■非合理的な消費者~プロスペクト理論
「それは全く奇妙です。ですが、私は、いつも面白いと思ったことに取り組んできました。そして、最も面白かったことは、オマキザル(capuchins)にマネーの使い方を教えられるかを確かることだったのです」
チェン准教授は言う。そして、イェール大学の研究チームは、それに成功した。こうして、フェリックスら7頭のサルたちは、マネーを使う最初の「間」となったのだ。
「何やら悪い冗談のようにすら聞こえます。サルたちはたくさんのコインを見つけ、どれほどをリンゴに、どれほどをオレンジに、どれほどをパイナップルに費やすのかを決めているのです」(4)。
ほとんどの人々は、エコノミーと言えば、サルのマシュマロより、インフレの図表や通貨レートをイメージする。けれども、経済学とは、本質的には誘因に対して、どのように対応するかを研究する科学である。最先端の経済文献に目を通せば、エコノミストたちが、売春、ロックンロールやメディア・バイアスといった課題を研究していることがわかる(1)。以前の古典派経済学の理論では、純粋に「合理的」で「利己的」な主体をイメージしてきた(2)。けれども、エコノミスト、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman,1934年~) プリンストン大学名誉教授は、人間の経済行為は不合理なことが多いとして「プロスペクト理論(prospect theory)」と呼ばれる新たな経済学を提唱し、従来の教義に挑戦していた。プロスペクト理論によれば、人間はコンピューターのように絶対的なタームでは経済的な意志決定をしていない。利益と損失とをまったく別の形で取り扱い、損失を避けるためには何でも行い、誤りを犯す(4)。そして、多くの実験から、経済とは明らかに無関係の要因が、その意志決定に影響を及ぼすことが多いことがわかっている。
損失に対する嫌悪感は、人間に馬鹿げた行動を取らせる(2)。それが、投資者が論理的に行動せず、下落する株を長く持ち続ける理由だし、住宅価格が下落することがわかっていてさえ、その前に家を売り払うことを躊躇してしまう理由だ(2,4)。将来の定年退職に備えて貯蓄する人がほとんどいない根本原因も喪失に対するこの嫌悪感であるようにも思える。安全な有価証券よりは株の方が稼げることがわかっていても、良心的人々は株に投資しない。債券よりも株価の方が大きく変動することから、結果としては収益のバランスが取れていても、株に投資すると痛い目にあるリスクも大きいからだ(2)。「喪失の嫌悪」として知られるこの現象を提唱したことで、カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞した(1)。
■丁か半か~賭博に参加したサルたち
この時点までは、サルたちは、経済学の伝統的な法則を遵守し、合理的な行動をしていた。
「私たちはサルが熟慮したうえで意思決定することを既に目にしています。それは、これまで科学者たちが動物で目にしてきたものをすでに越えています。そこで、賭けに出てみよう。人間が犯すのと同じ誤りをサルも犯すかどうか調べてみようと思ったのです。それが本当に働くかどうかのアイデアはありませんでしたが、経済界の人たちが関心を持つ1ダースの実験があることは知っていたからです」とチェン准教授は説明する。
カーネマン名誉教授もサントス教授やチェン准教授の研究のことは意識していたが、実験には直接参加していなかった。はたして、オマキザルたちは、経済学のパラダイムを変えたカーネマン理論を実証するのだろうか。それとも論駁するのだろうか。サントス教授とチェン准教授は、モンキー市場にリスクの概念を導入することとした(4)。すなわち、価値が同一であっても、見かけ上は明らかに違う二つの選択肢を提示し、そのどちらかをオマキザルに選ばせてみる、という実験を行って見たのである。
まず最初に1枚のトークンを出すとオマキザルは1粒のブドウが買える。次にコインがはじかれ、表が出るか裏が出るかの結果によって、サルはさらにブドウがもらえるかどうかの賭博にチャレンジすることとなった。ただし、オマキザルたちは2粒のブドウから賭博を始めることも出来た。すなわち、賭博の結果、ブドウが回収されてしまうというリスクも選ぶこともできた。ブドウが得られるかどうかは半々だ。二つの実験は、いつも二人の実験者が行ったことから、オマキザルたちは、その実験の違いを識別できた。
この賭博でブドウが得られるかの期待値は同じである。したがって、「合理的な主体」にとっては、どちらを選ぶかは無関係であろう。けれども、一番目の賭博には潜在的な利益が、そして、二番目の賭博には潜在的な損失、リスクが伴っていれる。そして、オマキザルたちは、最初にブドウを1つゲットし、後でさらにもらえるチャンスがある賭博を行う実験者の方を選んだ。
「驚かされました」とチェン准教授は言う。研究者たちが人間に見出すのとまさに同じ「喪失」に対する嫌悪感をオマキザルは示している。チェン准教授はこう結論を下した(2)。
プロスペクト理論を反映した三タイプの実験は、トークンと果物によって行われた。サルはリスクを伴う販売者と安全な販売者のどちらかを選ぶことになったのだ。
第一の実験は単純なもので、販売者Aはいつもリンゴ一切れをくれ、販売者Bはこの一切れに加えて、時には二切れをくれることもあった。販売者Bは、簡単な賭博、すなわち、エコノミストが「確率優越性 (stochastic dominance)」と称するものを表わしていた。サルたちは、この実験の意味を直ちに理解し、87%が販売者B を選んだ。
第二の実験はもっと難しかった。今度は、販売者Aは、最初に1切れのリンゴを見せ、次に半分の割合でさらに一切れを与えた。一方、販売者Bは、最初に2切れのリンゴを見せて、次に半分は1切れを与え、半分は取り戻した。第一の実験によって、サルたちは販売者Bと取り引きするように条件付けられていた。にもかかわらず、サルたちはすぐさま以前の態度を変えた。販売者Aに対して71%という強力な嗜好を示したのである。
第三の実験は、ボーナスとは逆に損失を表に出したシナリオだった。販売者Aは1切れのリンゴを見せてから確実にそれを渡す。一方、販売者Bは2切れのリンゴを見せるが、後では着実に1切れを取り去った。結果からみれば、どちらも1切れのリンゴしか与えなかった。にもかかわらず、サルたちは強力に販売者Aを好んだ。
数学的に言えば、2切れのリンゴがゲットできる確率は同じである。コンピューターであれば、どちらの販売者も平等と評価するであろう。けれども、時にはリンゴが取り戻されてしまう販売者Bよりも、時には追加のリンゴ1切れを後から与えてくれる寛大な販売者Aとの取り引きをサルたちは好んだ。
このデータは、まさに人間と同じく、この二つがサルにはまったく別のものとして感じられることを意味している。第二と第三の実験結果から、オマキザルも人間のように、損失に対して嫌悪感を示すことがわかる。すなわち、サルたちの意思決定は絶対的ではなく相対的なもので、損失に対する恐れがサルたちの思考を支配していたのである(4)。
■不合理な選択はサバイバルに有利だった
ボーナスとモデルと比較した損失モデルでのリスクの選好度は2.7~1だった。「この数値を見ると、時にそれがサルのものであることを忘れます(4)。オマキザルたちによって生成されたデータは、ほとんどの株式市場の投資家のそれと統計的に判別不能なのです」(1,3)とチェン准教授は言う。このリスクに対する反応は、人間の被験者を使用したものと完全に判別不能なのである(4)。
オマキザルに優れた経済感覚がある以上に、サントス教授やチェン准教授が興味を覚えたのは、人間と同じく不合理な経済行動を時には行う傾向があることだった。サントス教授は、オマキザルの行動に人間と類似性が見られることから、人間の行動が過去からの進化に起源を持つと示唆する。
「私たちが不合理な行動をするのは、クレジットカードやガソリンの値段だけではありません。もっとより深いものを私たちは別の種と共有しているのです(2)。脳内のメカニズムがなんであれ、こうしたバイアスを突き動かしているものは、オマキザルと私たちとで全く同一です。それは、こうした戦略が3500万歳であることを意味します」とサントス教授は言う(4)。
損失に対する嫌悪感にバイアスがあることも、過去からの深い起源があるとすれば、今日は不合理に見える行動も、いまとはまったく状況下で生きていた過去の先祖にとってはそれが賢明な行動であったことを意味する。例えば、損失に対する恐怖感が、変動する環境下において祖先が生きのびる助けになった可能性がある、とサントス教授は考える。例えば、たいがい10個の食べ物しかゲットできない環境で、20個が見つけられたとすれば、それはハッピーなことであろう。けれども、40個が標準的に得られる環境で、20個しかゲットできなければ、それは恐ろしいことだ。すなわち、利益と損失とを相対的に評価することが、サバイバルにとっての脅威に対して迅速な対応を可能としてきたのだ(2)。
■サルでもわかる経済学の教訓
いま、経済学は、冷たい論理よりは、感情が果たす役割の方が大きな役割を果たすとして、複雑系の科学に向けて成長している(4)。行動主義経済学の研究内容は、心理学だけでなく、神経科学や進化生物学へと重なる(1)。そして、モンキー市場の研究は、このトレンドを支持している(4)。オマキザルと人間の行動とに進化的な密接なつながりがあることは、人間の非合理で危険な経済行為が後から学習されたものであるというよりも、人間の心理に組み込まれた(hard-wired)野生であることをチェン准教授は示唆する(2,4)。
逆説の未来史56 進歩教の洗脳(7) 「UFOと核融合をつなげしもの」では、失敗したことがわかっても合理的な判断を下せず、撤退できない理由を「認知的不協和」、「コンコルド効果」、「過去の投資の心理学」、「ダブル・バインド」で説明してきたが、これは、未来のセキュリティを考えて未来のために投資するよりも、今日の損を避けるというプロスペクト理論の「損失に対する嫌悪感」からも説明できる。このことは、エコノミストも政策決定者も、通常の経済的なインセンティブでは、そうした人間の行動を変えることが困難であることを意味する(2)。
サントス教授も、人間がマネーや経済に関して本能的な欠陥を抱えていることを認めるが、楽観的な教授は、そこに肯定的な側面も見出す。
「近代経済学の問題は、私たちがホモ・エコノミカスだと想定していることにあります。私たちはそのような存在ではありません。私たちは誤りを犯します。ですから、私たちが合理的に行動すると想定してシステムを構築すれば、そこには断線がありましょう。ですが、私たちは、そうではないことを知ってはいます」
サントス教授の研究室の壁には「サルにご用心(Beware of Monkeys)」とのサインがある。
「これは、仕事に対するメッセージです。私たちは不幸に運命づけられているわけではありません。サルよりもさらに利口です。私たちは、完全に理性的ではないことを、まさに認めなければならないのです」(4)
【引用文献】
(1) Stephen J. Dubner and Steven D. Levitt, Monkey Business, New York times Magazine, June 5, 2005.
(2) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(3) Tibi Puiu, How scientists taught monkeys the concept of money. Not long after, the first prostitute monkey appeared, Jul 7, 2011.
(4) Allen St. John, What Monkeys Can Teach You About Money. September-October issue of mental_floss magazine, August 24, 2011.
(5) Amy Dockser Marcus, The Hard Science of Monkey Business, The Wall Street Journal, March 30, 2012.
カーネマンの写真はウィキペディアより