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Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

大邱市地下鉄火災事故

2004年06月20日 19時29分10秒 | 失敗学
失敗学会の研究会でまとめたスタディです。


【事例概要】
韓国第3の都市である大邱市の地下鉄で,乗客の放火により車両内で火災が発生.さらに反対車線に進入した対向列車にも引火し,それぞれ6両編成,計12両が全焼した.火災とそれに伴う煙や有毒ガスにより,死者は192人,負傷者148名に上った.
死者のほとんどが対向列車の乗客であったが,これは運転士が乗降扉を閉じたままで避難したため,多くの乗客が逃げ遅れたことによる.2月20日の朝鮮日報によると死傷者のうち放火された列車の乗客の占める比率が7.7%なのに対し,対向列車の死傷者は92.3%を占めるという.

【発生日時】
2003年2月18日9時53分ごろ.13時38分鎮火.

【発生場所】
大韓民国慶尚北道大邱広域市中区南一洞 地下鉄1号線 中央路駅構内

【経過】
放火犯は脳卒中で失職し,失語症,脳梗塞,右半身麻痺の症状を呈し,「脳病変障害2級」の認定を受けている56歳の元タクシー運転手.「死にたい」が口癖だったという.
9時53分ごろ,放火犯は,乗車していた1079号列車が中央路駅に停車するのとほぼ同時に,持っていたペットボトル2本に入ったガソリンと思われる引火性物質にライターで着火.まず,放火犯自身の着衣と座席シートに火がつき,急速に延焼し始めた.乗客は直ちに避難を開始した.
火災が発生した場合,対向車線の列車は運転を停止し入線しない,もしくは火災発生現場をノンストップで通過することが鉄道運行の鉄則である.大邱広域市地下鉄公社の場合,各列車は公社本部にある総合司令チームと無線電話でつながっており,緊急時には総合司令チームが管制を行うことになっている.しかし,運行全体を管制すべき総合司令チームは,現場の状況を把握できなかったため,付近の列車への運転停止命令を怠った結果,発火から約3分を経過した9時56分45秒,反対線ホームに対向の1080列車が入線する.
この地下鉄は,運転手のみが乗務するワンマンシステムで,駅到着と同時に自動的にドアが開く.火災を認知した対向列車の運転士は類焼を避け発車しようと,乗客が乗降中のドアを手動スイッチにより閉めた.直後に動力源である電力が列車・駅舎ともダウンしたため発車できず,火災はこの対向列車にも飛び火した.
対向列車の運転士は,総合司令チームの管制を受けようと指示を仰ぐが,総合司令チームは状況を把握できず,意志の疎通ができぬまま5分間を空費する.
対向列車の運転士は,火の手と黒煙にパニック状態になり10時2分に乗降ドアを閉めたまま運転室から脱出したが,その際,列車のマスターキーを引き抜いている.
この運転システムではマスターキーを抜くと運転室にあるドア開閉コックが機能しなくなる上,非常用バッテリーも作動しなくなる.これにより対向列車の乗客は燃え盛る車中に取り残されることになった.対向列車6両のうち2両では,たまたま乗客として乗り合わせた鉄道庁や地下鉄公社の職員が座席下のコックを操作し非常ドアを開けることに成功した.
対向列車乗客の多くが逃げ遅れ,火災とそれに伴う煙や有毒ガスの犠牲となった.2月27日の韓国の国立科学捜査研究所発表によると,対向列車車両内で確認された死者は142体であるという(放火列車内には遺体はなし).これは,対向列車の推定乗客数180人の79%,死者全体の74%にのぼる.50体が駅舎内で収容されているが,ホームの1階上にあたる地下2階改札口付近に多かった.

【対処】
97年に開業した大邱地下鉄は,2号線が現在建設中で1号線のみ運行している.事故の発生した中央路駅は市内中心部に位置し,隣は国鉄と連絡する大邱駅である.
中央路駅の駅員は6名,うち1名は事故当日休暇中であった.駅員のうち2名が殉職している.また,前述のように運転士のみが乗務するワンマンシステムである.
このように大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームが遠隔コントロールを行うことで経費を節減し作業効率を高めている.結果として,地下鉄公社のスタッフは事故の初期対応に失敗し,被害を拡大させた.その詳細については,後で検討することとする.なお,2003年8月6日,大邱地裁は放火犯とともに,総合司令チーム職員5名,両列車の運転士,中央路駅員1名の計8名にも,被害拡大の責任を認定し有罪判決を言い渡している.

大邱広域市消防本部は,出火の1分後の9時54分には火災を認知し,55分に出動司令を発令し,58分には第一陣が現場に到着した.
出火の第一報は,市民の携帯電話から入ったようである.出火した列車の運転士は総合司令チームへの迅速な報告を怠っており,総合司令チームは火事を認知しても消防へ連絡していなかった.一方,被害にあった乗客の多くが携帯電話で外部に連絡しており,消防本部への乗客からの携帯電話での通報だけでも100本にのぼったという.それが最後の通話となった犠牲者も数多い.市民からの通報を消防や警察が受け,総合司令チームへの問い合わせとなり,総合司令チームが列車や駅に確認するという,通常とは逆の情報の流れとなり,実態把握に混乱が生じた.
消防本部は中央路駅近くにあり,第一報を受けたときには,窓から立ち上る黒煙が確認できたという.この黒煙は,避難活動にも救出活動にも大きな障害となった.酸素ボンベを使用しても,地下深度18メートル,移動距離では160メートルに及ぶ地下三階ホームへの進入は困難を極め,始めは消火活動より救出活動を優先せざるを得ず,燃えるに任せる状況だった.煙突状となった駅舎からの進入を避け,隣接駅から線路伝いに現場に到達することで,実質的な消火活動が可能となった.鎮火までには3時間45分を要している.

【原因】
放火犯の放火にいたる経緯にはここでは触れない.引火性物質による放火は,日本においても新宿バス放火事件,青森消費者金融放火事件など多くの大量死傷事件が発生している.このような放火が発生したとき被害を最小限にとどめるため,どのような対処がなされたのか,なぜ,被害がこのように拡大したのかを問題意識とし,検討することとする.

被害拡大の要因として,以下のことが指摘できるだろう.
1. 車両の問題
車両材質の不燃化が徹底しておらず,急激に延焼したことに加え,燃焼により煙や有害ガスを発生させたこと.
2. 駅舎の問題
駅舎が地下深くにあり,階段,改札口等の構造も複雑で,避難ルートがわかりにくいこと.
消火設備や器材,避難誘導路や退避施設など,空間の安全設計思想が脆弱であったこと.
また,そもそも地下鉄駅舎の構造自体が,空気の流入と流出が一定方向であり,燃焼を促進する「かまど構造」であること.
3. オペレーションの問題
地下鉄公社内部で,総合司令チーム・列車・駅のコミュニケーションが混乱し,適切な危機対処をなしえなかったこと.
また,列車のドアを開けなかったことをはじめ,乗客の避難誘導がなされなかったこと.
以下,項目ごとに見ていこう.

<1>車両の問題
地下鉄の車両は,ドイツのシーメンス社が製造したものを,韓進重工業が輸入し,香港で一部の部品や内装を取り付けている.
外装はステンレス製.
内装は,床部分は塩化ビニール,天井と内壁はFRPで内壁の内側に断熱材としてポリウレタンフォームが入っている.座席は,表面が天然羊毛,クッションはポリウレタンフォームである.
鉄道車両は軽量化のために,昨今,高分子化合物を多用する傾向にあるが,大邱地下鉄も例外ではなく,また,不燃材ではなく,難燃材が多用されている.なかでも,ポリウレタンフォームが燃焼に際し煙を多量に発生させ,犠牲者拡大の要因となったと思われる.韓国原糸織物試験研究所によると,防災基準設定に際し,有毒ガスの基準は存在せず,測定も行っていないという.なお,98年2月に韓国では車両材質について安全基準が設定されているが,97年11月に営業開始したこの地下鉄には適用されていない.また,車両間連結部の扉の開閉状況により,延焼の速度に差があることが明らかになった.放火列車は,連結部の扉が閉まっていたのに対し,対向列車は,連結部に扉がなく開放されている構造であった.このため,対向列車の延焼速度は速く,発火後1時間経過した時点で,放火列車は3両目まで延焼,対向列車は6両すべてに火が廻っていた.これは,連結部が開放されていたため延焼が容易だったことと,連結部の蛇腹が燃易性の合成樹脂だった影響が大きい.

<2>駅舎の問題
駅舎の設備は小規模な火災のみを想定したかに見え,このような大火災の前には無力だった.
駅舎では,スプリンクラーが作動したが,駅舎全体のスプリンクラーを有効に機能させるためには,給水量が不足し,効果には限界があった.
車両内にも駅舎にも消火器が備え付けられ,駅舎には消火栓も設置されているが,使用されていない.パニック状況の中では,避難が精一杯で,消火活動を行う余裕はなかったのだろう.
中央路駅のホームは地下3階にあり,上り下りそれぞれのホームから各4箇所,合計8本の階段で地下2階のコンコースに通じており,ここに改札口がある.地下1階は地下街につながっているが,火災発生時は開店前でシャッターがしまっていた.駅舎の構造はわかりにくく,特に照明が落ち,暗闇になったため避難を一層困難にした.避難誘導サインも設置はされていたものの,黒煙の中1メートルを下回る有効視界の条件下では効果を発揮しなかった.また,駅員による誘導もなかった.退避シェルターは設置されていない.地下鉄の駅舎の構造は,退避するに際しては閉鎖的空間でありながら,トンネルを通じての空気の流入量が多く,いったん火災が発生したときには,かまどと煙突の構造に転化する.
そのため消防隊は上からの突入を諦め隣駅から進入した.また,線路伝いに避難した人は助かっている.
中央路駅の排煙設備は地下2階のコンコースに設置されていた.能力が低く充分に機能しなかったが,ひとつ間違えれば,下から上への空気流通を助長するターボの役割を果たしかねないところだった.
対向列車の入線は,燃焼中の放火列車に大量の酸素を送り込む「ふいご」の役割を果たした.走行中の地下鉄の起こす風は50メートル先にまで影響を与えるといわれる.この風に煽られ,放火列車の火勢が強まったさなかに,対向列車は入線したことになる.


<3>オペレーションの問題
大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームで中央コントロールを行う組織設計である.突発事件に対処するためには,運行管制の責任を負う総合司令チームのリーダーシップのもと各列車の運転士,駅務員とがスムーズに連携することが不可欠である.総合司令チームには,運転司令室と機械設備司令室がある.9時53分,火災発生と同時に機械設備司令室のモニターには「火災発生」の表示がなされ,警報ベルも鳴ったが,機械設備司令室は,これまでもモニターの誤作動が多かったことから,この警報を無視し,火災の認知が遅れた.02年12月だけで,90件の誤作動が発生し,そのほとんどが火災関連だったからという.
総合司令チームは中央路駅員からの通報で火災発生から2分後の9時55分に火災を知ることになる.ちなみに放火された列車の運転士が運転司令室に火災の事実を報告したのは,発生から22分後であった.運転司令室は直ちに運行中の全列車に対し火災発生を連絡している.しかし,対向列車に対しては,注意するよう指示したのみで,運転停止命令を出さなかった.
対向列車は入線後,一旦開いたドアを手動で閉めたものの,発車直前に電力がダウンする.その後,運転司令室は現場の状況を掌握できず,運転士は運転司令室の指示を待ち,約5分間を空費する.10時2分の最後の通話において,運転司令室は対向列車運転士に対し,ドアの開放と車内放送を指示するが,既にパニックに陥った運転士はマスターコントロールキーを引き抜き避難した.
こうして見てくると,総合司令チームと各列車の運転士,駅務員とのチームワークが機能せず,それぞれのプロ意識,安全意識に欠落があったことが指摘できよう.
それ以前に,次項で述べるように,総合司令チームが全体の運行の責任を負うという設計思想そのものに無理があった.

【知識化】
<過度のITシステム化の陥穽>
大邱地下鉄には無人でも運転可能なハイテクシステムが導入されている.例えば搭載されているTIS(=Train Information System)では各車両の状況を一目で確認できるようになっている.また,駅への停車を認識し自動的にドアが開き,乗客が乗り終えると自動的に閉まるようになっている.現場の負担を極小化することで乗務員を1名とし,人件費の圧縮と業務の効率化を実現している.そのため,緊急時には運転司令室が管制を行うことになっている.列車の運転席からは無線電話で運転司令室とつながっているが,他の列車や駅と通話することはできない.
今回の事故では,現場の運転士や駅員が危機に遭遇したとき,適切な基本動作をとれない実態を露呈した.他方,総合司令チームは機器を通じた情報のみでは現場を把握しきれず,ここでも適切な対応をとれなかった.人命を預かり,安全と安心を確保すべき職場においては,現場で,現物に触り,現実を見極める姿勢が何にもまして重要であることを示している.過度のITシステム化には陥穽があることを認識すべきだろう.

<地下鉄駅舎の「かまど構造」>
一般に,煙は廊下など水平方向の移動スピードは,秒速0.3から0.8メートルだが,階段など垂直方向の移動速度は秒速3~5メートルに達するという.燃焼物の上に筒状の煙突を立てると燃焼効率が良いのはこの原理による.合計8ヶ所あった階段は,煙突の役割を果たした.秒速0.5メートル前後に過ぎない人間の歩行速度では,階段を昇って逃げようとすると,瞬く間に煙に飲み込まれることとなる.
煙の上昇するルートと人間の退避ルートが重なると,必ず被害が拡大する.煙の流れを阻害する上部遮蔽幕の設置や,水平方向に避難する非常時退避ルート・避難シェルターの設置など煙からの分離の方策が求められる.
地下鉄大江戸線の六本木駅は地表から42.3mの深さにある.地下7階のプラットフォームから上層階へはエスカレータ2基,エレベータ1基,階段1基でつながっている.エレベータで地上に出るためには4~5基を乗り継ぐことになる.駅舎のわかりにくさ,電力が途絶した場合の避難方法,エレベータ・階段が煙突の機能を果たす「かまど構造」などいくつかの懸念が浮上する.
その他,大江戸線の各駅,JR東京駅京葉線ホームなど多くの大深度地下駅が日本にも存在する.「かまど構造」は中央路駅にとどまらず,地下駅すべてに関わる問題ではないだろうか.

【後日談】
対向列車の運転士は,事故発生から12時間近くたった午後9時半ごろ,警察に出頭するが,それまでの間,地下鉄公社の幹部と会い証言の仕方についての打ち合わせを行っていた,また,地下鉄公社の監査部長は,事故直後に駅の構内ビデオの録画テープを持ち出している.地下鉄公社は事故直後から証拠の隠滅に動いたこれらの痕跡を残している.さらに,事故車両が車両基地に移された直後には,保全すべき現場である駅舎の大掃除を行い,社会的指弾の的になった.これらの証拠隠滅を指揮したとして,地下鉄公社の尹鎮泰(ユン・ジンテ)社長は解任の上起訴され,懲役3年と罰金刑の判決を受けている.
また,事故の翌日には早くも,内装材を変更せぬまま運行を再開し,根本的な問題の解決をしようとしないとして非難を浴びた.結局,運行を停止せざるを得ず,内装の変更や防炎処理等の改善を加えた上での運行再開まで約8ヶ月間を要すこととなった.
このように,大邱地下鉄公社には,隠蔽や責任逃れの体質があり,事故の原因や経過を情報公開し,その失敗の教訓を将来に生かそうとの姿勢は見られない.失敗から教訓を導き出すためには,第三者による事故の原因の究明と報告書の作成がその第一歩になると思われるが,寡聞にしてそれに向けての動きは確認できなかった.韓国社会での失敗学の普及が期待されるところである.

翻って日本の鉄道火災事故の歴史を辿れば,鉄道火災の安全性強化の多くが,事故の尊い犠牲の上に成り立っていることに気がつく.
106名の死者を数える「桜木町事故」(1951年4月24日)は,垂れ下がった送電線に列車のパンタグラフがからまりショートして火事になった事故だが,戦時規格の車両から乗客が脱出できず焼死した反省に鑑み,3段式の窓枠や連結部の内開きドアの廃止,車両への防火塗料の塗布,パンタグラフの絶縁強化などの対策をこうじた.
死者こそ出なかったものの,車両の不燃化対策の大きな契機となったのが「日比谷線神谷町駅車両火災事故」(1968年1月27日)である.
東武鉄道からの乗入れ車両がブレーキ作動状態で走行したため主抵抗器が過熱し発火,1両を全焼させ,他の1両も半焼した.事前に車掌が異状に気づき,六本木駅で乗客を降ろし回送中であったため,乗客はいなかった.
この事故にショックを受けた運輸省は,不燃化基準の見直しを行い,1969年に「電車の火災事故対策について」の通達を行う.ここで定められた耐火基準(「A-A基準」と呼ばれる)は国際的に見ても高い水準にあり,以降,日本においては車両の耐火基準のスタンダードとなった.「日比谷線神谷町駅車両火災事故」が電車の耐火基準設定の契機となったのに対し,「北陸トンネル列車火災事故」(1972年11月6日)は,食堂車や寝台車を含む列車の耐火基準作りを促した.
NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられたこの事故は,全長13870メートルの北陸トンネルのほぼ中央で列車が炎上し,30名の死者を出すという,社会的な耳目を集めた事故である.同年3月の六甲トンネル誕生以前は日本最長のトンネルであった
深夜1時過ぎ,暖房機の漏電により急行「きたぐに」の食堂車から出火.乗客から連絡を受けた車掌がトンネル内で臨時停車させ,消火作業と列車連結の切り離し作業を行うも失敗,走行不能に陥った.
睡眠中の乗客を起こし避難するが,長大なトンネルのほぼ中央部であったことと,断熱材等から発生する大量の黒煙・有毒ガスにより被害が拡大した.
この事故を契機に材質の見なおしが計られると同時に,廃トンネルを利用した燃焼実験結果を踏まえ,トンネル火災に際しては,停車させず走行脱出を図るようマニュアルの変更がなされた.
今日の日本の安全は,上記の3つをはじめとする多くの失敗から教訓を得て構築されている.
今回の大邱地下鉄火災が,日本の過去の事故と相通ずる失敗をしていることを見るにつけ,鉄道事故の失敗学が対馬海峡を越えなかったことは残念である.

一方,日本はこの事故から何を失敗の教訓として学ぶべきだろう.
ソウル大社会学科の林玄鎭(イム・ヒョンジン)教授らは,その著書『韓国社会の危険と安全』において,韓国社会では「『安全』よりも『速度』を,『中身』よりも『外見』を,『過程』よりも『結果』を,未来に『付加される費用』よりも現時点での『費用節約』を最重要視する傾向にあり,私たちは拙速に建設した巨大な建物の数々が,いつどこでどう崩れるかも知れないロシアンルーレットのような危険にさらされている」と書いている.
この指摘は日本にとっても他人事ではない.これに「『事実の直視』より『官僚的無謬神話の保持』を」を加えれば,そのままバブル以降の日本社会への批判に転用できるかもしれない.大事故は多かれ少なかれ,その社会の価値観の反映でもある.