大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

武侯祠その漆 正真正銘武侯祠

2017年11月29日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昭烈廟の奥に進むと一段低くなったところに武侯祠が現れる。
去年は昭烈廟の文臣廊が工事中だったが、今年は武侯祠の門付近が工事中。 

武侯祠の本殿正面の扁額が有名な「名垂宇宙」。
「名は宇宙に垂(た)る」の元は杜甫の詩で、
諸葛亮の名は遍く天下に知れ渡っている程の意味。
諸葛亮の廟にはだいたい掲げられている。

▼本殿中央の諸葛亮像

▼ここの孔明先生は手がプクプクなんですよ(笑)

諸葛亮の左右には、孫と息子の像があります。
孫と息子の像は康煕11(1672)年に作られたそうです。 
…写真に収めてきた説明を今初めて読んで知った(笑)

▼諸葛尚(諸葛亮の孫) 

▼諸葛瞻(しょかつせん/諸葛亮の息子)


武侯祠その伍 関羽殿

2017年11月20日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関羽殿は人口密度が高い(…といっても五人だが)。
中央は皇帝装束の関羽、左に周倉チーム、右に関平チーム。 

▼皇帝の玉簾つき冠を冠った関羽。さすが関帝聖君。

▼関羽のお色直しはこれからの模様。
 この関羽像は指が少し女性的というか、仏像みたいというか…。
 爪が長くて気持ち悪い。 

▼関平と趙累

▼だれだっけ…廖化だったかな?(笑)と周倉


武侯祠その肆 張飛殿

2017年11月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昭烈廟は中央に劉備像、左右の配殿に張飛像と関羽像がある。

▼左から奥に向かって、張飛殿、劉備殿、関羽殿

張飛殿の扁額は「誠貫金石」。…ちょっと誉め過ぎ。

▼中央が張飛、右がその息子張苞(ほう)、左が孫の張遵(じゅん)

この昭烈廟では張飛像が一番それらしくて好きだな。

▼張飛

張苞はなんか、西遊記の猪八戒が人間に変身した姿みたい。
白帝廟の張苞は超カッコいいのに。 

▼張飛の子 張苞

▼張飛の孫 張遵


武侯祠その参 文臣廊

2017年11月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

漢昭烈廟境内の右側は文臣廊。
昨年(2015)の5月、文臣廊は改修中で観られなかった。
改修工事も終わり、鮮やかに塗り直された塑像が並んでいる。
…個人的には30年前の、色あせて侘び寂び感が出ていた塑像の方が
好きだったけど…。

文臣の筆頭は龐統先生。
昔はもっとドス黒い顔色で少し怖かったので、彼に限っては
塗り直して良かったかも(笑)。

▼龐統

三国志は曹操が死んだら終わり的な人間なので、蜀の文臣って
あまり印象に残っている人が居ないけど、とりあえず数人載せて
おきます(笑)。 
リクエストがあったら云っていただければ差し替えます

▼費禕

▼董和

▼陳震

馬良は昔の方が白眉だった。

▼馬良


武侯祠その弐 武将廊

2017年11月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

二門をくぐって、参道の中央を左に曲がると武将廊の中央に出る。

▼武侯祠の入場券裏にあった地図を加工

▼左側の武将廊/中央は廖化と黄忠

塑像は最近お色直しされて、色が鮮やかになっている。

▼廖化

▼黄忠

▼姜維

▼馬超

武将廊の筆頭は趙雲だが、何故か甲冑は着ておらず文官のような姿。

▼趙雲


武侯祠その壱 漢昭烈廟と武侯祠

2017年11月12日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

中国名勝辞典によれば、成都の武侯祠は、西晋末期、十六国の成漢(304〜347年)の
李雄が、諸葛亮を記念して少城内に創建したのが始まりで、後に現在地、昭烈廟の隣に
移されたそうだ。

明代初期に武侯祠は昭烈廟に併合されたので、大門の額は「漢昭烈廟」になっている。
現存の殿宇は清の康煕11(1672)年のものらしいが、昭烈廟に吸収されてしまっても
人々は武侯祠と呼び続け、現在、昭烈廟ではなく武侯祠と呼ばれている。

▼現在の武侯祠地図。赤枠の部分が昔の武侯祠エリア

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門前の牆壁

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門

▼漢昭烈廟大門左手の壁面に「武侯祠」と記されている

武侯祠の入場料は60元(約960円)。
劉備の廟に併合されていても武侯祠と呼ばれ続けているなんて、当の本人は
恐縮していることだろう(笑)。 

 ▼武侯祠入場券は諸葛亮像のアップ

大門を入って、二門まで結構距離がある。 
昭烈廟の金ピカ劉備像は遠くからでも目立っている。 

▼二門

 二門をくぐると、その正面に漢昭烈廟、この道の左右に主な武将、文臣を祀った
武将廊と文臣廊がある。

▼昭烈廟の金ピカ劉備像

▼昔から同じようにライトアップされていた


万里橋

2017年11月11日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

 2016/8/20、中国世界遺産の旅最終日。
本日は午前中に武侯祠、午後は楽山に大仏を見に行く。

岷山飯店側の錦江沿いを西に進むと、万里橋に着く。

 ▼錦江添いの遊歩道を万里橋方面に向かう 

▼錦江/川の奥が万里橋

かつて万里橋の辺りは航路の起点だったそうだ。
蜀の費禕(ひい)が使者として呉に赴く際に、見送りに来た諸葛亮に
「万里の行も此の橋より始まる」と言った事にちなんで
万里橋と名付けられたらしい。

▼万里橋/気づけば上に高速が通ってしまった。日本橋同様無粋よね〜。

▼万里橋のたもとにある碑/万里橋の由来が書いてある

万里橋の南側のたもとには、客船(?)の形をビルがある。
その名も万里号。その万里号の側に↑この碑がある。
万里号の舵をイメージしているらしい…。うーん(笑) 

▼万里号ビル


成都2016

2017年11月09日 | 中国の旅

ホテルで一休みした後、明日の楽山行きの切符を買いに行く。
岷山飯店前の錦江賓館駅から地下鉄1号線で、成都南駅へ。
乗車時間約10分、3元(約48円)。

▼南駅の窓口/南駅はまだ工事中で駅舎も新しい

成都南駅から地下鉄1号線で省体育館に戻り、3号線に乗り換えて、
高昇橋駅下車。約20分、3元。武侯祠方面へ歩く。

▼漢昭烈廟(劉備を祀っている)大門。この中に武侯祠がある。

武侯祠の開放時間は8:00〜18:00。
このとき既に17:30を回っていたので見学は明日にして、
武侯祠脇の錦里を見学することに。
錦里は微妙な感じの三国志グッズ店や飲食店、豆板醤的な辛み
香辛料屋が軒を並べている。
日本的に云えば浅草寺の仲見世みたいな感じ。

▼早朝の錦里入口/この門の中に色々な店が軒を連ねる 

武侯祠前から路線バス1路で市青少年宮下車。
西玉龍街の陳麻婆豆腐(騾馬市店)へ、麻婆豆腐を食べにいく。
30年ぶりの陳麻婆豆腐は、素晴らしく綺麗になっていた。

一階は中国人向け、二階が外人向け店舗になっているらしい。
外人向けはマイルドな辛さらしいが、同行の二人は辛いものに
強いので、一階に入店。
この暑いのに、一階には冷房が入っていなかった。 

▼30年前は街の汚い食堂だったが、かなり儲かったのね(笑)。 

▼陳麻婆豆腐店内(1F)

▼30年ぶりの麻婆豆腐。やっぱり辛かった。私には無理(笑)


都江堰 その⑤

2017年11月08日 | 中国の旅

二王廟から玉塁山を登って出口を目指す。
少しゆっくり回りすぎた為、山道を急いだりして…。

▼玉塁関

▼玉塁山から下を臨むと屋並みの向こうに内江が見える。

馬王殿側の出口を出て、霊官楼を通って、

都江堰景区を出る。

食堂街を通って、内江にかかる南橋を通って都江堰正門前の
駐車場に戻る。何だかんだで、3時間近く都江堰を彷徨った。

▼南橋内部はこんなにキラキラ

▼南橋から望む内江、流れが早い。

13時少し前に都江堰を後にして、成都市内のホテルに着いたのは
14時半頃だった。

▼宿泊先の岷山飯店(一番右のビル)


都江堰 その④二王廟

2017年11月06日 | 中国の旅

二王廟は都江堰を開削した秦の蜀郡太守、李冰(りひょう)とその息子
李二郎を祭っている。

南北朝時代の創建で、興廃を繰り返している。
初めは「崇徳祠」といったが、宋代になると李冰父子が王に封じられ、
清代に二王廟と改称されたらしい。
現存するものは清代のものと中国名勝辞典には書いてあるが、
四川大地震で結構被害を受けた模様。

▼安瀾橋を渡ると二王廟の門。

▼門を入って左手の階段を上がる

▼「王廟」と書かれた山門

▼山門の先も階段。階段を上りきると左に更に上り階段。

▼踊り場の壁にある「深く灘を淘(さら)い、低く堰を作る」は
 治水三字経といわれ、治水の経験則を後世に伝えている。

▼上りきった、と思ったら、またまた階段を上がって「二王廟」
 以前はここの階段脇に諸葛亮像を作っていたが…。
 地震でなくなったのか、改装されてなくなったのか。 

▼二王廟の境内

▼屋根の上のオブジェ。神獣(?)、妖怪(?)、鬼(?)、今度調べてみよう。


三峰神社と怪談ナイト2017ほぼ居眠りせず

2017年11月05日 | 日本の旅/温泉

11/2、本日は夜中からクラブチッタの怪談ナイト。
家の用事で休暇をとりましたが、何と11時前に用事も済んでしまい
夜に備えて仮眠を取ろうかとも考えましたが、
余りにも良いお天気だったので寝るのはもったいない気がして…。

……そうだ、三峰神社へ行こう!!

ここ数年、行こうと思いつつ行っていなかった
関東一のパワースポット、三峰神社!!!

▼三峰神社の駐車場から三ツ鳥居に向かう道
 漫画の集中線のような雲が出ていた。

しかし、三峰神社は遠い…。

家から池袋までは約60分。
池袋から西部秩父駅まで特急で78分。
西部秩父駅から三峰神社まで急行バスで75分。
急行とはいえ路線バスで75分なんて、遠い…。

池袋を12:30の特急で出て、三峰神社に着いたのは15:16頃。

帰りのバスは16:30発(最終)なので見学時間は約1時間。

見学時間1時間というと、炳霊寺(へいれいじ)を思い出すが
なんだか、蘭州から炳霊寺に行くよりも遠く感じた。

鳥居の両サイドに更に小さい鳥居がついている三ツ鳥居は
珍しいものだそう。

鳥居の前には阿吽のお犬さま(狼らしい)が鎮座しておりました。
その昔、白い狼がヤマトタケルをこの地に導いたという伝説が
あるそうですよ。

三峰神社の由来はこちら

▼この階段を上ると遥拝殿(ようはいでん)

三ツ鳥居の坂道を進んで右の階段を上ると「遥拝殿」。
遥拝殿からは妙法ケ岳山頂の奥宮が拝めるということでしたが
どこが奥宮かわからず、筋斗雲のような雲が印象的(笑)。

 ▼随身門

▼随身門を守るお犬様。阿形

▼同じく、こちらは吽形

随身門を入ると空気が変わるというが、スピリチュアルな事に
縁のない身には全く分からず…。
ただ三峰神社はバス停のある駐車場から既に清々しさ満載で
パワースポットなんだろうなぁという感じはしますよ。

▼三峰神社拝殿

▼拝殿を守るお犬様はかなりな迫力

▼拝殿前の御神木

▼手水舎…日光東照宮の如く彩色されている

▼手水舎の天井には龍神様

階段の下から以下拝殿の写真を撮っていた時、二度、
画面にモザイクノイズが入った。

別にデジカメが壊れているということもなく、過去画面に
ノイズが入るんなてことはなかった。
衛星放送を見ているときにも豪雨や雷で電波の受信状況が悪く
なると画面にモザイクのノイズみたいなのが出るでしょう、
ちょうどあんな感じのものが、二度出ましたよ。

こんな画面は初めて見たので結構ビビリました。
そして、写真にも少々動揺が(笑) 

写真を撮るなということなのか、はたまた御眷属さまのお出入り
でもあったのでしょうか。

今回の参拝で唯一、神秘的な力を感じた瞬間でした。

それから、拝殿周辺では時々ヒノキの香りが漂ってくることがありましたが
どこかに檜の木があるのでしょうか。 

御神木には触れられるのですが、こういう神聖なところに来ると
邪な願いは思い浮かばないようで、とにかくパワーだけいただく
ことに…。

16:30のバスで三峰神社を後にして、池袋にたどり着いたのは
20時少し前。

いや~、遠かった。そして疲れた。

いえ、なんか疲れたというより妙な感じ。

地に足が着かないというか、なんというか。

帰宅直後に突然雨が降り出す。それも豪雨というべき降りっぷり。
帰宅が一分遅くてもズブ濡れになっていたから、
これも神様のご加護かもしれない。

そして今夜は怪談ナイト2017。クラブチッタで25時開演なので
3時間ほど休んで雨の中出かけました。

最近は寄る年波で、怪談の半分は居眠りをする惨状でしたが、
今年、ミステリーナイト25年目は三峰神社のご加護か、
ほぼ居眠りをせずに、朝まで稲川怪談を満喫できました。

…これは本当に凄い!!!!

三峰神社とミステリーナイトの興奮冷めやらぬ翌朝、
8:00を過ぎても眠くならず。このパワーはいったい…。

来年も怪談ナイトの日に三峰神社詣でをしようかな(笑)。