毎回、ネタ探しで四苦八苦のgooブログですが、早くも、4年がすぎました。いつものガラクタより、ワンランク上の物を出さねばと探し出したのが今回の品です。
径 30.1㎝、高 8.8㎝、高台径 16.2㎝、最大幅(含把手) 48.4㎝。重 1.54㎏。中国唐時代。
器体は四輪花型の青銅器、内と外、全面に毛彫りで模様が彫られ、渡金が施されています。
見込みには、大きく、つがいの鴛鴦が凸紋で配してあります。
各模様には、非常に細かな彫りが施されています。
中央の模様は、周囲や外側の模様とは異なり、凸型で盛りあがっています。一方、対応する底の部分は平らです。ですから、器の中央部を叩いて鴛鴦模様を浮き出したのではなく、別の凸型金属板に模様を彫り、それを見込みに張り付けてあるのです。
中央の鴛鴦のまわりを八個の団華紋が囲っています。この団華紋も、宝相華唐草の花の上にがあしらってあります。大変目出度い図柄です。
器の外周も内側と同じように、渡金が施された団華紋が八個あしらわれています。
打ち出し金具でできた2個の把手は、非常に頑丈で、この器が実用品であることが伺えます。
把手の取り付け具は、鬼面。
高台の外周にも、宝相華が。
入手時、今回の品は全面が灰色の堅い土で覆われていて、発掘品特有の錆び付いた金属鉢にしか思えませんでした。しかし、所どころにキラっと光るものが見えていて、これはひょっとして名品かも知れないと思い、家に連れて帰りました。
表面にびっしりとこびりついた土錆を、指の爪で少しずつ、根気よく剥ぎ取っていくと、見事な金色の鳳凰があらわれてきました。錫ヘラや竹べら等、いろいろな道具がありますが、人間の爪ほど、ほどよい堅さと絶妙の形をもったものはありません。本体を傷つけないように慎重に作業をしたので、全体の土錆びを剥がし終わるのに、1か月かかりました。爪も相当傷みました(^^;
底部には、取り切れない土錆びが残っています。
このような土錆びは、2、30年の土中では出来ようがありません。陶磁器の窯跡付近の物原からは、多くの陶磁器破片が埋もれています。その中には、ほぼ本体の一部になった土錆びに覆われている物があります。数百年の間に、土中成分と陶磁器表面が反応した結果です。今回の品は、中国の贋物によくある、赤土で汚したような品ではなく、何百年も土の中に埋もれていた物で間違いないと思います。ただ、金属は、陶磁器ほど、土成分との親和性が大きくないので、金属鉢が土錆びと一体化するまでには至らなかったのでしょう。それが幸いして、何とか土錆びを落とすことができました(^.^)
今回の品と非常によく似た物が資料にありました。中国の名刹、法門寺の地下の部屋から見つかった品です。当然、土錆びにまみれてはいません。それに、鉢本体は、青銅ではなく銀製です。
中国の古陶磁器の大半も、風化はあるものの、土錆びが堅くこびり付いてはいません。これは、それらのほとんどが明器で、地下の空間に納められていたからです。
それに対して、今回の品物は、直接土中に埋もれていた物です。中国では、以前は莫大な量の古物が発掘されていました。文革時、あまりに大量の品が世界中に流出したため、中国古陶磁の相場が、数十分の一に低下したほどです。そのため、今回のような品にはこれまで目が向けられませんでした。
しかし、現在の中国では、大規模な発掘は不可能です。盗掘は、当然厳禁です。そこで、今回のような品物にスポットライトが当たることになります。
では、今回の品物はどこにあった物なのでしょうか。良く知られているように、中国ではしばしば大きな戦乱が起こり、体制が変わりました。豪族やお金持ちの中には、安定した時代が来るまで、自分のお宝を土中に埋めておこうとした人がかなりいたようです。日本でも、御先祖が裏庭のどこかに〇〇を埋めたそうな、という話はよくありますね。これが中国では、かなり一般的であったようです。
このような事が書かれた記事を、昔、骨董雑誌で読みました。しかし、どれだけ探しても、その記事が見つかりません。少々悔いの残る4周年ブログになってしまいました(^^;