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誕生日は、親に感謝の日。

2007年10月03日 11時10分13秒 | Weblog
今月は、私の誕生月!

年はとりたくないね!って・・
まぁ、年はお互い一年づつ平等にとっていきますから・・


還暦過ぎたら、天然ボケで、あれいくつになったかな?なんて、主人の年から5歳ひいて、あっツ そうだ・・才だあぁ!

ある年、私は自分の出生に特別な思いを感じたので、そのことを母親に話したことがあります。母親も、「ほんとうにこの年まで、よく生きてくれたなぁ」と母親の自分の年をおいといて、私のことを今更ながら、喜んでくれました。

そして亡くなった子供のことも、一日も忘れたことがないとも言っていました。


私って、本当に奇跡的な生まれなのです。
もちろんだれでも、この世に自分が生まれ出ることは、天文学的数字の確率のような、大事な一つの命ですが・・

私のすぐ上の兄は、私が生まれる一年前の9月に、生まれてすぐに亡くなりました。戦時中の食べ物がない時代の妊婦には、大変な苦労があったと思います。

その次の10月私が産まれました。子供さんを産まれた方ならわかると思いますが、母乳を与えていたら、絶対にこんなにすぐには、次の子供は産まれませんね。

そういう状況の中、かぼちゃかさつまいもくらいしか食べるものがない疎開先で10月に私が産まれました。

私が母のお腹にいるほとんど、母は前の子供を亡くした悲しみを抱えていたようです。

その悲しみも私を出産して、少しは消えたと思われる12月、私のすぐ上の姉、当時3歳の一番かわいい盛りの時、姉はジフテリヤで亡くなりました。

どんな悲しみに耐えて、私を育ててくれたでしょう。
母乳も決していいお乳が出たとは思えないですね。

私も母になり、時が経ち自分の育った環境を思うと、胎教も乳児の時代も決していい状態でなく育ったようです。

それでも、現在人並みに元気でおれる有難さ、親に感謝せずにはおれません。
そういう状況に気付いてから私の誕生日は、親に感謝する日になりました。
親が生存中、私の誕生日に親を訪ね、お礼の気持ちとささやかなプレゼントを続けました。

子供の時代は、親にとって、子供の一年一年の成長の区切り、誕生日は喜びです。
しかし大人になったら、この一年元気に過ごせたことを、親に感謝する大事な日ですね。

もう親はいませんが、貴重な命をいただいた日です。あらためて感謝の気持ちを伝えたいです。

**お父さん・お母さん ありがとうございました**