、仮定として、
A:正門前・正面の車道+歩道 幅40m×長さ150m=6000㎡
B:正門前・左右の車道 幅20m×長さ100m×2=4000㎡
C:左右の前庭内 50m×100m×2=10000㎡
くらいかな、と(ただし、この中に警察車両なんかも場所をとっていた)。
A,Bでは平均して一人当たり0.7m(横)×0.6m(縦)=0.42㎡くらいの占有ではないかと思った。
異論のある方もいるだろうが、この数字は僕が真ん中より前の方にいた時、隣の人と密着せず、前後左右に程よい余裕があった、その感じを基にしている。実際、前の方ほどぎっちり混んでいたようだが、途中離脱する時わかったのは、後ろに行くにしたがってスペースの余裕があることだった。だから平均すれば、上の数字0.42くらいは優にあったと計算して差し支えないと思う。
Cは公園内だから、樹木なんかもある。人がかたまってる場所もあれば、通り道を移動している人もいっぱいいたから、道よりもっとまばらな占有率ということで、仮に一人当たり平均1.5㎡くらいだとする。
これで仮計算すると、
A 6000÷0.42=14285人
B 4000÷0.42=9523人
C 10000÷1.5=6666人
A+B+C=30474人
上空写真で全体を見直すと、Aはもう少し多そうだが、逆にBはもっと少なそうだから相殺されると考えて。スタジアムで3~4万人の観客を眺めた時の印象と比べても、スタティックな数としては妥当ではないかと思える。
桜田門・霞ヶ関・国会議事堂前・永田町の各駅に続く歩道を歩いていた人なんかは含めていない。僕は桜田門及び霞ヶ関方向しか見ていないが、それほど人がぎっしりいた記憶はないし、よくわからない。
それより、上の合計数は僕がいた時間の見た目の推計であって、実際には帰る人・後から来る人の入れ替わりが常に起こっていた。聞いた話では、人数のピークは4時ごろだという話もある。事実僕は3時半くらいに離脱したのだが、桜田門の駅方向からまだ続々と馳せ参じる人とすれ違った。
そこで、入れ替わり係数を仮に1.5倍とすると
30474×1.5=45711 のべ45711人
これに離れた場所の歩道とかにいた人をかき集めたとしても、のべ約5万~6万人というのが無難な推計ではないかと思う。各係数を微妙に変えるだけで数字はどんどん変わるが、少なくともこれを何万も上回るというのはありえない。
で、だからどうしたというのか。別にいいじゃないか、と思う。
人数が3万だから敗北だとか10万だから勝利だとか、そんなことではない。参加する側はこんなにたくさん集まったんだ!と思いたいし、主催者も目標数字に達したと発表して参加者をねぎらいたい気持ちになるのは人情だ。あるいは、確信犯的にそうしていることもあるかもしれない。しかし、それをしたからといって、デモにまで来ようとする自分達がまだまだ少数派であることには変わりはない。
全国で100万人が抗議行動に参加しようと、自公に投票する人間はそれより確実に多い。さらにそれより確実に多いのは無関心な浮動層だろうが、その層の人達を、街頭の「数」の威力で誘おうというのは甘い。というか、本末転倒なところがあるのではないか。
むしろ、様々な参加の仕方がある、多様性の表現の一つとしての街頭行動、が浮かび上がらなければいけない。実際、従来の様式化した「左翼」のデモに対して、3.11前のフリーターのデモ、3.11後の脱原発のデモで開花した多様性の表現が、今のSEALDsら若者達の出現につながった。人数より、内容の新しさが人を惹きつけ、参加の可能性を広げる。このイッシューに対する人の目を開かせる。その成果の流れを、人数をめぐるいセコイ諍い話なんかで無駄にするのは、いかにも口惜しい。
「人数で圧倒するデモ」も、いつか実現するかもしれない。だが、まだこの国はそれほど民主主義が成熟していないのだと思う。今はあくまで内容、いろんなやり方があるよという多様性の表現を大事にする方がいい。一つのデモの中でもそうだし、デモ以外の形態でもそう。
追記:
地下鉄駅の改札通過数から参加者数を割り出した人がいるのを知った。これは一番説得力がある。日曜にあの官庁街に来る人の数なんて限られてるから、平均を超える分はほぼデモ参加者とみて間違いない。この人は、ひとまず7万という推計を出している。
http://ameblo.jp/ryotagaya/entry-12068219708.html
ただ、調べている駅のうち、結構利用者が多かったはずの桜田門駅の数字が抜けている。それを加えたら、8万くらいはいくだろう。
そうすると、僕の上の推計では何が足りないか。おそらく、
○日比谷方面に続く歩道の人達、永田町方面など議事堂の裏側に陣取っていた人など、議事堂正面から外れた場所にいた人達の分を入れていない
○入れ替わり係数は1.5よりもっと高い
の2点だろうか。その2点で、プラス2万人くらいは優にあったことになるのだろう。
大きなデモや集会があると、必ず主催者発表と警察発表の数字の落差が話題になるんだけど。正直なところ、僕自身今までに参加して見てきた実感では、たいていは警察発表の方が実数に近いと思う。
8月30日も「10万」の目標に対してどれくらい来ているか、実数を気にしながら現場をうろついたけれど、後で思い出しながら仮計算すると、やはりどちらかといえば警察発表の「33000」に近いという推計になった。
まず現場の面積を概算してみた。地図からの推測なんで、正確とは言えないけど、仮定として、
A:正門前・正面の車道+歩道 幅40m×長さ150m=6000㎡
B:正門前・左右の車道 幅20m×長さ100m×2=4000㎡
C:左右の前庭内 50m×100m×2=10000㎡
くらいかな、と(ただし、この中に警察車両なんかも場所をとっていた)。
A,Bでは平均して一人当たり0.7m(横)×0.6m(縦)=0.42㎡くらいの占有ではないかと思った。
異論のある方もいるだろうが、この数字は僕が真ん中より前の方にいた時、隣の人と密着せず、前後左右に程よい余裕があった、その感じを基にしている。実際、前の方ほどぎっちり混んでいたようだが、途中離脱する時わかったのは、後ろに行くにしたがってスペースの余裕があることだった。だから平均すれば、上の数字0.42くらいは優にあったと計算して差し支えないと思う。
Cは公園内だから、樹木なんかもある。人がかたまってる場所もあれば、通り道を移動している人もいっぱいいたから、道よりもっとまばらな占有率ということで、仮に一人当たり平均1.5㎡くらいだとする。
これで仮計算すると、
A 6000÷0.42=14285人
B 4000÷0.42=9523人
C 10000÷1.5=6666人
A+B+C=30474人
上空写真で全体を見直すと、Aはもう少し多そうだが、逆にBはもっと少なそうだから相殺されると考えて。スタジアムで3~4万人の観客を眺めた時の印象と比べても、スタティックな数としては妥当ではないかと思える。
桜田門・霞ヶ関・国会議事堂前・永田町の各駅に続く歩道を歩いていた人なんかは含めていない。僕は桜田門及び霞ヶ関方向しか見ていないが、それほど人がぎっしりいた記憶はないし、よくわからない。
それより、上の合計数は僕がいた時間の見た目の推計であって、実際には帰る人・後から来る人の入れ替わりが常に起こっていた。聞いた話では、人数のピークは4時ごろだという話もある。事実僕は3時半くらいに離脱したのだが、桜田門の駅方向からまだ続々と馳せ参じる人とすれ違った。
そこで、入れ替わり係数を仮に1.5倍とすると
30474×1.5=45711 のべ45711人
これに離れた場所の歩道とかにいた人をかき集めたとしても、のべ約5万~6万人というのが無難な推計ではないかと思う。各係数を微妙に変えるだけで数字はどんどん変わるが、少なくともこれを何万も上回るというのはありえない。
で、だからどうしたというのか。別にいいじゃないか、と思う。
人数が3万だから敗北だとか10万だから勝利だとか、そんなことではない。参加する側はこんなにたくさん集まったんだ!と思いたいし、主催者も目標数字に達したと発表して参加者をねぎらいたい気持ちになるのは人情だ。あるいは、確信犯的にそうしていることもあるかもしれない。しかし、それをしたからといって、デモにまで来ようとする自分達がまだまだ少数派であることには変わりはない。
全国で100万人が抗議行動に参加しようと、自公に投票する人間はそれより確実に多い。さらにそれより確実に多いのは無関心な浮動層だろうが、その層の人達を、街頭の「数」の威力で誘おうというのは甘い。というか、本末転倒なところがあるのではないか。
むしろ、様々な参加の仕方がある、多様性の表現の一つとしての街頭行動、が浮かび上がらなければいけない。実際、従来の様式化した「左翼」のデモに対して、3.11前のフリーターのデモ、3.11後の脱原発のデモで開花した多様性の表現が、今のSEALDsら若者達の出現につながった。人数より、内容の新しさが人を惹きつけ、参加の可能性を広げる。このイッシューに対する人の目を開かせる。その成果の流れを、人数をめぐるいセコイ諍い話なんかで無駄にするのは、いかにも口惜しい。
「人数で圧倒するデモ」も、いつか実現するかもしれない。だが、まだこの国はそれほど民主主義が成熟していないのだと思う。今はあくまで内容、いろんなやり方があるよという多様性の表現を大事にする方がいい。一つのデモの中でもそうだし、デモ以外の形態でもそう。
追記:
地下鉄駅の改札通過数から参加者数を割り出した人がいるのを知った。これは一番説得力がある。日曜にあの官庁街に来る人の数なんて限られてるから、平均を超える分はほぼデモ参加者とみて間違いない。この人は、ひとまず7万という推計を出している。
http://ameblo.jp/ryotagaya/entry-12068219708.html
ただ、調べている駅のうち、結構利用者が多かったはずの桜田門駅の数字が抜けている。それを加えたら、8万くらいはいくだろう。
そうすると、僕の上の推計では何が足りないか。おそらく、
○日比谷方面に続く歩道の人達、永田町方面など議事堂の裏側に陣取っていた人など、議事堂正面から外れた場所にいた人達の分を入れていない
○入れ替わり係数は1.5よりもっと高い
の2点だろうか。その2点で、プラス2万人くらいは優にあったことになるのだろう。
ていないのだと思う。
「人数で圧倒する」の何を圧倒するのかの目的語が不明ですが、仮に選挙によって成立した政府を圧倒するということであるなら、そのようなデモが実現する国が民主主義が成熟した国ということですか?
民主主義が成熟した国というのは、選挙によって国民の多数の付託を受けた政府が少数派のデモによって圧倒されることのない国ではないのですね。
でもって今回の安保法案にしたって、世論調査では半分も支持を得られていない。内閣支持率も落ちたし、自公の中にすら反発してる人がいるわけです。
つまり、選挙の内容自体から現在の自公を本当の「多数派」と呼ぶのは無理があるし、なおかつもっと重要なことは、ある時点の選挙結果と民意の支持が次の選挙までずーっと同じ比率で固定されるわけじゃない、刻一刻とうつろうものだということです。
選挙=民主主義ではなくて、民主主義の手続きの一つというに過ぎません。だから軽視してはいけないけど、それが民意の全てだと考えることもできないわけです。
デモもまた手続きの一つに過ぎません。雨の中を手弁当で数万人が集まるというだけでも、その背後に参加はしなかったけれど似たような気持ちの人が相当たくさんいることが透けて見えるから、民意の重要な表現になるのです。
ただ、今回の国会前程度では、個人的には「圧倒する」までまだいかないな、と思いました。「圧倒する」というのはこの場合、政権担当者に考えを変えさせる、妥協を促す、場合によっては誤りを推し進めた責任を退陣などの形で取らせる、という意味です。
それには、この群集は「少数派」なんかではない、むしろ多数派を代表していると、懐疑的な人ですら認めざるを得ないくらいの数でないと、「圧倒」できないと思うのです。
しかし、3.11以降延々と続くデモの動き、特に今法案をめぐっての動きは、全国いたるところで大小様々な抗議行動を生み出しています。この裾野の広さ、下火になるどころか活発になるばかりの勢い、そちらの方では「圧倒」に近づいていると思います。だから、別に国会前の人数ばかりを気にする必要はないと思います。また逆に言えば、上で書いたように多様性を重視して根気よく発展させていけば、いずれ20万、30万のデモも実現するだろうとも。それを信じて、やっていけばいいと思うのです。
本文最終段に書いた「民主主義の成熟」とは、そういう意味です。
参加者1人に係累3人、友人数名、それだけでデモ参加者数の数倍はいます。また、参加したくともできなかった人々と、また、その人々の係累や友人を加えれば膨大な数字になります。政権はだからこそデモ参加者数に脅威を感じて法案成立を慌てているのでしょう。
安保関連だけではなく、庶民の生活を直撃する悪法も続々可決されている状況下で彼らは選挙を戦えない状況に次第に追い込まれています。
ただ、今度の法案に抗議する意味がわからない層の人達というのも、その裾野はこっちが思っている以上に広いはずなんです。NHKとか読売とかの垂れ流すプロパガンダをそのまま飲み込んで疑わないような人達ですね。経済的に最初から恵まれているか、どうにか中流にとどまって経済成長幻想しがみついている層でもある。
だからこそ前回選挙の時だって、安倍自民の問題点は充分過ぎるほど明らかになっていたのに、結局安定多数で勝っちゃう。それ以後の展開で、反対派の勢いがどんどん増す一方だからといって、それが次の選挙結果にそのまま反映するとは、僕はあまり期待してない。
主流メディアによって骨抜きにされている層というのは、それほど分厚いのが現実だと思うんですよ。それこそ、彼らの生活の柱である“テレビ”で、主要な芸能人の大部分が法案反対を番組中で表明するとかしない限り、その魔法は解けないんじゃないか、とか。
だから、まだまだ道は長いというか。デモの人数のことで一喜一憂してたってしょうがない、という気がしてしまう。
自分は自民党支持者の目線なんかで考える習慣ないから忘れがちになるけど、よく考えてみたら内閣支持率が下がるのなんて至極当たり前の話。だって、こないだの選挙の自民マニフェストに、今回の安保法案とか秘密保護法とか、一言も書いてないんだから。自公に投票した人達ですら、「そんなの選挙の争点じゃなかったはずだ」って反発する人が相当数いるだろう。特に公明党支持者かな。そういう意味でも、「選挙で勝ったんだから何してもいい」とはならない、今回はとりわけ、ってこと。
強行採決は単なる多数決主義で、断じて民主主義ではない! 安倍独裁政権が持ち出す「多数決」「民意」の論理を疑え!
http://lite-ra.com/2015/09/post-1495.html