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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

『美濃國養老公園地前形絵図』(明治14年)

2025年04月05日 | 美濃の歴史・文化

これまでのブログで、養老の滝が少しだけ登場しました。江戸から戦前にかけて、養老の辺りは、西美濃きっての観光名所でしたので、関係する品を紹介していきます。

今回は、明治前期の養老絵図です。

37.2㎝x50.4㎝。明治14年。

西美濃、養老公園の絵図、地図、謂れが書いてあります。

養老公園絵図:

20.3㎝x26.8㎝。

雪に埋もれた、冬の養老公園です。

滝と谷川に沿って、いろんな建物が点在しています。

もう少し拡大すると、

滝壷の傍に、「瀑布入浴所」なる建物があります。他の赤い印は皆、神社。かつては、養老の滝を訪れた人は、ここで浴瀑衣に着替えて滝に打たれ、修行をしたのですね。現在は、滝元館という旅館になっています。

その下方にある大きな建物が老舗旅館、「千歳楼」(現在も営業)。その垣根に沿って家が並んでいる筋が登山道です。

さらにその下には、

「養老寺」、「東本願寺僻暑亭」、「東本願寺説教所」などがあります。

養老寺は、奈良時代に、美濃守源丞内が開いたと言われる古刹ですが、永禄年間、織田信長によって焼かれました。その後慶長十二年、高須藩主徳永寿昌が再建し、現在に至っています。

東本願寺僻暑亭は、養老公園開設後、東本願寺説教場に厳如上人を招いたときに、高須藩から移築された豪華な建物です。しかし、現在は僻暑亭、説教所、二つともありません。

養老公園の地図(15万分の1)です。

今回の養老公園前形絵図のために。概測して作ったと書かれています。

各地との里程はもとより、寒暖の温度(華氏)まで載っています。

「東本願寺の避暑亭」が設けられていますが、この値を見ると、標高が低いためか、夏季にそれほど涼しいわけではありませんね(^^;

養老公園の謂れ:

則チ養老元年十二月元正天皇御勅命
ニシテ此養老美泉ヲ挹ミテ京都ニ送ラ
セテ醴酒ヲ造ラセ賜イシ事著シナリ斯
クマデ天機ニカナイシ美泉ナレハ畏ク
モ思ハレテ拝ミタテマツレタリ然レ共
此ニ瀑布ト菊水ト兩ツアレハ孰レ歟是
レ孰レ歟非今ニシテ確知セズト雖共兩
泉ナガラ其清冷甘味ノ甲乙アラサルヲ
鍳定スレハ共ニ尊大無上ノ霊泉最優ナ
レバ須ラク我大日本ニモコノ比類ノ屈
指スル瀧泉甚稀レナリト謂フモ預價ノ
芒言アラサルナリ斯クノ如クニシテ醴
酒ヲ造ラセタル以来千歳餘リ其原ヲ形
取リ今日ニ至ルマデコノ邉リ島田村或
ハ根古地村如キニ酒造営ムニ於テヲヤ
養老菊水酒ト号シテ世ニ普ク鬻キ以テ
人ノ能ク知ル美酒ナレハコレニ因テ見
ルモ醴水ノ本旨ナリト必セリ

養老を詠った和歌:

名も老をやしなふ瀧ときくからに菊の
泉のわかへつつ見む
ながれても世にも名高く聞へけり孝を
やしなふ多度のひびきハ
野はかすみ瀧つ岩ねハ霧たちて冬日の
とめる多度の山かき
のめば身の老もわかゆと昔しより世に
聞へたる田路の大瀧
わかへつつ見るよしもかな瀧の水老を
養ふ名になかいなは
山姫の老を養ふいとなみにくりてやお
とす瀧のしら糸

和歌の部分は、木版刷りなのか、活版印刷によるものなのか、わかりません。右側の活字部分の字間に合わせて木版を作って刷ったようにも見えます。この時代は、木版、石版、銅版などが共存していた過度期なので、試行錯誤しながら名所絵図を作っていったのでしょう。