大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

三国志子孫の村2002~曹操の末裔の住む村~

2005年07月01日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

瓜橋埠村から上村は、ほんの15分だった。思った通り、龍門鎮のガイドさんが場所を知っていた。



上村の集会所

住所は東図郷上村村(とうずきょうじょうそんそん)だ。

浙江省のみの大判地図でやっと、東図郷が載っている程度なので、手元の地図帳で上村を探そうということ自体が無謀だった(笑)。
見たところ、この村はまだ全く観光地化されていない。テレビに出ていた対聯のある集会所(?)は工事中で、カギが閉まっていた。小さな村なので、よそ者が観光に来たという噂は、直ぐに広まったらしく、近所のおじさん達が集まってきた。…懐かしい光景でちょっと笑った。昔は何処に行ってもそうだった。

「カギが閉まっているから、中は見られないよ」

「カギを開けて見せてやればいいじゃないか」

我々を囲んで、おじさん達の間で議論が湧き起こった。そうこうしているうちに、役人が鍵を持って現れ、「お待たせしましたね」と、中を見せてくれた。

………いい人たちだ。流石は曹家の子孫(笑)


内部は工事中で木材が無造作に置かれ、雑草が生えまくっていたが、テレビで見た通りの鄙びた佇まい。柱の対聯に「陳思」だ、「業」(業にはおおざと偏つき)だ、って字を見ると嬉しくなってしまうのが、曹操ファン。陳思は陳思王曹植で、業は官渡の戦い以後の本拠地。

ここの来歴を判っている人が皆無だった為、写真を撮りまくって撤収となる。

さあ、帰ろうとした矢先、おじさんの一人が、

「この石を撮って帰れ」

と、中央入口の舞台の下にある門石を指した。

「これって何か来歴があるんですか?」

「そういうことは判らないが、とにかく一番古いものだ」

龍門鎮の孫氏宗祠もそうだったが、この辺の村の集会所は、正門の左右の入口だけ使うようになっており、中央の入口は塞がれて、内側には舞台が設置してあった。まあ、どこも真中の入口は偉い人が出入りする時のみ使用するものだが、舞台でふさがれているのは初めて見た。小さな村ではこれが一般的なのだろうか?北方では見たことがないように思うが…。

最初は一日がかりの観光かと思っていたのだが、結局、昼過ぎには全部見終わってしまった。龍門鎮位なら、富陽からミニバスで来れると思うが、その先、瓜江埠、上村を回る場合は、タクシーを雇ってきた方が無難。脚に自信のある人なら、龍門鎮辺りに宿が取れれば、徒歩で二つの村を回る事もできるだろう。