昨日、ジャカルタ市内のBali Cafeというインドネシア料理屋に行きサテーを頼んだら、例のサテー台に乗って出てきました。バリで買ったのとはほとんど同じデザイン。でも、こっちのほうが出来がよさそう。!
2006年4月8日〜7月9日で17ラウンド。
平均スコアー97.3。バーディー5個。
1ヶ月に5回のペースなのでこのままいけば年間60ラウンドのペースでタイ時代とほぼ一緒。
まあ、こんなもんでしょう。
それにしても進歩がないな~。
ちなみに、過去タイ時代に残していたデータは以下のような内容でした。
2000年57ラウンド平均スコアー99.1バーディー10個イーグル1個
2001年58ラウンド平均スコアー97.1バーディー13個
平均スコアー97.3。バーディー5個。
1ヶ月に5回のペースなのでこのままいけば年間60ラウンドのペースでタイ時代とほぼ一緒。
まあ、こんなもんでしょう。
それにしても進歩がないな~。

ちなみに、過去タイ時代に残していたデータは以下のような内容でした。
2000年57ラウンド平均スコアー99.1バーディー10個イーグル1個
2001年58ラウンド平均スコアー97.1バーディー13個
インドネシアバージョンのスターバックス・タンブラーです。
娘が集めていてリクエストされたので購入しました。
ここジャカルタにはスターバックスは結構あちらこちらにあります。値段はこちらの物価からいったらかなり高く、コーヒー一杯の値段が普段私がお昼に食べている日本食と同じくらいです。メスの近くのショッピングセンターにありますが、2回しか行ってません。お客もそんなにいませんがつぶれないところをみると、かなり利益率は高いのでしょう。


全然関係ないけれど、先日バリ島で買ったサテーを乗せる器。
レストランでサテーを注文したときに、中に炭が入っていて、上にサテーが乗って出てきました。ちょっと面白かったので、店の人に売ってくれと言ったら、これは売れないけれど、買ってきてくれると言うのでお願いしました。
娘が集めていてリクエストされたので購入しました。
ここジャカルタにはスターバックスは結構あちらこちらにあります。値段はこちらの物価からいったらかなり高く、コーヒー一杯の値段が普段私がお昼に食べている日本食と同じくらいです。メスの近くのショッピングセンターにありますが、2回しか行ってません。お客もそんなにいませんがつぶれないところをみると、かなり利益率は高いのでしょう。


全然関係ないけれど、先日バリ島で買ったサテーを乗せる器。
レストランでサテーを注文したときに、中に炭が入っていて、上にサテーが乗って出てきました。ちょっと面白かったので、店の人に売ってくれと言ったら、これは売れないけれど、買ってきてくれると言うのでお願いしました。

都会の日本では、最近ほんど使わなくなったスプレー式殺虫剤。
タイでの生活では殆ど悩ませられなかったが、ここジャカルタでは毎晩のように太古から生き延びている憎き奴に悩まされている。こちらの奴がすばしっこいのか、歳をとって目が悪くなったのか、一瞬視界の中に捕らえて追いかけるのだが、ふっと視界から消えてしまう。
そこで、しかたなくスパーで見つけたのが、この強力2連射式殺虫剤。
寝る前に、部屋の中に吹きまくり強烈な匂いの中で眠りにつく毎日。
ところが、この殺虫剤、2連射式というだけあってどうも直接やつに命中しない限り駄目なようで、昨晩も右手3か所、左手2か所から物の見事に我が血液を抜き取られてしまった。
タイでの生活では殆ど悩ませられなかったが、ここジャカルタでは毎晩のように太古から生き延びている憎き奴に悩まされている。こちらの奴がすばしっこいのか、歳をとって目が悪くなったのか、一瞬視界の中に捕らえて追いかけるのだが、ふっと視界から消えてしまう。
そこで、しかたなくスパーで見つけたのが、この強力2連射式殺虫剤。
寝る前に、部屋の中に吹きまくり強烈な匂いの中で眠りにつく毎日。
ところが、この殺虫剤、2連射式というだけあってどうも直接やつに命中しない限り駄目なようで、昨晩も右手3か所、左手2か所から物の見事に我が血液を抜き取られてしまった。
先日、こちらの早慶対抗ゴルフコンペに参加しました。
パームヒルというゴルフ場でとても景色の良いゴルフ場だったので写真を公開します。
バンコク時代も早慶対抗ゴルフコンペに参加していたのですが、バンコクでは連戦連敗でしたが、こちらでは連戦連勝のようです。先日も我が大学が圧倒的な大差で勝利しました。上位10名のグロス平均と各ホールでバーディーがあるとパイナス1打で計算します。残念ながら94というスコアでは勝利に貢献はできませんでした。
パームヒルというゴルフ場でとても景色の良いゴルフ場だったので写真を公開します。
バンコク時代も早慶対抗ゴルフコンペに参加していたのですが、バンコクでは連戦連敗でしたが、こちらでは連戦連勝のようです。先日も我が大学が圧倒的な大差で勝利しました。上位10名のグロス平均と各ホールでバーディーがあるとパイナス1打で計算します。残念ながら94というスコアでは勝利に貢献はできませんでした。
5月24日〜28日にかけて4連休があり、バリ島で初めてのダイビングへ行ってきました。昨年6月に親友が手掛けているダイビングリゾートのあるセブで潜って以来、約1年ぶりのダイブ。プーケットとは違いバリは年間を通してダイビングを楽しめる場所である。ポイントもかなりあり、全部を制覇するには相当通わなくてはいけなさそうです。
今回は初日にトランベンというところの沈船ダイブで3本。ここの沈船は第二次大戦中にアメリカのリバティー号というアメリカの商船を日本軍の潜水艦が沈めたもので、ビーチから数十メートルのところで深さも10m〜30mとチェックダイブにはもってこいのポイントです。船内に潜ると便所の便器や壁にかかった絵などがかなりリアルに残っていて、映画「タイタニック」を思い出しました。

これはジュクンと呼ばれる2〜3人乗りの超細長の木製ボート。これで長くて20分くらいポイントまでいき、エントリーする。

こんなかんじでポイントまで移動する。同僚のMさんと。
2日目はアメッドというポイントで2本。あまり印象に残っていません。
夜はパタンバイというところでナイトダイブ。潜ったとたん、サメが数匹出現してド肝を抜かれたけれど、後は甲殻類やブダイの寝顔を眺めて無事終了。
4日目は最後でもあり、テペゴンとミンパンというところで2本。ここはかなりサージがありきついダイブだったけれど、地形が面白くトンネルもあり、最後のトンネルを抜けてドロップにでるのは結構楽しめました。
締めは、ナイトで潜ったパタンバイで2本。ここでは20cmぐらいある真っ黒なイザリウオが印象的でした。


今回利用したチャンディダサにあるDiveliteというショップ。チャンディダサはバリ島の色々なポイントへいくのには一番便利な場所です。オーナー兼インストラクー兼ガイドの高橋さんにはお世話になりました。


宿はショップまで歩いて5分の一泊約1200円ぐらいのバンガローリゾート。安い割には居心地のいい宿でした。

ダイビングが終わり宿でシャワーを浴びた後、夕暮れ時の南国の風に吹かれて波の音を聞きながら飲むビールの何と旨いこと。僕の場合これのためにダイビングをしているような気もしないではない。

ダイビングポイントへ行く途中、バリ島のライステラス風景。
今回は初日にトランベンというところの沈船ダイブで3本。ここの沈船は第二次大戦中にアメリカのリバティー号というアメリカの商船を日本軍の潜水艦が沈めたもので、ビーチから数十メートルのところで深さも10m〜30mとチェックダイブにはもってこいのポイントです。船内に潜ると便所の便器や壁にかかった絵などがかなりリアルに残っていて、映画「タイタニック」を思い出しました。

これはジュクンと呼ばれる2〜3人乗りの超細長の木製ボート。これで長くて20分くらいポイントまでいき、エントリーする。

こんなかんじでポイントまで移動する。同僚のMさんと。
2日目はアメッドというポイントで2本。あまり印象に残っていません。
夜はパタンバイというところでナイトダイブ。潜ったとたん、サメが数匹出現してド肝を抜かれたけれど、後は甲殻類やブダイの寝顔を眺めて無事終了。
4日目は最後でもあり、テペゴンとミンパンというところで2本。ここはかなりサージがありきついダイブだったけれど、地形が面白くトンネルもあり、最後のトンネルを抜けてドロップにでるのは結構楽しめました。
締めは、ナイトで潜ったパタンバイで2本。ここでは20cmぐらいある真っ黒なイザリウオが印象的でした。


今回利用したチャンディダサにあるDiveliteというショップ。チャンディダサはバリ島の色々なポイントへいくのには一番便利な場所です。オーナー兼インストラクー兼ガイドの高橋さんにはお世話になりました。


宿はショップまで歩いて5分の一泊約1200円ぐらいのバンガローリゾート。安い割には居心地のいい宿でした。

ダイビングが終わり宿でシャワーを浴びた後、夕暮れ時の南国の風に吹かれて波の音を聞きながら飲むビールの何と旨いこと。僕の場合これのためにダイビングをしているような気もしないではない。

ダイビングポイントへ行く途中、バリ島のライステラス風景。
今日、ワークパミットの手続きでイミグレーションに連れて行かれ、全部の指の指紋をとられた。指紋採取用のでっかいスタンプ台に指をつかまれながら、インクをつけられ指をもたれたまま書類にべたべたと押し付けられ、何だか犯罪者になった気分。
その後、書類の一部に親の名前や生年月日を書く欄があり、小さい字で「Father's name」とあるのを「Family name」と間違えたのを指摘され、どきまぎしたためか、親の生年月日の西暦を手帳の早見表で大正を昭和と読み違え、インドネシアの書類では親父が18歳、お袋が13歳の時の子供になてしまった。
まあ、問題ないでしょう!
今回は写真が無くて申し訳ありません。
その後、書類の一部に親の名前や生年月日を書く欄があり、小さい字で「Father's name」とあるのを「Family name」と間違えたのを指摘され、どきまぎしたためか、親の生年月日の西暦を手帳の早見表で大正を昭和と読み違え、インドネシアの書類では親父が18歳、お袋が13歳の時の子供になてしまった。
まあ、問題ないでしょう!
今回は写真が無くて申し訳ありません。
今週は、ジャカルタからビザの切り替えを兼ねてシンガポールで一泊、ジャカルタの東800km程のインドネシア第2の都市であるスラバヤで一泊という強行軍。
朝3時半起きでスカルノハッタ空港へ。15年程前にタイから正月休みでバリへ行ったときを思い出す。そう、あれは忘れもしないこのスカルノハッタ空港で6時間程を過ごしたのだ。折角、インドネシアへ行くのだからと、ジャカルタ経由だった事を利用して、わざわざジャカルタで市内観光ぐらいできる時間で、フライトを調整したのだ。ところが、うっかりしてバリ島のデンパサール空港で出国手続きをしてしまい、それに全然気付かずにジャカルタで出ようとしたら、イミグレーションであなた方はデンパサールで既に出国してしまったので、再入国はできないと断られ、このスカルノハッタ空港で家族4人、6時間あまりを過ごしたのでした。

そう、忘れもしないこのウェイティングスペース。


改修されたシンガポールのチャンギ空港

オチャード通り

こ洒落たカフェレストランとその隣のモニュメント
インドネシアから来ると、シンガポールは天国のような気がする。ジャカルタではまず、安全に歩ける道路が殆どなく、所どころの歩道も狭く途中で無くなっていたり、歩道の真ん中に木が植わってたり。横断歩道や歩行者用の信号など皆無。
でも、シンガポールは明るい北朝鮮と言われる事もある。

シンガポールから約2時間半のフライトでスラバヤへ。
インターナショナル空港で、且つインドネシアのあちこちの都市へのフライトもあり、かなり混雑している。現在、ターミナルビルを建設中で殆ど出来上がっているらしい。でも、アクセスする道路ができていないとか・・・・。
朝3時半起きでスカルノハッタ空港へ。15年程前にタイから正月休みでバリへ行ったときを思い出す。そう、あれは忘れもしないこのスカルノハッタ空港で6時間程を過ごしたのだ。折角、インドネシアへ行くのだからと、ジャカルタ経由だった事を利用して、わざわざジャカルタで市内観光ぐらいできる時間で、フライトを調整したのだ。ところが、うっかりしてバリ島のデンパサール空港で出国手続きをしてしまい、それに全然気付かずにジャカルタで出ようとしたら、イミグレーションであなた方はデンパサールで既に出国してしまったので、再入国はできないと断られ、このスカルノハッタ空港で家族4人、6時間あまりを過ごしたのでした。

そう、忘れもしないこのウェイティングスペース。


改修されたシンガポールのチャンギ空港

オチャード通り

こ洒落たカフェレストランとその隣のモニュメント
インドネシアから来ると、シンガポールは天国のような気がする。ジャカルタではまず、安全に歩ける道路が殆どなく、所どころの歩道も狭く途中で無くなっていたり、歩道の真ん中に木が植わってたり。横断歩道や歩行者用の信号など皆無。
でも、シンガポールは明るい北朝鮮と言われる事もある。

シンガポールから約2時間半のフライトでスラバヤへ。
インターナショナル空港で、且つインドネシアのあちこちの都市へのフライトもあり、かなり混雑している。現在、ターミナルビルを建設中で殆ど出来上がっているらしい。でも、アクセスする道路ができていないとか・・・・。
私の海外勤務の原点となったスマトラ島へ26年ぶりに渡ることとなった。1980年にスマトラ島のメダンに2週間の予定が2か月というよくある話で28歳で、初めての海外出張したのが私の仕事上での海外経験の初体験。当時、結婚1年目で妻が長男を出産して直ぐのことでした。
メダンという都市はスマトラ島で一番の都市でそこから車で4時間くらいの所にメスと言われる宿舎で生活し、現場はメスから更に1時間ぐらいだったと記憶している。当時の記憶は今でも鮮明に覚えていて、インドネシアの緑に圧倒されたことが忘れられない印象である。今回、改めてスマトラ島に渡り当時の記憶が何とも言えない郷愁とともに蘇って来た。
今回はスマトラ島とは言っても一番東端のランプンという都市の近郊に建設中の火力発電所の現場への視察でした。
ジャカルタから高速道路で約2時間のムラックというジャワ島西端の港からフェリーに乗って約2時間、スマトラ島東端のバカウフニという港に着き、そこから車で更に約2時間のランプンという都市のチョット手前のタラハンという現場に、朝5時半にジャカルタのアパートを出てお昼前に着きました。

ムラックのフェリー乗り場

フェリーで車を駐車するところ

フェリーの中では船によってVIPルームがありエグゼクティブな気分で2時間の船旅を楽しめると聞いていたが、船の中のどこを探してもそれらしき所はなく、どうやら一番運の悪いフェリーに乗ったらしい。とは言っても一応エアコンの効いているエコノミーの席について、ひと段落。ウトウトしていたら、帽子をかぶった2人が前に出て、何やら大きなインドネシア語で語り始めた。これは乗客に船の説明をしている従業員かと思っていたら、どうも様子が違う。そのうち何やら袋から液体入りの瓶を、後生大事に取り出して説明し始めて、何となくやっと事情が飲み込めて来ました。その後、子供用のお菓子や、本などを売るお兄さんが、前に出て同じように説明していました。皆、何を言っているかは判らなかったけれど、いかにも滑らかに口上を述べていると言う感じで、日本で言えば「がまの油売り」といったところでしょうか。

バカウフニというスマトラ側の港の丘の上に建つ展望台?

このプロジェクトは石炭火力発電所を日本の円借款で、インドネシアの国営電力会社から発注されたプロジェクトの建築工事の一部を下請けとして請け負っている仕事である。

ランプンにあるシェラトンホテルに宿泊。
結構、こんな所にリゾートぽいホテルがあるものです。でも、あまり宿泊者はいないようです。

帰りは一応VIPルーム付きフェリーでしたが、こんな雰囲気でした。
メダンという都市はスマトラ島で一番の都市でそこから車で4時間くらいの所にメスと言われる宿舎で生活し、現場はメスから更に1時間ぐらいだったと記憶している。当時の記憶は今でも鮮明に覚えていて、インドネシアの緑に圧倒されたことが忘れられない印象である。今回、改めてスマトラ島に渡り当時の記憶が何とも言えない郷愁とともに蘇って来た。
今回はスマトラ島とは言っても一番東端のランプンという都市の近郊に建設中の火力発電所の現場への視察でした。
ジャカルタから高速道路で約2時間のムラックというジャワ島西端の港からフェリーに乗って約2時間、スマトラ島東端のバカウフニという港に着き、そこから車で更に約2時間のランプンという都市のチョット手前のタラハンという現場に、朝5時半にジャカルタのアパートを出てお昼前に着きました。

ムラックのフェリー乗り場

フェリーで車を駐車するところ

フェリーの中では船によってVIPルームがありエグゼクティブな気分で2時間の船旅を楽しめると聞いていたが、船の中のどこを探してもそれらしき所はなく、どうやら一番運の悪いフェリーに乗ったらしい。とは言っても一応エアコンの効いているエコノミーの席について、ひと段落。ウトウトしていたら、帽子をかぶった2人が前に出て、何やら大きなインドネシア語で語り始めた。これは乗客に船の説明をしている従業員かと思っていたら、どうも様子が違う。そのうち何やら袋から液体入りの瓶を、後生大事に取り出して説明し始めて、何となくやっと事情が飲み込めて来ました。その後、子供用のお菓子や、本などを売るお兄さんが、前に出て同じように説明していました。皆、何を言っているかは判らなかったけれど、いかにも滑らかに口上を述べていると言う感じで、日本で言えば「がまの油売り」といったところでしょうか。

バカウフニというスマトラ側の港の丘の上に建つ展望台?

このプロジェクトは石炭火力発電所を日本の円借款で、インドネシアの国営電力会社から発注されたプロジェクトの建築工事の一部を下請けとして請け負っている仕事である。

ランプンにあるシェラトンホテルに宿泊。
結構、こんな所にリゾートぽいホテルがあるものです。でも、あまり宿泊者はいないようです。

帰りは一応VIPルーム付きフェリーでしたが、こんな雰囲気でした。