ひたすら日本応援歌

安倍総理・安倍内閣応援のブログでしたが、諸般の事情により、今後は、菅義偉内閣を応援します ガースー (^^)/

故・中川昭一氏の10回忌 有本香氏も虎ノ門ニュースで言及

2018-10-04 17:33:25 | 日記
本日10月4日の真相深入り虎ノ門ニュースの終わりの方で、有本香さんが言及されていた為、気になって、ネットをググリ、戦後体制の超克さんのブログで、故中川昭一氏に関して、深い思いを綴られ、アップされていましたので、「拡散希望」というお言葉に甘えて、このブログでもご紹介したいと思います。https://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/



【拡散希望】故・中川昭一氏の10回忌に思う
2018年10月04日 12時23分36秒NEW !

昭一さんは常にリーダーだった。自虐的な歴史観を正し、子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい一心で教科書問題にも取り組んだ。困難な問題に立ち向かい、世の中を変えていく戦う政治家の姿を学んだ
最愛の奥様と夢だったエジプト旅行に来週出発すると聞いていた。
郁子さんは昭一さんと の幸せな日々を胸に、中川家を守っていくと思う。
— 安倍晋三 弔辞

昭ちゃん。まさかあなたの弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは。(中略)「政治家我が身無念と思えども、国の為なら本懐なり」。貴方にこの言葉を贈りたい。(中略)我々は、中川先生の遺志を継ぐ義務と責任がある。「死せる中川生ける保守を走らす」。これが貴方が最も望んでいることだろう。残された我々は、歯を食いしばって頑張る。
 -麻生太郎 弔辞


<中川昭一氏の葬儀の祭壇には、天皇陛下からの“祭粢料(さいしりょう)”が・・・>


 9年前の今日…平成21年(2009年)10月4日午前、中川昭一氏は、東京都世田谷区の自宅の寝室で死亡しているところを、郁子夫人によって発見されました。

 命日は、発見前日の10月3日となっています。 享年56歳。

 早いもので、今年で中川昭一氏が亡くなられてから、昨日で10回忌を迎えました。
 我が国にとって本当に大切な政治家を失ったと、今でも悔やまれてなりません

 平成も残すところ、あと7ヶ月弱。
 中川昭一氏は、昭和から平成の世を生きた政治家の中でも、本物と呼べる数少ない政治家の一人だと思います。

 ただただ国益を考え、そのために真っ直ぐに行動された・・・。

 多少酒グセが悪かったところもありますが、政治家としてなすべき使命には何の関係もありません。

 今こそ、中川昭一氏のような志を持った政治家が、後に続いてくれることを願ってやみません

 安倍首相が今日あるのは、中川氏のおかげと言っても過言ではありません。
 ご存知のように、安倍首相が会長を務める「創生『日本』」からは、安倍内閣の多くの主要閣僚を排出しています。 いわば、安倍内閣の中核メンバーが集まる議連なのです。

 以下に、「創生『日本』」の役員をご紹介します。
<創生「日本」議員連盟 役員>
会長 安倍晋三
会長代行 中曽根弘文
会長代理 長勢甚遠 山本有二 古屋圭司
副会長 鴨下一郎 菅義偉 塩崎恭久 下村博文 岩屋毅 高市早苗 鴻池祥肇 世耕弘成
幹事長 衛藤晟一
副幹事長 新藤義孝 高木毅 梶山弘志 西村康稔 江藤拓 古川禎久 山本一太 有村治子 山谷えり子
事務局長 加藤勝信
事務局長代理 稲田朋美
事務局次長 徳田毅 城内実 岡田直樹 西田昌司 義家弘介 丸川珠代
最高顧問 平沼赳夫
顧問代理 -
監査 -

 その「創生『日本』」の前身である「真・保守政策研究会」の会長だったのが中川昭一氏です。 中川氏は、平成21年(2009年)の総選挙で、自身が落選した後の同連盟の会長に、安倍晋三氏を推薦していたのです。このように中川氏は、第一次安倍内閣退陣後、失意のどん底にあった安部晋三氏が立ち直るきっかけを作ってくれたのです。

 「死せる中川、生ける保守を走らす」

 麻生太郎財務大臣が弔辞で言われたように、自民党議員は野党時代に必死で奔走し、今の安倍政権を誕生させました。考えてみれば、安倍内閣が進める現在の政策の要は、「創生『日本』」の活動目的そのものです。

「創生『日本』」活動目的
1.伝統・文化を守る。
2.疲弊した戦後システムを見直す。
3.国益を守り、国際社会で尊敬される国にする。


 ここで、中川昭一氏を偲んで、その功績を振り返ってみましょう。

・農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。
・財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。
・政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。
・拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。
・経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。
・毎年靖国神社に参拝することも欠かさなかった。
・非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。
・日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。
・官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだ」との考えを示した。
・中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。
・政界きっての親台派として知られている。農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられている。
・2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたってのまとめ役となった。


 中川昭一氏を国会議員から転落させ、結果的に死に追いやった、あの「酩酊会見事件」さえなければ、と今でも悔やまれてなりません。あの「酩酊会見事件」は、不自然な点ばかりです。誰に仕掛けられたのか、その動機もはっきりしています。
リーマンショックで揺れるアメリカに対し、日本の国益を明確に主張した中川氏は、邪魔者と映ったのです。当時、中川氏に酒を飲ませた読売新聞の女性記者は、9年間経った今でもアメリカに逃亡中のままです。そして、釈明会見ひとつ開かれない。マスゴミもまともに取材すらしない。そのことひとつとっても、誰が仕掛けたのかは明白なのです。

 今、中川昭一氏が生きておられたら、現在の日本をどのように思うでしょうか?

 公明党という爆弾を抱えたままの連立政権
 未だに「モリ・カケ」で倒閣運動しかしないパヨク野党
 保身のために政治理念をコロコロ変え、政党間をフラフラ行き来する政治家のクズ。
 「生産性」だの「教育勅語」だの言葉狩りに血道を上げるマスゴミ
 「戦争になる!」、「徴兵制反対!」というパヨクの脅迫に踊らされる国民
 その国民の半数は、選挙にも行かず、政治にも無関心。


 そんな風潮が、憲法改正や拉致被害者や日本の安全保障を置いてきぼりにしているのです!中川昭一氏の命日が来るたびに、「戦後体制の超克」は、まだまだ道半ばだと痛感しています。

以上、拡散希望とありましたので、ここまで「戦後体制の超克」ブログを殆ど丸ごとコピペさせて頂きました。故中川昭一氏の遺志は安倍晋三総理もシッカリと継いで下さっていると言えます。それを麻生大臣も全力で支えて下さっていると感じます。


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