大阪の富田林にある教会の福野牧師が来て下さっての聖日礼拝でした。
その前の賛美も聖餐式も、真に心に染み入るものでした。
娘が 賛美の途中で意識ある発作になりましたが
じっと我慢できる力を与えられたことも感謝でした。
前なら そのまま叫びまわって、転がりまわっての発作になるようなものでした。
感謝でした。
福野牧師のメッセージは 何度も聞いていますが
誰とも違う観点で聖書のみことばの奥を解釈して下さって
私のようなものにも しっかりと理解できるように
神の栄光を語って下さるので
私は大好きなのです。
目からウロコが何枚も落ちるのです。
イエス様を救い主として心にお迎えしても
不安や 疑心は起こってくる!デモ、それを信仰によって
払いのけ、勝利していくのがクリスチャンだといわれました。
心から「アーメン」と答えられている自分がいました。
私たち人間は 神によってやるべきことがあるのですが
決して 神様はそれを強制なさるお方ではなく
私たちが 「なにをすればよいですか?」と聞くことによって
心に教えて下さると言う事、
神様が人間を創られたのには 意味があるのです。
私たちは タダ単に食べて寝て仕事して・・・の人生ではない!
神がなさりたいことを、この世でするために、存在している。
神様に聞かないで 自分勝手な行動で得た財は 全て取り去られる時がくる
と創世記にあるアブラム(後のアブラハム)の聖別された人生から
(財を成すが又全てをなくして神の元に帰る)
話して下さった。
礼拝で「あ~恵まれたね」だけでは 3日ともたないそうです。
その祝福は取り去られてしまう。
私たちは 種まきをしなければ、刈り取ることができないのです。
「じゃあ何をすればいいのか」
それを神様に聞くのです・・・といわれました。
「いつも喜んでいなさい
たえず祈りなさい、
すべての事に感謝しなさい」そのイエスさまのみことばどうりに生きたいと
思っている私には 素晴らしいメッセージで感動しました。
先日教会の姉妹から 私の従兄弟によって導かれたという方にお会いしたと聞きました。
私も知らなかったのですが、
従兄弟が「いつも喜んでいなさい・・・」の生き方をしたいと
言っていた事を、きき、「あ~同じだ!」とうれしくなりました。
私もその従兄弟に導かれて救われたのです・・・。
カナダに居る従兄弟ですが、イエスさまをとうして
益々近付いている感を強くしました。