モロッコ旅行

2020年01月04日 | フリーランサー通信

成田からドバイ経由で飛行時間約20時間でハンフリー・ボガート主演映画で有名なカサブランカに到着。

初アフリカ大陸上陸!

 

まずは大西洋に面したハッサン2世モスクへ。ハッサン2世は現国王ムハンマド6世の父である。

国内最大級のモスクで全長200メートルもの高さを誇るミナレット(尖塔)を擁し、2015年には映画「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」のロケ地として注目された。

 

その後、首都であるラバトへ。

フランスから独立を勝ち取ったムハンマド5世を祀った霊廟に夕刻到着し、ラバトでやっと宿泊。


翌日は青の街シャウエンを経由して

 

迷宮都市フェズへ。

フェズはモロッコの北東部に位置し、モロッコの文化的中心地で壁で囲まれた旧市街フェズ エル バリで知られている。この旧市街は旧世界の雰囲気が漂っている。また、職人の街としても知られ、なめし革、陶器、ブロンズ細工、織物など様々な職人がいる。


フェズで2泊して、一路南へ。

途中、アフリカとは思えない針葉樹林に囲まれた中部アトラス山脈にある標高1,665 mのイフレンを経由。

 

中部アトラス山脈と高アトラス山脈の間の高原にあるミデルトで一泊してから、サハラ砂漠の玄関口であるエルフードへ。

夜が明ける前にホテルを出発して、ランドクルーザーに乗ってサハラ砂漠へ。

 

砂漠から帰って朝食後、

トドラ渓谷を経て映画の街ワルザザードへ。

ラルザザードは砂漠の雄大な光景が広がっているため、映画のロケ地としてよく使われる街である。「アラビアのローレンス」「スターウォーズ」「007」「ハンナプトラ」「グラディエーター」などのロケが行われ、この町の人は大半が映画関係で生計を立ててるといわれている。


ワルザザードで一泊して

途中カスバ街道にあるアイット・ベン・ハドゥ。


そして最後の街マラケシュ。

 

ジャマ・エル・フナ広場


Queen Super Fireworks~夜空のラプソディー〜

2019年11月20日 | フリーランサー通信

私が大学生の頃にデビューし、日本では1975年に初来日してブームになったQueen。この頃は、まるで興味もなかく彼等の曲も殆ど聴いたことがなかった。その後、1991年の11月にフレディー・マーキュリーがAIDSで亡くなったという記事を読んだ記憶がある。多分この頃だと思うが、テレビでF.M.のドキュメンタリー番組をたまたま観て感動し、「ボヘミア・ラプソディ」に衝撃を受け、それ以来大好きなバンドのひとつになった。

そんな訳で、東京湾・浦安芸術花火特別企画を観てきました。この企画はQueen公認で大阪、宮崎、浦安と世界初で日本の三会場のみでの開催。27,000人の観客を集め13,000発の花火がQueenの曲に合わせて打ち上げられました。

目の前で繰り広げられる芸術花火とQueenの楽曲のマッチングは最高でした。フレディ・マーキュリーも天国で喜んでいる事でしょう。

  

未体験ゾーンへの挑戦

2019年11月05日 | フリーランサー通信

リタイアして1年半が過ぎ、体重が約7kgも増え腹まわりもキツくなり、鏡に映る自分の姿にガッカリする今日このごろです。

45歳頃から走ることを覚え、10kmやハーフのマラソンイベントに何回となく参加していたのだが、最近は走るのが苦しくなり、数年前からは水泳にシフトしている。リタイア後はほぼ週イチのペースで2kmを1時間と、人並みに運動しているつんりだが、体重は、、。

そんな訳で、簡単な気持ちで応募してしまったのです。

 

2019年11月2日午前9時小田原城をスタート。

私のスタートCグループで9時15分頃だった気がする。

 

 

 

スタートしてから酒匂川を渡り東海道(国道1号線)を、国府津、二宮、大磯と一路平塚へ。23km地点で第1エイドステーション(平塚競輪場)には14時前に到着して、ミカン2個と蒲鉾一切れが支給され、「何?こんなもんだけ?」という感じ。

10分ほど休憩した後、海岸線に出て海沿いの遊歩道を歩く。

 

ここから先は天気にも恵まれて最高に気持ちの良いウォーキングが堪能でき江ノ島を目指して36km地点の第一チェックポイント(湘南海岸公園 クラゲ広場)に関門時間の1時間半前に到着。過去に世界最長ハーフマラソンで走った27.6kmを超え、未体験ゾーンに突入するもまだまだいけると行った感じ。

 

湘南海岸ではこんな夕日が見れました。

 

 

ここから日も落ち、ヘッドランプを灯しながら藤沢を経て、遊行寺の坂を登り47km地点の第2エイドステーション(戸塚十ノ区あじさい公園)を目指す。途中から足が痛くなり、暗い中を景色もイマイチで苦痛を感じ始めペースがダウンするが気力を振り絞って到着。

長く休憩すると足が痛くて歩くのが辛くなるため、休憩も程々に関門時間1時間前には次の55km地点の第2チェックポイント(横浜市児童遊園地)を目指す。22時くらいに到着するとリタイアする人向けで近くの駅までのバスが出るというアナウンス。一瞬、もうあきらめてリタイアすることも頭をよぎったがグッと我慢して歩き出す。

そして、その後は痛みに堪えてただただ惰性で歩くのみ。横浜では真夜中に港みらいの夜景が美しかったくらいしか覚えていない。この頃はもう電車もなくリタイアするわけにもいかない。71km地点の第3エイドステーション(ポートサイド公園)、81km地点の第4エイドステーション(稲毛神社)と経由して、意識朦朧としながら89km地点の第3チェックポイント(鈴ヶ森道路児童公園)に到着。この時点ではまだ関門時間の8時時15分より前だったのでゴールは制限時間ギリギリでなんとか間に合うとふんでいた。

 

品川を過ぎたあたりから見慣れたビル群を見て、距離感を想像した限りでは制限時間内に到着できると確信。
しかし日比谷あたりで距離調整のために大きく迂回するコースになっていて、一気に精神的ダメージ。
決まりでは走ってはいけない事になっているのだが、銀座辺から一緒に歩いていた人達も焦り出して皆さん小走りに。こちらはとても走れるような状況ではなく、この時点で制限時間内を諦めました。
 
そして、何とか100kmウォークの偉業を達成!!
 
 
 
 
 
制限時間を11分オーバーするも結果的にはフィニッシャーズTシャツや諸々の賞品はいだだけ、焦って走った人達はくたびれ儲け。
 
 
私は途中での休憩時間などを考慮するとほぼ時速4kmで歩いた事になる。
因みに、聞いたところでは1番の人は出発した当日の夜にはゴールして電車で帰ったそうです。きっと競歩をする人でしょう。
 
結論としては、無謀な挑戦でした。手はパンパンにむくみ、脚は棒のようになり、今日は歩くのもやっとです。

ダン・ブラウン作『オリジン』の中のガウディー建築

2019年10月03日 | フリーランサー通信

昨年の11月にスペイン旅行して念願のガウディー建築を見てきたのだが、最近ダン・ブラウンの「オリジン」を読んで作中にガウディーと彼の建築に関する記述が出てきて、とても興味深く読むことができた。「ダ・ビンチ・コード」を初めて読んでからファンになり彼の作品を読んだり、映画化されると必ず観に行っていた。

因みに、彼の作品を列挙すると

『オリジン』はスペインを舞台にした主人公ロバート・ラングドンシリーズで、『天使と悪魔』、『ダ・ヴィンチ・コード』、『ロスト・シンボル』、『 インフェルノ』に続く第5作目である。

現在ではまだ夢のような人工知能を開発しコンピューター科学で見事な才能を発揮し、〝預言者〟と呼ばれるエドモンド・カーシュなる人物がビルバオのフランク・O・ゲーリー設計のグッゲンハイム美術館で世界に向けてプレゼンテーションをおこなう。ラングドンはここで暗殺されたカーシュのスマートフォンのパスワード探しに、美術館長でもありスペイン皇太子の婚約者のアンブラ・ビルダとともにカーシュが最上階を住居として借りていたガウディ設計の”カサ・ミラ”に向かう。

 

  

 

 

“カサ・ミラ”にあるカーシュの部屋で手がかりを得たラングドンは、『ウィリアム・ブレイク全集』が寄託された”サグラダ・ファミリア”へと向かう。

 

 

ダン・ブラウンの小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体などすべてが現実のもので小説として楽しめるだけでなく、一般教養としても奥が深い。

題名の「オリジン」とはガウディーの言葉「オリジナリティー(独創性)はオリジン(起源)へもどること」からきていることが納得できました。
 

 


平成最後のライブ報告

2019年04月21日 | フリーランサー通信

片瀬江ノ島にある虎丸座で平成最後のライブを開催しました。

 

天気にも恵まれ約90名のご来場者を迎え、懐かしのグループ・サウンド特集。

 

第一部では『あの時君は若かった』、第二部では『ノー・ノー・ボーイ』の2曲のリード・ボーカルで

まあまあ何とか歌い切ることができて満足。

 

YouTubeにもアップされていますので、ご興味のある方は御覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=d49ttsfB23E&t=1045s

https://www.youtube.com/watch?v=N50E8Gf_Xpw&t=134s

https://www.youtube.com/watch?v=UYCbK0-GdfI&t=5714s


あれからいろいろありました。

2018年08月23日 | フリーランサー通信

最後にブログを更新してから、4年ちょっとが経てしまいました。

60定年後も嘱託として会社勤めを続けましたが、今年の3月末日で43年間のサラリーマン人生から足を洗いました。

嘱託時代は国内で1年半後の4年半は新たな地マレーシアに2年、古巣のタイに2年3ヶ月、インドネシアで3ヶ月ということで、会社人生43年間のうち通算でタイに13年、インドネシアに5年、マレーシアに2年いたことになります。

この4月からは身体に染み付いた東南アジアの垢をじょじょに取り除く生活をスタートしてます。

 5月からは高校時代の友人たちが1年前から始めていたオヤジバンドにベース初心者として加入し、日々練習に励んでいます。

先月は地元のクラジャというライブハウスで私のデビューを兼ねたミニライブをやりました。