Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

イラク人質事件とテレビ報道

2004年06月25日 11時39分27秒 | クライシス
イラクで韓国人人質の金鮮一さんが殺された。
韓国では、主要新聞各紙が、6月23日朝刊で生存の誤報を流したことに関するお詫びを掲載したり、
外交通商部の対処の国会で追及されたり、
遺族が盧武鉉大統領の献花を拒否したり。
騒ぎは収まる気配を見せない。

この機会に、あらためて日本人人質事件について考えてみたい。

4月8日(木)夜8時33分、イラクで日本人3人が拘束との第一報がNHKで流れた。追いかけるように、アルジャジーラが放映した一部編集済みのビデオが各テレビ局から流された。

4月9日(金)早朝、3人の家族は、相次いで上京。
今井紀明さん(18)の父隆志さん(54)と母直子さん(51)は、兄洋介さん(23)を伴い札幌から。
高遠菜穂子さん(34)の弟修一さん(33)と妹井上綾子さん(30)は千歳から。
郡山総一郎さん(32)の母きみ子さん(55)は宮崎の佐土原町から。
3家族は北海道東京事務所を拠点に、支援者のバックアップを受け精力的な活動を開始した。

このイラク人質事件の被害者は、“自己責任”をキーワードとしたバッシングを受け、後味の悪い展開を見せるが、この原因はいつにかかって、金曜から日曜にかけて3日間の家族の行動と、それを助長したテレビ報道が原因と私は考えている。

「画が無いものはニュースではない」というのは、テレビの、特にワイドショーの基本認識である。
木曜日の第一報以来、テレビは画の少なさに悩んだはずである。
当時アルジャジーラのビデオ以外に何が存在しただろう。
・スタジオのキャスターとイラク通のコメンテーター
・首相官邸前広場の報道記者のレポート
・アンマンからの特派員の現地レポート
・過去の資料映像(サマワ・奥大使遭難他)
いずれも緊迫感にかける映像である。
政府の要請を奇貨としてイラク国内から記者を引き上げた大手報道機関は、いずれも深刻な素材不足に直面したのだ。

金曜日早朝。
そんな状況で登場したのが、被害者家族である。
その番組出演を確保するため、テレビメディアはジャーナリズムの矜持を片隅に追いやり、家族の囲い込みに走ったといえば言いすぎだろうか。
特に、スタートしたばかりで、低視聴率と低評価に悩んでいた報道ステーションにその傾向が顕著だった。
家族をおだてにおだて、のせにのせた責任がテレビ報道にありはしまいか。

突然人質の家族という立場に立たされての困惑はいかばかりだろう。真っ当な対応が出来なかったとしても、責めることはできない。
彼らの対応のガイドラインとなったのは、北朝鮮拉致被害者の家族会の対応であり、彼れと行動をともにした支援者のアドバイスだろう。
ちなみに、今井直子さんは共産党の党籍を持つと報じられている。
高遠修一さんは千歳のJCで活動しており、千歳市長選でも保守系の候補を応援しているようだ。また、郡山総一郎さんは自衛隊の経験があるなど、3家族それぞれに政治的立場を異にするが、
これらの立場を超えて共同歩調をとった。

自衛隊撤退要請。小泉首相への面会の要求。外務省職員の難詰・面罵。15万人の署名の提出。
テレビはこれらの動きを概ね無批判で報じた。
署名の総理府への提出は11日(日)の夕方である。金曜の夜に拘束が明らかになってから、日曜日の夕方までの間に15万人の署名を集めきるという手際の良さはどうだろう。
組織的活動なくしてはありえないことではないだろうか。

月曜日午前中、人質家族は北海道東京事務所の電話とファックス番号を公表し、情報の提供を求めたところ、寄せられた連絡のほとんどは、批判と非難と中傷だった。
彼らの行動に割り切れぬ思いを抱いていた人や、人質家族と反対の政治的立場に立つ勢力、愉快犯的野次馬が一斉に反応したのだ。2ちゃんねるには土曜日から人質家族批判の声が増加し、日曜には既に批判の嵐になっていたが、電話番号の公開がその批判に突破口を与えたといえよう。

これは、ある意味、情報を垂れ流すテレビ報道に対するアンチテーゼである。

外務省の竹内行夫事務次官は12日(月)午後の記者会見で、イラク日本人人質事件に関し「自己責任の原則を自覚していただきたい」と述べ、人質となった3人の行動に疑問を呈した。
本来外務次官が語るべき言葉ではないと思うが、高まる人質家族への反感を背景に、「自己責任論」に火をつけることとなった。

人質問題の潮目が、12日(月)に変わったのである。
3人の人質が解放されたのは4月15日だった。