第1回目のバンコク通信です。
丸5年間過ごしたジャカルタを離れ、三度バンコクに舞い戻ってきてしまった。
第1回目は今から22年前の1989年。当時タイがどこにあるのかもよくわからず、東南アジアのひとつという認識ぐらいしかなかた。そして、3年半勤めた後に体調を崩し志半ばにして帰国する羽目となってしまった。その後日本で3年半。そしてまたまた、タイ赴任の話がもちあがり、二度目のバンコクが1996年でその後6年間をタイで過ごし、仕事も遊びもやり切った感で2002年に本帰国となったのだが、身体にしみついた南国生活がその後の日本では、逆カルチャーショックでなかなか立ち直れず、既に会社人生もクールダウン気味の状態でリタイア後の生活を夢見るという状態。
・・が、ここで人生何が起こるか判らないもので、今度はインドネシア赴任という思いもよらない展開になり、2006年にジャカルタの地を踏み丸5年を過ごし、大震災後1週間目にまさに青天の霹靂の事態が待ち受けていたのだ。会社人生も残りわずかというこの時期に・・。
というわけで、多分年内でミッションを終えて本帰国するだろう。でも、この先も何が起こるか神のみぞ知ることなのだと思う。今まで流れに身を任せてきた人生。それも、いいかもしれない。
インドネシアをリセットして1週間しか経っていないのだが、はるか昔のような気がする。そして、通産10年間も過ごしたタイなので直ぐに頭も切り換えてシンクロすると思うのだが、タイ語もなかなかすっと出てこず、リセットしたインドネシア語がどうしても出てきてしまう。
まあ、予想外のバンコク生活。短い期間だがスローペースで楽しんでいこうと思う。
丸5年間過ごしたジャカルタを離れ、三度バンコクに舞い戻ってきてしまった。
第1回目は今から22年前の1989年。当時タイがどこにあるのかもよくわからず、東南アジアのひとつという認識ぐらいしかなかた。そして、3年半勤めた後に体調を崩し志半ばにして帰国する羽目となってしまった。その後日本で3年半。そしてまたまた、タイ赴任の話がもちあがり、二度目のバンコクが1996年でその後6年間をタイで過ごし、仕事も遊びもやり切った感で2002年に本帰国となったのだが、身体にしみついた南国生活がその後の日本では、逆カルチャーショックでなかなか立ち直れず、既に会社人生もクールダウン気味の状態でリタイア後の生活を夢見るという状態。
・・が、ここで人生何が起こるか判らないもので、今度はインドネシア赴任という思いもよらない展開になり、2006年にジャカルタの地を踏み丸5年を過ごし、大震災後1週間目にまさに青天の霹靂の事態が待ち受けていたのだ。会社人生も残りわずかというこの時期に・・。
というわけで、多分年内でミッションを終えて本帰国するだろう。でも、この先も何が起こるか神のみぞ知ることなのだと思う。今まで流れに身を任せてきた人生。それも、いいかもしれない。
インドネシアをリセットして1週間しか経っていないのだが、はるか昔のような気がする。そして、通産10年間も過ごしたタイなので直ぐに頭も切り換えてシンクロすると思うのだが、タイ語もなかなかすっと出てこず、リセットしたインドネシア語がどうしても出てきてしまう。
まあ、予想外のバンコク生活。短い期間だがスローペースで楽しんでいこうと思う。