とても感動しました。そして目からウロコでした。
沢山の人達にも読んで貰い、想いを共有したいと心から思いシェアさせていただきました。
感謝です。
死海
芳醇なガリラヤ湖
「受けて、与えて生きる」
中東のイスラエル周辺は聖書の舞台となった場所です。
イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という代表的な湖があります。
二つの湖は、それぞれ同じ水源なのに、
一方のガリラヤ湖は多数の魚が生息し、豊かな自然の宝庫です。
もう一方の死海は魚一匹泳いでいないし、
周囲には荒れ果てた荒野が広がっています。
何が違うのでしょうか?
ガリラヤ湖は、
ヘルモン山から流れた受けた水を、ヨルダン川に流し出しています。
つまり、受けて、与えています。
死海は、ガリラヤ湖からヨルダン川を経由して流れた水を受けるけど、
湖面の海抜はマイナス418mで、それ以上低い場所がないので、
終着点となり水を流し出す場所がありません。
受けるだけです。
結果、ガリラヤ湖は、水の循環があり命に満ち溢れています。
死海は、流れこんだ水分が蒸発し、塩分が約30%で、命が生息することはできません。
この二つの湖は、
神様が実物教育の視聴覚教材として作られたとしか思えないほど大切なことを教えてくれます。
受けるだけの生き方の人は、死海のように命や実りのない状態になってしまいます。
不思議に思うことは、
受けるばっかりで与えない人は、損をしないので豊かになるはずですが、
口から出てくる言葉は不満や不足ばかりで、喜びがありません。
人から好かれないし、あまりうだつの上がらない生き方をしています。
しかし、受けると同時に、与える人がいます。
それはお金や物だけではなく、自分の時間、受けて学んだノウハウ、
知恵、愛の言葉、笑顔、親切など、
自分の持っている良いものを豊かに与える人は、
口から出てくる言葉に感謝が多く、喜びに溢れ、人から好かれ、
何をしてもうまく行きます。
「主イエスご自身が、
『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出しなさい」
(使徒の働き20:35)
与えると、物理的に持っているものが減ってしまいます。
しかし、なぜ与えることが幸いなのでしょうか?
① 与える心は豊かである
② 与えて相手が喜ぶ顔を見てうれしい
③ 与えて受け取った相手から何かが帰ってくることでさらにうれしくなる
④ 受けた人は与えた人にお恩返しをしたくなるので、
与えた人が貧しいままでいることはない
⑤ 受けた人は与えた人に好意を抱き、成功のチャンスを与えたくなる
与えないと、物理的に持っているものは減らず、増える一方なのに、
幸いではないのでしょうか?
① 与えない心はケチで貧しい
② 与えないので相手が喜ぶ顔を見る機会が少なくなる
③ 与えないので、相手から何かが帰ってくることがあまりない
④ 相手は、与えないので、困っている姿を見ても助けてくれることは希である
⑤ 相手は、与えない人に好意を抱かず、成功のチャンスは逃げてしまう
あなたはガリラヤ湖的な、受けて与える人生を生きていますか?
それとも、死海的な、受けるだけの人生を生きていますか?
与えることができない人は、今貧しいことが理由かも知れません。
あるいは、豊かにもらった経験がないかも知れません。
神は、あなたに豊かに与えて下さる方です。
神から豊かに受けて、同時に、神と人に豊かに与えていく人生を歩んでみませんか?
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
(ローマ人への手紙8:32)
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、
あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。
あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
(ルカの福音書6:38)
最後に、ガリラヤ湖的生き方が良くて
死海的生き方が悪いようなイメージで終わってしまったら、
聖書の福音より因果応報の話で集結してしまいますので、
おまけの結論を付け加えます。
死海は、受けるだけで、受けて、受けて、受け続けて、
命はないけれど宝の海になりました。
塩分が濃く、沈むことができません。
浮いてしまうのです。
死海は現在観光地の一つです。
また死海の成分から様々な製品が作られて、国の収入源となっています。
神様は、受けて与える人生の素晴らしさを教えると同時に、
受けるだけの人生も、命の豊かさがないけれど、
違う祝福を下さっているんだなーと思います。
受けるだけの人も神に愛されています。神様は素晴らしいです。
今日も喜びに溢れた一日でありますように。
沢山の人達にも読んで貰い、想いを共有したいと心から思いシェアさせていただきました。
感謝です。
死海
芳醇なガリラヤ湖
「受けて、与えて生きる」
中東のイスラエル周辺は聖書の舞台となった場所です。
イスラエルには、ガリラヤ湖と死海という代表的な湖があります。
二つの湖は、それぞれ同じ水源なのに、
一方のガリラヤ湖は多数の魚が生息し、豊かな自然の宝庫です。
もう一方の死海は魚一匹泳いでいないし、
周囲には荒れ果てた荒野が広がっています。
何が違うのでしょうか?
ガリラヤ湖は、
ヘルモン山から流れた受けた水を、ヨルダン川に流し出しています。
つまり、受けて、与えています。
死海は、ガリラヤ湖からヨルダン川を経由して流れた水を受けるけど、
湖面の海抜はマイナス418mで、それ以上低い場所がないので、
終着点となり水を流し出す場所がありません。
受けるだけです。
結果、ガリラヤ湖は、水の循環があり命に満ち溢れています。
死海は、流れこんだ水分が蒸発し、塩分が約30%で、命が生息することはできません。
この二つの湖は、
神様が実物教育の視聴覚教材として作られたとしか思えないほど大切なことを教えてくれます。
受けるだけの生き方の人は、死海のように命や実りのない状態になってしまいます。
不思議に思うことは、
受けるばっかりで与えない人は、損をしないので豊かになるはずですが、
口から出てくる言葉は不満や不足ばかりで、喜びがありません。
人から好かれないし、あまりうだつの上がらない生き方をしています。
しかし、受けると同時に、与える人がいます。
それはお金や物だけではなく、自分の時間、受けて学んだノウハウ、
知恵、愛の言葉、笑顔、親切など、
自分の持っている良いものを豊かに与える人は、
口から出てくる言葉に感謝が多く、喜びに溢れ、人から好かれ、
何をしてもうまく行きます。
「主イエスご自身が、
『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出しなさい」
(使徒の働き20:35)
与えると、物理的に持っているものが減ってしまいます。
しかし、なぜ与えることが幸いなのでしょうか?
① 与える心は豊かである
② 与えて相手が喜ぶ顔を見てうれしい
③ 与えて受け取った相手から何かが帰ってくることでさらにうれしくなる
④ 受けた人は与えた人にお恩返しをしたくなるので、
与えた人が貧しいままでいることはない
⑤ 受けた人は与えた人に好意を抱き、成功のチャンスを与えたくなる
与えないと、物理的に持っているものは減らず、増える一方なのに、
幸いではないのでしょうか?
① 与えない心はケチで貧しい
② 与えないので相手が喜ぶ顔を見る機会が少なくなる
③ 与えないので、相手から何かが帰ってくることがあまりない
④ 相手は、与えないので、困っている姿を見ても助けてくれることは希である
⑤ 相手は、与えない人に好意を抱かず、成功のチャンスは逃げてしまう
あなたはガリラヤ湖的な、受けて与える人生を生きていますか?
それとも、死海的な、受けるだけの人生を生きていますか?
与えることができない人は、今貧しいことが理由かも知れません。
あるいは、豊かにもらった経験がないかも知れません。
神は、あなたに豊かに与えて下さる方です。
神から豊かに受けて、同時に、神と人に豊かに与えていく人生を歩んでみませんか?
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
(ローマ人への手紙8:32)
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。
人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、
あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。
あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
(ルカの福音書6:38)
最後に、ガリラヤ湖的生き方が良くて
死海的生き方が悪いようなイメージで終わってしまったら、
聖書の福音より因果応報の話で集結してしまいますので、
おまけの結論を付け加えます。
死海は、受けるだけで、受けて、受けて、受け続けて、
命はないけれど宝の海になりました。
塩分が濃く、沈むことができません。
浮いてしまうのです。
死海は現在観光地の一つです。
また死海の成分から様々な製品が作られて、国の収入源となっています。
神様は、受けて与える人生の素晴らしさを教えると同時に、
受けるだけの人生も、命の豊かさがないけれど、
違う祝福を下さっているんだなーと思います。
受けるだけの人も神に愛されています。神様は素晴らしいです。
今日も喜びに溢れた一日でありますように。