没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

ペットを救う国家

2008年10月27日 01時11分48秒 | 日記
 昨日は、長野市内で開催された第21回「全国看護講座」でキューバ医療について話をさせていただいた。とはいえ、だいたい、どこでも話をしているとワンパターンとなる。つまり、60分とか90分とか与えられた時間枠の中では、「キューバはすばらしいですよ」だけで終わってしまう。しかも、知られているようで、まだまだキューバは知られていない。

 懇親会の場では、「知らなかった。そんな国であったなんて」「キューバがうらやましくなりました」「是非、視察団を組んで現地を見てみたい」という感想を寄せていただくことになる。

 それは、教育についても同じだ。ユニセフも絶賛するモデル国であることも、まだまだ知られていない。ネットで検索すると、「キューバにおける教育と平和」という拙著の率直な読書感想が載っていた。まさに、願ったり、かなったりである。

 が、一方で、「北欧の次はキューバ礼賛が来る…かも?」というブログでは、私は「キューバ教」の宣教師的な存在となっており、「その国の不都合な実情は隠蔽するのも、北欧マンセー報道でさんざんやってきたことなわけで。まあ暑いときはキューバ礼賛、涼しくなったら北欧礼賛でしばらく左巻き連中も食っていけそうですね…」と称していただいている。

 本音を言うと、実のところ、こうした批判コメントの方が嬉しい。議論があればあるほど、より真実に肉薄できるからだ。

 だが、ここに講演の難しさがある。つまり、キューバをきちんと理解するためには、①「カストロが人民を弾圧する自由なき独裁国」→②「独裁者カストロが人民の奴隷となってまで尽くす自由なきパラダイス」→③「独裁者カストロが人民の奴隷となってまで尽くしているが、経済含め様々な問題を抱えて模索中」→④「されど、グローバリゼーションで資本主義国にも未来がなき中、あるべき未来のモデルとしてどこまで評価できるのか」という4ステップくらいを踏まなければならない。

 と、私自身は勝手に思っている。で、大学の授業ではないが、一学期くらいのスパンをいただければ、④までいけるのだが、一回の講演では、どうしても「米国が発信しているような単純な独裁国ではありませんよ」という、①のイメージを払拭するだけで終わってしまう。①~④までを一挙に話すと、「こいつはいったい何が言いたいのだ。自己矛盾しているではないか」ということになってしまう。

 だから「そうか。シッコで描かれていたようにやっぱり医療の楽園なんだ」との印象をとりあえずもっていただくことで満足していただいている。となると、これは、確信犯以外の何者でもない。

 だが、講演という性格上からして、それは仕方がないのではないだろうか。例えば、「キューバにおける社会主義の人民統治のあり方と個人の自由制約が果たす各個人のフラストレーションと民主化の今後の方向性について」等と題する大学の授業ならば、難解な話をしてもいい。

 だが、講演とは、わざわざ時間を割いてまで会場にまで足を運んで来ていただいているお客様へのサービスなのである。

 となれば、「まあ、おもろかったな」と知的好奇心を満足させるか、「ああ、こんな国もあるんだ。ちょっと元気をもらったかな」という反応をいただけなければ、講師失格ということとなる。

 さらに、あえて言えば、話を聴いてそのまま終わってしまうのではなく、「一言でも二言でも、なんだってさ」という他人に要旨を話したくなるほどのメッセージ性がなければ、それは講演としては二流なのだという。

 実は、これは先週の神戸での講演で、私の話を聞いた方からいただいた実に前向きな批判なのだ。

 そこで、キューバについて興味をもっていただいた方には、このブログやウェブサイトを通じて、より深い情報を提供していきたいと思っている。いわば、キューバ補完計画だ。

 だが、調べれば、調べるほど、この国はつくずく面白いと感じてしまう。例えば、今、興味を持って調べているのは、防災対策なのだが、他の中南米で被災者が続出している中、キューバではほとんど人災がでていない。それは、事前の避難体制がシステム化されているからだ。
ところが、ウェブサイトを読んでいるとこんな表現がでてくる。

「それ以外の場所のように、キューバでも避難は自発的だ」

 そう、独裁国家が強要しているわけではないのだ。

「それでも、政府はいくつかの革新的なサービスを提供している。ペットのためにも避難所を設けているのだ」
 そう、1100万人の人口の中で、100万人とかのオーダーで大量避難をしながらも、獣医が避難所に確保され、ペットと一緒に避難しているというのだ。

 その一方で、エル・サルバドルでは、ハリケーンによる増水でダムが決壊しそうになったため、政府はダムから放水をしたのだが、その情報を下流の集落に周知しなかったため、村人はダムの放流水の巻き添えを食って死んだ、という記事もあった。

 では、この哀れな村人を殺したのは誰か。直接の原因は、ハリケーンである。だが、様々な批判があるにせよ、地球温暖化と異常気象が二酸化炭素の増加によるものであるとするならば、まさに先進国が黒幕といえるだろう。だが、実際に手を下している真犯人は、ガバナンスもろくにできない無能な国家ということになる。

 老人、妊婦、子ども、障害者。社会的弱者を何よりも優先して避難させ、家を空けたままにしていても、革命防衛委員会と警察の働きによって盗難や空き巣に入られることもなく、ゆとりあらば、ペットすらも救う国家。それは教養水準が高き人々が住む国といっていい。

 さて、これは、ハバナのレーニン公園内にあるベジタブル・レストラン、エル・バンブで昼食をとっていた際に、私の膝元に擦り寄ってきた猫だ。実に人懐こく、外国人だといって差別しない。実は、このレストランは、オーナーが猫好きなのか、この写真を撮る前年に訪ねたときには、別の白黒がいた。
 もしかしたら、この猫もハリケーンの際には、国家防災計画に基づき、獣医のケアを受けながら、避難生活をしていたのかもしれない。そう想像すると、ふと、この猫にまたあいたくなってきた。