2016年11月7日
今日はぽかぽか暖かくよい天気だったので、いつものように高野川から鴨川、そして四條まで散歩した。
比叡山がきれいだ。カモ、シギなどが川の中であたかも遊んでいるかのように生活の糧を求めている。
鴨川でオジイサンがチョウチョ網で水たまりを引っ掻き回している。なにをしているのかのぞいてみたら小さな魚をとっていた。
オジイサンというが、私と同じくらいか若干年下だ。
“メダカですね”というと、“メダカに見えるがそうではない。水槽でメダカを飼っていて、それと一緒にこの小魚を入れるために獲っている"という。
メダカは眼が出っ張っているとオジイサンは言う。
そうか、メダカは眼がでているからメダカと云うんだ、と納得したが、帰ってネットで調べたら、メダカの眼がとびだすのは病気で、名前の由来は目の位置が高いから目高というそうだ。
“メダカは丈夫だけど、この魚は弱くてすぐに死にます。だからときどきこうやって獲りにくるのです”とオジイサンは言う。
“一日遊べますね”というと、“いや、退屈します”
オジイサンは魚とりが趣味ではなくて、あくまでもメダカ水槽を充実させるのが趣味だから、やむなく網をふりまわしているだけらしい。
“有難うございました頑張ってください”と云って散歩をつづける。
お年寄りたちがペタンクをして遊んでいる。
ベンチで昼寝しているお年寄り、思索にふけっているお年寄り、 体操しながら散歩している年寄りは私だ。
四條に到達、まず“カツオの塩辛”を求めて高島屋の地下に行く。カツオの塩辛を使った焼き飯がおいしいと聞いて探したが、そこらのスーパーでは売っていない。
ところが高島屋にもなかったので三条の明治屋に行こうということになった。
明治屋に行く途中、六曜社に立ち寄る。
ここは昔は芸術家気取り、文学かぶれの若者のたまり場だった。私はなににもかぶれていないが、絵にかぶれた友達とよくここに来た。
それにしても、六曜社も頑固な年寄で、まったく時がとまっているような場所だ。
内装は昔と同じ、テーブルにはいまはほとんど見られない灰皿とマッチが置いてある。出てくるコーヒーは角砂糖つき、今の私には歯が立ちにくいほど固いドーナツ、そして飲み水が少なくなるとすぐに女の子がつぎたしてくれるやり方、すべて変わらない。
六曜社を出て、明治屋に行ったが、ここにもカツオの塩辛はない。明治屋は昔の明治屋ではなかった。どこにでもあるスーパーにちかい。
もう“カツオの塩辛仕込みのチャーハンはあきらめた。ネットで取り寄せるほどのことでもない。
ということで、家内との年寄り二人の散歩は終わり。7キロほどの行程だった。
これで、今日の1日は終わり。