三度バンコクへ

2011年04月23日 | バンコク通信
第1回目のバンコク通信です。

丸5年間過ごしたジャカルタを離れ、三度バンコクに舞い戻ってきてしまった。

第1回目は今から22年前の1989年。当時タイがどこにあるのかもよくわからず、東南アジアのひとつという認識ぐらいしかなかた。そして、3年半勤めた後に体調を崩し志半ばにして帰国する羽目となってしまった。その後日本で3年半。そしてまたまた、タイ赴任の話がもちあがり、二度目のバンコクが1996年でその後6年間をタイで過ごし、仕事も遊びもやり切った感で2002年に本帰国となったのだが、身体にしみついた南国生活がその後の日本では、逆カルチャーショックでなかなか立ち直れず、既に会社人生もクールダウン気味の状態でリタイア後の生活を夢見るという状態。
・・が、ここで人生何が起こるか判らないもので、今度はインドネシア赴任という思いもよらない展開になり、2006年にジャカルタの地を踏み丸5年を過ごし、大震災後1週間目にまさに青天の霹靂の事態が待ち受けていたのだ。会社人生も残りわずかというこの時期に・・。
というわけで、多分年内でミッションを終えて本帰国するだろう。でも、この先も何が起こるか神のみぞ知ることなのだと思う。今まで流れに身を任せてきた人生。それも、いいかもしれない。

インドネシアをリセットして1週間しか経っていないのだが、はるか昔のような気がする。そして、通産10年間も過ごしたタイなので直ぐに頭も切り換えてシンクロすると思うのだが、タイ語もなかなかすっと出てこず、リセットしたインドネシア語がどうしても出てきてしまう。

まあ、予想外のバンコク生活。短い期間だがスローペースで楽しんでいこうと思う。

震災から1カ月

2011年04月11日 | ジャカルタ通信
大震災からあっというまに一か月が過ぎ、個人的な大惨事も重なり本当に慌ただしい時間が過ぎてしまいました。
この間、自分にできることを何かやらなければと考えた挙句、個人的な大惨事を逆手にとって送別ゴルフ大会で約30名と総握りと送別会を送られる人間がお世話になった人達への感謝祭と称して、精魂込めたカレーを振舞ってのチャリティーガレージセール兼チャリティーコンサートを決行して義捐金募金を企画しました。
半年かけて作成したタイタニック号やゴルフコンペで貰った景品、書籍類、残った日本食材などを供出し、結果として合計5,940,000ルピア+190US$+5,000円=約7万3千600円を集めることができました。





・・・が、ここでこの義捐金をどのように寄付するかが問題です。いままでに、さまざまな機会で義捐金を寄付してきましたが、その度に何かしらの自己嫌悪を感じていました。何かをしなければという強迫観念から、できるのは寄付することぐらいだとお金を出すことで自分の気持ちをやわらげていただけのような気がしています。寄付したお金がどのように使われるかとかはあまり気にしていませんでした。
史上最高の義捐金が集まったというのにその分配方法がなかなか決まらない話が報道され、色々と考えるようになりました。あまりに大きなお金が大きな組織に集まると政治や行政の枠組みに組み込まれ、結果的に個人個人の気持ちは膨大な数の中で埋没してしまいます。お金を出すことも大事ですが、出した以上その使われ方にも目を光らしていく義務もあるような気がしています。
そんな中、私の友人がある企画を立ち上げブログ等で色々と呼びかけています。彼の企画はとにかく被災した人にできるだけ早く義捐金が届くように、そして支援しようという人達の善意がどうのように役立つかを単純に伝わるようにした企画です。正直、まだまだ未熟な企画でどこまで成功するか疑問もありますが、彼は彼でいてもたってもいられない気持ちから過去の経験を踏まえて、ひとつの方策として考えています。被災した人たちは様々な状況ですぐに支援が必要なことも事実で、お役所仕事に付き合ってる暇はないのです。支援が必要な人はアピールする余裕もなく、彼の企画は支援を必要としている人達と支援をしようという善意をいかに結びつけて、単純なシステムでスピーディーに義捐金を被災した人たちに直接届けようというものです。
今回集めた義捐金をいかに有効に寄付するかについて彼の企画も候補の一つと考えています。
ここで彼の立ち上げているブログを紹介しておきます。
東日本大震災地場産業共労(支援)プロジェクトブログhttp://blog.livedoor.jp/jibasangixyou/archives/65649375.html

というわけで、私の5年間のインドネシア生活も後1週間で終わろうとしています。
実は、またしても会社は粋な計らいをしてくれました。定年までの一年間をタイで過ごせというのです。充実したリタイア生活を目指す総仕上げとしては最高の舞台を与えてくれました。