大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

帝盛酒店

2016年06月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

武漢の宿は漢口の帝盛酒店(ドーセットウーハンホテル)。
帝盛酒店は江漢路と江漢二路の交差点に位置する。

武昌駅から地下鉄で約25分の江漢路(こうかんろ)下車、徒歩5分。
江漢路駅のA出口を出て、江漢路(歩行者天国になっている)をそのまま
地下鉄の進行方向に向かって歩いていくのだが、
前方を見上げると「帝盛酒店」 のネオンサインが見えるので迷うことはない。

今まで武漢の宿は漢陽の晴川飯店(現ホリデイインリバーサイド武漢
/武漢晴川假日酒店)と決めていたが、ここは交通の便が良くない。
今回の旅では、武漢を基点に新幹線で宜昌、荊州、岳陽と回ろうと
思っているので、残念ながら、晴川飯店は諦める。

早朝でも移動が楽なホテルでなくては…。
ということで、地下鉄2号線江漢路至近の帝盛酒店になった。

帝盛酒店のエントランスは江漢二路側。ダブルルーム、朝食つき、
一泊8000円弱(…円安だったからちょっと割高)。
6泊でデポジットは300元だった。

江漢路駅から漢口駅へは15分、武昌駅へは25分と交通至便。
バスタブは無いがシャワーの勢いもまずまずで清潔、
服務員さんの対応もよく、朝食もそこそこ美味しかった。
帝盛飯店は武漢でお勧めの宿です。


襄陽~武昌(武漢)

2016年06月17日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

襄陽の次は武漢。18時発の動車で武昌まで。
改札は例のごとく発車20分前に始まった。

▼昔ながらのプラットホーム

D5244次18:00発、襄陽→武昌は定刻通りに発車した。
列車番号のDナンバーは動車という分類で、Gナンバーの高鉄に比べると安い。
鉄道には詳しくないので何が違うのかわからないが、
昭和女子(昭和に青春期を送った女子ってことね(笑))のイメージで
東海道新幹線に例えると、Dが"こだま"、G が"ひかり"かな。

欧州モデルの高速鉄道は、有事には備え付けのハンマーで窓を割れるようになっている。
窓ガラス上部の赤い的を叩くと割れるらしい。
ハンマーは窓の横にはり付けてある(笑) 。

D5244は定刻どおり、20:35ごろ武昌着。

▼こう見ると、日本の新幹線っぽい。

中国のプラットホームは昔から薄暗かったが、新幹線ホームは非常に暗い。

新幹線のプラットホームを下りて、西出口へ。

案内板に従って地下鉄乗り場を目指すが、地下鉄の券売機前は長蛇の列。
さすがは京広線中間地点、武昌站。21時近いのにこのラッシュぶり。
北京西站でもここまでの行列はできていなかった気がする。

▼この行列でも15分程度で買えた。

地元の人はだいたい日本で言うところのスイカ(SUICA)を持っているので
ここにいるのは地域外の人々が多い。
武昌站の地下鉄券売機前は常に混んでいる模様。

▼武漢地下鉄の切符はトークン式。
券売機で切符を買うと、このプラスチックのコイン(トークン)が出てくる。


ケンタッキーの悲劇

2016年06月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

漢江大橋を渡ったのち、襄陽公園前からバスで襄陽駅に戻ることにした。
…まだ15時少し前だが、30℃越えの夏日なのでとにかく冷たいものが
飲みたかった。
駅前にケンタッキーフライドチキンがあったので、あそこで遅い
お昼にしようと考える。

襄陽公園前から駅へは1路、14路、512路で行ける。
一番早く来たのは14路だった。

▼中国のバスは停留所リストが車体に表示されていることが多い

14路は15分ほどで駅前ターミナルに着いた。2元(40円)。

暑くて干からびそうだったので、一目散にケンタッキーへ。

態度の悪いおねーさんに、チキンフィレサンド(?)のセットを頼んだ。
オレンジジュースでいいかと聞かれたので、それでいいと答えた。
とにかく、早く冷たいものが飲みたかった。
支払いを済ませるとそそくそと二階に上がったが、満席。
うろうろしていると、四人掛けの席に一人で座っていた親切な若者が
広げていた教科書をどけて、対面の席を空けてくれた。

お礼もそこそこにオレンジジュースを飲むと、激熱!!!!

ただでさえ汗がダラダラだったのに、このホットオレンジで更に
汗が噴き出した。
思いっきり口に含んだので舌は火傷だ。

………なにこれ~!!!

私が聞き逃したのか、中国ではこれが普通なのか判らないが、
激熱なホットオレンジを夏日におすすめで売っていたことも、
暑いものにプラスチックのストローが刺さっていたことも信じられない。

いや、30年前だったら、3月で雨で寒かったから、ホットオレンジを
喜んで飲んだかもしれない。
だが、今日は晴天の夏日で、しかも暑いさなかの15時だ。
誰がホットオレンジを喜ぶだろうか!!

はたから見れば、超冷房が効いたケンタッキーで滝のように汗を流しながら
一人ホットオレンジを飲む不審者じゃないか。

所詮、炭酸飲料を常温で飲む民族とは分かり合えないのか?

………せめてお茶だったら良かったのに。

やり場のない怒りに燃えながら、まずいチキンを完食した(笑)。

▼チキンフィレサンド+手羽のフライ+激熱オレンジで40元(800円)
 高いぞケンタッキー!!!昔は美味しかったのに、今は不味いぞ。

失意のまま、ケンタッキーを出たところ、外販でソフトクリームを売っていた。
ケンタのソフトはあまり好きではないが背に腹は代えられず、貪り食う。
…と、今度は口の中が甘くて、冷たい水が飲みたくなる。
この国の飲み物の基本は常温以上。
駅前の売店には冷蔵庫にも"常温と同じでしょう?"と思うような
飲み物しかなかった。

冷たい飲み物を探し回っていたら、いい時間になったので
預けた荷物を受け取り駅構内へ。

改めて駅構内のDICOSで冷たいコーラを飲み何とか落ち着く。
……そう、漢水の畔から、私が求めていたものはこれ(笑)。
15時半にお昼を食べたばかりなので、ポテトとツイスターは
新幹線の中で食べましたが…。ファーストフードの梯子は初めてだ。


漢江大橋

2016年06月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

漢水を渡った対岸、樊城側の千福埠頭。対岸へはほんの5分ほど。

漢水(漢江)では相変わらず、洗濯をしている。
…近くに油が浮いていたが、大陸の人は細かいことは気にしない。

千福埠頭を上がると目の前に米公祠がある。
米公は宋代の偉大な書画家という触れ込みなので、とりあえず入ってみる。
入場料25元(500円)。
自分に書画の素養が無いことを改めて認識させられた。

▼米公祠

米公祠を出ると、漢水のバンド沿いを漢江大橋に向かった。
当初考えていた行程は終了したが、まだ14時を少し回ったところ。
18時の新幹線までまだまだ時間があるが、
襄陽場内の新しい観光地を巡るまでの気力はないので、
漢江大橋を渡りつつ漢水を堪能することにした。
漢江大橋は列車では通ったが歩いたことはない。
実際問題歩いて渡れるのかは不明だが、とりあえず見に行ってみる。

橋のたもとに付くと、歩道がありジモティが自転車や徒歩で行きかっていた。
漢江大橋は一階建てなので、橋の中央に列車が走りその両脇に車道、
車道の両脇に更に歩道という構造になっている。

歩道を歩いていると、時折512路が通って行った。

▼漢江大橋の襄陽城側のたもと。この少し先に襄陽公園がある。

漢江大橋から上流を望むと、彼方に「襄樊漢江長虹大橋」が見える。
今朝、古隆中に行く際543路で通った橋だ。
▼左側が襄陽城の城壁、右側が樊城側のビル群。

▼襄陽城の城壁沿いはきれいに整備され、夏はビアガーデンが開けそうな勢い(笑)。

漢江大橋を渡り切ると、左側に新しい城壁ができていた。

そして、その上には4体ほどの石像らしき影が…。

▼こんな感じで佇む石像。

いったい何なのか知りたくて、城壁沿いに入口を探したが入れそうな雰囲気はなく、
そのまま進むと人民解放軍の施設になってしまった。

これはいったい何?…というより"誰!?"(笑)


漢水の渡し舟

2016年06月12日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

臨漢門前の小北門埠頭からは、対岸へ渡し舟が出ている。

渡し賃2元(約40円)。
切符売り場でお姉さんに出航時刻を確認したところ
「もうすぐだ」ということで、そのまま乗り込んだが、
待てど暮らせど出航の気配なし(笑)。

………出た、限りなくアバウトな中国の"馬上(すぐ)"

▼対岸から望む臨漢門と渡し場

乗船から出航まで約30分。乗客が集まるのを待っている感じだった。

行き交う渡し舟。


線香を上げてはいけない Part1

2016年06月11日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

夫人城の見学は、臨漢門から城壁に上がって、夫人城で降りるシステムのようだが
中国ツアー客は臨漢門に戻って行った。
夫人城の出口に向かう階段の壁面には関羽ポスターが貼ってある。
そして、ものすごく暗くて狭い。
なんとなく怪しい雰囲気だが、関羽ポスターに呼ばれて暗い階段を降りる。
関羽ポスターは途中から中国国内の主要な関帝廟紹介になっていた。
30年前ならポスター内の画像を一枚一枚写真に収めただろうに、
現在はそこまでの思い入れはなくなっていた。

階段を降りると暗がりに道士が二人、そして祭壇…。
一人は年配で祭壇の前に立ち、もう一人は若く出口の鉄柵の前に座り読書中だった。

何故、こんなところに道士が…と面食らっていると
年配の道士が線香を三本差し出した。

無料だから、線香を上げていきなさい。

………はあ

壁にもピンクの紙に線香無料と書いて貼ってあった。
限りなく怪しい雰囲気だが、たった一人なので言われるまま跪いて線香を上げた。

年配の道士は何やらお祓いらしきことをしてくれ、参拝が終わるとお布施を要求してきた。
なるほど、この道士が本物か、この辺の住民なのか、襄陽城の職員なのか判らないが
ここで観光客を待ち伏せて寄付を迫るシステムになっているらしい。

寄付しないと出してもらえなさそうな雰囲気だった。
相場が判らないので、とりあえず10元(200円)出してみる。

すると年配の道士は満面の笑みで、更に旅の安全を祈願してくれた。
若い方の道士も、色々と褒めてくれた。10元分にしては褒めすぎだ(笑)。

一瞬しこたまボラれると思って覚悟したが、
どこかの廟の修繕費でも稼ごうとしてるホントの道士なのかも、と思えてきた。

▼夫人城の出口
 上野動物園の不忍池出口のような鉄柵の回転ゲートになっている。


夫人城

2016年06月10日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

臨漢門から夫人城までの城壁に上がるのは有料で5元(約100円)。
都会の観光地に比べれば、かなり良心的な価格。

臨漢門から南に延びるメインストリートは観光用に古い街並みが再現されている。 

その昔、土が丸出しだった城壁には石が敷かれていた。

北西の隅っこに夫人城が見える。

前を行くのは中国の団体さん。

夫人城は、東晋の梁州刺史朱序の母、韓夫人に由来する。
前秦が襄陽を攻めた時のこと。韓夫人は夫に従って軍中に居た。
軍事に明るい夫人は城壁に上って地形を見ると、
敵は必ず襄陽城の北西を攻めると踏んで、ここに城内の女たちと共に
堅固な城壁を築いて、見事侵攻を防いだという。

▼怖い顔の韓夫人…

▼襄陽城西側の城壁


漢水と襄陽城城壁

2016年06月09日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

城壁沿いに襄陽公園を出ると、民家が立ち並ぶ地域を抜けて漢水へ。
さすがに30年も経つと対岸にはビル群、道路も城壁も整備されていた。

▲上流の長虹大橋と対岸樊城のビル群

▼漢江大橋は相変わらず

▼対岸樊城

襄陽城の北、漢水の岸辺はウォーターフロントちっく(笑)になってしまい、
昔の趣はなくなってしまった。すっかり観光地になっている。

城壁は少し小奇麗になったけど、まあまあ昔の面影あり。
観光用に整備されてます。

こんなにきれい…。

北門も小奇麗。

▼最近流行りのブロンズ像がおかれてます。

▼超キレイになった「臨漢門」

 これが30年なのね~。


襄陽公園

2016年06月08日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

9:30頃から古隆中観光を始め、気づけば2時間ほど園内をうろうろしていた模様。
11:40過ぎ、古隆中の入口脇に止まった512路に乗り込む。
運転手も乗客も誰一人として乗っていないバスに一番乗り(笑)。
空調付きなので、このバスは一律2元(約40円)。

512路は襄陽城内を通る。
襄陽城東北の襄陽公園には40分ほどで到着。

以前は入場料を取られた襄陽公園だが、現在は無料。

池に佇む亭はシックに黒くなっている。
私としてはオレンジの瓦に朱塗りり柱だった昔の方が中国っぽくていいと思う。

襄陽公園は城郭の外側で、園内に襄陽城の城壁がある。

目指すは漢水。


躬耕隴畝(きゅうこうろうほ)と隆中書院

2016年06月07日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

躬耕隴畝は諸葛亮が耕していた畑(…らしい)。
ここも30年前と変わらず、違いは真っ黒だった石碑が白っちゃけて
文字が朱塗りになってる位。

諸葛亮とは関係ない隆中書院。
元代に広徳寺の書院がここ隆中に作られたため、隆中書院というらしい。
牌坊をくぐり、階段を上がると若き…子供の諸葛亮像が立ってます。


六角井戸と臥龍深處

2016年06月06日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

六角井(ろっかくせい)は諸葛亮が使っていた井戸。
そういえば、五丈原の武侯祠前にも六角井がありましたね。

中はこんな感じ…。

三顧堂の横の道を上がっていくと、古柏亭。
更にその上には臥龍深処(がりゅうしんじょ)がある。

臥龍深処が何なのか、未だ不明。30年前も入口は閉まっていた。


草廬遺址(そうろいし)

2016年06月05日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

草蘆亭…何故か入口で道士スタイルのおじさんが頑張っていて
中を覗くと叱られる。
この方、高名な(?)風水師らしい。
一応この辺りに諸葛亮の草蘆があったということになっております。

▼「草蘆遺址」碑

草蘆亭の傍には明の襄簡王朱見淑(しゅけんしゅく)の墓もあります。