どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

JASAの牧場

2012-02-24 15:19:52 | Weblog
スゲー雪。
膝までズッポリ。
右のおっさん、パーカーにクロックス…
舐めてるね。
舐めくさってるね。
アニマルシェルターの移転と牧場の下見じゃよ~。
場所は…秘密だ。
寝不足には辛い雪山登山でしたが、富士山に比べれば屁みたいなもんだ。
ぷ~

さて、デザイン残り38件。
終わるかな?
終わるだろ。
頑張れ俺の右手。

ダボークリック!

もう。

2012-02-24 05:17:42 | Weblog
ご要望がありましたな。
書きますとも。
言われてやるってのは好きではないが、元々書く予定だったからね。

先週の金曜日。
白川中学校に行って来ました。
全校生徒で来てくれた中学校。

迷いに迷った挙句、一部の平日スコップ団と一緒に活動をすることに。
山元町の教育委員会とも連携したりしたね。

彼等からエールをもらって、挨拶ももらって、くすぐったいような感覚が忘れられない。

そのお礼に行ってきた。

あらら。
こんな日が俺の人生に来るなんて。
先生達からは怒られるならまだしも、歓迎されちったぜ!


スコップ団員の校長。
「あのですね、山下第二小学校の正門掃除。」
「へぇ。」
「我々も同業だから行きますね。」
「サンキュー!」


学校の廊下っていいね。
走りたくなる。


何室だろう?
実験したい!
なんでもいいから、実験とかしたい。
で、すぐ「飽きた~。」と言って女子と遊びたい!


校長のお話し。
「え~、芸能人並みの忙しいスコップ団の団長と副団長が来たよ~。」


「そんなことねぇよ~。普通のオッサンだよ~。誰も見向きもしなくなるくらいでいいんじゃよ~。」


何を話したのか、サッパリ覚えておらんわい。


お金を集めてくれたんだって!
どうもありがとう!
君のスピーチ。
忘れちゃったけど、泣きそうになった。


会長じゃねぇか。


ありがとね!


校長「質問ある人~?」


コレ、スコップ団先生。
左の奴は、高校、大学が後輩です。
たまたま。


「今まで大変だったことってありますか?」
「ねぇ!」
「座右の銘はなんですか?」
「ねぇ!いや、ある。【いやよ、いやよも好きのうち】」
副団長二人の、
「こいつ!言いおった~!!」
に笑ったが、下ネタの話じゃない。
批判的な態度でも、無関心よりはマシだという深い意味がある。
俺の中では。


「なるほどね。」


ば~ぶ~!


校長先生。
素晴らしいご指導をされておるのう。
みんな、本当に素敵な感じがする。
先生達も。


「楽しいことってなんですか?」
「仕事。」


こんなに大勢に拍手を頂くことなんて、ねぇ。


バイバイ。


バイバイ、バイバイ。
また会おう。山の上で。


タケチンは帽子を取られました。
俺はスコグロ。


校長室に戻るとケーキが!
目が離せなくなってる俺。
校長は後ろで、
「そうだ、そうだ、団長に渡すものがあるんだ。」
となんか探してる。


「早く、どうぞ~って言ってくれないかな~。」


「どうぞ~ってまだかな~。」


「はいコレ!さっき生徒が渡したのは目録ですからこっちが中身!」
「ありがとう!(どうぞ~は?)」


「毎晩、寝る前にブログを読んでるんです!」
「そうか!今度、寝れなくなるような内容書くよ。本当になかった怖い話。」


「あ。どうぞ~。」
「どうも~~~~~!!ヘイヘイ!!イチゴちょうだい!」
「あぁ、いいよ。」
「あ~ん。」
「あ~ん。」
人のケーキのイチゴって、どうして美味しいんだろう。
かと言って俺のをあげるかというと、あげないけどね。


生徒がスコップに参加した時の事をレポートしてくれています。
一部、紹介します。

【第一学年】
■私は、今日興味津々で行きました。
でも、海岸に近い家まで行ったとき、呆然としました。
そこには、ごちゃごちゃになった家具や色々な物が山になっていました。
私も少し災害があったことを忘れている一人でした。
でも、今日この光景を見たことでまた、忘れかけていた記憶を取り戻せました。
バスを降り、大きな津波だったということを思い知らされました。
私は最初、家に入り物を外に出しました。
出した物の中に、女の子が書いた絵、アルバム、おもちゃなど色々な物がありました。
今でも人が住んでいそうな物ばかりがありました。
でも、それはみんな泥だらけになっていました。
私は、スコップ団がすごいと思いました。
私もいつか、スコップ団のようになりたいと思いました。

■僕は、この被災地ボランティア活動をやって見て、学んだことが2つありました。
一つ目は、みんなで協力することです。
理由は、今日みたいに早く終わったこともありますが、自分だけでは、一件さえも片付けられないということです。
二つ目は、津波で家が流されたりした人のために今日のスコップ団のような方がいないとだめだということを学びました。
この、今日の被災地ボランティア活動をやってみて、本当に学べることがあったし、
自分から、積極的に行動しないと何も出来ないということが分かったので、もしも、こんな大きな津波などがあったら、
積極的にスコップ団の団長みたいになって僕もボランティア活動をしてみたいと思いました。

【第二学年】
■私は、スコップ団の活動をしてみて二つ学びました。
一つ目は、活動をしている人達全員が今自分が何をしなければならないのかが分かっていて、誰一人として手を止めている人がいなかったことです。
 私は、途中で何をしたらいいか分からなくなって、手を止めてしまうことがありました。
今、自分が何をしなければならないのかを考えて行動に移すことが大事だということを学びました。
二つ目は、自分が思っていることを行動に移すことが一番大事だということです。
これは、スコップ団の団長さんを見て思ったことです。団長さんは、スコップ団を作ろうと思って作ったからです。
私は、だからこそたくさんの人達が団長さんについていくんだと思いました。
私は、実際に被災地に行って見て、行く前は九ヶ月経っても、まだ瓦礫が片づいていないとは思いませんでした。
でも、行ってみてまだこんなにたくさんの瓦礫が残っていてビックリしました。

■改めて震災の大変さを知った。
家の中の物を出している時、いっぱいいろんな思い出の物が泥だらけで出てきた。
皿の割れた破片を探している時、いっぱいいろんな物が出てきた。
それを拾って見ているうちに、(「この家にはどんな人が住んでいたんだろう。」「地震の時、どこにいたんだろう。」)などいろいろ考えていた。
部活動で志津川に行った時、ただ見ているだけで大変だなぁと簡単に思うだけだった。
実際やってみると思ってた以上に大変で片付けると思い出の物やガラスなどの破片がたくさん出てきた。
ここに戻ってきた人が喜べるように家をきれいにできたと思う。
それに、仕事をしている人でふざけたり、おしゃべりしている人が少なく真面目に、仕事をしたり、
休んでいる人もいなく常に行動している人達だった。
自分達もそういうことを意識して、良い行動を続けていけるようにし、良い組織を作って行きます

■今回は、被災地に行くのもスコップ団Jrの体験も始めてでした。
行く前までは、どのくらいの被害なのかなぁと少し軽く考えていました。
しかし、見た光景は、自分の想像をはるかに超えていました。
そこには、新聞やテレビで見たような景色つまり津波の被害にあった所は家が基礎だけになっていたり辺り一面何も無くなっていました。
そこから、自分達の暮らしは随分と幸せなんだなということを思い、かなりの心境の変化がありました。
そして、見るだけでなく、スコップ団の作業をやってみると物がたくさん散乱していて説明を受けていたとおり、
なかなかドロを取り除く作業に手間が掛かり大変でした。
その作業を「自分がやりたいからやる」と進んで何件もの家の清掃をする団長さんをみんな「かっこいい」と言っていますがまさしくそうだと思います。
自分も団長さんのような人になりたいです。

■スコップ団の団長さんがすごいと先生がいうけれどそれが本当だったことが分かった。
団長さんは言葉少ないが他の団員はテキパキと仕事をこなしている。これが、真のリーダーだと僕は思う。
今の三年生でも「これやるから。こうやって」と言うがスコップ団は違った。
団長さんがこれをやると言うと団長さんが動くと同時に何も言わなくてもみんなが動く。
これは一種の信頼があるからだと思う。自分が活動していて思ったことは、思った以上に重労働でした。
やり終わった時は達成感や充実感がありましたが家主さんの思い出の物が出てくると本当にこれを捨ててよいのか、片付けてしまってよいのかと思いました。
一方、津波が来たところを見て、とても予想できないような波が来て、いろんな物をなぎ倒していったんだと想像しました。
また、スコップ団の方々の中にはわざわざ休みをとってここまで来てくれて、スコップ団の方々の温かみを感じました。
分別する時、「これどこに置けばいいですか。」と聞くと優しく「これはあっちかな。」など、嫌な顔一つせず、いつも笑顔でした。
スコップ団のみなさんは本当に優しくしてくれたり、力仕事をやったりと、かっこよくて将来スコップ団のみなさんのようなかっこいい大人になれるようにしたいです。
嫌なことがあったら、今日の景色を思い出して、一日一日を大切にしていなかいと駄目だと感じました。

【第三学年】
■スコップ団には良い人達だらけでした。今回、家をきれいにしに行き、実際初めて壊れた物触れました。
家の中の物を運ぶ時、その家に住んでいた人達、家族の生活の様子や暮らし方が自分の頭の中で思い浮かびました。
泥で汚れた人形やネックレス、友達と撮ったプリクラを見るたびにここに住んでいる人達はどうなったんだろう、どんな思いをしているんだろうという思いでいっぱいになりました。
泥をスコップでかき出す時にトランプがあってこれで遊んでたんだなぁと思いました。
奥からどんどん止まらずに出てきて、震災時の津波がどれほどのものかを考えさせられました。
泥かきを止め、思い出の品物を見て、その家にいた家族の方たちは、うれしく思うのだろうかと思うともっときれいに残したいと思いました。
私が、スコップ団の方々を見ていて気がついたことは「疲れた」という言葉を誰も出していなかったことです。

■僕は初めの方から気合いを入れて作業をしていた。
僕は運が良いことにその気合いが空回りしなかった。
なぜかというと作業が多かったからだ。
僕の気合いが空回りしないくらい作業が多かった。
でも、作業が多くても苦ではなかった。人のためと思うと疲れなかった。
雰囲気もとても良く、場違いだと思うのだが楽しかった。
人助けに理由はいらないと言っていたスコップ団の団長の気持ちが少しわかった気がする。
帰りに見た中浜小学校を見た時は、とてもショックだった。
こんなに近いのにこんなにも違うことをとても恐ろしく感じた。

■終わった後、スコップ団、すごいなってすごく感じました。
毎週土・日曜日ずっとやっていて、きれいにしてるってすごい。
自分は半日でこんな疲れているのに尊敬するわーと思いました。
津波でこんなに家が汚くなって、悲しい気持ちになりました。
(家に住んでいる人の気持ちはどんなんだろう。苦しいだろうな)と感じました。
改めて、私は幸せだなと思いました。
今、生きてていろんな事が出来るのだから、どんどん挑戦した日々を送りたいです。
団長も生で見れて感動でした。かっこよかったです。
団長みたいな人がたくさんいて、日本人すごいと思い嬉しくなりました。
私もスコップ団みたいに人に感謝される行動をしていきたいです。

■スコップ団と一緒に家一軒をきれいにすると最初に聞いた時しんどい作業だと思っていました。
スコップ団のブログを見ていうと大変そうだなと思っていました。
しかし、作業を始めるとちょっと楽しく人のためになっているなと実感しました。
ちょっと汚くて(嫌だなぁ)と思うところはありましたが、最後にはとてもきれいになってすごく達成感がありました。
「あれ、こんなに早く終わるの」と思うくらい早く終わったのでビックリです。
スコップ団のみなさんの作業を様子を見ていて誰一人手を休めている人はいなくて(すごいなぁ)と思いました。
特に団長は何もしゃべらずに静かに黙って作業をしていました。
僕はその団長やスコップ団のみなさんの今日の活動をまねしてこれからもっと人の役に立ちことをして行きたいと思います。

■スコップ団の人と平日をかけて一件の家をきれいにしました。
掃除をする前の家は、人がもう十年近く住んでいないんじゃないかと思うくらいでした。
でもそれはたった一日、一時間とかもっと短い時間でなったものです。
津波が改めて強い物だったんだと感じました。
作業中、スコップ団の方にゴミの分別の場所を訪ねるとみんながそれぞれの場所を知っていて一人一人が積極的に行動していることが分かりました。
止まっている人が少なくて、常に自分が何をすればよいのかを考えて行動しているんだなぁと思いました。
家がきれいになって、達成感がかなりありました。
床もきれいになっていて、ちゃんと畳とかを入れれば住めるんじゃないかと思えるほどきれいでした。
団長さんは先生が言っていたとおり、ほとんど話をしていませんでしたが、オーラ的なものがかっこよく、みんながこの人について行くような気がしました。
スコップ団の人がこれからどんどん増えて、全ての家がきれいになれば良いなと思いました。
自分も何ができるかを考えながら生活していきたいです。

■とても寒く降る中、私達は被災地である山元町に行きました。
私は、テレビや新聞、雑誌などで本当の被災地とはどんなところなのか、私は分からなかったつもりでいました。
実際に見た山元町は私が考えていた被災地では無かった。
津波が来て、家が流されたりしている映像は見たことがあるけれど、その後の家の行方は私は知らなかった。
どうせ、住めないから、機械で全て処理するだろうと思っていた。
でも、スコップ団の方々は、その住めないと言えそうな家をとてもきれいにしていく。
一見無意味な活動に思える。
どうせもう住まない家を掃除するのだから。それでも、彼らは家をとてもきれいにしている。
その答えを今回見つけた気がした。
家は泥だらけで、ほとんどの物がゴミとなっていく。
けれど、私達にとって、ただの「瓦礫」でしかないけれど、そこに住んできた人々にとってそれは、生きてきた証なのだと思った。
小さいときから、そこに生まれ、成長し、そこで生きてきた。
そのことは、掃除をしていると嫌と言うほど感じた。
一番心に残っているのは、ピアノの掃除だった。
外に置かれたピアノはもう音も鳴らないし、ドロドロだった。
でも、ピアノを見ているだけでそれを弾いている人の情景が思い浮かんだ。
その人はこのピアノと共に成長してきたんだと感じた。
家は生活そのもので、それを無償で掃除しているスコップ団の方々の行為と心には本当に尊敬する。
それを毎週行い、掃除をした一家の心を癒しているのだから。
私は、本当の被災を理解した気がします。
それと同時に宮城、日本の復興はここから始まって、私がやらなきゃいけないと思った。
「当たり前のことを当たり前に」そのことを常に忘れず生きて行きたいと思います。

■今回、スコップ団と一緒に家を片付けました。
家は、ほとんど人が住んでいたというぬくもりがありませんでした。
でも、いざ片付けてみるととってもきれいになりました。
家も嬉しかったのではないでしょうか。
スコップ団との協力があったこそできた貴重な体験でした。
学校に帰る途中に見た家、お墓はなぜこんな状態になったのかと思いました。
家は、あったという感じだけを残し、お墓は誰かに荒らされたように石が倒れていました。
このことから、白石、白川は被災地と名乗って良いのだろうか。
ただ、電気が止まっただけで不幸と思っているのではないだろうか。
自分の心にその言葉を聞かせながら生きていきたいです。

全部は紹介しきれないけれど、嬉しかったんだぜ。
ガタガタとネットのみで文句を言ってるアホ共とはエライ違いだ。
堂々としている。

俺はね、逆に君達の方が俺達よりもすごいなぁって思うんだよ。
俺が中学生の頃は・・・恥ずかしいったらありゃしない!

日本の未来は、白川中学校の子が変えるやもしれんのう。

その可能性は、誰にも否定できない。

ご馳走様でした。
ケーキがとても美味しか・・・。
違う。
この様な機会を与えて頂いて、とても嬉しく思うし、少し恥ずかしかった。
この写真。
全員スコップ団だという事が、俺は誇らしく思います。


こんなことがあったんだよ。
って、また電話をするところだった。
もう死んだってのに。
もうすぐ一年経つってのにな。

街を歩いていても声をかけられる。
嬉しくない訳はない。
でも、自慢できることでもない。
それでも自慢げに、
「どうだ。」
と言い、
「調子にのんなよテメー!」
と言われたいだけなのかもしれない。
悲しさよりも、寂しさが大きくなる。

幸い、言ってくれる人がまだまだ大勢いる。
でも、その一人がもういないんだと思うと、淋しくてね。
気が変になる。

俺がマダマダだった時に、全てを任せて信頼してくれた人だったから。
そんな一人だったから。

こんな時間じゃのう。
今日はもう、寝ない。

おはようございます!!
今日もフルスロットル。
オーバーヒート位で丁度いい。
その位頑張ってこそ、生きる者の務めじゃろう。

腰をおろすには、俺はまだ若すぎる。

もう、いないんだ。
それを、頭じゃなくて心で感じる時に泣きたくなるのです。

タケチン、我妻、雄大、ヨコシン、キャップ。
他にもいっぱいいるなぁ。

長生きしよう。