エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 西本願寺、永代供養、イチョウ、そして芥川龍之介の“鼻”

2016年12月04日 | 雑感

西本願寺に行った。 

母がこの2月に亡くなって西本願寺派の寺で供養してもらって以来、よくここに来る。

今回行ったのは退屈しのぎと興味本位。興味本位とは永代供養について知りたいからだ。

 

三十数年前に父が亡くなったときに、ある墓地に墓をつくった。今となっては迷惑なことだが、長男である私が建てたということになっている。私が金をだしたのではない、母だが、建立者として私の名前が刻まれている。


日常生活者としては酒飲みで結構厄介な夫だったが、ちゃんと給料は持って帰ってきて、そのために100歳まで生きた母の生活は何不自由なく支えられた。

しかし、厄介な亭主を無事送り出して昂揚した気分になっていた母は、父のきょうだいに対抗する思いもあったのだろう、父の出身地の寒村にある一族のぼろぼろの墓地にも分骨をした。

その時はなんとも思わなかったが、これが長男である私にとって将来どう降りかかってくるのか考えると恐ろしい思いがする。 墓地には59人のご先祖様が半数以上土葬で眠っている。 そして父は因習の古い地方での長男だった。

 

私がいつ彼岸に行ってもおかしくないこの歳になってくると、墓が気になってきた。

あるとき、超有名寺でものすごい数の墓に張り紙がついていたのを見たことがある。 運動会の景気づけビラのような景観で、それらは無縁仏の墓の撤去通知だった。


墓の維持・始末は大変だ。

だから私にとって永代供養は結構現実味がある話だ。

 

受付に居た若いお坊さんに説明してもらった。

いくつか種類があって、受付の隅に仏壇の見本が二つあった。 それらはロッカー型のものだが、最低で100万円、それより少し大きいのは150万以上、それ以外に600万円以上というものもあるそうだ。 年間の維持・冥加金は2000円から8000円くらいまで。

まあ、しかし、私はロッカーにもほかの箱(仏壇)にも入りたくない。 お坊さんにお経をあげてもらっても成仏できるとも思わない。

私としては、皆と一緒に東山霊園の古墳のようなところに入れてもらえればいい。 あれなら子供たちも、ここにお父さんがいる、と手を合わせることができる。

家内は“それではペット霊園みたいだ”と云うが、土に戻してもらうには古墳型が一番いい。

もっとも家内は“あなたの骨は全部市に寄付をしてあげる、持って帰るなら一片だけ”と冗談めかしていつも云っている。 つまるところ彼女はお坊さんのお経無用論だ。


つけくわえるが、西本願寺でも東本願寺でも永代供養されるためには、浄土真宗者だというお寺さんの証明がいるらしい。 父の代よりの三十数年来のお寺さんと関係を絶つのは気まずいことで、なかなかややこしい話ではある。

 

説明を聞き終わって外に出た。みごとなイチョウの大木が3本ある。ふと芥川龍之介の“鼻”の禅智内供を思い出した。

                  

あまりにも有名な短編だが、細かいところを忘れていたのでこの文を書くにあたって読み直した。

だらりと垂れさがった長い鼻をもつ禅智内供は、なにくわぬ顔をしながらも長い鼻を非常に苦慮していた。周りの人間はその鼻のことを陰でわらっている。

ところがある方法でその長い鼻を短くすることができた。内供は最初非常に喜んだが、そのうち周りの人間の彼に対する態度の変化に気がついた。

以前は陰でこそこそ笑っていたのが、“つけつけ”とわらうようになった。不幸な人間には人は同情するが、その人間が不幸から脱却すると物足りなくなって、もう一度彼の不幸を見たいという、龍之介が云う “傍観者の利己主義” がでる。

内供はだんだんと不機嫌になり、行動が粗暴になる、前の鼻にもどりたい、と切に思う。


ある朝早く内供が目をさまして庭に出ると、一晩のうちにイチョウが葉をおとし、境内は黄金(きん)を敷いたように明るい。

そしてふと気が付くと鼻が元通りにだらんと長く垂れ下がっている。

そのとき彼は、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちがどこからともなく帰ってくるのを感じる。

“こうなればもう誰も嗤うものはいないにちがいない。”

 

西本願寺、永代供養、イチョウ、そして芥川龍之介の“鼻”、 人間のエゴ、と私の連想が次々と浮かんできた一日だった。