遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

金工24.手燭台

2022年05月23日 | 金工

先回のブログで、別府細工の芯入れ、芯切を紹介しました。

別府細工の燭台などについては、あらためてブログアップします。

ところで、普通の燭台はなかったか・・・と探したところ、隅の隅にころがっていたのがこの品です。

幅 14.0㎝、長 26.2㎝、高 13.1㎝。江戸後期ー明治時代。

手燭台とよばれる移動式の燭台です。柄が付いていて、手で持ち歩けるようになっています。

家にあった物ですが、茶事に使われた物か、普段使いの品だったのか、わかりません。

火皿には蝋がこびりついています。また、蝋燭受の輪が歪んでいます。相当使い込まれています。ご先祖様のどなたが使っていたのでしょう。

裏を見ると、剥がれかかった漆が残っています。

柄の部分は漆が擦り切れています。

元々は、黒漆が塗られていたようです。利休形の手燭台は、真塗りにするのだそうですから、この手燭は、茶事用だったのですね。しかも、歪んだ蝋燭受といい、手ずれの漆塗りといい、相当に使いこまれた品であることがわかります。毎日のように茶会を催さないと、ここまでボロボロにはならないでしょう。

故玩館を大改修した時、待庵かと見紛うボロボロの茶室の修復まではとても手(金(^^;)が回らず、きれいさっぱり撤去しました。一方、故玩館の床をとり除いてみると、すべての部屋に炉をきった跡がありました。多くの古民家改修を手掛けてきた設計士ですが、この家は何だったのでしょうね、と首をかしげていました(^^;

何代か前のご先祖にも、遊びをせむとや生まれけむ、の人がいたのですね(^.^)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2022-05-23 08:57:48
「別府細工の燭台などについては、あらためてブログアップします。」とのことですが、故玩館には、別府細工の燭台も既に収蔵されているわけですか、、!
故玩館の蔵は奥深いですね(^_^)

この手燭台というものは、良く見かけるものですよね。
でも、黒漆が塗られているものは見たことがありません(><)
漆が塗られたものは茶事用だったのですね!

旧故玩館のすべての部屋には炉をきった跡があったのですか!
ホント、この家は何だったのでしょうねと思いますね!
「何代か前のご先祖にも、遊びをせむとや生まれけむ」というお方がいらしたのですね(^_^)
いままた、隔世遺伝で、そのような方が出現したようですね\(^O^)/
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Dr.kさんへ (遅生)
2022-05-23 09:35:24
隔世遺伝というのは当たっていますね(^^;

祖父は花狂い、4代前(江戸後期)の人が今回の茶狂い、6代前は俳句狂。
そして、当代はガラクタ狂い(^^;

隔世の意味:2代続けば、確実に潰れます(^.^)
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遅生さんへ(その2) (Dr.K)
2022-05-25 09:27:55
今朝の新聞によりますと、長らく所在不明であった、芭蕉自筆の「野ざらし紀行」の図巻が発見されたとのことですね。
遅生さんの6代前のご先祖様は「俳句狂」の方だったとか、、。
故玩館にも、俳句にまつわるお宝がありそうですね(^-^*)
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Dr.kさんへ (遅生)
2022-05-25 11:45:08
こういう大作の真筆が、今、発見されるとは驚きです。こんな物があったらいいですね。夢は持ちたいです(^.^)

芭蕉の流れをくむ俳諧の会派(蕉門)に、美濃派というのがあります。最大会派です。文字通り、美濃を中心に全国展開しました(現在も続いている)。そんな関係で、中山道筋は俳諧が盛んであったようです。
が、道統であった家も含めて、ほとんど何も残っていません。紙物は消えますね。石に刻んでおけば残りますが(^^;

美濃派関係の資料は、いずれまたブログで特集します。どこまで横に広がることやら(^^;
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