「週刊!木村剛」、「ガ島通信」。
いずれもブログリーダーに登録し、毎号愛読しているブログだ。
前者は経済評論家の木村剛氏、後者は地方紙記者の運営者が「ネット時代の新聞とは何か?」を考えるブログ。
この2つのブログの間で時ならぬバトルが勃発した。
きっかけは「週刊!木村剛」の「これが新潟県中越地震の真実だ!」の記事。
ガ島通信さんの批判エントリーは「何を楽しむのか!(怒ってます)」。
中越地震のマスコミ取材の問題点を木村氏が批判したのに対し、ガ島通信さんが批判を加え、
それに対し、木村氏が、「ブログに文句つける前にマスコミの方を矯正してほしい」、「ブログはマスコミに報いる庶民の一矢だ!」の2回に渡り、反論を加えると共に、マスコミスクラムに悩む自らの立場を説明したというのが、全体の構図だ。
「ガ島通信」は匿名のブログではあるものの、常に真摯にマスコミのあり方をマスコミ内部から考えようとするブログであり、その内容も、そこからうかがえるご本人の人格も、常に建設的議論をこころがけられており、尊敬に値するものと、ぼくはかねがね高く評価している。
特に、単なる批判に終わらせず、(ご本人が台風で浸水被害を受けられたこともあり)災害時におけるメディアの役割はどうあるべきか、自らのブログを通じアンケートも実施している。さらに、木村批判以後、現地でのマスコミの活動の一端を伝えるレポートを、連続でアップロードした。
マスコミの良心というに恥じない活動だと思う。
ガ島通信さんのブログに一ヶ所違和感を感じた
問題は、このステレオタイプのマスコミ批判の記事を「真実だ!」(真実というからには、裏は取っているはず…)とセンセーショナルに木村氏のブログのように影響力のあるところが取り上げたということです。
ことによると、ガ島通信さんは「週刊!木村剛」に、既存マスメディアのような「公正中立」「不偏不党」を期待しているのではないだろうか。
ぼくは、「週刊!木村剛」をふくめ、ブログジャーナリズムは中立である必要はないし、大いに偏っていいと思っている。
逆に、既存マスコミは「公正中立」「不偏不党」という欺瞞的なフィクションを早く脱ぎ捨てるべきだと思う。
「公正中立」「不偏不党」を装って書かれた、プロ野球ストの際の読売社説のいかがわしさは、もう、皆が気づいているのだ。
「巨人軍の親会社の立場で」「ナベツネ前オーナーの股肱の臣の立場で」と表明した上で社説を書いてくれれば余程すっきりする。
木村氏の二度の反論はそうした立場で書かれている。だからこそ健全な社会的論議を呼んでいるのではないか。
ネットの中で、右に偏り、左に偏り、上や下にも偏って、それらの言説に淘汰のメカニズムや読者の選択のメカニズムが働き、全体として社会的コンセンサスが形成されるのが、健全な「参加型ジャーナリズム」ではないだろうか。
マスコミが「真実」を伝えることなど、もはや私は期待していないのです。マスコミも、ネットと同じく、ブログとも同様、玉石混交なのです。だとすれば、色々なニュースソースを読者が確保して、各個人がメディアリテラシーを持つしかない――私はそう思います。
この木村氏の主張をぼくは支持したい。
(これは、今週のブロガー新聞 湯川一日編集長を意識したトラックバックです。)
いずれもブログリーダーに登録し、毎号愛読しているブログだ。
前者は経済評論家の木村剛氏、後者は地方紙記者の運営者が「ネット時代の新聞とは何か?」を考えるブログ。
この2つのブログの間で時ならぬバトルが勃発した。
きっかけは「週刊!木村剛」の「これが新潟県中越地震の真実だ!」の記事。
ガ島通信さんの批判エントリーは「何を楽しむのか!(怒ってます)」。
中越地震のマスコミ取材の問題点を木村氏が批判したのに対し、ガ島通信さんが批判を加え、
それに対し、木村氏が、「ブログに文句つける前にマスコミの方を矯正してほしい」、「ブログはマスコミに報いる庶民の一矢だ!」の2回に渡り、反論を加えると共に、マスコミスクラムに悩む自らの立場を説明したというのが、全体の構図だ。
「ガ島通信」は匿名のブログではあるものの、常に真摯にマスコミのあり方をマスコミ内部から考えようとするブログであり、その内容も、そこからうかがえるご本人の人格も、常に建設的議論をこころがけられており、尊敬に値するものと、ぼくはかねがね高く評価している。
特に、単なる批判に終わらせず、(ご本人が台風で浸水被害を受けられたこともあり)災害時におけるメディアの役割はどうあるべきか、自らのブログを通じアンケートも実施している。さらに、木村批判以後、現地でのマスコミの活動の一端を伝えるレポートを、連続でアップロードした。
マスコミの良心というに恥じない活動だと思う。
ガ島通信さんのブログに一ヶ所違和感を感じた
問題は、このステレオタイプのマスコミ批判の記事を「真実だ!」(真実というからには、裏は取っているはず…)とセンセーショナルに木村氏のブログのように影響力のあるところが取り上げたということです。
ことによると、ガ島通信さんは「週刊!木村剛」に、既存マスメディアのような「公正中立」「不偏不党」を期待しているのではないだろうか。
ぼくは、「週刊!木村剛」をふくめ、ブログジャーナリズムは中立である必要はないし、大いに偏っていいと思っている。
逆に、既存マスコミは「公正中立」「不偏不党」という欺瞞的なフィクションを早く脱ぎ捨てるべきだと思う。
「公正中立」「不偏不党」を装って書かれた、プロ野球ストの際の読売社説のいかがわしさは、もう、皆が気づいているのだ。
「巨人軍の親会社の立場で」「ナベツネ前オーナーの股肱の臣の立場で」と表明した上で社説を書いてくれれば余程すっきりする。
木村氏の二度の反論はそうした立場で書かれている。だからこそ健全な社会的論議を呼んでいるのではないか。
ネットの中で、右に偏り、左に偏り、上や下にも偏って、それらの言説に淘汰のメカニズムや読者の選択のメカニズムが働き、全体として社会的コンセンサスが形成されるのが、健全な「参加型ジャーナリズム」ではないだろうか。
マスコミが「真実」を伝えることなど、もはや私は期待していないのです。マスコミも、ネットと同じく、ブログとも同様、玉石混交なのです。だとすれば、色々なニュースソースを読者が確保して、各個人がメディアリテラシーを持つしかない――私はそう思います。
この木村氏の主張をぼくは支持したい。
(これは、今週のブロガー新聞 湯川一日編集長を意識したトラックバックです。)
こちらからもTBさせていただきましたが、個人的には、最後に書いた「誰が取捨選択するのか」の部分がなかなか難しいテーマだと思っているのです。
ブロガー新聞とて、全ての情報を平等に伝えることは不可能ですから、どうしても人の「恣意」が介在してしまいます。
やっぱ、そういう切り口で行くしかないですよね。