遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

井上円了『誨不倦』

2021年12月08日 | 文人書画

先日のブログで、山岡鉄舟の書『花隠逸』を紹介しました。その書の奥は・・・

仏間です。

仏壇の上方には、ずっと(100年程)扁額が掛かっていました。しかし、故玩館を改修するにあたって、天井の補強が必要となり、ここに掛けるスペースがなくなってしまいました。

で、現在は・・・

90度回った所の梁に掛けてあります。

実はこの部屋、物心ついた頃から私が寝る場所でした。

蒲団に横になれば、自然とこの額が目に入ります。

これは一体、何という字だろう?こんな漢字が日本語にあるのか?それとも、創作漢字?

毎日、あれこれ考えながら、いつのまにか大人になりました。でも、わからない。

一度、某書家が故玩館へ来ました。そのとき、彼は「〇〇・・〇〇」と読んだので、なるほどと納得したのですが、すぐに「〇〇・・〇〇」を忘れてしまいました(^^;

 

ところがブログを書くにあたり、調べてみたところ、スッとわかりました。チャンとした漢字でした。拍子抜け(^^;

誨:カイ、ケ
       おしえる
倦:ケン、ゲン
       うむ、あきる、つかれる    
                          
ですから、この扁額に書かれているのは、
誨不倦:カイフケン
    誨(おし)えて倦(う)まず

元々の語句は、孔子の論語、述而第七の二にありました。
「默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」
 黙して之を識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人に誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。
「学んだことを黙って心に刻み、学ぶことを厭わず、学びを人に教えて飽きることがない。私にこれ以上のことがあるだろうか」

おお、これで、70年越しの疑問が氷解しました(相変わらず大げさ(^^)

この書を書いた井上円了は、妖怪学のパイオニアとしても知られています。明治の文明開化期、人々の俗信、迷信を打ち払って近代化を進めるためには、科学による妖怪研究が必要と考えたからです。明治39年(1906)以降、井上円了は、日本全国、そして中国へも出かけて、哲学と妖怪学を人々に説く活動を死ぬまで続けました。

故玩館のこの額は、おそらく、井上円了が当地に講演に来た際、祖父が書いてもらったのではないかと思います。扁額『誨不倦』の右上の印は、「大正丙辰年」(大正5年、1916)と読めます。井上円了、晩年の作といって良いでしょう。

故玩館の改修前、大学生2人がここに泊ったことがあります。私たちは、その横の小さな家で生活(今も)、二人は古いながらも大きな一軒家で好き放題。酒盛りで、盛り上がったことでしょう。

で、その日の真夜中、二人が蒲団を担ぎ、どこでもいいから寝させてほしい、と私の家の玄関先に立っていました。聞くと、「お化けが出そうだ」と青い顔で言うのです。改修前ですから、家はボロボロ。柱は傾き、あちこちから隙間風が入って来ます。雨戸はギシギシと音を立てる。おまけに、部屋の鴨居には、御先祖様の写真や肖像画がずらっと並んで、こちらを見ているのです。慣れていないと気味が悪くなるのかも知れません。

井上円了の妖怪学から100年。広く啓蒙活動を行った井上円了が、孔子の教え『誨人不倦』に従い、人々に妖怪について正しい認識を説いてから100年。まだ、妖怪は生きていて、『誨不倦』扁額を掲げ続ける必要があるようです(^.^)

ps. この扁額『誨不倦』は、メチャクチャに汚れています。実は、60年前の伊勢湾台風の時、屋根がぬけて、この部屋も屋外になってしまいました。暴風雨で無惨な姿になった扁額を、表具屋さんで染み抜き修復の後、表装し直してもらったのです。台風の後、室内はメチャクチャでしたが、不思議なことに仏壇は全くの無傷、人間も無事でした(^.^)

 

 

コメント (4)
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