大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

ホテル車で南昌西駅へ

2018年07月30日 | 中国の旅

お初だからか、展示物が多いからか、気づいたら
滕王閣を見始めてから2時間も経っていた。
昨日は煙水亭➡潯陽楼➡鎖江楼塔➡九江駅で2時間だ…
また雨がポツポツ降り始めたので、ホテルに戻って
11時半ごろチェックアウト。本日は、武漢に戻る。

雨が本降りになってきたので、南昌西駅までタクシーで行こうと
ホテルのフロントにお願いした。パソコンの配車アプリと電話で
手配しようとしているが、なかなか捕まらない模様。

最近はこんな状況下では"タクシーが捕まらないから諦めろ"的な
対応が多いが、ここは違った。

何時の列車ですか? 配車係の女性は中国語オンリーだが、
時間に余裕があるか確認してくれた。素晴らしい。
切符は購入前だと告げると、ソファで待っているように言われる。
待つこと15分ほどで黒塗りの高級車が出てきた。
ホテル付きの車っぽい。

………まさか、私か????

以前、杭州の某ホテルでタクシーを頼んだら、タクシーが捕まらず
(杭州はなかなかタクシー捕まらないからね~。)
ホテルの車が出てきて、近くのバスターミナルまで
600元近く請求されたという書き込みを見たことがある。

フレンドリーな配車係のお姉さんは、ニコニコしながら
車が来ました、と私を導いた。

私だった~!!!!!

………これはヤバイ、500元位請求されるかも…

これならバスで行けと言って欲しかったが、仕方がない。
500元も覚悟した。

生きた心地もしないまま、20分ほどで黒塗り車は南昌西駅に到着。
おそるおそる料金を聞いてみると、運転手さんは一瞬考えて、58元。
(この一瞬の間は何だったのか…?)

500元を覚悟していたので、なんだか超~安く感じる…。

百度地図先生によれば、
スイスインターナショナルから南昌西駅までは50元弱だったので
適正価格だった。

▼南昌西駅

武漢行きの切符を買って入場すると、悪天候の為、列車は軒並み
遅延表示だった。暴風雨だもんね。
幸い私の乗る高鉄は南昌西駅始発なので、定刻通り発車。

D3226次 14:28発 南昌西➡武漢 1等121元(約1936円)

南昌西駅から武漢までは2時間40分ほどの道のり。

▼車次、時間、行き先表示の掲示板には遅延の文字が踊っていた

最近の站(駅)の侯車エリアは巨大な体育館的造り。
一階はプラットフォーム毎の改札口と土産物販売店があり、
ピロティのような二階には飲食店が入っている。

▼二階から一階を見るとこんな感じ


滕王閣リベンジ

2018年07月29日 | 中国の旅

翌朝、相変わらずの暴風雨で、ガッカリ。
'87年に来たときには、滕王閣は全面工事中で緑の幕に覆われていた。
'86年に黄鶴楼、岳陽楼は制覇しているので、何としても見たがったが、
工事中では写真も撮れない(だってフィルムがもったいない)。

▼ホテル前の撫河北路は朝から渋滞

今回は滕王閣リベンジなのに、こんな暴風雨だなんて。
九江と南昌には相当嫌われているのかも。
…と、美味しい朝食を食べながら、自分の生まれの不幸を呪って
いたところ、9時過ぎにピタッと雨が止んだ。

なんて運がいい。これも大同の仏軍団のご加護か…(笑)。

▼すっごい整備された滕王閣

滕王閣は李世民の末の弟、滕王李元嬰(りげんえい)が
洪州(南昌)の都督だった永徽4(653)年に創建した楼閣で、
武漢の黄鶴楼、岳陽の岳陽楼と並んで江南の三大名楼と称される。

なんでも滕王閣は乱世には破壊され、盛世には修復されるという具合に、
過去28回再建されているそうで、中国古建築上の奇跡といわれている。
現在の楼閣は1980年代後半に再建された29代目。
前回は28回目の再建途中だった訳ね。

滕王閣の入場料は60元(約960円)、開放時間は以下の通り。
オンシーズン(5/1~10/7)7:30-18:00
オフシーズン(10/8~4/30)8:00-17:00

前回来たときは、人民広場の側にポツンと建ってる感じだった。
この時に印象に残ったのは人民広場近くに止まっていた救急車。
中国にも救急車ってあったんだ、、、というのが正直な感想だった。

人民広場はなくなって、広ーい滕王閣の敷地になった。
滕王閣内には老人用のエレベーターがあり、確か70歳以上は
乗れるとか書いてあった気がする。

▼滕王閣上から見る広場には太極マーク

▼滕王閣内部 楽器や滕王閣ゆかりの品が陳列されている

楼閣の内部展示は黄鶴楼より、滕王閣の圧勝。
3Dで歴代楼閣の変遷が見られるムービーが良かった。
展示に関しては滕王閣の方が好きだな。

▼カン江は相変わらず強風で川面の水が巻き上げられていた。


南昌スイスインターナショナルホテル

2018年07月28日 | 中国の旅

16:31鎖江楼前のバス停から5路で九江駅へ。
16:55九江駅のバス停到着するも、駅に近づいたら駅が消えた…。

ひとつ前のバス停では、九江駅が見えていたのに何でー!!

狐につままれた感満載。道を聞こうにも人影なし。
人気のなさは昔と一緒だね。

仕方なく、次のバスの到着を待って人の流れを見ることに(笑)。
巻きで観光しておいてよかった…。

次のバスが到着、大荷物を持って駅に行くであろう雰囲気の人を
見つけて後をつけて行くと、長い階段があった。
階段を昇り詰めると駅舎が現れた。
なんと、駅はバス停から一段高い場所にあったのかー
出発時は一段高い道のバス停からだったので分からなかった。

17:55の高鉄で南昌へ。1時間4分、1等46.5元(約744円)。
南昌に行く途中の星子県には周瑜の点将台がある。

南昌は江西省の省都で江南の三大名楼、滕王閣(とうおうかく)が
ある以外、観光情報は持ち合わせていない。
近代史好きだったら、人民解放軍誕生の地か…。
1927年8月1日、周恩来らが武装蜂起したのがここ南昌だった。
この8月1日を記念して人民解放軍の徽章は赤い星の中に八一の
字が入っている。

▼南昌 カン江の夜景

高鉄は定刻通り南昌に到着。
駅の出口ではタクシーが乗客の出待ちをしていた。
しかも歩道まで車を乗り入れて。
最近は駅が整備されているのでこういう風景は見なくなった気がする。
丁度、南昌駅が工事中なのでできる技だ(笑)。
乗客の波はタクシーの間を縫うように流れて行った。

ホテルにバスで行くか、タクシーで行くか迷ったが、
日もとっぷり暮れているので早くホテルに入りたい。

やっぱり、タクシーにしよう

と思った頃には車は全て出払ってしまい、
この後30分タクシーを拾えず。
最後は車道に仁王立ちになってタクシーを止め、
10元余計に払ってホテルまで連れて行ってもらった(笑)。
結局…バスで行くのと同じ時間かかってしまった。

南昌は滕王閣を見るために寄ったので、ホテルも滕王閣の側に
してみた。ちょっと奮発して泊ったのは、カン江沿いに建つ
スイスインターナショナルホテル。
何と!!フロントでは日本語が通じた…南昌なのに(←失礼)すごい!
片言感は否めないが、母国語で対応しようという心づかいが嬉しい。
その上、ここのスタッフはフレンドリーでとても感じが良い。
大同といい、南昌といい、今回ホテルは大当たり。

スイスインターナショナルホテルは69階建てで、
部屋は60階の「エンプレスルーム」だった。
庶民なので、こんな高層階に泊まるのは生まれて初めて。
さすが、エンプレスルームだけあって、トイレがバスルームと
別の個室になってるし、その上水回りはTOTOだし
なんだか日本のホテルに泊まっているような錯覚を起こしてしまう。

▼バスタブ脇にバスソルトと赤いアヒルちゃん
 赤いアヒルはこのホテルの販促グッズで販売されている

▼60階から見下ろす滕王閣

▼滕王閣ズーム

途中でハタと日本のビルとの違いを感じた。
ここは60階で外は台風のような強風なのに、ビルは微動だにしない。
丁度この日、福島で割と大きな地震があったとLINEで入電があった。
さっきCNNのニュースでも福島の地震について触れていた。
このホテル耐震構造はどうなっているのか。
60階で地震に遭ったら怖いなぁ…。しかもエレベーターが止まったら
歩いて非常階段を降りる羽目になるのか…。
なんて考えていたら、暴風雨になってきた。ビルは揺れないが
恐ろしい雨音が一晩中続いていた。

▼朝の滕王閣 …たっ、高い…窓は全面ガラス張りなので怖い。

▼カン江 強い風に吹かれて川面に水が舞い上がっていた。

▼一番高いビルがスイスインターナショナルホテル


鎖江楼塔

2018年07月24日 | 中国の旅

潯陽楼から長江沿いを鎖江楼塔(さこうろうとう)へ。
入場料20元(320円)。この辺の入場料の相場は20元。

▼鎖江楼

鎖江楼塔は、鎖江楼の側にある塔。
元の名を文峰塔といい、長江南岸の回龍磯上に建っている為、
回龍塔とも呼ばれていたそうだ。
鎖江楼と塔は明の万暦14(1586)年~32年まで、18年かけて
建設され、落成当時は九江の一大名勝だったそうだ。

禹王が鉄で鋳造した牛を沈めて治水をしたという言い伝えから、
鎖江楼の傍らには鉄牛が4つ配置されていたが、
万暦36年6月17日に発生した強烈な地震で鎖江楼と
二つの鉄牛が倒壊。鎖江楼塔だけが残った。

地震で倒壊した鎖江楼は清乾隆13(1748)に再建されたが、
咸豊3(1853)の戦火で破壊された。

残った塔の方は、第二次大戦時に長江を遡上してきた日本軍の
砲艦の砲撃を受け、塔身が東に傾いたそうだ。

▼鉄牛と鎖江楼塔

1986年に修繕されているものの、何だかんだいって、塔だけは
ずーっと残っているらしい。
見た感じそれほどボロボロではないが、塔の下には、
"危険なので塔身から3m以上離れろ"という注意看板が立っている。


潯陽楼

2018年07月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

時間が無いので煙水亭は30分で切り上げて、潯陽楼(じんようろう)へ。

時間に余裕があればぶらぶら長江沿いを散策して潯陽楼に向かうが
今回は煙水亭着15:01の上、南昌行きの高鉄(新幹線)が17:55九江発なもんで
巻きで観光しないと…。ということでまたまた路線バスで行くことに。

煙水亭から一番近い潯陽楼行のバス停は長江沿いの濱江路にある「清真寺」。

煙水亭からバス停までは460m、煙水亭を15:36に出て、いつもより早歩きで
清真寺から5路に乗ったのが15:40、潯陽楼着15:46。 バス代1元(16円)。

時間制限があるとキチンと時間の記録もするようになるんだなー(笑)。

潯陽楼は水滸伝の舞台。酔っぱらった宋江がここの壁に落書きした内容が
反骨精神丸出しだったので反逆罪で捕まった…というような展開だった気がする。

潯陽楼一階には陶器製の水滸伝人物像が展示されていた。展示方法もいい感じ。

▼中央二階が衆義庁

▼薄暗い中ライトアップされているので光量不足でUPはピンボケ気味。
 李逵と花栄

▼何故か索超だけきれいに撮れていた

▼陶器人物展示の両側の壁にはタイル画

水滸伝の記念切手の画風だよねー

潯陽楼の3階から望む長江上流方面

同じく長江下流方面と九江長江大橋。


煙水亭2016

2018年07月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

甘棠湖(かんとうこ)の北にある煙水亭(えんすいてい)は元の名を
浸月亭(しんげつてい)といい、白居易(白楽天)が周瑜の点将台跡に
建てたのが始まりだという。

中は周瑜所縁の陳列物が展示してある。

周瑜立像。以前は白かったが今は金色…作成途中だったのかな。

…白い像の方が良かった。

周瑜所縁といっても1800年以上前の話なので三国志関係の史跡の写真が主な展示物。

▼蘇州南門外にあったという孫策の墓の写真
 '88年に行ってみたけど、既に撤去されていた。 

▼目前に広がる甘棠湖

▼写真だと穏やかな曇天に見えるけど実際はこんなに強風

▼点将台で水軍の調練をする周瑜
 30年以上経過しているのに綺麗なまま。やっぱり焼き物って長持ちするのね〜。 


九江リベンジ ~煙水亭~

2018年07月14日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

K731の経路が判るような停車駅をマークしてみました。
大同〜九江は1752km、24時間。…確かに遠いかも。 

大同〜太原間は列車の待ち合わせ等で30分近く遅れていたが、以降遅れを取戻して
曹操の故郷、亳州(はくしゅう)には定刻通り6:58に到着。
亳州は15年ぶりだけど駅だけ見てもだいぶ変わった感じ。降りたかったなぁ。 

14:20頃、15分遅れで九江到着。いつの間にか長江を渡る橋が出来ていた。
そうだよね、橋が無いと列車は長江渡れないもんね(笑)。
前に来た時は長江に掛かっていてた橋は3本だけ。
云わずと知れた重慶、武漢、南京。

▼九江駅も甘棠湖の東から南門湖の南東に移動した 

▼九江の駅舎、90年代に流行ってたデザイン

夕方の南昌行きの切符を取ったあと、駅前のバス停から108路で煙水亭へ。
駅から煙水亭まではバスで15分、1元(16円)。
'87年に来た時には人気の無い、寂しいところだったが、
現在煙水亭の周辺は商業地区になっていてかなり賑やか。 

やってきました、約30年ぶりの煙水亭。 

煙水亭の佇まいは30年前と全く変わらず。
87年の旅の最初の目的地はこの煙水亭で、香港〜広州〜南昌と3都市を経由して
やっとたどり着いた。
そして、この年はここ九江でカメラが壊れたという悔しい旅…。

▼正にこの位置で写真を取った時にカメラが壊れたたんだよね〜。

中国に入国して5日目、煙水亭の入口で写真を撮った瞬間リコーのカメラが
お亡くなりになったので、仲間内では「周瑜の呪い」と云われていた。

この年は残り一ヶ月間カメラなし。漢中、白帝城もカメラなし

当時はデジカメもなく、フィルムカメラですよ。
今みたいに携帯やスマホがあればねー。
上海で先輩と、成都で友人と待ち合わせたので写真が全くないという訳ではないけど
悔しい九江だった。

で、30年後にリベンジ(笑) 

初九江は厳寒の2月で、あの日もこんな曇りの寒い日だった。
目下中国は全国的に悪天候で、-8℃の大同からやって来たから暖かく感じるのかと
思っていたが湿気のある寒さって大同とは別の感じで、やっぱり寒い。 


一路九江へ ~開かずのトイレ再び?~

2018年07月06日 | 中国の旅

14:20大同始発のK731広州行きは、定刻通り発車。まあ始発だから。
軟臥車両、10号車1号室1号下段ベッド。

この列車の軟臥車両は10号車のみ。
軟臥のコンパートメントは4人部屋だが、やっぱり私だけ…。
この日のK731はコンパートメントはおろか、軟臥車両自体が
しばらく貸し切り状態だった。

軟臥貸し切り状態…

贅沢といえば贅沢だが、人がいないのはちょっと寂しい。
しかも、乗客が少ないとトイレにカギがかけられる(笑)。

…30年前の悪夢再びか?

当時の中国列車のトイレは垂れ流し。
用を足した後、個室にぶら下がる鎖を引くと
蓋が開いて汚物が車外に放出される。
夏場、列車の窓を開けていると汚物が飛んできたという話もあった。
幸い春先の旅ばかりだったので窓を開ける機会はなかったが、
バックパッカーの間では別の意味でも恐れられていた列車のトイレ(笑)。

そんな訳で列車のトイレは駅に停車している時は利用できない。
ダメと言っても守らないのが人民なので、
各車両の服務員は駅が近づいてくるとトイレに鍵をかけ
発車すると鍵を開けてくれる。

1986年2月、広州→杭州の列車での出来事。
軟臥の服務員が始終トイレに鍵をかけてしまう人だった。
軟臥トイレは常にクローズ状態。
トイレ前で服務員が来るのを待ち伏せして鍵を開けてもらう
の繰り返しだった。
この服務員…用が済むまでトイレ前で待っていて、
出るとまた鍵をかけられる(笑)。

軟臥開かずのトイレと当時仲間内で話題になった。

軟臥車両のトイレは前後に個室が一つずつ。和式と洋式だ。
コンバートメントを出て右方向が洋式でその隣は洗面所、
左方向が和式(大抵こちら側の隣車両は硬臥であることが多い)。

中国では極力洋式トイレの便座に座りたくないので、和式があれば和式を選ぶ。
和式トイレから一番遠いコンバートメントだったが、
取り合えず個室の汚れ具合のチェックに行くと鍵が閉まっていた。
ずっと待ってみたが、乗車時からトイレは開いてないようだ。

仕方なく洗面所を隔てて隣の洋式トイレを使用する。
一番トイレなのでまだ汚くない。…でもキレイではない。
昔に比べれば列車トイレの汚さもだいぶ改善されたけどね。

次の駅で隣のベッドに仕事で移動中のおじさんが乗ってきた。

どこまで行くの?

九江まで

ほーっ、ずいぶん遠くまで行くんだなぁ。

九江着は明日の14時過ぎなのでこの列車に丸一日乗ることになる。
寝台車一日移動って遠いのか…。
今は長距離は飛行機で行くってことなのかな。

件のおじさんは寧武駅で降りて行った。乗車時間は2時間程。

日が暮れると車窓鑑賞もできなくなるので、18:30頃早々に就寝。

20時過ぎ太原でかなりの乗客が乗て来て、我がコンバートメントも
満席になったが、翌朝6時過ぎの商丘南で3人とも降りて行った。
結局、起きてる時間はコンパートメント貸し切りだった。

話は戻るが、和式トイレが開放されたのは、多くの乗客が乗り込む
太原からだった。

▼毎度おなじみ、朝食お粥セット10元(160円)太原支局バージョン
 やっぱり北京支局の方が盛が多い気がする


大同駅

2018年07月03日 | 中国の旅

花園大飯店から大同駅までは、写真を撮りつつブラブラ歩いて1時間10分。
ブラブラといっても寒かったので通常のブラブラより早足だったかも。

北門で10分位ウロウロしていたのと、駅から1.5キロ付近で中国人の
ハイヒールを履いた迷子を拾って一緒に駅まで歩いたので
花園大飯店から大同駅までは普通に歩いて1時間ってとこかな。

大同駅前には軽食の屋台が出ているが、平日は土日より少ない感じ。
土曜に寄った時は、フルーツや焼き芋の屋台も出ていたので
寝台車の旅に備えて買う気満々だったが、残念ながら、月曜日に
それらの出店はなかった。

▼大同駅前の屋台

大同はどこも工事中で駅舎もお色直し中。

大同駅構内は20年くらい前にお色直しされたような作り…。
何が言いたいのかといえば、作りが古いような、新しいような
分からない感じ(笑)。
列車の切符も紅券だったしね…設備は20世紀末って感じかな。
でも大同は全体的に田舎な感じで好きだな。
ここが洛陽や西安みたいに擦れた観光地になったら、ちょっと嫌。

待合室(侯車室)にある検札口の列車番号も電光掲示板ではなく、
列車番号が書かれたプラカードだった。
今考えると、この駅は軟席侯車室がありそうな雰囲気。

▼侯車室で列車を待つ人々

▼駅前の屋台でゲットした中華ハンバーガー6元(約96円)


武定門(北門)

2018年07月02日 | 中国の旅

極寒で強風の大同は、風鐸(ふうたく)がジャラジャラ鳴っていた。
寒さで耳がちぎれそうなのでコートのフードを被り、襟元を絞って
隙間風が入らないよう努めていたが、鼓楼傍の道観の風鐸は高い音で
風の音にかき消されることなく響いていた。

風鐸とは、仏殿や仏塔の軒下にぶら下がっている巨大な風鈴のこと。
寺や塔の軒下には銅鐸や鐘のような形状ものから鈴までいろいろな
種類があるが、風で揺れると音が鳴り、その音が邪気を払うと
信じられている。

風鐸は低音で鈍い響きのものが多い。
イメージでいうとカウベルがみたいな感じかな。
高音の風鐸は初めてだけど、音はいい感じ。
強いて言えば、馨(けい/石板を吊るした打楽器)の高音だな。

今日は14時過ぎの列車で江西省の九江へ向かう。
朝10時過ぎまで凄かった風は、正午近くなるとだいぶ収まってきた。
風がなくなると-8℃もそれほど苦ではない…手の甲は痛いけど。
11:45ごろチェックアウトして、そのまま大同駅までブラブラ歩いて
行くことにした。

花園大飯店前の鼓楼大街を北上すると四牌楼(しはいろう)がある。
十字路の真ん中に、東西南北四方に向いた牌坊が4基建っている。
ここを右に曲がると九龍壁。

▼四牌楼

四牌楼の先には、八角形の屋根の魁星楼(かいせいろう)。
謂れは見てこなかったので不明だが、魁星は北斗七星の1番目又は
1~4番目(器の部分)の星を指すらしい。
文を司る神なので、科挙の受験生に信奉された。
そして進士のトップ合格者を"魁星"といったそうだ。

へー。

進士で魁星ということは、ほぼ状元決定だね~。

▼魁星楼

魁星楼を過ぎて、大北街の突き当りは大同城の北門、武定門。
武定門は現在彫塑博物館になっていて、南門同様通り抜けできない。
そして、今日は博物館の休刊日、月曜…。

▼武定門(北門)

 ▼北門西側の武定西門

城壁の外側はまだ整備途中。

▼外から見た武定門

北門の外側には、更に旧城の城壁らしきものが…。

▼土の城壁と大同の城壁/こういう版築っぽい城壁大好き~。