それでは、前のエントリーの続編として、記者クラブ制度の現状をおさらいしてみましょう。
行政や経済団体などが、特定の報道機関に無料で記者室を提供し、加盟社のみを対象に会見を開くということを慣例的に行ってきたのが記者クラブです。
財務省「財政研究会」、日本銀行「日銀記者クラブ」、警視庁「七社会」、宮内庁「宮内記者会」、日本経団連「経団連記者クラブ」、東商「商工会議所記者クラブ」、東証「兜クラブ」などが代表的な記者クラブです。
さて、淵源は明治に遡る記者クラブ制度は、予てより「閉鎖的」「特権意識」「横並び体質」として批判の対象でした。
特にその閉鎖性に対する批判はよく眼にするところです。
例えば多くの記者クラブから週刊誌は排除されています。前のエントリーで引用した勝谷氏は以前は文芸春秋社の社員で、当時から週刊文春などを舞台に、一貫して記者クラブ制度そのものを批判してきました。
海外メディアも同様に排除されていました。これに風穴を開けたのがブルンバーグです。当時の東京支局長デビッド・バッツは報道の自由を阻む非関税障壁であるとして、アメリカ大使館やロイター、CNNなどを巻き込み、兜クラブへの加盟を求め果敢に戦いを挑み、紆余曲折の末1993年に加盟を勝ち取ります。
資料:外国報道機関記者の記者クラブ加入に関する日本新聞協会編集委員会の見解
とはいえ、海外メディアに完全に扉が開かれたわけではありません。
例えば、2000年に元英国航空のスチュワーデスのルーシー・ブラックマンさんが殺害された事件では、外国メディアには充分な情報は開示されませんでした。
そこで、2002年にEUは「日本の規制改革に関するEU優先提案」の中に、特に情報への自由かつ平等なアクセスの項目を設け、日本の公的機関に対し海外メディアのアクセスの保証と記者クラブ制度の廃止を求めています。
これに対し(社)日本新聞協会は2003年12月に見解を表明し、その中で、公的機関に対し結束して情報公開を迫るという役割があると指摘しつつ、
(1)公的情報の迅速・的確な報道
(2)人命人権にかかわる取材・報道上の整理
(3)市民からの情報提供の共同の窓口
などの役割のために記者クラブは必要だと述べています。
「公的機関に対し結束して情報公開を迫る」ことの重要性の認識は、浜村氏の見解と同じ文脈といえるでしょう。
しかし、例えば宮内庁長官の記者会見の映像がテレビに流れることはありません。
宮内記者クラブは何をしているのでしょう。怠慢なのでしょうか、癒着なのでしょうか、果たして結束して情報公開を迫っているのでしょうか。
一方、行政の側からの記者クラブ制度への問題提起もいくつか起こっています。
1996年、朝日新聞記者出身の竹内謙鎌倉市長は、記者クラブの代わりに「広報メディアセンター」を設け、登録を条件にセンターを加盟社以外にも開放しました。
そして2001年、長野県知事に当選したばかりの田中康夫氏は、「脱・記者クラブ宣言」を行い、それまで、3つあった記者クラブへの県庁内スペースの無償提供を取り消し、代わって表現者すべてに開放する「プレスセンター」を設けた。これに対する、新聞サイドの反発はいまだに大きいようです。
2003年には、田中知事に個人的反感を持つ、おたく評論家宅八郎氏が知事会見にあらわれ、過去の知事執筆の記事について謝罪しろしないの問答を繰り広げ、その1問1答も長野県のホームページで公開されています。
このように、記者クラブについては、非加盟のジャーナリストと行政サイドの双方からの批判が存在しています。
これに対し新聞協会は、記者クラブの必要性を強調しつつ、閉鎖的運営を避け、開かれた記者クラブの実現をめざすべきと一貫して主張してきました。
しかし現実を見る限り、記者クラブの現場では相変わらず排除の論理が主流を占めているようで、田中知事への反発の一端も、雑誌や海外メディアへの対応もその文脈で理解できるようです。
今回のドンキホーテ社員への対応も既存マスメディアの本音が露頭として現れたものと私は理解しています。
記者クラブの閉鎖性是正については、本音と建前の乖離が大きすぎるのではないでしょうか。
ガ島通信さんのいうキレイごとはもうたくさんという叫びには素直に共感します。
ただし、記者会見の公開の対象については基本的な枠組みがあってしかるべきだと私は思います。
鎌倉市は報道する「組織」に着目し、長野県は表現は「個人」の営みとし、メディアや表現者を対象に開放の範囲を広げました。
それ以外の対象者を含めた公開だと、記者会見の性格そのものが変わるし、何より混乱を招く懸念があります。
宅八郎氏は表現者としての顔を持つものの、個人的な恨みを晴らすための会見参加だったと思われます。ちなみに、この一問一答は面白いので、眼を通されることをおすすめします。
このように報道以外の目的を持った利害関係者が記者会見に押しかけたら、会見の場が収拾つかなくなってしまう虞が発生します。今回のドンキホーテ社員は混乱を起こす意図はなかったと思いますが、ケースにによってはその懸念があるのではないでしょうか。
そこに配慮して線引きする場合、報道目的以外は参加を認めないというのは、妥当な判断基準だと思います。
その枠内で参加の自由度を高めるべきなのではないでしょうか。
「組織」であれ「個人」であれ、報道目的の参加者を対象として会見を公開するというのが、これからの記者会見の方向だと思います。
もちろん、その中にブロガーが含まれることが、将来に向けての世界的な趨勢であるということは間違いないでしょう。
ちなみに、私のように企業の広報に携わるものにとって、記者クラブ制度は有用な仕組みであることを付け加えておきたいと思います。
記者クラブのボックスにニュースリリースを投げ込むだけで、主要メディアに情報をつたえられる仕組みというのは、実はかなり手間が省けてありがたいシステムなのです。
記者クラブに新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネット記者が揃ってくれると、情報をリリースする立場からはうれしいんですけどね・・・・。
行政や経済団体などが、特定の報道機関に無料で記者室を提供し、加盟社のみを対象に会見を開くということを慣例的に行ってきたのが記者クラブです。
財務省「財政研究会」、日本銀行「日銀記者クラブ」、警視庁「七社会」、宮内庁「宮内記者会」、日本経団連「経団連記者クラブ」、東商「商工会議所記者クラブ」、東証「兜クラブ」などが代表的な記者クラブです。
さて、淵源は明治に遡る記者クラブ制度は、予てより「閉鎖的」「特権意識」「横並び体質」として批判の対象でした。
特にその閉鎖性に対する批判はよく眼にするところです。
例えば多くの記者クラブから週刊誌は排除されています。前のエントリーで引用した勝谷氏は以前は文芸春秋社の社員で、当時から週刊文春などを舞台に、一貫して記者クラブ制度そのものを批判してきました。
海外メディアも同様に排除されていました。これに風穴を開けたのがブルンバーグです。当時の東京支局長デビッド・バッツは報道の自由を阻む非関税障壁であるとして、アメリカ大使館やロイター、CNNなどを巻き込み、兜クラブへの加盟を求め果敢に戦いを挑み、紆余曲折の末1993年に加盟を勝ち取ります。
資料:外国報道機関記者の記者クラブ加入に関する日本新聞協会編集委員会の見解
とはいえ、海外メディアに完全に扉が開かれたわけではありません。
例えば、2000年に元英国航空のスチュワーデスのルーシー・ブラックマンさんが殺害された事件では、外国メディアには充分な情報は開示されませんでした。
そこで、2002年にEUは「日本の規制改革に関するEU優先提案」の中に、特に情報への自由かつ平等なアクセスの項目を設け、日本の公的機関に対し海外メディアのアクセスの保証と記者クラブ制度の廃止を求めています。
これに対し(社)日本新聞協会は2003年12月に見解を表明し、その中で、公的機関に対し結束して情報公開を迫るという役割があると指摘しつつ、
(1)公的情報の迅速・的確な報道
(2)人命人権にかかわる取材・報道上の整理
(3)市民からの情報提供の共同の窓口
などの役割のために記者クラブは必要だと述べています。
「公的機関に対し結束して情報公開を迫る」ことの重要性の認識は、浜村氏の見解と同じ文脈といえるでしょう。
しかし、例えば宮内庁長官の記者会見の映像がテレビに流れることはありません。
宮内記者クラブは何をしているのでしょう。怠慢なのでしょうか、癒着なのでしょうか、果たして結束して情報公開を迫っているのでしょうか。
一方、行政の側からの記者クラブ制度への問題提起もいくつか起こっています。
1996年、朝日新聞記者出身の竹内謙鎌倉市長は、記者クラブの代わりに「広報メディアセンター」を設け、登録を条件にセンターを加盟社以外にも開放しました。
そして2001年、長野県知事に当選したばかりの田中康夫氏は、「脱・記者クラブ宣言」を行い、それまで、3つあった記者クラブへの県庁内スペースの無償提供を取り消し、代わって表現者すべてに開放する「プレスセンター」を設けた。これに対する、新聞サイドの反発はいまだに大きいようです。
2003年には、田中知事に個人的反感を持つ、おたく評論家宅八郎氏が知事会見にあらわれ、過去の知事執筆の記事について謝罪しろしないの問答を繰り広げ、その1問1答も長野県のホームページで公開されています。
このように、記者クラブについては、非加盟のジャーナリストと行政サイドの双方からの批判が存在しています。
これに対し新聞協会は、記者クラブの必要性を強調しつつ、閉鎖的運営を避け、開かれた記者クラブの実現をめざすべきと一貫して主張してきました。
しかし現実を見る限り、記者クラブの現場では相変わらず排除の論理が主流を占めているようで、田中知事への反発の一端も、雑誌や海外メディアへの対応もその文脈で理解できるようです。
今回のドンキホーテ社員への対応も既存マスメディアの本音が露頭として現れたものと私は理解しています。
記者クラブの閉鎖性是正については、本音と建前の乖離が大きすぎるのではないでしょうか。
ガ島通信さんのいうキレイごとはもうたくさんという叫びには素直に共感します。
ただし、記者会見の公開の対象については基本的な枠組みがあってしかるべきだと私は思います。
鎌倉市は報道する「組織」に着目し、長野県は表現は「個人」の営みとし、メディアや表現者を対象に開放の範囲を広げました。
それ以外の対象者を含めた公開だと、記者会見の性格そのものが変わるし、何より混乱を招く懸念があります。
宅八郎氏は表現者としての顔を持つものの、個人的な恨みを晴らすための会見参加だったと思われます。ちなみに、この一問一答は面白いので、眼を通されることをおすすめします。
このように報道以外の目的を持った利害関係者が記者会見に押しかけたら、会見の場が収拾つかなくなってしまう虞が発生します。今回のドンキホーテ社員は混乱を起こす意図はなかったと思いますが、ケースにによってはその懸念があるのではないでしょうか。
そこに配慮して線引きする場合、報道目的以外は参加を認めないというのは、妥当な判断基準だと思います。
その枠内で参加の自由度を高めるべきなのではないでしょうか。
「組織」であれ「個人」であれ、報道目的の参加者を対象として会見を公開するというのが、これからの記者会見の方向だと思います。
もちろん、その中にブロガーが含まれることが、将来に向けての世界的な趨勢であるということは間違いないでしょう。
ちなみに、私のように企業の広報に携わるものにとって、記者クラブ制度は有用な仕組みであることを付け加えておきたいと思います。
記者クラブのボックスにニュースリリースを投げ込むだけで、主要メディアに情報をつたえられる仕組みというのは、実はかなり手間が省けてありがたいシステムなのです。
記者クラブに新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネット記者が揃ってくれると、情報をリリースする立場からはうれしいんですけどね・・・・。
さすが、広報の仕事をしていらっしゃるだけあって、記者クラブの問題点が分かりやすく整理されていますね。いい復習になりました。ふだんつくっておられるニュースリリースに、不勉強な記者が助けられている様子が目に浮かぶようです。
記者会見については、報道目的という限りでオープンにするというのが、私も一番いいと思います。
しかしここで問題になるのが「懇談」「バックグラウンドブリーフィング」をどう考えるかということです。
そんなものは認めない、それなりの地位にある者は、すべてオンレコで話すべきだというのは正論で、私もそうあってほしいと思いますが、実際は厳しい。そこで、不本意ながら取材現場の現実的対応、言い換えればある種の必要悪なんだろうなと個人的には感じています。
ただし大前提として、オフレコの範囲を狭めていく努力は続けるべきですし、その種の「キレイゴトでない状況」が存在することを、マスメディアはちゃんとお知らせしなくてはならない。さらに、オフレコに伴う「世論操作」の陥穽に陥らないように検証を続けるということでしょう。
ちなみに米国では、政府側がマスメディアをインナーサークル、ミドルサークル、アウターサークルの3種類に分けて、露骨に差別的な扱いをしています。
WPやNYTなど有力メディアの記者、中でも名前の通っている記者を個別に呼んで情報提供をすることが日常的に行われています。それが署名入り特ダネとかコラムになって、世論に影響を与えていくという構図です。
ある意味、日本の記者クラブより閉鎖的ではないかと思います。
なお、私の個人ブログでの記述、あるいはこれを含む各所でのコメントなどは、勤務先とは一切関係ないことを申し添えます。もちろん取材を通じた知見を元に書く場合も多いのですが、現実的な線引きはしているつもりですので、ご理解いただけば幸いです。
企業情報を開示する場合、オフレコでのバックグラウンドブリーフィングが取材者の理解をすすめる効果的な方法です。
例えば、業界のマクロな状況や競合社との比較、自社内でまとめた資料数字等については、企業としてのオフィシャルな見解としては示せません。
しかし、記者にとっては手っ取り早く全体構造を掴むためのガイダンスになると思っています。
「必要悪」というよりも、周辺取材の一助として提供しているという感じです。
>オフレコに伴う「世論操作」の陥穽に陥らないように検証を続けるということでしょう。
ご指摘どおりですね。
勤務先関連情報削除しました。
ご確認ください。