あれから2年と半年

2014年05月01日 | バンコク通信

2011年10月の洪水騒ぎからブログの更新をしていなかったが、いろいろありました。

リタイア後の生活を夢見ていたのに、いまだに足が洗えません。

いろんな風が吹きながら身を任せていたら、こんなことになってしまいました。

4月からマレーシアに駐在しています。

追々、ことの顛末やあれからの出来事を綴っていこうと思います。

 


タイの洪水-Flood in Thailand

2011年10月15日 | バンコク通信
  

10月12日と15日のチャオプラヤ川。あまり水位に変化が無いようにみえる。

  

でも、タクシン橋の柱脚部分をよく見ると若干だが水位が増している。

バンコク市内は今のところ普段と何も変わらない生活が営まれている。しかし、ニュース映像などを見ると日本の震災で被災した人たちと同じように、避難生活を強いられてる人々がバンコク郊外では増しているようだ。タイの洪水の性質が悪いのは、日本のように一気に来るわけじゃなく、じわじわと徐々にやってくる。そのため、一旦冠水するとなかなか退いてくれるのに時間がかかる。

父永眠享年92歳

2011年08月21日 | バンコク通信
数年前に自宅で転び、大腿骨骨折で入院した直後から認知症が進み施設に入っていた父が、3日前に容態が悪くなり昨日の早朝に永遠の眠りについた。

私にとって父親の存在というのは心のどかかでトラウマになっている部分があった。性格的な部分もあるだろうが子供の教育に関しては昔ながらの頑固オヤジで、理不尽に叱られたり体罰的な経験から父が怒ると恐怖ですくみ上がっていた。体罰的な経験は小学生までだが、その後もトラウマから抜けることができず、この歳になっても認知症から訳もなく突然怒り出したりすると精神的に辛く感じたものだった。

しかし、そんな存在でも父は父で家族を愛していた部分を実感することもあり、やはり逝ってしまったことには寂しさを禁じ得ない。

父の最期を看取ることができ、生から死を実感できたことはある意味感動的で幸せなことだった。

合掌

セブ島 ルビりゾートでのダイビング

2011年07月23日 | バンコク通信
2009年9月以来3回目のルビ。今回は4連休を利用して初めてバンコクからの訪問。BKK空港から夜行便でマニラ経由で、マニラの乗り換えに3時間半くらい要したが、セブへは朝の9時前には到着し空港でピックアップしてもらい、直接ルビ・リゾートへ向かった。
ちょうどお昼に到着し、レストランで昼食をとった後、早速ダイビング2本。夕方戻ってシャワーを浴びた後、サンミゲールで喉を潤しながらのログ付け、そしていつものごとくそのまま酒盛りと相成りました。


ここのオーナーは私の幼馴染で10年前に公務員を早期退職して、この地でダイビングリゾートを5年ほど前に開業し現在に至っている。リピーターも多くなりなんとか持ちこたえて運営しているようで、本当に感心する。今では奥さんと彼女の父親もセブ市内に住んでいて、完全にベースをこちらに移してしまっている。

ハナヒゲウツボの成魚


オイランヨウジ


ハダカハオコゼ


コロール・アネモネシュリンプ


イソギンチャクカクレエビ


ヤマブキハゼ


カエルアンコウ


ニチリンダテハゼ


The Oyster Bar

2011年07月09日 | バンコク通信
バンコクでこれだけ旨い生牡蠣を食べたのは初めて。
この店はナラティワ ソイ 24にあり、かつて住んでいたオークウッド シティーレジデンス(現在はチャトリアムに変わっている)の前にある。店の名前がまさに『THE OYSTER BAR』。店の構えもさほど大きくなくちょっと見逃してしまう。
この店は世界の牡蠣を仕入れていて、日によって色々変わるようだ。今日は日本、オーストラリア、アメリカ、フランスからの牡蠣で日本産は熊本の牡蠣で、日本でも食べたことがなく小ぶりだがさっぱりと磯の香りがする。一緒にいった仲間の評価は良くなかったが、結構気に入ったのがフランス産で一番大きくかなり濃厚な味で、ホワイトワインによくあう。
流石に直輸入もので値段も結構する。一個あたり100~150バーツなのでこの一皿で日本円で約3,000円弱ぐらいなので、しょっちゅう行くわけにはいかない。

久しぶりのチェンマイ旅行

2011年06月13日 | バンコク通信
フィリピンのセブ島でダイビングリゾートをやっている、旧友夫妻が遊びにきて10年ぶりぐらいでチェンマイに行ってきた。
今回の旅行は以前会社に勤めていたユウコさんが退職後に立ち上げたYoutravelに全ての手配を頼み、現地でのツアーも我々だけでゆっくりのんびりと楽しむことができました。ガイドはジョンさんという日本語が達者なひとで、バンコクで日本語を習ったとか。最近は震災のお陰でめっきり日本からの観光客も少なく、久しぶりのガイドとのことで、街中も以前のような活気を感じられなかった。でも、昔と変わらない落ち着いた雰囲気と静かなチェンマイを楽しむことができました。
最初に訪れたのは、タイ人もチェンマイに行ったら必ず訪れるというドイステープ。ここは昔、家族と旅行にきて以来20年振り。やはり観光客は少なかったが、参拝に訪れ熱心に拝んだり寄進しているタイ人の姿が印象的で、また最近、金箔を貼りかえたという寺院は青空に映え、とても美しい姿でタイの経済的な発展も感じられるものだった。


次に、訪れたのはチェンマイ動物園。最初は子供がいるわけじゃないし、とばそうかとも思ったのだが、まだ生パンダを見たことがなかったので予定通りに。


その後、ピン川の岸辺にあるタイ人の豪邸やホテルと貧困層のバラック舟で眺めながらの遊覧で、心地よい川の風を楽しみました。ここで、印象的なのはお金持ちの家はピン川に開いて顔を向けているが、貧困層の家々はピン川に後ろを向けて、洗濯物を干したり生活感漂わせているいることである。
この日の最後はカントークディナーで、カウニョ(もち米)と肉料理主体の料理を食べながら若いチェンマイ美人の民族舞踊を堪能。カントークディナーは一度経験すればいいものだが、こちらは今回で3~4回目、ちょっと退屈且つそれほど旨いものではない。




2日目は昼までホテルでノンビリし、午後からエレファントファームでの象乗りサファリとショータイム。昔、乗ったような気もするが私が乗った象は当年とって50歳とのことで、何となくヨタヨタした感じでかなり揺れました。ショーでの象のペオンティングでは最後に一番高いのは6,000バーツで売りに出ていたが、高いと思えば高いが、この絵が象の作品だと思えば安いかもしれない。

シンクロせず

2011年05月02日 | バンコク通信



バンコクへ来て、早10日。2002年に帰国してからも年に1度くらいは遊びや出張で訪れていたので、見た目の変化はあまり感じないが、やはり住むとなると違ってくる。
写真は現在の住処となっているスクンビット ソイ16にあるサービスアパートから見た景色だが、高層ビルが増えたことに驚く。日本でいえば新宿や六本木に住んでいるようなかんじだが、このビル群の足元を歩くと昔と同じような風景がいまだに存在している。





人も街も昔には戻れない。昔のイメージをもっていたら、いつまでもシンクロしないだろう。
早く、今のこの街にマッチした生活リズムを再構築する必要がある。

三度バンコクへ

2011年04月23日 | バンコク通信
第1回目のバンコク通信です。

丸5年間過ごしたジャカルタを離れ、三度バンコクに舞い戻ってきてしまった。

第1回目は今から22年前の1989年。当時タイがどこにあるのかもよくわからず、東南アジアのひとつという認識ぐらいしかなかた。そして、3年半勤めた後に体調を崩し志半ばにして帰国する羽目となってしまった。その後日本で3年半。そしてまたまた、タイ赴任の話がもちあがり、二度目のバンコクが1996年でその後6年間をタイで過ごし、仕事も遊びもやり切った感で2002年に本帰国となったのだが、身体にしみついた南国生活がその後の日本では、逆カルチャーショックでなかなか立ち直れず、既に会社人生もクールダウン気味の状態でリタイア後の生活を夢見るという状態。
・・が、ここで人生何が起こるか判らないもので、今度はインドネシア赴任という思いもよらない展開になり、2006年にジャカルタの地を踏み丸5年を過ごし、大震災後1週間目にまさに青天の霹靂の事態が待ち受けていたのだ。会社人生も残りわずかというこの時期に・・。
というわけで、多分年内でミッションを終えて本帰国するだろう。でも、この先も何が起こるか神のみぞ知ることなのだと思う。今まで流れに身を任せてきた人生。それも、いいかもしれない。

インドネシアをリセットして1週間しか経っていないのだが、はるか昔のような気がする。そして、通産10年間も過ごしたタイなので直ぐに頭も切り換えてシンクロすると思うのだが、タイ語もなかなかすっと出てこず、リセットしたインドネシア語がどうしても出てきてしまう。

まあ、予想外のバンコク生活。短い期間だがスローペースで楽しんでいこうと思う。