中大杉並高校 音楽部

中央大学杉並高校の部活動のひとつ〈音楽部〉のブログです。

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2021年 顧問やコーチはどこまで手を出すか問題

2021-08-08 15:08:34 | 

かなり以前から、このテーマで一本書いておきたいと思っていたのですが、近年埼玉方面からこの手の話題がよく聞こえるようになってきたため、このタイミングで中杉音楽部としての姿勢を今一度明確にしておきたいと思います。

埼玉から聞こえてくるのは、「顧問の先生が賞レースに必死になるあまり、部員のバンドをプロデュースし過ぎている」という声です。私も顧問の一人として、ついつい賞レースに一喜一憂してしまいますので、改めて注意喚起をされる思いです。

 

◆賞とは何か?

私がよく部員に話すテンプレを列挙してみましょう。

・音楽のプロが審査員を務めている以上、高校生が演歌をやろうがレゲエをやろうが、「良いものは良い」として評価をしてくれる。だから、「審査員と好みが合わなかったから賞が獲れなかった」というのは負け惜しみ。

・より多くの人が「良い」と思ったら、それは自ずと賞につながってくる。だから、たくさんの人に自分たちの表現したいことを伝えるために、あれこれ考えよう。(もちろん技術的な練習もね。)

・バンドのコンテストは半分は相対評価(他のグループとの比較)だけど、半分は絶対評価。「絶対的な基準」とは、演奏者当人が「やろうと思っていること・表現したいこと」を指す。他のバンドよりも優れていたとしても「やろうとしていることは分かる。でもやれていないよね。」と思われたら、評価は著しく低くなる。客(審査員)が期待したものを提供しなかったんだから、低評価でも仕方がない。だからこそ、「ウチよりも技術の低い人たちが受賞した」と不審がるのはナンセンス。技術の低い人たちが手持ちの技術の中で表現したいことをきっちり表現してれば、その方が魅力的。

・審査員がたいがい「オジサンたち」だからといって、オジサンたちに迎合してはならない。オジサンたちよりも同世代の人たちに、好きになってもらえる音楽を作ろう。だからこそ、コンテストでオジサンたちにウケなかったとしても、同世代の人たちに「良かった」と言ってもらえるなら、そのことを誇りに思おう。(※)

 

◆大人は何をするか?(中杉の場合)

当部には、かれこれ15年以上お世話になっているコーチがいます。当部のOBで、現在は街の音楽教室を経営するほか、いくつか音楽関連のビジネスを手掛けています。忙しい方なので、実際に来校していただいて指導を仰げる機会は年に10日程度でしょうか(合宿や文化祭を含む/この1年半でオンライン環境が充実し多様な指導が仰げるようになってきました)。

そのコーチと私(顧問)で長年にわたり申し合わせてきたことがあります。それは「ダメ出しはするけれど、提案はしない」です。もちろん「ダメ出し」から「提案」までの間はグラデーションであり、明確に線は引けないのですが、何かを言いたくなるとお互いに顔を見合わせて、「ここから先は『提案』になっちゃうから言わないよ。自分で考えよう!」と言うことにしています。

この夏もコーチは、「こっち(コーチ側)で提案するのは簡単。でもそれで賞を獲れても嬉しくないよ。自分たちで試行錯誤して遮二無二取り組んで、それで賞を獲れれば本当に嬉しいし、それで賞を獲れなかったら本当に悔しい。喜びも悔しさも自分たちで引き受けた方が良いよ。」という趣旨のことを話していました。ミュージシャン視点でもプロデューサー視点でもなく、あくまでこうした教育的な視点で指導に当たってくださるからこそ、コーチとは長いお付き合いになっています。

私(顧問)自身は、まともに音楽に取り組んだことの無い人間です。とはいえ20年近く顧問をしてきて色んなものを見聞きしてきましたので、部員のバンドをプロデュースしたくもなります。それはとても楽しいことです。音楽を生業(なりわい)にしているコーチであれば、なおさらです。きっと私が思いもつかない楽しいアイディアをたくさん持っているはずです。でも、常にその楽しそうなアイディアを飲み込んでもらっています。だって、目の前の高校生が大人になるために必要なことは、「誰かにプロデュースをしてもらうこと」ではなく「自分で自分のことをプロデュースできるようになること」ですから。

「提案はせずダメ出しはする」というのは、本当に難しいものです。例えば、一般的なコード進行のセオリーに従わないコード進行の音楽を生徒が作ってきたときに、「セオリー通りではないから気持ちよく聞けないよ」というのは我々にとって「ダメ出し」です。「そのメロディーだったら、こういうコード進行にしてみたら?ここにⅡⅤ進行を挟んで…」みたいな話になったら「提案」です。でも、「T-S-D-Tっていうのがあって、あなたの作ったコード進行の場合はこのDにあたる部分が…」という話になったらどうでしょうか。「セオリー通りではない」という「ダメ出し」であり、同時に「セオリー通りにやれ」という「提案」でもあります。もちろん、そうした「提案」にならないように「音楽に正解はない。だからその表現が狙ってやっているものなら、それでやれば良い。でもワケも分からずに自分たちでも『何か変だな』と思っているのだとしたら、一般的なセオリーはこうである」と言う言い方を心がけています(コーチの話です。顧問は一般的なセオリーもあまり分かっていません。)

ここら辺は本当に「匙加減」なんですが、ともかく常に「生徒がコーチ(その他大人)のアイディアを丸パクリしないようにする」ということを心がけている、ということです。

――と書くと、節度ある指導をしているようにも聞こえますが、きっと専門的な知識のない顧問の先生にしてみたら「『セオリー通りのコード進行ではない』という指摘ができるかどうかは大きな違いだし、ある種の『提案』でしょ?」とおっしゃると思います。その通りだと思います。だからこそ、「何のための部活動であり、何のための指導なのか?」は指導者の側で見失わないようにすべきです。

先に私は「出来るだけ自分たちの力で取り組んで、嬉しさも悔しさも自分で引き受けろ」というコーチの言葉を紹介しました。これもまた絶対的な基準にはなり得ません。本校の生徒は家庭環境の面でも経済的にも(相対的に)恵まれている人が多い。そういう人たちにドーピングを施してまで成功体験を与える意味はありません。

その一方で、学校によっては成功体験とそれに伴う自己肯定感に乏しい生徒が多く通っているところもあるでしょう。そうした子どもたちに必要なことは、成功体験を与え自己肯定感を高めてやることです。そのためのドーピングであれば、外野が口を差し挟むことではない。要はそうした教育的な信念があるかどうかであり、信念もなくただ顧問が賞レースに躍起になっているのであれば、それは批判されても仕方のないことです。

(ちなみに、音源制作の点でも、本校は極力大人が手を貸さないようにし、また大人の手を借りないように呼び掛けています。そもそも顧問はレコーディングやDAWについては、極めて断片的な知識を持っているにとどまりますし、自分で手掛けたこともありません。たまに、顧問の知らないうちに近隣の「レコーディングお兄さん」に頼んで音質の良い音源を作ってもらっていることがありますが、顧問としては推奨していませんし良いことだとも思っていません。「自分たちでレコーディングし、自分たちでミックスする」というのが基本姿勢です。機材を揃えたり、必要な知識が得られるYouTube動画を紹介したりと、「レコーディング環境を整える」という点では、顧問はそれなりに世話を焼いています。)

 

◆プロデュースを超えて

つい先日も他校の先生と意見の一致を見たことですが、教員が生徒をプロデュースすること(そしてコンテストで賞を獲ること)以上にワクワクすることがあります。——それは、生徒たちが教員の思いもよらない音楽やステージングを自らプロデュースすることです。

当たり前のことですが、教員がプロデュースするということは教員のアイディアの範囲に収まるしかありません。しかし、我々のアイディアなんかを遥かに飛び越えて「そんなやり方があったか!」と舌を巻くような場面に遭遇すると本当にワクワクするものです。

残念ながら、そういう機会は多くありません。体感では3年に一度くらいでしょうか。理由はわかりませんが、近年はもっと減っているかもしれません。本校の生徒は、将来的に与えられたことをただ粛々とこなすのではなく、現状に対して常に問題意識・課題意識を持ち、知恵と工夫でブレイクスルーしていける人物になってほしいと思っています。そういう意味でも常に新しい挑戦をし続けてもらいたいものです。

——そういう点においては、私(顧問)は、バンドや楽曲・ステージングのプロデュースはしないようにしているものの、「部活全体のプロデュース」についてはあれこれやっているように思います。ここら辺はまだ考えが明確にまとまっていませんので、いつかまた書いてみたいと思います。

 

※どのような聞き手をターゲットとして音楽に取り組むのか?ということについては、以前怒りに任せて詳細に書きました


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