Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

ドンキ社員 記者会見に潜入

2004年12月26日 11時26分44秒 | 参加型ジャーナリズム
ドンキホーテ社員が消防署の記者会見からつまみ出された問題で、ネットが盛り上がっているようです。
わたしは、ドンキホーテの社員はやりすぎだと思っていますが、まずは状況を見てみましょう。

12月15日のasahi.comによる顛末は、
【ドン・キホーテ社員、身分隠し記者会見出席】
ドン・キホーテ浦和花月店に避難路の改善などを指導した6月の立ち入り検査について、さいたま市消防局が15日に記者会見して説明した際、同社経営支援本部の男性社員(27)が身分を偽って会見に出席したことがわかった。市は出火原因調査が行われているさなか、当事者の社員が身分を偽って記者会見に出るのは不適切な行為だとして社員に厳重に注意した。
社員は会見が始まる前に会見場に入り、消防局幹部が「記者以外の人はいませんか」と事前に確認しても名乗り出なかった。会見後、不審に思った記者が社員に身分を尋ねると「急いでいるので」と立ち去ろうとしたが、問い詰められて「ドン・キホーテ社員」と打ち明けた。

とのことです。

これに対し、コラムニストの勝谷誠彦氏は12月17日の日記で、「記者クラブ=談合組織」の文脈で早速これを取り上げています。
昨日書いたさいたま市消防局の記者会見にドン・キホーテの社員が潜り込んでいた件で読者からいただいたメールの中に「記者クラブってそういうものだったんですか」というものが多くて驚いた。
みなさん実のところこの国の最後で最悪の談合組織が実は大手メディアそのものであるということをご存じないんですね。
田中康夫さんの「脱記者クラブ宣言」の意義が浸透しないはずである。
もちろんこれは都合が悪いメディアどもがそれこそ談合してクラブの弊害について報じないようにしているからで奴らは快哉を叫んでいることだろう。だから私ごときが蟷螂の斧でまたこうしてシコシコと書かねばならないのである。
ドン・キホーテの宿痾ともいえる脱法体質はあわてて誤魔化したつもりでも消防の立入検査で続々と違反が見つかっていることでもう改めて書くまでもなく社員の潜入の意図もミエミエだがこいつを叩き出した記者クラブの体質とそのときの状況については上記の理由で大マスコミの方々は絶対に書かないので私が報じないわけにはいくまい(溜息)。


ジャーナリズム考現学氏は、発表する当局と記者クラブとの関係に着目し、そこに内在する排除の論理に疑問を呈しています。
 消防局からすれば、指導した当事者が会場にいると、何となくやりにくいのはわかる。しかし、行政として情報を公開する義務がある。当事者が会場にいるからといって公開内容が狭まるというのは、あってはならない話だ。
会見の途中で社員が「それは一方的な見解だ!」「事実と違う!」などと騒いだら、市民への円滑な情報公開を妨害したとして排除すればいい。しかし、この社員は大人しくメモを取り、録音をしていただけだ。
テレビ映像で見ている限り、記者たちは社員を取り囲み、むしろ社員を追いつめている感じだった。ドン・キホーテ本社の説明責任を追及し、同社のコメントを求めた。コメントを求めるべきなのは、さいたま市消防局の方ではないのか?なぜ、当事者は会見から排除されなければならないのか?なぜ、メモを破棄しなければならないのか?記者団を排他的に会見に参加させているのはなぜか?それぞれの法的根拠は何か?
もし会見でドン・キホーテ側に伝わるとまずい内容を説明され、その内容を報道しないようにと要請されていたとしたら、これこそ大問題だ。メディアと当局の癒着である。
そろそろ「記者会見」の位置づけをはっきりさせるときだ。記者会見とは公の場なのか、それとも当局が限られたメディアにこっそりと裏事情を話す場なのか?


これに対し、現役記者の浜村寿紀氏は、いかにも社会部の現役バリバリらしく、記者会見は新聞記者にとり行政の不備をつく武士の戦場にあたる場と捉えているのでしょう。そこに当事者が紛れ込んでいるのは夾雑物であり迷惑と喝破します。
問題の記者会見に私が出席していたら、消防局の従前の指導が本当に適切だったかどうかをしつこく質問したと思う。もし、そこにドン・キホーテの社員がいたら、ただでさえ情報を出さない役所は、さらに貝になってしまうだろう。だから「出て行ってくれ」。純粋に仕事の邪魔になるからである。これを「驕り」と言われては、ため息が出てしまう。

これに対し、地方紙の熱血記者であるガ島通信氏は、マスコミ記者は市民感覚に立脚して行動しないと社会からの批判を免れないとして、新聞記者の心理に潜む特権意識を批判します。
マスコミは常に自分たちを安全圏において、企業や行政を批判し続けます。そして自分たちが批判されると感情的になったり、卑屈になったりする。すでにこのあたりの構造は見切られています。
確かにテレビで流れた記者によるドンキ社員の吊るし上げは尋常じゃなかったですものね。
そして、前日のエントリーでは浜村氏を批判して、
浜村氏はブログを読む限り精力的な記者という印象で悪気はないと思いますが、知らない間に自分が特権階級にいることに気づいていない、典型的なマスゴミ病にかかっているようです(何度も述べてきましたが共同ブログ騒動と同じ構図)。
としています。

この他にもさまざまなブログで賛否それぞれの意見が出ています。
そこで、記者クラブ制度の功罪に論点を絞り、次のエントリーで考えてみたいと思います。