今回の品は、ベロ藍の輪花大皿です。
径 48.6㎝、高台径 28.3㎝、高 6.8㎝。明治。
ベロ藍とは、それまで染付に使われていた天然呉須にかわって、化学的に作られらた青色顔料(酸化コバルト)です。ドイツのベルリンで作られたことから、ベルリン・ブルーと呼ばれ、それがなまってベロ藍と呼ばれるようになりました。ベロ藍が、陶磁器に使われるようになったのは明治初期、その明るい色調が文明開化の雰囲気とマッチしたので、爆発的に流行しました。
この品には、何が描かれているのかわからないほど、ベロ藍がふんだんに使われています。
非常に大きな皿で一見、複雑な図柄に見えますが、
4回対称の模様になっています。
よくみると、基本的な模様は花ですね。
裏側には・・・
大きな目跡が5つ。
高台内の銘は「青」? この印は、幕末期伊万里の皿で見たことがあるような気がします。
幕末ー明治にありそうな裏模様。高台疂付にはうっすらと緋色が出ています。
実は、この皿は、もらい物です。
故玩館をオープンしてしばらくたって、四国の叔母(妻方)から電話がありました。「ウチにも古い皿があるから、展示したら」・・・話から推して、明治のベロ藍のようです。今さら、ベロ藍でもないし・・・と二の足を踏んでいたら、「今度、姫路へ行くのでそこで渡す」と、もう、スケジュールまで決まっていたのでした(^^; 姫路城観光のバス旅行があり、それで来るのとこと。致し方ない、ま、ついでに姫路城見物も悪くないな、ということで、新幹線で姫路へ。観光バスの駐車場へ行ってビックリ。ものすごい数の大型バスがずらり。やっとのことでさがしあてました。他の乗客はお城見物へでかけ、バスの中には叔母一人。運転手さんに、荷物を出してもらって、その大きさにまたビックリ。しかも、完璧に包装されているではありませんか。「このまま宅配で送ればよかったのに」に対して、「宅配は信用できん」とのお言葉。ごもっとも(^^; で、姫路城は?「もう行く気がせん」とのお言葉。確かに、お城ははるか彼方です。そう思うと、我われも行く気が失せました。結局、巨大な皿を抱えて、そのまま新幹線で帰路につきました。それにしても、昭和一桁世代の女性、恐るべし(^.^)
ベロ藍の陶磁器は、明治時代に流行しました。技法的には、染付と印判手があり、今回の品は染付です。問題は産地です。当時、これだけの大きさの磁器皿を作れるのは、伊万里か瀬戸・美濃。まだ流通が発達していない時期ですから、瀬戸・美濃では遠すぎます。四国松山で賄ったとすれば、やはり、伊万里とみて良いのではないでしょうか。他に砥部焼も考えられますが、もしそうならば、「これは砥部だ」というふうに、伝来するはずです。というのも、伊予の人たちにとって、砥部焼は特別の意味をもっているらしいからです。叔母が何も講釈をつけなかったことからしても、今回の品は、「ベロ藍伊万里大皿」ですね(^.^)
お城に行かないのに、受け渡し場所が「姫路城」というのが愉快ですね。
宅配は信用できん!と言われるからには叔母さまが大事にされていたものでしょうね。
径8.6㎝、堂々たるお皿ですね♪
運ぶのも重くて大変でしたね(^_-)-☆
そうなんです、何のために姫路城下まで行ったのやら(^^;
運送ドライバーを兼ねていた観光バスの運転手さんも、おそらく苦笑していたでしょう。
そんなことには気にもかけない肝っ玉叔母さんです。やたら場所をとる大皿ですが、展示をしないわけにはいきません(^^;
この裏文様はよく江戸後期の伊万里に登場してきますよね。
また、「柴田コレクションⅣ」によりますと、この「青」に似た銘は1840~1860年代に登場してくるように書かれていますね。
ベロ藍が実際に幕末の何時の頃から使われるようになったのか、私は勉強不足で知りませんが、そのようなことから、この大皿は、幕末に作られた可能性がありますね。
私も、産地は伊万里だろうと思います。
当時、これだけの大きさの、しかも見事な絵付のものを作れたのは伊万里くらいだったと思うからです。
この大皿は、伝世の経緯、その受け渡しのエピソードも含め、故玩館ゆかりの大皿となりましたね(^-^*)
少し余裕のある家では、こういう品を競って買い求めたのだと思います。
江戸後期に、北斎がベロ藍を使った藍摺絵で浮世絵に大変革をもたらした時と似ていますね。
この皿、線描が伊万里にしては甘いと思うのですが時代の流れでしょうがなかったのでしょうか。
それにしても大きい皿です。いろんな意味でもてあまし気味です(^^;
ベロ藍ならではの発色を生かした濃厚さが他の時代の品にはない魅力があります。
ベロ藍というと幕末~明治のイメージが強いですが、最初に輸入されたのは1747年ですから(調べたら)
かなり歴史のあるものであることを知りました。
当時、ベロ藍は高かったでしょうが。こんなにもふんだんに使ってよいのかな、と思いました(^^; 今となっては、時代が激変する中で、試行錯誤していた伊万里の証人ですね。
北斎は、新しい青をいち早く取り入れて、トップ浮世絵師になったそうです。