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やっと実力が・・

2006年11月13日 | ジャカルタ通信
ジャカルタへ来て、7ヶ月目にしてやっと本来の実力を発揮することができました。

自己申告で15のHCをもらいながら、90を切れずに35ラウンドが終わり、やっとのこと43+43=86のスコアー。ネット71でまわる事ができました。

残り1ホールまでは11オーバーで、これなら自己ベストタイも夢じゃないと思ったら、案の定18ホール目のパー5で、2打めをいいショットしたにもかかわらず、木に当たって池の淵ぎりぎり。ここで、本来の性格が顔を出してしまいました。
安全にフェアウェイに出すだけにしておけばよかったものを・・・。スプーンを持ってしまったのでした。3打めを池に入れて万事休す。何とかトリプルで上がり、それでも後半も43。

まあ久々のスコアーで満足の一日でした。

左は持ち回りの優勝楯、右は取り切りのカップ。

バリ島

2006年10月30日 | ジャカルタ通信


イスラム教のレバラン(断食明け)休暇が有り、バリ島でのリゾートライフを楽しんできました。5月はダイビングのみでダイビングポイントに近い島の南東部に位置する僻地のチャンディダサで、宿泊も簡単なコテージでしたが、今回はスミニャックのソフィテルに3泊、ウブドのワカ・ナムヤに2泊で、主に観光とホテルでのスパやプールサイドでのまったりライフ。

  
ソフィテル・スミニャックは以前インペリアル系だったものが数年前からマネージメントが変わったホテルで、改修されてデザイン的にもなかなか洗練されたものでした。


ホテル棟の他にヴィラが敷地内に配置され、プライベートが確保され不思議な雰囲気。

  
海を眺めながらのプールサイドも適度にデッキチェアーがレイアウトされていて心地よい。


読書とスイミング、黄昏時のスパ、そしてシャワーを浴び、日が落ちた後、ホテル近くの『ガドガド』での夕食。

        
スミニャックから空港を挟んで南にあるジンバランビーチでの夕日を眺めながらのシーフード。
折角だからと、値段も確認せず頼んだロブスター。これ一匹で『ガドガド』での食事代より高く、今回の旅行中の食事で一番高いものなってしまいました。


海の神が祀られているというバリ島での極めつき名所。かの有名な夕日に包まれた『タナロット寺院』。

  
ウブドへ行く途中の『バトゥアン寺院』。中へ入るには腰巻きが必要。


キンタマーニにある『バトゥール山と湖』。ベネロカンのメイン道路沿いの展望レストランからの眺めは見応えがある。キンタマーニは標高1500mほどの高原地帯で日陰に入ると、涼しさを感じる。バトゥール山は1960年代に噴火していて、かなりの範囲が溶岩で覆われていた。

  

悪名高き『ブサキ寺院』。バリ・ヒンドゥーの総本山というバリ島一番の寺院で、大小30もの寺が集まる複合寺院であり、毎日のようにバリ住民の生活に根ざした宗教的な場となってでいる為、観光目的の人たちにはちょっと入りにくい。ガイドブックなどでは「半ば脅し取られるように高額のチップを要求される」などと書いてあり、チャーターしたタクシーの運転手からも、いろいろアドヴァイスされたのだが、案の定入口付近で「腰巻をつけないと入れない」と言われて、バティック生地を強引に買わされ、次は何やら受付的なところで「ガイドをつけないと入れない。ガイド料は25万ルピアだ。」と、事前に運転手からは3万〜5万ルピアと教えてもらっていたので、「高すぎる。普通は3万ルピアだ。私は3回も来ている。」と交渉しても、なかなかうんとは言わず、何やらいろいろと言ってくるので、「わざわざ、腰巻まで買ったのに、そんなに難くせつけるなら、もういい、帰る!」とワイフが泣き顔で脅かしたら、「わかった!わかった!3万ルピアでいい。」ということで、気分を害しながらも一通り見学しました。何やらガイドらしき人間も付いてきて、「インドネシア語は判るか?」というので、また誤魔化されてはいけないと思い、判ったふりして一通りガイドさせ、最後にチップをよこせというのかと思いきや、何も言わないので、こちらも結局チップも渡さず、帰って来てしまいました。

  
ウブドでの宿「ワカ・ナムヤ」。以前は「ワカ・パドマ」といっていたのだが、同じ名前のリゾートがあるとのことで、最近名前を変更したらしい。


ここはビラが10棟ほどのこじんまりしたプチ・リゾートでバリ農家の伝統様式の2階建てコテージで、スタッフの接客も家庭的で心地よいものでした。

  
各コテージはこのような門があり、一体感の中にもプライバシーが守られています。


コテージ2階の窓からは、このようなのんびりした田園風景が望めます。

  

ウブドの町なかはバリの田舎の風景と洒落た雰囲気の店舗が並んでいて、どこか日本の地方の観光地を思い出させます

3年ぶりのバンコクへ

2006年10月07日 | ジャカルタ通信
2003年の夏に行って以来のバンコク。
1989年~1992年、1996年~2002年と通産10年弱をバンコクで過ごしたため、とても懐かしく、第二の故郷ともいえるところです。
9月19日に突然入ってきたクーデターのニュースに、これでバンコク行きは中止かと諦めかけていましたが、外務省発海外安全情報で一旦は『渡航の是非を検討してください。』に引き上げられたが、すぐに『十分注意してください。』に戻ったため予定とおり行くことができました。

     
昨年末に1番機が飛んでから開港が待ち望まれていた、バンコク新国際空港『スワンナプーム空港』が9月28日に正式開港し、出来立てほやほやの新空港に到着。
                                                    
到着コンコースは外観から想像されるような、開放感は無く第一印象はイマイチ。
天井もなく設備の配管等を剥き出しにしているコンセプトは判るが、チョット整理されていないのでは・・。
でも、ここまでくるには想像を絶する経緯があったのでしょう。

  
新空港からバンコク市内へは車で約3、40分ほど。ドンムアンより若干近くなた感じです。
ホテルは事務所近くのデュシタニH。 チェックインしたら、ラッキー!
普段の行いがいいせいか、普通の部屋は満室なので同じ金額でスウィートにしますとのこと。2泊で、あまりホテルにいる時間がなかったのは残念で勿体無いことでした。



バンコク市内、地下鉄出入口、月曜日朝の出勤風景。
何か気がつきませんか?
そう、バンコクでは今年黄色が流行ってるのです。8割がたの人達が黄色のシャツなのです。プミポン国王即位60周年で王様へ敬意を表す意味のようです。胸には王様の紋章が縁取られてるシャツが大半です。何故、月曜日か?タイではタイ王室の王族一人一人に色が決められており、プミポン国王は誕生日が月曜日だったようです。


初めて地下鉄に乗りました。
BTS(高架鉄道)はバンコクに住んでいた時期に開通したので、よく利用していましたが、地下鉄はありませんでした。BTSと同じようにプリペイド方式のカードがあるようですが、一回きりなので自動販売機で行き先ボタンを押して表示された金額を投入したら、日本のようなキップではなくプラスチック製のコインが出てきました。さて、改札口でどうするのか戸惑っていましたが、周りを見ていたらスイカのようにコインをタッチさせて改札を抜けるのです。降りるときは改札口にコイン投入口があり、回収されます。


地下鉄でシーロムからアソークまで行き、BTSに乗り換えてサイアムスクエアー。そこには巨大なショッピンセンター『サイアム・パラゴン』が出現していました。最新のショッピングセンターで地下にはバンコクでは初めての水族館などもあり、今バンコクの最新スポットのようです。
中にいると本当にバンコクにいるのだろうかと錯覚してしまいます。まさにバンコク(万国)共通のスタイルで、折角の異国の地に来たという雰囲気は、ここでは味わえません。異国情緒(エキゾチック)などという言葉は死語になりつつあります。寂しいものです。


バンコク時代のスタッフと一緒に昼食。事務所の裏にあるこ洒落たタイレストランで、久しぶりのタイ料理を堪能しました。
ここでも黄色のシャツが目立ちます。


いよいよバンコクともお別れ。ジャカルへ戻るのは何だか辛い!
新空港へは車の運転手も初めてのようで、ターミナルへ着くまでチョット不安でした。出発ターミナルはどこの空港も最上階にあるのでとても開放的で巨大なスペースを感じることができます。このターミナルビルはアジア最大?世界最大?どっちだったか忘れました。


流石に出発階は最上部にあるので外観が感じられる開放的なスペースです。


出発ロビーにはこんな寿司バーもあり、ここもインターナショナルな雰囲気でどこがタイなのか判らない空間でした。


ダイバーがフィシング

2006年09月25日 | ジャカルタ通信


魚は見るだけと、冗談ぽっく言ってましたが、日曜日に誘われてジャカルタ沖合いで釣りを楽しみました。
ジャカルタ市内北西部にあるマリーナに5時45分集合と言われていたのを、勘違いして30分の遅刻。


ここのマリーナは大金持ちの邸宅が並んでいて、やはり東南アジアのお金持ちは半端じゃないという印象です。
家も立派だが、係留されているクルーザーも半端じゃありません。


これはタイです。
これくらいのクラスがかなり釣れるので、ここの釣りは竿ではなく手釣りです。素手では痛くて手袋か指サックが必携となります。船の船長がタイの集まるポイントを過去のデータで記録していて、GPSでポイントを巡り、魚影探知機で魚群を探知すると、合図とともに一斉に釣り糸を垂らします。でも、暫くすると魚達も感づいてあたりがぱたっとなくなってしまうのです。


この日、最大の釣果で体長60cmといったところ。残念ながら私ではありませんでした。


タイ以外にもカマスやボラ系、またここには写っていないけれど、かわはぎ系も釣れました。これらの魚を行きつけの居酒屋に持ち込み料理してもらい、この夜はタイの刺身、焼き、煮付け、から揚げとタイづくしで大満足の夕食でした。


ダイビング・アット・サンタンダー

2006年08月26日 | ジャカルタ通信
ルビリゾートに3泊して合計7本のダイビングを楽しみました。

一日目はルビリゾートからバンカーボートで約15分ほど北よりにあるスミロン島まわりのスポット。ここではクマノミ団地と称されているところがあり、5種類ほどのクマノミが団地状にあちらこちら点在していて色々なクマノミを楽しむことができます。


バリ島では2~3人ぐらいしか乗れないボートでしたが、ここでは10名ぐらいは乗れる結構大きなバンカーボートで時化てなければ、1時間30分ぐらいのポイントまでっは快適に行けます。


ルビリゾートのダイビングショップ、エメラルドグリーンのインストラクター。
彼は潜水士の仕事から転職して、セブに住み着き10年くらい。好青年でマクロの達人。


ドマゲッティーのアポ島
ここでは、銀がめ鯵の群れからマクロ、そして珊瑚の群生がとても美しく、とても気に入ったポイントでした。ここでも、クマノミ城と呼ばれているポイントで数え切れないほどのクマノミ達に出会いました。

ルビリゾート

2006年08月26日 | ジャカルタ通信
ここルビリゾートは筆者の幼馴染の友人が長年の夢を実現させ、今年オープンさせたダイビングを主としたアダルト向けの雰囲気をもつ癒しのリゾートなのです。
セブシティーから車で約4時間ほど南に走り、ほぼセブ島の最南端に近いところです。日本ではダイビングリゾートスポットとして最近紹介さえているリロアンが目と鼻の先で、ダイビングポイントとしてドマゲッティーもカバーしています。
実はこのリゾートの基本計画を友人から相談されて手伝っていたため、2003年2月に敷地調査、2004年6月には工事中に行っており、今回で3度目です。


これらの絵は当初、彼から相談されながらメールでやりとりしたもので、これらをもとに彼が現地の建設業者に図面を書かせ建設にこぎつけました。土地探しから、土地の購入、契約、そしてリゾートの建設許可など、全てを素人の彼がセブに移り住み、約3年かけて様々な問題に直面しながらも、ここまできたのです。本当に感服します。でも、ある意味で、ここまでは入口でしかなく、これからリゾートを運営して持続していくことも並大抵のことではないでしょう。

  
椰子の林に取り囲まれ、自然を極力壊すことなく、ひっそりと佇むプチリーゾートで、まさに癒しの空間です。セブの大半のリゾートはほとんどがクローズドスタイルで、セキュリティーの意味からも敷地を高い塀で囲い、他のエリアからは独立させたプラーベート空間としているのに比べ、ここではリゾート前の海岸を付近の住民が自由に行き来して、海岸と海は近隣の人々との共生空間になっています。

 
海に面したレストランに座り、海からの心地よい風を感じながら、のんびりと過ごすひと時は、言葉では言い表すことができない感覚を味わうことができます。
そして、ダイビングの後、部屋のバスでシャワーを浴び、さっぱりしてから飲むサンミゲールは格別の味わいです。


レストランの食事はオーナである彼が厳選して仕入れてくる果物や食材で、大型リゾートホテルのメニューには追いつけませんが、ここならではのオリジナリティーのあるメニューを楽しむことができます。

また、彼は10年ほど前からアロマテラピーの勉強をしていて、ここではアロマテラピーマッサージで体を癒すことができます。好きな香りのオイルを選び、理学療法士の勉強をしたフィリピーナによるマッサージでは私は不覚にも意識を失ってしまいました。心も体もとろけるようなひとときでした。

セブ島サンタンダーへ

2006年08月26日 | ジャカルタ通信
8月17日のインドネシア独立記念日から5連休があり、フィリピンのセブ島へ行ってきました。
日本からセブへは直行便があり4時間ほどで行けるのですが、こちらジャカルタからはかなり面倒です。シンガポール経由でマニラまで行き、マニラで国内便に乗り換えてセブという行程。ジャカルタを朝6時の便で出発し、シンガポールまで約1時間のフライト、空港での待ち時間が1時間、そしてシンガポールからマニラまで約4時間、マニラ空港での乗り継ぎで1時間半、セブへのフライトが1時間、そして目的地のサンタンダーまで車で4時間、朝3時起きで目的地のルビリゾートには夜の9時半頃着きました。(ジャカルタとセブの時差は1時間)


この写真はマニラのニノイアキノ空港ターミナル。ジャカルタからフィリピン航空だったため、この新しいターミナルに到着した。このターミナルはオープンしたばかりのようで、そとまわりの植栽などが工事中でした。これが例の裁判沙汰になったり、天井落下事故など起こした新ターミナルなのだろうか?ここはフィリピン航空専用になっていて、2つのウィングに国際線と国内線があり、フィリピン航空での乗り継ぎはスムーズです。
しかし、今回の旅行ではイギリスの航空機テロ未遂の影響でセキュリティーチェックがかなり厳しく、国内線への乗換えではお土産にシンガポール空港で買ったお酒が機内に持ち込めないと云われ、急遽カウンターで預ける羽目になりました。また、セキュリティーゲートではベルトまで外させられました。金属探知機の感知レベルを上げてるのでしょう。

ジャカルタ四方山話

2006年08月10日 | ジャカルタ通信

■スリー・イン・ワン


ジャカルタ市内のメイン道路は交通混雑緩和のため朝と夕方の時間帯は車に運転手を含めて3人乗っていないと違反になります。そのため、朝夕に事務所へ行くときや、帰るときにはおおまわりを余儀なくされるのです。しかし、どうしても、空港などに夕方、事務所から行くときには大回りして、渋滞に巻き込まれ時間に間に合わないような結果になるケースもあるのです。


そこで、登場するのが『ジョッキー』と呼ばれる同乗アルバイトの人たちです。最初の頃は、夕方になると事務所の出口ゲートまわりに人がたむろしていて、何をする人達かと思っていましたが、これらの人達が『ジョッキー』だったのです。


 


■インドネシア式ウォシュレット



実にシンプルな仕組みだが、ちょうどいい位置にお尻を動かさなくてはならないのが難点。


 


パレンバンへ

2006年07月22日 | ジャカルタ通信
先日、スマトラ島のパレンバンへ出張しました。パレンバンというとご存知の方も多いと思いますが、第二次大戦末期に日本軍の落下傘部隊が急襲して製油所を制圧したところです。今では石油の採掘量は少ないようですが、石油不足に襲われた日本軍は必死の思いで石油確保のために急襲したのでしょう。制圧した後は、原油を日本まで運ぶことはかなり困難だったようですが・・・。
今でも、あちらこちらに天然ガスが燃えている炎を見かけました。

パレンバン空港

ジャカルタから約1時間のフライトで、前回のスマトラ島出張のランプンよりかなりスマトラ島の中央に近づいたところです。とは言っても全体の三分の一ぐらいのところですが・・。ここの空港はつい最近ターミナルビルが日系ゼネコンによって新築施工されきれいになってました。この空港から車で2時間半の内陸部に今回の目的地があります。某日系商社と製紙会社が数千億円をかけて6年ほど前に立ち上げたパルププラントです。ジャングル以外は何もない場所に東京都の数倍の広さの植林エリアとプラントがあり、ここでは日本人が全部で十数名でその他関連従業員が2000名ほど職住接近で暮らしています。日本人専用の戸建て住居やローカルスタッフの住居、そして病院や学校、教会、モスク、店舗、ゲスト用のホテル等一大キャンプでした。