遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

江戸中期色紙『新六歌仙和歌、俊成、慈円、定家、家隆、西行』

2023年08月22日 | 文人書画

以前、故玩館の座敷を紹介しました。

故玩館をオープンして間もない頃。

現在の様子。

さて、ここで問題です。

二つの写真で、大きく異なるのはどこでしょう?

「床のガラクタ類が多くなっている!」

ハズレです。

当たり前すぎて、問題になりません(^^;

正解は、「左上の天袋」です。

白紙であったのが、何やら和歌のような書が・・・

5枚、貼られています。

天袋が白では淋しいので、ずっと以前に入手した和歌色紙を自分で貼りました(^^;

品物は、分厚い和紙に包まれていました。

その中には、5枚の和歌色紙とともに、極めが入っていました。

古筆鑑定家、大倉好斎(1795-1862)の極め(文政十二年)です。

いわゆる折り紙ですね。折り紙は折形に包まれています。

新六歌仙のうちの五人、慈円、俊成、西行、定家、家隆の和歌をしたためた人々(中山殿篤親卿以下5人)の名が記されています。

前大納言 中山篤親(なかやまあつちか、明暦二(1656)年-享保元(1716)年)
江戸時代前期、中期の公卿。

中納言 東圓基長(ひがしぞの もとなが、延宝三(1675)年ー享保十三年(1728)年)
江戸時代中期の公卿。別名、基雅。

宰相 六条有藤(ろくじょう ありふじ、寛文十二(1672)ね-享保十四(1729)年)
江戸時代中期の公卿、歌人。

前大納言 姉小路公量(あねこうじきみかず、慶安四(1651)年ー享保八(1723)年)
江戸時代前期、中期の公卿。
 
二品道仁(にほんみちひと、元禄二(1689)年-享保十八(1733)年)梶井宮道仁親王。
江戸時代中期の親王。二品 (にほん)とは、一品から四品まである親王の位(四等級)のうち、第二等の位階。

もう一枚、大判の折り紙が付いていました。

これによると、元々は6人分の和歌色紙だったらしい。

残念ながら、文政12年の段階で、後京極良経の和歌色紙(右大臣二条網平筆)は失われていたようです。

白紙の天袋に5枚の色紙を貼り込むのは、素人には大変難しいものでした。とにかく、レイアウトが単調では味気ない。そこで、和歌色紙(18.5x21.0㎝)以外に、別途入手した料紙(17.5x20.0㎝)を交えて貼り込みました。

その結果です。うーん、イマイチです。が、しょせんは素人、こんなものかとも(^.^)

五歌仙の和歌です。

  皇太后宮太夫 俊成
住わひてミをかく
すへき山さとに
 あまりくまなき
 夜半の月かな  (中納言 東圓基長筆)

住みわびて身を隠すべき山里に
          あまり隈なき夜半の月かな

 

 前大僧正 慈円
月              
 そ        あふけは
 さや            空に
  けき             
思ふ事なととふ
  人のなかるらむ
(前大納言 中山篤親筆)

思ふことなど問ふ人のなかるらむ
           仰げば空に月ぞさやけき

 

  前中納言 定家
駒とめてそて
うちはらふかけも
なしさのヽ
わたりの雪の
ゆふくれ        (前大納言 姉小路公量筆)
                   
駒とめて袖うち払ふかげもなし
           佐野のわたりの雪の夕暮れ

 

  西行法師
おしなへてはなの
さかりになりにけり
山のはことにかゝる
しらくも       (宰相 六条有藤筆)
                  
おしなべて花の盛りになりにけり
            山の端ごとにかかる白雲

 

  従二位 家隆
あけはまたこゆへき
山のミねなれや
そらゆくつきの
すゑのしら雲      (梶井宮親王 二品道仁筆)
                
明けば又越ゆべき山の峯なれや
         空行く月の末の白雲

 

江戸時代の公卿さん達、いずれも達筆です。

伝統文化を守り伝えていくのが公家の役割でした。しかし、この時代、それだけでは食べていけないので、和歌や書道などの家元となって免許料を得たり、今回のような色紙を書いたりして収入を得ていたようです。

お公家さんも大変だったのですね。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2023-08-22 10:33:40
凄い作業をしたのですね!
故玩館も、だんだんと、宝物館へと変貌していってますね(^-^*)

江戸時代の公卿さんも大変だったでしょうね。
収入がほとんどなくなってしまったでしょうから、生活を維持していくのは大変だったでしょうね。
ということは、当時、このような物は相当に高額だったということですね。当時の公家さんの生活を支える一助だったわけですから、、、。
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Dr.Kさんへ (遅生)
2023-08-22 11:33:23
最初は、かなりドキドキ、それから相当長く悩みました。といのも、色紙の組み合わせが無限にあるからです。そこで、ええい野となれ山となれの心境で、糊をつけ貼りました(^.^)

公家も自負がありますから、大名や上級武士相手に和歌や書を教えていたようです。こういう物は、世が世なれば、私の所に来るような代物ではないです。うれしいような、さびしいような。
時代の波に翻弄されるのは、いつの世でも同じですね。
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Unknown (クリン)
2023-08-22 11:59:42
すばらしいです🐻✨✨!!!
どこにどのように貼ろうかと考えている時は楽しいでしょうが、いざ貼ろうという段階になると、紙を切る手がふるえてしまいそうですっ
間に挟んだ料紙も色・柄・すらして貼る貼り方も含め、すべて合ってますね👑国宝の画帖をはがしてここに付けたみたいになってます⤴✨王朝絵巻みたいでステキです💛
江戸時代のお公家さんの文字って、「三筆や三蹟」の文字よりゆうが(優雅)で好きです💡くらべちゃいけないのかもしれないけど・・
(それにしても、違い棚の上にずいぶんたくさん物が乗っかっていますが・・)
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クリンちゃんへ (遅生)
2023-08-22 13:58:45
いやー、貼った当時のことを考えると、我ながらよく思い切ったもんだと感心します。
糊は何にしようか、貼り間違えたら剥がせるのか、etc.,
最終的には、一応全部自分の物だからまーいいか、となりました(^.^)

お公家さんたちの字は、当時主流の御家流とはちがって、やはり優雅でどことなく花がありますね。

違い棚の上の品々はどう考えても多すぎますね。一度出すとしまえない性格なもんで。ただ、小さい頃、この棚に手を掛けて、鉄棒遊びをしていました。案外丈夫なのは実証済み(^^;
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素晴らしいとしか言えない (うばゆり3)
2023-08-22 14:16:45
こんにちは。

天袋のこんなに雅なものは初めて見ました。
我が家のものはと、今見に行ってきました(笑)
ありきたりの松の絵でした。描かれた時代は古いと思いますが(;^_^A

挟んだ料紙が効いていますね。
マイルームの押し入れの襖は味気ない無地。
今は綺麗ですが、いずれこんな風に和歌を貼ってみたいです。
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うばゆり3さんへ (遅生)
2023-08-22 16:04:50
天袋に貼る品、他の絵も用意していたのですが、あまりしっくりとこなくて、結局、今回の物になりました。
以前、いっそ、扉ごと変えてしまおうと考えたことがあり、良い絵の扉を見つけました。しかし、サイズが合いません。天袋の大きさは、規格化されているわけではないようです。
今、この手の色紙は需要がそれほどありませんから、お値打ちに入手できると思います。ぜひ、トライしてみてください。
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Unknown (1948219suisen)
2023-08-23 15:00:59
なかなか立派な出来栄えでございますね。

こういう達筆の貴族に書かれた和歌は一入味わい深いものでございますね。

記事の中の

明けば又越えゆべき山の峯なれや〜

の「越えゆ」の「え」は、ひょっとして消し忘れでしょうか?

が、こういうふう変体仮名で書かれた歌を現代人にもわかるように直される遅生様の力量は大したものでございますね。
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1948219suisenさんへ (遅生)
2023-08-23 16:14:38
たまにはこういう書もいいですね。
必死で平安の雅を受け継いできた公家たちですが、武士の世ではなかなか厳しい状況にあったようです。

ご指摘のように、消し忘れでした。早速、訂正しました。ありがとうございます。
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