大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

麦積山 その捌 高所恐怖症系に酷な石窟

2019年05月27日 | 中国の旅

麦積山は麦積崖(ばくせきがい)ともいい、切り立った崖に仏や
が参道(桟道のが正しいかも…)が貼り付いている。

▼参道はまるで蟻の巣のよう

▼この大仏はなかなかのデフォルメっぷり

参道の階段なんて間隔を置いて板が渡してあるイメージなので
宙に浮いてるかの如く、死ぬほどスリリング…。
去年、敦煌・莫高窟で知り合った青年が、麦積山に寄って来たと
いうので、参道はどうだったか聞いてみたところ、

ハンパ無く怖かった!!

と言っていた。
実際に行ってみないとこの怖さは伝わらない(?)かと思うが、

マジで、本当に、ハンパ無く、超〜怖かった!!!!!!!!!! 

今思い出しても吐きそう。

高所恐怖症ぎみでなくても結構怖いと思うので、
マジ、腹をくくって行くべし。 


麦積山 その漆

2019年05月24日 | 中国の旅

昨日ぼやいた通り、他の石窟同様に麦積山も非公開窟が多く、
この石窟一美しいと思っている第44窟菩薩も非公開。

………第44窟を見に来たのに。有料でいいから見せてほしい。

莫高窟は別料金払えば見られる窟があるが…。入場券売場では
そのような情報は無かった。私が知らないだけなのか?

▼第147窟 北魏時代(A.D.386〜534)

そんな中で、開放窟に素敵な像を見つけると嬉しくなる。

第146、147窟の菩薩(仏?)さまと侍女(信徒の女性?)は
とても美しかった。

……でも鮮卑族の仏像って口角がすごく上がっている…

そう、口元が上がりすぎなのでアルガイックスマイルとはいい難い。

神秘的というより、親しみやすい笑顔。笑い過ぎ?

目鼻立ちは少し怖いけど、この引きあがった口元が親しみやすさを
醸し出している。鮮卑族って大らかな感じだったのかな?

▼第146窟 北魏時代(A.D.386〜534)

▼146窟 北魏時代(A.D.386〜534)


麦積山 その陸

2019年05月23日 | 中国の旅

第4窟左側の力士の脇に第5窟への入口があるが、仕切りの壁を
くりぬいた穴のようで、屈まないと通れない。

▼写真左下の穴を抜けた向こうが第5窟

▼第4窟(右側)と第5窟(左側)

第5窟には三つの仏龕(ぶつがん)があり、隋代に開削し
初唐に完成したそうだ。
龕(ちゅうがん/中央の仏龕)脇の天王像が牛を踏んでいる為、
「牛児堂(ぎゅうじどう)」とも言われている。

▼向かって右側の仏龕

▼この天王像が牛を踏んでる

天王像は胸の下辺りを鉄の帯で固定されているが、
何だか縛られている感が半端ない…。

中龕は開放されていなかったが、内部には隋代の代表的な塑像
一仏、二弟子、四菩薩があるそうだ。
2017年秋の麦積山…いい窟はだいたい非公開です。

左右の仏龕にある一仏二菩薩は初唐の作らしい。

▼左側の仏龕 初唐の仏様らしい感じ

▼第五窟から下に降りるにはこんな階段を下るしかない…


麦積山 その伍

2019年05月14日 | 中国の旅

第9窟の階層から第3窟の「千仏廊」に上がる急階段。

前を行く中国人団体客付きガイドさんの説明では、
1600年以上経った開削当時から使っている階段、ということだ。
急勾配で段が高く上部(踏む部分)が狭い。中国にありがちな階段。
この国の階段ってはるか昔からこういうものなのね。

……まあ、昭和30年代の東京の二階建家の内階段もそうだったけど(笑) 

▼第3窟千仏廊

千仏廊を抜けて階段を上がると第4窟がある。
第4窟は「上七仏閣」、「散花楼」とも言われる。 

下の写真の左上の七つの窟が第4窟「上七仏閣」。
右側の中央の桟道が千仏廊。千仏廊の下にも仏は彫られている。
千仏廊の下にある建物が第9窟。

▼第4窟「上七仏閣」または「散花楼」

第4窟は麦積山入口にある説明書きによると
北周の大都督、李允信(りいんしん)が亡父の為に建立したもので
中国に現存する古代宮殿式仏窟の中で最も大きな窟。
七つの大きな仏龕(ぶつがん)に七仏、菩薩、弟子、廊下の両脇に
金剛の塑像があるが、これらは宋、明代に修復、再建されている
そうだ。 

▼仏龕
 
第4窟の仏龕には額が掛かっていて、麦積山で見て来た中では
ずば抜けて立派な造り。 

が、何故か中の仏像の表情は不機嫌というかお怒りモード。

▼回廊の右脇の力士

▼軒の天上には色鮮やかな壁画が残っている

天井の壁画の中には「薄肉塑壁画」と呼ばれるものがあるらしいが
どれがそうだが不明。


麦積山 その肆

2019年05月13日 | 中国の旅

東崖大仏の右側面を上がって行くと第9窟「中七仏閣」に行き着く。
第9窟は北周代(557〜581年)に造営され、現在は外壁で覆われた
回廊になっている。

回廊に連なる仏龕(ぶつがん)と内部の塑像群は圧巻で、
ここに来て、勇気を出して麦積山に来て良かったと思う程。

▼回廊

▼仏龕内の菩薩 その1

▼仏龕内の菩薩 その2

仏龕毎に塑像の造形が異なり、見ていて飽きない感じ。

▼主仏

阿難(アナン)さんと迦葉(カショウ)さんが侍立する仏龕

主仏の上部にガルーダが描かれている龕もチラホラあります。


麦積山 その参

2019年05月12日 | 中国の旅

階段を上がって行くと東崖大仏(とうがいだいぶつ)の足下に出る。

▼岸壁に貼付いた階段と東崖大仏

東崖大仏(13窟)は麦積山最大の塑像で、主仏は全長15.7m。
1982年の修復時に主仏の右顔から手書きの「金光明経」が
出土したらしい。

この大仏は足下と側面からじっくり眺めることができる。
が、大きすぎて近いと見にくいので、やはり遠景からの眺めが
良いかな。

主仏はなんとなく小林亜星を彷彿とさせる…。 


麦積山 その弐

2019年05月11日 | 中国の旅

▼麦積山石窟地図

こう見ると入口から乗ったカートってあまり意味が無い…。坂道を石窟方面に
曲がらずにそのまま進むと、麦積山を一望できる観景台があるらしい。
現地では気付かなかった。 

瑞応寺の脇を抜け麦積山石窟の入場ゲートで検票して、いよいよ石窟へ。
麦積山石窟のことは学生時代にテレビ番組で知った。
当時は今と違って日中友好!!中日友好!!だったので、中国の紀行番組や
石窟を扱った番組が多かった。
その番組中で見た哀しい王妃をモデルにした美しい仏像が忘れられず…
大同の上華厳寺の露歯菩薩の次に見てみたい仏像だった。 

ただ、天水は交通の便が良くなかった上、自身高所恐怖症気味なので
断崖絶壁の石窟に来る勇気がなかった。

この夏(2017年)、西寧→蘭州と回った後、天水か銀川か迷ったが、やはり
断崖絶壁に恐れをなして、銀川を選択してしまった。
蘭州を発つ前日、テレビをつけると麦積山石窟を取り上げた番組が
放送されていて、思わず見入ってしまった。
唐代の地震で岸壁が崩落したのも麦積山が衰退した一因と言っていた。

……やっぱり天水にすれば良かったなぁ

後ろ髪を引かれる思いで銀川(別に銀川が良くない訳ではない)に向かったが、
麦積山には必ず行こうと心に決めた。

高所恐怖症ぎみだけど…。

話は戻って、石窟に入ると直ぐ左に寂陵(件の王妃の陵)があるようだが、
既に中国人観光客が殺到していたので、先に上を見ようと階段を上がった

▼石窟図(現地のパネル地図を一部加工)

麦積山石窟は窟の前に太めの金網が張られているので良い感じの
写真が撮れない。