遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿・大鉢16 伊万里染付仁田忠常猪退治図輪花大皿

2021年12月15日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今から25年程前、骨董屋の店頭にありました。

変わった皿だなあ、という第一印象、しかも、猪絵の伊万里皿は珍しいので購入しました。

径 47.9㎝、高台径 27.4㎝、高 9.4㎝。江戸後期。

とにかく、構図と絵柄、ともに変わっています。

富士山の中腹に太く横たわるのは雲でしょうか。

上側のどっしりとした富士山とは対照的に、下側では激しい動きが。

地面が大きく湾曲して、ただ事ならぬ事態を思わせます。

主役はもちろん、猪と男。表情が少し滑稽で、男の左足も異様に長いですが、まあ、細かい事を抜きにすれば、緊迫した感じが伝わってきます。

それにしても、これは一体何の絵だろうか?

ずっと疑問のまま、20年ほどが経ちました。ある時、浮世絵の図録を見ていたら、よく似た絵があるではありませんか。題して、「源頼朝富士裾野牧狩図」、絵師は渓斎英泉。調べてみると、同様の絵柄は、浮世絵、山車の彫刻装飾などに多くあり、江戸時代には人気の画題でした。

鎌倉に幕府をひらいた源頼朝は、建久四年春、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。その時、突然、大猪が現れ、突進してきました。家臣たちがなすすべもなく見守るなか、仁田(新田)四郎忠常が、荒れ狂う猪に飛び乗り、腰の刀を抜いて、猪を退治しました。この時、忠常は、猪に後ろ向きに跨っていたそうです。そして、その日の夜、曽我兄弟が、父の仇、頼朝を討ちに押し入り、兄の曽我十郎は、仁田忠常に討ち取らます(『曽我物語』)。

どこまでが史実で、どこまでがフィクションかわかりませんが、仁田忠常が勇猛果敢な武将であったことは事実のようです。しかし、忠常自身も、この年、謀反の疑いをかけられ、謀殺されてしまうのです。

いかにもドラマチックな人生なので、江戸時代、人々に人気があり、猪退治の絵が好んで描かれたのでしょう。

裏模様は、桃?柿?

外周に描かれた草花は、忠常の活躍に花を添えているかのようです。

 

おまけ:久しぶりの見立てです。

「雪に埋もれたシロクマの赤ちゃん」

「すみっコぐらし」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする