大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

九寨溝景区 その7 鏡海と諾日郎瀑布

2017年03月28日 | 中国の旅

▲水の上の橋のような遊歩道

▲山の中の遊歩道を上がったり、下がったりしてひたすら次の鏡海を目指す。▼

▼鏡海/15:30を過ぎた鏡海は湖上を渡る風で波立っていた。
 無風状態であれば、鏡のような湖面に周囲の山々が投影されるらしい。
 鏡海(きょうかい)は朝晩の風が止むときだけ、鏡のようになる。

▼水の中に茂みがある不思議な光景
 木々が水に流されないのは川底の石灰層の中に根を張るからだそうだ。
 上手に根を張れた木々のみが生き残っているらしい。

▼こんなに美しい水の流れがあるなんて…妖精が現れそう

▼諾日郎瀑布(だくじつろうばくふ)

▲虹がかかっている▼

16時過ぎ、一日目の観光を終えて、一路出口へ。
諾日郎瀑布の側に観光センターがあり、出口方面に向かうバスにはここから乗る。

 


九寨溝景区 その6珍珠灘と瀑布

2017年03月26日 | 中国の旅

五花海を離れで遊歩道を歩いていくと、珍珠灘(ちんじゅたん)がある。
珍珠灘は海抜2450m、長さ189m、広さ112m、面積21225m2、平均斜度20°。
珍珠とは真珠のことで、灘は川の早瀬をいう。
岩肌を流れる水が跳ねて、水玉が真珠のように見えるから珍珠灘というらしい。 

写真にはうまく収められなかったが、見ていると、水晶のような真珠のような
水玉が踊っていた。 

▼時々この鳥が鳴いていた、何という鳥なんだろう

▼珍珠灘の先は落差21mの珍珠瀑布。

珍珠灘瀑布は海抜2433m、高さ21m、幅270mと書いてあった。

▼こんな凄いところにも、岩から木が生えてる。


九寨溝景区 その5 五花海

2017年03月25日 | 中国の旅

熊猫海に続く五花海は海抜2472m、面積約768.5km2。
一見浅いように見えるが、深いところは水深11mもあるそうだ。

倒木が多く水草が太陽の光を受けて様々な色に変わる表情豊かな湖。
水の色があまりにも美しいので、神の池とも呼ばれているらしい。 
湖水の色は青、緑、藍色と変化に富む。

九寨溝周辺は石灰質の地層。
雪解け水や雨水は地中深くしみこみ、石灰層を通って炭酸カルシウムを多く含んだ
特別な水になって湧き出す。
水中の不純物はカルシウムに付着して沈むため、九寨溝の水は限りなく透明になる。
倒木には様々な水草や藻が生えている。 

▼石灰華(せっかいか)/倒木の表面を覆うカルシウムの塊
 カルシウムでコーティングされる為、倒木は腐ることなくその姿を保つ。 

池の真ん中を遊歩道が通っている。


九寨溝景区 その4 熊猫海

2017年03月24日 | 中国の旅

▲箭竹海瀑布▼

▼熊猫海に近づくと水がエメラルドグリーンになる

箭竹海瀑布の水が注ぎ混むのが熊猫海(ぱんだかい)。
熊猫海の由来は、その昔パンダが水を飲みに来ていたからだといわれている。
実際、 1989年頃まではパンダが来ていたらしいが、
観光客が増え始めてから姿をみせなくなったそうだ。

箭竹海から、途中箭竹海瀑布や景色を見ながらぶぶら歩いて気づけば11:30過ぎ。
中国人観光客に倣って、熊猫海を眺めながら、遊歩道の板の端に座って一休み。
始皇帝陵の参道でゲットした桃を齧りながら、しばし休憩タイム。
始皇帝陵で買った桃をこんなに綺麗な所で食べているなんて、なんと贅沢!!!

………天界の湖を見ているのではないか

そん錯覚を起こすほど、熊猫海の水色はエメラルドグリーンで本当に美しかった。

この九寨溝で唯一、熊猫海にだけ魚が生息しているそうだ。
魚の体長16~35cm。
鱗が無いように見えることから裸鱗魚(らりんぎょ)と呼ばれる。
平均5℃の冷たい九寨溝の水に適応する為、鱗を小さく退化させたとTVで言っていた。
(何故水温が低いと鱗が退化するの???)
裸鱗魚の餌は水性昆虫や藻類。

なぜ九寨溝にはこの魚しか生息していないのか?

というのも謎の一つらしい。

▼遊歩道の途中で民族衣装の貸衣装を着て写真撮影をしていた観光客。
 可愛くて便乗してしまった。

▼正午過ぎの熊猫海周囲の遊歩道は観光客でぎゅうぎゅう


九寨溝景区 その参 箭竹海

2017年03月23日 | 中国の旅

九寨溝景区内の観光バス・通称パンダバスは、一日乗り放題で90元(超お高い)。
クリーンな電気自動車かと思いきや、ただのガソリン車だった。
観光スポットに停留所があり、歩いても、バスでも観光できる。
原始林を早々に後にして、パンダバスで箭竹海(せんちくかい)へ。 

▼入場券の地図を加工して掲載

箭竹海は海抜2629m、長さ1184m、幅144~268m、水深10m。
九寨溝で4番目に大きな湖でここの水位が下がると九寨溝全体の水量も下がるそうだ。
名前の由来は、その湖畔にパンダの餌になる箭竹が生えているからだとか。

箭竹海も鏡のように景色を映していた。

10:30頃、湖畔の歩道を次の湖目指して下っていく。

▼歩道から眺める箭竹海と背後の山々/一番奥の白い頂は4000m越え


九寨溝景区 その弐 原始林

2017年03月22日 | 中国の旅

九寨溝の入場ゲートを入ると、バスターミナルに出る。
かなりの台数の観光バスが山の上に観光客をピストン輸送してくれるので、
20分ほど待てばバスに乗れる。 

▼写真中央の黄色い上着の拡声器を持ったおじさんが、激しく厳しく観光客を統率してくれる。
 中国人観光客は自由すぎるので、 こういう鬼軍曹的なおじさんは必要だが
 中国を旅して30年、人民が他人の言うことに従うのを初めて見た気がする(笑)。

バスに乗って一時間程すると終点の原始林に到着。

既に2時間費やしたが、朝9時過ぎに一日目の九寨溝観光開始。

九寨溝はY字型の渓谷で、Yの字の上半分Vの字部分の右側が
日則溝(じっそくごう)といい、終点は「原始林」。
左側は則査窪溝(そくさわごう)といい、終点は「長海(ちょうかい)」。 

入口のバスターミナルからは両方面行きのバスが出ているのかと思いきや、
「原始林」行きのみの模様。

則査窪溝方面に行くには、Y字の中心の諾日郎観光センターで乗り換える
システムになっていた。

まあ、観光ポイントはほぼ日則溝側だから、そうだよね。

▼入場券の地図を加工して掲載

本当は途中の鏡海(きょうかい)で降りようと思っていたが、誰も降りる風情は無く
どこが鏡海かも判らず、降りそこなって終点まで来てしまった。

標高3000m超えなので、夏といえどかなり涼しく半袖だと肌寒い感じ。

木々に原始林というほどの樹齢は無かった。

ここも1970年代の乱伐で禿山だったのか?

空気は良さそうなので森林浴は楽しめそうだが、肌寒いし、我々の目的は池だし…。
早々にバスで箭竹海(せんちくかい)へ移動。


九寨溝景区 その壱

2017年03月21日 | 中国の旅

翌8/16朝6:30過ぎ、九郷賓館隣の食堂で朝食。ワンタン×3杯と小龍包、饅頭で
締めて65元(約1040円)。ワンタンはどこで食べても間違いなく美味しい。

7時少し前に九寨溝景区へ急ぐ。
食事の間もわらわらと人々が九寨溝入口方面に向かっていたのを見ていたので
取りあえず、急いで切符取りの列に並ばねば。 

朝7時台のチケット売場は長蛇の列。

観光客が一度にチケット売場になだれ込まないように、公安が入場制限をしている。

▼朝7:00過ぎから30分並んで購入した入場券。
 入場料+保険+観光バス乗車料で310元(4960円) …高い。

▼朝の入場ゲートはこんな感じ。さすがは一日に数万人来場する観光地。

振り返るとまだまだ人が並んでいる。

ゲートに並び始めてから約25分後、やっと入場。切符購入~入場まで約1時間だった。

後日確認したところ、2016/8/16の九寨溝入場者数は29,787人。
翌日の8/17は31,908人だったそうな。 


九寨溝景区付近

2017年03月20日 | 中国の旅

白龍江の観光を終えて、タクシーは山道をひた走る。
以下の写真は既に2時間半程走って19:24過ぎ。
19:24といっても北京時間な上、日が長い夏なのでまだ明るい。 

九寨溝県城に着いたのは、夜の帳が降り始めた20時過ぎ。
市街のネオンサインが見え始めたころ運転手さんがカーナビにホテル名をセットすると、
カーナビは県城を抜けて更なる山道を指し示した。

……戸惑う運転手さん(笑)。

運転手さんは目的のホテルが九寨溝の県城(街中)だと思っていたようだが、
我々が取ったホテルは九寨溝景区の傍なので、まだまだ40数キロ西に進まなければならない。

タクシーの手配時にホテル名と住所は伝えてあったのだが…。

カーナビの指示に従って明るい街中を抜け、真っ暗な山道を進む事一時間、
21時過ぎにやっと目的のホテル・九郷賓館(きゅうきょうひんかん)に着いた。 

▼九寨溝県城と九寨溝景区の位置関係

九寨溝景区周辺は山の合間の国道沿いに、観光客目当てのホテルや食堂が建ち並ぶ。

▼九郷賓館/背後は山(崖)で周りは食堂

九郷賓館のトリプルは一泊5730円。バスルームにシャワーカーテン等はなく、
エアコンも最初動作しなかったが、 一人一泊2000円弱、九寨溝景区入口まで
徒歩15分ともなれば、許容範囲。

対向二車線のS301道路沿いに発展した細長い観光街。

 S301道路の両側は崖と川。


白龍江

2017年03月16日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

剣門関を出てから約2時間。
高速を降りて山を一つ、二つ越えたタクシーは、
白龍江沿いのガソリンスタンドでトイレ休憩。

マイカー流行りということは、ガソリンスタンドも一般的になっているんですねぇ。
ガソリンも配給券がないと購入できなかった時代もありましたが。 

▼白龍江に出来たダム

トイレ休憩から30分ほど車を走らせると、大きな橋が見えた。
白龍江の観光スポットのつり橋、筏子覇(はいしは)大橋。
既に17時を回っているが、日が長いのでまだまだ観光できる。

▼筏子覇大橋(はいしはおおはし/覇は土偏がつく)。

緑の湿地帯がとても奇麗。

▼山裾の合間の向こうに山というのも面白い感じ

▼観光客相手の土産物売りが集まっている。自撮棒も安く売ってる(笑)

筏子覇大橋でみんな写真を撮った頃には17:10過ぎ。

道程からしたらまだ半分にも至っていないのに、この観光っぷり。
九寨溝にたどり着くのは何時だろう。


剣門関から九寨溝

2017年03月15日 | 中国の旅

予定滞在時間1時間の剣門関の観光にも2時間ほどかかり、14:25頃出発。
かなり押した状態で一路九寨溝へ。

▼剣門関隧道

▼剣閣72峰

▼標識に九寨溝まで307kmと出ている

剣門関から九寨溝へは、高速道路を降りた辺りから白龍江沿いを進む。
以下の地図で白龍江と矢印をしてある部分に、観光スポットの
つり橋がある。 

▼高速道路

▼途中サングラスをかけて自動小銃を持った大門軍団の厳しい
 検問がある。チベット方面に向かう道だから????

検問を通ってレッツゴー!!のはずが、この運転手さんは超安全運転。
法定速度を守って運転してくれている。

西安の旅行社の倪(ゲイ)さんが、安全運転を強調していたのはこれか。

でも、 広元であきらかに時間をくっているし、高速を降りた後は
山道になるので、少しでも挽回するにはこのガラガラの高速道路で
頑張るしかないのでは…。 

周りに車らしい車も無く、アクセル踏んでも全く差し支えないような
高速だった。
慎重な私でも、踏む!!…というシチュエーションなのに…。

私の知っている中国のドライバーは、山岳地帯でもアクセル踏みまくりで
同乗者が死を覚悟するような運転っぷりなのに…。
マイカー人口が増えて、中国でも安全運転をする人々が出現したのだろうか。

それとも外国人を乗せているから、慎重に運転してくれているのだろうか。 

…過去の運転手は外国人を乗せていても容赦なかった(笑)。

関越道のような道を法定速度をばっちり守るタクシーは、緩やかに進んでいく。


平襄侯祠~姜維衣冠塚 その弐

2017年03月14日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

姜維軍団の塑像が安置されている建物を抜けると、さらに階段があり
その上に授略堂(じゅりゃくどう)がある。 

▼授略堂

▼病床の諸葛亮が姜維に今後の策を授けているらしい。

授略堂の後ろに姜維の衣冠塚があった。
2000年当時とかなり違っていると思ったら、2010年にここに
移されたということだった。整備に伴う移動らしい。 

▼綺麗になりましたが、以前の方が赴きがあってありがたい感じ。

▼参道のカバのような馬が可愛いい


平襄侯祠~姜維衣冠塚 その壱

2017年03月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

▼入場券裏の地図
 /剣門景区の入口と姜維の墓、関楼の位置関係は以下の通り

時間がないので関楼から、元来た道を戻って姜維の墓へ。

入口脇の階段を上がっていくとちょっとした広場があり、馬上の姜維像が
出現。姜維の墓はかなり山の上部へ移された感がある。 

▼若者のイメージがある姜維だけど、結構ジジィ。

姜維像の後ろの階段を上っていくと、平襄侯祠(へいじょうこうし)がある。

さすが整備された観光地ともなると、祠堂まで作られるのね。
土地の人が衣冠塚まで作ったっていうんだから、その昔は
それは崇められていたのでしょうねぇ。 

境内にはお約束の香炉があり、線香を供える観光客も居ます。

誰だかわからないけど、姜維軍団…。

▼なんとなく、姜維隊長~って感じ。


剣門関2000

2017年03月09日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

以下は2000年当時の剣門関。内側から関楼に向かう道は
コンクリートで出来ていたが、橋のような造りで険しさが感じられる。

四川大地震で倒壊したという噂だけど、どんな感じに壊れたのか…。

久々に中国名勝辞典を引用すると、

剣門関は剣門ともいい、剣閣県市街の北方25kmの剣門山にある。
かつての蜀道の要害。
剣門山は剣山ともいい、かつては梁山、高梁山ともいった。
山脈が東西100km余りにわたって起伏しつつ連なり、
利剣(鋭い剣)の形をした72峰が聳え、絶壁の中断したところに
2つの山が門のように相対するので、剣門という。
(中略)
三国時代に諸葛亮が蜀の丞相になると官をおいて防備を固めた。
頂上の姜維城は、姜維が兵を留めて鐘会を迎撃したところで、遺構が現存。
登山口に「剣門関」という石碑がある。 

現在、関楼門から外側はすぐ下り階段になっているが、当時は山肌沿いに
作られた道+階段だった気がする…あまりにも階段が多くて大変だったので
よく覚えていないが、アップダウンに苦労した。 

▼こんな岩の側面に穿たれた階段で延々移動するのだ…。

▼一夫関に…の石碑

当時、入場券裏のざっくりした地図を元に姜維の墓を探して彷徨ったが、
全く見つからなかった。長い階段の昇降で足はガクガク、膝は笑うで
あわや遭難一歩手前だった…だって人が居ないんだもの(笑)

途中、岩だなに人影を見る。

………第一村人発見!!!

手相み兼ガイドをしている近所のおじいさんだった。
こんなに人通りの無いところで、客が来るのを待つのも大変そうだ。

「姜維の墓はどの辺ですか?」

「あっちだよ」と我々が来た方角を指すおじいさん。

「差し支えなければ、姜維の墓まで案内していただけないでしょうか」

「よしきた」

地獄に仏なのでこの手相見兼ガイドのおじいさんに、姜維の墓まで
連れて行っていただくことにした。
料金は10元。三人で10元か、1人10元かというところは交渉しなかった。
それほど疲労困憊していたのだ(笑)。 

……さすが剣門関育ち(;_;)

このおじいさんの健脚ぶりときたら大したもので、あっという間に
引き離される。

▼我々を待ってくれている、おじいさん/まだご健在だろうか…
 最初は一緒に登っていたんですよ。 

▼姜維神像2000/おじいさんが教えてくれました。

▼2000年当時の川陝公路/現在は風景区の敷地内
 川陝公路のすぐ脇に切符売場があり、ちょっと行くとすぐに関楼だった。
 姜維の墓に向かって移動する。 

▼山の斜面に出来た段々畑の途中にあった石碑「剣閣72峰」

▼姜維の墓2000/墓碑銘は「漢大将軍姜維之墓」


剣門関2016 その参

2017年03月08日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

テクテクテクテク歩いて、関楼到着。

剣門関は、

一夫関に当たれば、万夫も開く莫し
(いっぷかんにあたれば、ばんぷもひらくなし) 

といわれる要害。
平たく言うと、剣門関は1人が守っていれば、大軍で攻めかかっても
陥とせないという程の難所。

諸葛亮により設置され、1700年に渡り破壊と修築を繰り替えしてきた
剣門関は、古来100回以上の戦が起こったが、
正面から攻め落とされたことは一度も無かったという。

………黒い

四川大地震で城楼が倒壊したということで、再建されたらしいが
色使いがあまり中国らしくない。侘び寂び的な?感じ。

関楼前の道幅も観光客向けに広げてくれて、観光地としては良いと
思うが、剣門関の険しさが偲ばれず…趣が無くなった。 
旧剣門関は明日上げるので、比較してみてください。 

険しさ、荒々しさ共になし。空がきれいだ。この日も暑かった。

関楼下から来た道(関の内側)を振り返るとこんな感じ。
ここは風の通り道になるので、超涼しい。
天然のクーラーは気持ちよかった~。

外側は相変わらず切り立っているが、石の階段は幅広に整備された感じ。 

▼外側から見上げる関楼

泰山もかくや、という急階段。


剣門関2016 其の弐

2017年03月07日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

続いて剣門関の城楼を目指して林道を歩いていくと、いきなり蜀軍の
レリーフが出現。

▼レリーフ「北伐軍行図」/車に乗った諸葛亮が羽扇で前方を指している。

以前は山の斜面だった場所が切り崩されて、ある程度のスペースが
確保された道が敷きなおされている。

▼剣門関を守る姜維像/手下が疲れてます…
 曹操が死んだ後はほぼ興味が無い人間なので、あまり覚えていないが
 大変だったんだろうなぁ、姜維。 

▼こちらは劉備/入蜀時、ここを通ったそうだ。

テクテク歩いて、やっと剣門関の関楼が見えた。
再建された楼閣は黒基調で以前よりシックにまとまっている。
関楼の周囲も以前より平らになってすっきりしている気がする。 

関楼を見つつ道なりに行くと、撮影スポットの諸葛亮像が…。
側の売店では羽扇を販売しているので、 羽扇をゲットして諸葛亮と
同じポーズで写真を撮るか、車に座って撮るか(笑)。